第8話 竜娘の乙女心
夜が明けた。薄暗い大樹の
「あ⋯⋯!」
いつの間にか眠っていたシグフリアは慌てて目を覚ました。カインバルトはずっと起きていた。乾いた服を渡されて、着替えるように促された。
「服を着ろ。風邪を引くぞ。一日分の保存食と飲用水をまとめておいた。そこに分は食べていい」
「あの⋯⋯私⋯⋯眠ってしまって⋯⋯」
「別に構わない。今日は移動しない。外には出るな。嫌だろうが
カインバルトは睡眠を取り始めた。目を閉じているが、本当に寝ているのか分からない。寝息を立てていなかった。
「⋯⋯⋯⋯」
下着姿のシグフリアは押し黙る。眠ってしまった謝罪をする暇すら与えてくれなかった。重傷を負ったカインバルトに徹夜させてしまった罪悪感。それと同時に、ほぼ裸の異性が寄り添っていたのに、ちっとも喜んでいないことに腹が立った。
(もしかして吊り橋効果⋯⋯? でも⋯⋯なんていうか⋯⋯。ここまで素っ気ないのは⋯⋯どうなんです?)
肉親に等しい二人を亡くして、シグフリアは心が張り裂けそうだった。この世界で頼れるのは、たった一人の用心棒だけになった。
「⋯⋯⋯⋯」
捨てられたくないという気持ちもある。だが、どんな形であれ、カインバルトに御礼をしたいのは本心だった。
(よくよく考えれば、カインバルトは疲れているわ。右肺には穴が空けられて、左目は剣で串刺しにされてる⋯⋯。しかも、ここは魔物がうろついている危険な地域⋯⋯)
魔除けの結界が機能しているため、比較的安全な休息所ではある。しかし、手負いの用心棒が警戒を緩める理由にはならなかった。
「そうだとしても⋯⋯はぁ⋯⋯なんだかなぁ⋯⋯」
シグフリアは尻尾を不機嫌そうに振って、服を着ずに眠っているカインバルトをしばらく眺めていた。
顔付きはどこにでもいそうな平凡な容貌。美男子とは言えない。しかし、長身で大柄な体躯は、身を委ねたくなる安心感を与えてくる。初対面のときに抱いた印象が完全に逆転していた。
◆ ◆ ◆
「私達はお互いのことをもっと知るべきだと思いませんか⋯⋯?」
シグフリアは血を吸い込んだ包帯を取り替える。清潔な水で傷口を洗い流し、新しい包帯を巻き付けた。カインバルトの肉体は魔法を弾き、薬物に対する強い耐性があった。ただし効力のある薬もいくつかあった。
「アルコール消毒は効くぞ。殺菌作用は俺の肉体に対するものではないからな。戦場の不衛生極まりない環境でも化膿することはなかったから、使う必要があるかは分からん」
「いえ、カインバルトの体質だとか、そういう意味ではなくてですね。もっとコミュニケーションをしたいという意味です」
「⋯⋯なぜに?」
「私には頼る人がカインバルトしかいませんし、仲良くしたいんです。別に下心があって言ってるわけじゃないんですよ?」
「⋯⋯⋯⋯」
当初の依頼は、東方街道の十字路までの護衛だった。レヴァンティール帝国の領土から脱出し、隣国のクライド王国に逃れる。今まで帝都の宮廷で暮らしてきたシグフリアは、
「わざわざ媚びを売る必要はないぞ。回復魔法が使えるなら、働き口には困らない。だが、帝国からの刺客は来るかもしれない。ある程度の面倒を見てやるつもりだ」
「⋯⋯⋯⋯」
「分かった。黙って見つめてくるな。どうすればいい?」
「私のことが気になったりしません⋯⋯?」
「知ってほしいのか?」
「カインバルトがどういう人なのか、私はとっても興味があります」
「意外にお喋りだな。寡黙そうな面をしているのに⋯⋯」
もしかしなくても黙っていたほうが美人なタイプかもしれない。カインバルトは内心でそう思い始めていた。
「こう見えても私はお喋りな性格です」
