第4話 滅びの大竜
シャツァルは白杖を大地に突き刺す。大地に無数の魔法陣が浮かび上がった。
「
魔法陣から召喚された黒騎士達はクザロに襲いかかった。
魔力で喚び出された百戦錬磨の剣霊達。魔法使いの前衛としては最上級の部類に入る。シャツァル自身に剣技の覚えはなくとも、契約を交わした精霊は召喚主の命令通りに任務を遂行する。
(前衛の壁は揃えた。儂が喚び出せる最強の精霊軍じゃが⋯⋯。なんたることか! クザロ相手では時間稼ぎにしかならぬ⋯⋯!)
帝国騎士団の最精鋭は、
蒼刃が凄まじい速度で舞う。剣撃に触れた黒騎士は吹き飛ばされ、粉微塵に砕けた。技量のみならず、身体能力をも魔法によって極限まで高めていた。
(くっ⋯⋯! 強いのぅ⋯⋯!! 剣撃の間合いまで距離を詰められれば⋯⋯終わりじゃな⋯⋯。老いぼれの身体では、クザロの剣撃を躱せぬ⋯⋯!)
単純な魔法合戦であればシャツァルにも勝機はあった。魔法使いとしての腕前だけに限定すれば、年の功で勝る部分がある。しかし、これは手段を問わぬ殺し合い。実戦を積んだクザロに勝利の天秤は傾く。
「弟子の成長は嬉しいのう。だが、負けてはやれぬぞ⋯⋯! 万象の乖離を示せ――
空間を引き裂かれる。強大な魔法の斬撃が放たれた。クザロは魔法発動の余波を感じ取り、瞬時に身を捻った。召喚された黒騎士は、背後からの攻撃を避け損ねる。
「なるほど⋯⋯。先生に似付かわしくない恐ろしい攻撃ですね」
胴体を寸断された黒騎士は、クザロの足首にしがみ付いていた。自爆用に溜め込んでいた魔力が臨界に達し、熱膨張が始まった。直撃すれば致命的な負傷は免れない。
バウシュビッシュ渓谷に轟音が鳴り響いた。まるで落雷のような閃光と共に、爆発音で空気が振動する。
「考えることは誰でも似かよる。戦場で同じ事をしてきた兵士がいましたよ。爆弾を抱えて突っ込んできた。⋯⋯でも、通じなかった。私は生きて戦争から帰ってきました。こんな攻撃は通じません」
「そうじゃろうな。この程度で倒せるとは思っておらんよ」
学生時代のクザロであったのなら倒せた。だが、実戦を積んでクザロの戦闘スタイルは完成してしまった。宮廷の頂点に君臨していた大魔法使いの力量を以てしても劣勢だった。
「魔力が陰り始めていますね。大技を連発すれば、先生ほどの魔力量でもいずれ限界が来る。徐々に追い詰められている状況は分かっているはずです。⋯⋯本当に残念だ」
クザロは帝国騎士の剣を構えた。蒼刃をかつての師に向けるのは心が痛んだ。好きで戦っているわけではない。だが、皇帝の命令を理不尽とも思わなかった。国家の存亡、ひいては世界の命運に関わる。
たった一人が死ぬことで世界が救われるのであれば、その犠牲は致し方ない。もし捧げるべき命が自分自身であったのなら喜んで死を選ぶ。
「悔いはないのですか。先生?」
「もちろんじゃ。たとえ世界が滅ぶとも、儂は正義を貫こうぞ⋯⋯!!」
「ご立派です。なら、私は帝国への忠誠と騎士の大義に殉じ、先生を討ちます⋯⋯」
◆ ◆ ◆
カインバルトとシグフリアは息を潜めて岩陰に隠れていた。宮廷魔法使いと帝国騎士の激闘は周囲の地形を一変させた。十分な距離をあけているが、戦闘の余波で瓦礫が飛んでくる。魔法が炸裂する衝撃波で岩に亀裂が走った。
「やれやれ、凄まじいな。あれが人間同士の戦いか? ⋯⋯おい、待て、覗きに出るな。気付かれたらこっちに攻撃が来る。狙いはシグフリアだぞ。今は隠れていろ」
「⋯⋯分かってはいます⋯⋯でも⋯⋯! 師匠が⋯⋯!!」
「加勢なんて考えるな。今さら遅い。それより事情を聞かせろ。深入りするつもりはなかったが、そんなことは言ってられなくなった。帝国騎士クザロを兄弟子と呼んでいたが本当なのか?」
「はい。私達は帝都の宮廷で暮らしていました。クザロ兄さんは師匠の弟子です」
レヴァンティール帝国は魔法研究に熱心な国家だ。宮廷に召し抱えられる魔法使いとなれば、広大な帝国で指折りの実力者である。
育て上げた魔法使いは国家の至宝。そんな人材が隣国に逃れるとなれば刺客も放たれるだろう。だが、今回の場合は違う。シグフリアやシャツァルは追い立てられて、仕方なく隣国に逃げ問うとしていた。
