そして学園の日常

 この学園に転入してからようやく一月ひとつきになろうとしていた。

 俺は少し退屈していた。コミュ障・陰キャを作りすぎたか。

 ダチがいない――。かといって地を出すとあいつみたいになるしな。

 俺が見る先に孤高の男がいた。額出しに逆立つ髪の鮫島さめじまだ。ど真ん中の席でふんぞり返って堂々と寝ている。もちろん昼休みだから寝ていても良いのだが周囲の席が空席になっているぞ。

 前の学校では俺の周りにこういうヤツがゴロゴロいた。

 だからといって――いまさら愛嬌を振り撒くのもな。

「やあやあ――ビューティフルガールズ」星川が女子たちに一人ずつ声をかける。

 それはまるで英会話の練習をしているみたいだ。「ハワユー?」と声をかけられたら誰でも困惑するぞ。一日何度「ハワユー?」を言われるのだ?

 俺は席を立ち教室の外へ出た。学食で昼飯を食って戻ってきたのにまた外出だ。

 廊下を歩いていたら同期して俺の後を歩く人の気配を感じた。

 俺は角を曲がったところでいきなり振り向いた。

「ぎゃッ!」そいつ――女子学級委員の本谷ほんたにが大袈裟に驚き後ろに身を引いた。

「ああ――本谷さん」俺は初めて気づいたかのように本谷に声をかけた。

「あ、鮎沢くん、元気?」

「ふつう」

「そう……ふつうなのね」ひきつったような笑みも可愛いな。「――学園生活慣れた?」

「うん、とても快適だよ」

「そ、そう……」って納得してないな。まあ構わないが。「――毎日退屈していない?」

「こうして散歩しながら人を観察するのもいきだよ」

「そうよね」そこは同意するのか。

 本谷は文芸部だったな。小説ネタを探して毎日人間観察をしているのかもしれない。果たして俺はどんな人物に見えるのだろう。

「ボクってどんな風に見える?」

「え?」本谷は眼鏡の奥の目を丸く見開いた。

「オタクっぽいかな?」

「何か熱中している分野があるの?」

「それはもちろん可愛い系女子」

「エエエ!?」

「――なんてね」俺は身を翻した。

 先を歩くが本谷は全く懲りていない。こいつは一度対象として選んだ獲物は逃さないタイプなのだろう。

「ねえ――例えばどんな女子?」

 いや、大きな声で訊かないでくれ。周りにいる生徒どもが顔を上げるではないか。

「ああいうのかな――」

 俺は、その時たまたま渡り廊下を歩いていた泉月いつきを指差した。

 十メートル以上離れていただろう。泉月は生徒会の腕章をつけ、他に生徒会役員らしき生徒を二人連れていた。

 何ともオーラが違うな。実家ではまるで存在感がないのにここでは別人だ。

「エエエ、東矢とうやさんが良いの?」本谷は素直に驚いている。「高嶺の花ね、頑張らないと」

「冗談だよ」俺はボソッと呟くように言った。実妹だしな。

 泉月は俺に気づかない振りをして通りすぎる。

「東矢さん、お疲れさま」本谷は泉月に挨拶した。

 学級委員をしているからそれなりに接触はあるのだろう。

本谷ほんたにさん、ごきげんよう」泉月は口許にわずかな笑みを浮かべた。

 これって気づいてもらえるのか? 分かりにくいぞ、ふつうの人間には。

 後ろの生徒会役員は黙って頭を下げる。下級生のようだ。

 そこで泉月と本谷の立ち話が始まることはなかった。颯爽と立ち去る泉月の背中に向かって本谷は小さく手を振った。

「お貴族様?」俺は本谷に言った。

「ある意味――そうかもね」本谷は否定しなかった。

「星川くんみたいに?」

「そうね。ちょっと違うかしら」本谷は可笑しかったのか眼鏡の奥の目を細めた。

「――鮎沢くん、可笑しい」今にも腹を抱えそうだ。

「そう? 良かった」

 俺は本谷を笑わせて良かったと言った。無表情のままだがどのように思われただろう。

 少し歩いたところでいつかのように生徒たちの心ない声を耳にした。

「氷の女王さまを見てしまったわ」

「一日一回は見るわね」

「それだけ巡視をしているのよ」なるほど。

「あれが次の生徒会長。氷の世界になるかしら」

「何もできないでしょ。何も変わらない。舞子まいこ会長になってからも変わらなかったもの」こいつらは何が変わって欲しいのだろう。

「でも裏サイトには男と一緒にいて別人みたいに嬉しそうにするの画像があったよね」

「だから――あれはよく似た別人。ではなく別人なの」

「隠れて付き合ってるのかと思ったよ」

「そんなことができるなら見直してあげるわ」

「でも中等部時代生徒会副会長だったと付き合っていたのでしょう?」

「あんな都市伝説信じているの? 天地がひっくり返ってもあり得ない」

 女たちがケラケラ笑い出した。その声が遠ざかる。

「あれって同級生?」俺は本谷に訊ねた。

「三年生」上級生か。

渋谷しぶや様とか言ってたけど」渋谷しぶやは俺たちと同期のはずだ。

「渋谷くんは特別だから」

「東矢さん――、渋谷くんと付き合ってたんだ?」

「どうかしら? ずっと二人でいたのは確かだけれど。それだけだと思うわ」本谷は歯切れの悪い言い方をした。

 この学園は校則で生徒同士の恋愛を禁じていた。堂々と付き合うことはできない。付き合っているように見えてもと見なさなければならないのかもしれない。

 しかし俺は知っている。昨日真咲まさきに聞かされた。昔泉月いつきが唯一自宅に連れてきて叔父叔母に紹介した男――それが渋谷恭平しぶや きょうへいという名の男だった。

「渋谷くんて何組?」俺は訊いていた。

「B組だけど」本谷は戸惑いながら答えた。「会いに行くの?」

「会わないよ」俺は口だけにっと笑った。「上級生女子に様付けで呼ばれる男の子が見たいだけだよ。遠くから鑑賞する」

「やっぱり鮎沢くん、可笑しい」本谷は安心したかのような笑顔になった。

 俺たちは――しばしの間――立ち止まって笑っていた。

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