第5話
三月も残り数日となったある晩、ポイントが足りずに飲みに行けなかった俺はパソコンに向かってひたすらクリックを繰り返していた。今日、最後のテーマが発表されたがもう書く気にもなれない。それより仲間が楽しく飲んでいるのに自分だけがここにいることが悔しかった。最近は専ら高評価の見返りでポイントを稼いでいたが、今日は百回クリックしてもビール一杯分にすらならない。
俺は、何かポイントを稼ぐ手立てはないかとベッドに寝転んでタブレットを開いた。読み飛ばした規則や使い方に改めて目を通すと、基本的にポイントは書いた文字数に比例して付与されることがわかった。どうりで高評価を連発してもポイントがたまらないわけだ。更に読み進めると評価に関する注意書きを見つけた。ポイント獲得のみを目的とした応援や評価は懲罰の対象となると書いてある。
「小説投稿サイトの懲罰って、なんだ」
その瞬間、突然画面が真っ赤に光り警報音と共に「WARNING」の文字が浮かび上がった。俺は驚きのあまりタブレットを放り投げた。幸いなことにタブレットはベッド上に落下し壊れることはなかったが、変な機械音声が流れ始めた。タワーで聞いたあのロボットの声に似ている。急いで拾い上げると画面の警告の文字は消え、白地に黒文字の文がエンドロールのように流れていた。機械音声はどうにも聞き取りづらかったので俺は文字に集中した。そこには最近の俺の行動に問題があると書いてあった。やはり俺のポイント稼ぎは違法だったらしい。最後に、二十四時間以内に弁明書を提出しなければ即刻退去を命じるという一文が表示されてスクロールは止まった。
俺は暫くその画面を見つめていたが、再びタブレットを放り出しごろりと仰向けになった。
「何やってんだ、俺……」
俺は暫く天井を見つめていたが、意を決して立ち上がった。他に何も方法が浮かばなかった。俺は胸ポケットにカードキーだけ入れて家を出た。今夜もあの日のように月明かりのない夜だ。気づけばあれからひと月が経っていた。
俺は井上さんがやっている居酒屋の前に立った。彼のエッセイは読んでいたが、ここへ来るのはあの日以来だ。思い切って戸を開けると、デジャヴのように彼と目が合った。
「やあ、いらっしゃい。さあ、入って入って」
井上さんは人懐こい笑顔で俺を招き入れた。一度会ったきりなのに覚えていてくれたことが素直に嬉しかった。他に客がいないのを確かめて俺は敷居を跨いだ。
「生でいいかい?」
「いや、あの……」
「再会のお祝いに奢らせてくれよ」
手持ちが少ないことを言い出せずにいた俺の気持ちを察してか、井上さんはそう言いながらジョッキに並々とビールを注いでカウンターに置いた。俺はぺこりと頭を下げて椅子にかけ、ジョッキを手にとった。井上さんはカウンターの向こうの椅子に座ったまま何も言わず優しい目で俺を見ている。俺は静かにジョッキをカウンターに戻した。
「なんだ、飲まないのか?」
「井上さんに聞きたいことがあって来たんです」
井上さんもまたジョッキを置くと、カウンターから出て俺の隣に座った。
「俺でわかることなら」
彼はどこまでも穏やかで落ち着いている。まるで俺が聞きたいことがわかっているみたいだ。
「トリ……伝説のトリに会えたら運命が変わりますか?」
俺はやっとの思いで言葉を絞り出した。
「さっき、運営から警告が来たんです。弁明書出さないと追い出すって。弁明書出したところで残れるとは限らないんですよね? 俺、たくさんルール違反してたから厳しいと思うんですよ……俺ね、これまでの人生で自分に満足したこと一度もないんです。勉強も運動も苦手だし、何やっても兄貴たちに敵わなくて家族の中でも浮いてたし、受験も失敗して、会社でもうまくいかなくて……何でみんなが普通にできることが俺にはできないんだろうって。子供の頃褒められてから唯一大切にしてきた書くことすら自信が持てずに続けられなくて、ここでならやっと俺らしく生きていけるって思った矢先警告って、なんかもう呪われてるんじゃないかって思うんですよ。俺、そんなにダメな奴ですかね」
最後の方は自分でも何を言っているのかわからなくなった。おまけに俺はいつの間にか泣いていた。井上さんはおもむろに立ち上がり、ティシュと先程のジョッキを俺の前に置いて何も言わず顎をしゃくった。俺は急に恥ずかしくなって、鼻をかみ、ビールをごくごく飲んで井上さんの方に向き直った。
「今田くん、君はもうトリに会ってるよ」
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