(老魔法使いシャツァルは、レヴァンティール帝国の宮廷魔法使い⋯⋯。たしかブラウトだったか? 名前は知ってる。戦争には出てこなかったが、帝都でもっとも優れた大魔法使いだと噂されていた。なぜ内輪揉めを? あの老人は国を裏切るような性格じゃないだろ)
レヴァンティール帝国を裏切って、クライド王国に鞍替えしようとしていた様子もなさそうだ。ならば、帝都での政争に敗れて亡命だろうかと思い浮かべる。
一番ありそうな可能性ではあった。だが、放たれた追手が帝国騎士団の筆頭騎士クザロは過剰戦力な気がする。
「何だって兄弟子が師匠と妹弟子を殺しにきてるんだ?」
「⋯⋯それは⋯⋯その⋯⋯」
わざわざ顔見知りを追手するのは解せなかった。情にほだされて見逃してしまう危険を考えなかったのだろうか。否、そんなはずはない。嫌がらせ以外の理由で、身内同士に殺し合いを強いる事情。たった一つだけだ。動かせる手駒のなかで、最強の人間に命令を下した。
「敵はレヴァンティール帝国の皇帝か?」
「⋯⋯私のせいです」
シグフリアは首飾りを外した。幻影魔法で隠されていた頭部の竜角が露わになった。絹糸のように細い金髪から生えた漆黒の二本角。
「こいつは驚いたな。⋯⋯お前、
「⋯⋯言い方」
「違うのか?」
「違います! 私はドラゴン! 竜を知らないんですか?」
「本や石碑で見たことがあるぞ。大きな
「だから、違います! ドラゴンは太古の時代に魔法を生み出した偉大なる種族です!!」
「へえ、そうか。偉大なる種族の末裔様が実在したとはな」
「伝説上の存在でしたが、帝国が発見した古代遺跡に一つだけ無傷の竜卵が残されていました。宮廷魔法使いだった師匠が孵化に成功して⋯⋯私が生まれたというわけです」
(卵で生まれるなら、やっぱり爬虫類じゃないか⋯⋯?)
「師匠がいなければ、私はずっと遺跡で眠ったままの卵でした。だから、師匠は私の父親みたいな存在です」
シグフリアは古代竜の末裔だった。何千年も前に滅んだとされてきたドラゴン族は伝説上の生き物だった。だが、失われた古代魔法を求めてレヴァンティール帝国は遺跡の発掘を進め、祭壇に封じられていた無傷の卵を一つだけ見つけたという。
世界を統べていたドラゴン族が後世に残した黄金の竜卵。それがシグフリアの正体だった。
「ドラゴン⋯⋯。最後の一匹か? そういう貴重な生き物は保護されるだろ。なんで駆除される流れになってるんだ?」
他国の手に渡るくらい殺処分する。レヴァンティール帝国ならやりそうだが、それはシグフリアが自分から逃げようとした場合の話だ。
(帝都での扱いは悪くなかったはずだ。ドラゴンを飼い慣らしていれば、国威発揚の宣伝文句にもなる。苦労して育てたドラゴンを殺す理由は何だ?)
レヴァンティール帝国は周辺諸国で抜きん出た軍事力を誇り、賢帝のもとで栄華を極めている大国である。考え無しの愚者が政治を仕切っているはずがない。
シグフリアを厚遇して、帝国に愛着を持たせるくらいはやる。実際、それは上手くっていた気がした。
「遺跡の碑文を読み進めていった結果、私が世界を滅ぼす〈終焉の大竜〉だと判明したからです⋯⋯」
「きな臭いな。やれやれ。世界を滅ぼす⋯⋯? これまた大きな話になってきたな」
「古の時代、世界を統べていたドラゴン族は神に反逆して滅びました。神を殺し、世界を喰らい尽くす。欲深いドラゴン族は大それた野望を抱き⋯⋯私という厄災を作りだしたようです」
「神? そんなの実在するか分からんぞ。見た奴は一人もいない」
「ドラゴン族だって私が見つかるまでは伝説上の生き物でした。遺跡の碑文には、私が世界を終わらせる大竜だと記されていたんです⋯⋯」
「世界を滅ぼす可能性があるから、始末されそうになってると?」
「はい。⋯⋯それでも師匠は⋯⋯私を逃がそうとしてくれました」
「育ちの良さそうな爺さんだ。情に流されたか」
「私は自分の運命を受け入れる覚悟も⋯⋯考えてはいましたが⋯⋯」
「運命を受け入れる? 世界を滅ぼす気なのか? 方法は?」
「ちょっ⋯⋯! なっ、なんでそうなるんですか! そっちの運命じゃありません!! 私が世界を滅ぼしたいと願っているように見えますか!? そうなるくらいなら自分で命を絶ちます!!」