「⋯⋯でも、乳首や臍のことを聞いたら、昨日は怒ったろ?」
「それはデリカシーがない話題です。宮廷魔法使いでドラゴンの研究をしているのなら分かりますよ? お仕事ですからね。でも、爬虫類扱いは酷いです。心が傷つきます」
カインバルトはナイフで缶詰の蓋を刳り抜く。地面に埋めたのは一年前だったので、鉄の匂いはさほど強くない。豆のスープが入った缶詰を焚火に寄せて加熱する。
「シグフリアの好きな食べ物は何だ?」
「鋼玉が大好物です。特にルビーやサファイアなどですね」
「⋯⋯食費が嵩みそうな好物だな。俺には宝石なんて用意できないぞ」
「真面目に返さないでください。宮廷では定番のドラゴンジョークだったんですよ? 大受けでした」
「やんごとなき連中の笑いどころがよく分からん。だが、食事状は死活問題だ。宝石を食わないとドラゴンは餓死するのか?」
「いいえ、煙草や酒などの嗜好品みたいなものです。私が発見された遺跡には、沢山の宝石や金銀財宝があったと聞いています。おそらく古代竜にとって宝石は愛好物だったのでしょうね」
「鉱石を消化できる胃袋があるなら、どんな物を食っても腹を壊す心配はなさそうだ」
「カインバルトは好きなものとかないんですか?」
「特にないな。⋯⋯だが、嫌いなものはある。酸っぱい食い物が嫌いだ。戦争で採掘用の縦穴に叩き落とされたことがある。底に地下水が溜まっていたから怪我はしなかった。⋯⋯底に大量の腐乱死体があってな。とにかく酷い味と匂いだった」
「反応に困るエピソードがきましたね」
「そういうわけで酸味は嫌いだ。嫌な記憶が蘇る」
シグフリアは焚火に薪を足した。あらかじめ用意してあった薪は乾燥が終わっていたので、魔法を使わずとも煙はまったく出なかった。
「魔法が効かない体質は生まれつきですか?」
「宮廷魔法使いの弟子なら、
「魔法学院の教本で読んだ覚えがあります。いかなる魔法も寄せ付けぬ代わりに、魔法が使えない人間⋯⋯」
「魔法は文明社会の基礎だ。魔力量は先天的な才能だが、どんな人間も一定量はある。皆無というのは、本来ならありえない。数千万人に一人の確率で生まれると聞いている」
「魔法についての知識がありそうですね」
「独学だ。戦場では魔法が飛び交う。どうやったら魔法使いを倒せるかを必死に考えた。所詮は独学だからな。知識に偏りがある」
「戦争に行く前は何をしてたんですか⋯⋯?」
「ずっと戦場にいた。話してもいいが、聞いても面白くない過去だ」
「ごめんな――」
「謝らなくていい。仮に俺の人生が不幸だったとしても、幸せな人間に後ろめたさを感じてもらいたいとは思わん。そもそも今のシグフリアは不幸のどん底だろ。他人に同情している場合か?」
皮肉交じりにカインバルトはシグフリアに言い放った。嫌味は含まれていない。朗らかな態度で笑い飛ばす口調だった。
「私は世界を滅ぼすつもりなんかありません。そのことを証明したい⋯⋯! 私は人を助けたくて魔法を学びました。一人でも多くの人を救うために⋯⋯! 師匠は私を信じてくれました。だから、私も自分を信じて生き抜いてみせます!」
「未来なんて、どうなるか分からんけどな」
ぼそりとカインバルトは呟いた。
「なんで悲しみを乗り越えて、決意表明をした瞬間にそれを台無しにする一言が言えるんですか!?」
「シグフリアが仮に世界を滅ぼす存在だとしても、俺は気にしないってことだ。気楽に生きればいい。人のためだとか、世のためだとか、⋯⋯そんな高尚な生き方をしてると疲れるぞ」
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