「やる気はなさそうだな。⋯⋯だったら、シグフリアは世界を滅ぼさないだろ。遺跡の碑文とやらが間違ってるか、大昔にいたドラゴンとやらは、いい加減な
「⋯⋯それで他の人々が納得してくれると思います?」
「俺は納得する。終焉の大竜? どんな陰謀があるかと思えば⋯⋯はぁ⋯⋯想像以上にくだらない話だった。アホらしい。まったくもって⋯⋯笑えもしねえな⋯⋯」
「世界を滅ぼす可能性がある。それだけで私は危険な存在です。皇帝陛下が勅命を下されたのも⋯⋯致し方ない決断だと納得はしてます」
「そうかぁ? 短絡的な判断だろ。そのせいで宮廷魔法使いと帝国最強の騎士が殺し合ってるぞ。賢帝と褒め讃えられているが、所詮は為政者の一人に過ぎなかったか」
「さすがに不敬ですよ⋯⋯」
「皇帝だろうが何だろうが、今は自分を殺そうとしてる相手だぞ。シグフリアは理不尽には思わないのか? まだ何の悪さもしちゃいないのに、可能性があるから殺す⋯⋯。殺される側からすれば⋯⋯たまったもんじゃないだろ」
「⋯⋯師匠は私に生きて欲しいみたいです。だから、私も⋯⋯世界を滅ぼす悪い竜にならなければ⋯⋯生きていたい⋯⋯。本音を告白すれば⋯⋯死ぬのは恐いです」
「当然だ。生きているのなら、死ぬのは恐い」
シグフリアは思い悩んでいる。指先が震えていた。生きるべきか、死ぬべきか。遺跡に記された真偽不明の記述を信じて命を絶つ。そんな決断を十七歳の若娘がしなければならない。
「事情はよく分かった。世界を滅ぼす云々は信じちゃいないが⋯⋯。滅びたら⋯⋯まぁ⋯⋯それはそれで⋯⋯」
「⋯⋯あの? 何を言ってるんですか⋯⋯?」
「なんというか。モチベーションが上がってきた。義務感で依頼を受けてしまったが、やりがいを見いだせそうだ」
「ありがとうございます。でも、それなら⋯⋯隠れるよりも逃げるべきじゃ⋯⋯。せっかく師匠が時間を稼いでくれているのに⋯⋯」
「逃げる選択肢はない。シャツァルさんが無駄死になるぞ。今夜は雨が降る。水を操る魔法使いからは絶対に逃げられない。⋯⋯俺達が生き残る未来はたった一つだ」
「え⋯⋯。ちょっと⋯⋯待って! 待ってください! まさか戦う気ですか!? だめっ! クザロ兄さんは戦闘に秀でた魔法使いです。死んでしまう!」
「逃げても追いつかれる。隠れても見つかる。残された選択肢は何だ? 戦う以外にないだろ?」
「仮に戦うとしても⋯⋯だったら、師匠と協力すれば⋯⋯!」
「それは断る。シャツァルさんは自分の弟子を殺せないだろ。付き合いの浅い俺でも分かるぞ。あれは善良で、正しい人間だ。シグフリアを殺せなかったように、クザロだって殺せやしない。あの男も弟子の一人なんだろ」
「⋯⋯師匠が負けると思っているんですか?」
「シャツァルがクザロを殺せる人間なら、皇帝に反逆してまでシグフリアを逃がそうとはしない。性格が荒事に向いてないな。⋯⋯無意識なんだろうが時間稼ぎの戦い方だ。あれじゃ負ける」
カインバルトは古びた長剣を鞘から抜いた。
「――戦場で生き延びるコツは、殺される前に殺せだ」
戦場で多くの命を奪った凶刃の切れ味を確かめる。敵は帝国騎士団の筆頭クザロ。単騎の戦力で見るのなら帝国最強の剣豪だ。辺境で日銭を稼ぐ用心棒如きが殺せる相手ではない。だが、シグフリアの背筋は恐怖で凍り付いた。殺気というものを始めて肌で感じた。
(この人⋯⋯。何かがおかしいと思ったら⋯⋯。魔力が欠片も感じられないわ⋯⋯! まるで人形が動いているみたいに⋯⋯生命力すら⋯⋯! どういうこと⋯⋯?)
魔力を視覚的に捉える竜眼に視力を切り替える。だが、カインバルトを生命体と認識できなかった。あらゆる魔力的な要素が阻害される感覚。どんな人間でも魔力は宿っている。生命が消え失せた死体ですら、魔力の残滓はあるのだ。
これだけ近くにいるのに、魔力気配が一切探知できない。こんな人間に出会ったのは初めてだった。
「ああ、そうだった⋯⋯。命懸けで戦ってやるんだ。お前の名前を教えてくれ。シグフリアは偽名だろ。真名を教えるのは必要最低限の礼儀だと思わないか?」
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