学食で男どもがからんでくる

 二年H組の教室に入った。一番前の席はやはり落ち着かない。後ろに顔が見えない誰かがいるのが心地悪かった。

 当たり前だが、転校してきた俺に知っている顔は一人もない。隣にいる学級委員の本谷ほんたにだけが顔見知りという有り様だった。

 授業は公立のそれより遥かにレベルが高かった。しかし全く歯が立たないわけでもない。

 俺は昔から要領が良く、頭の回転が速く、記憶力にも自信があった。

 適当にやっていても平均点くらいをとる自信がある。ここでは地味にやっていこう。そう思った。


 午前中の授業が終わり、昼休みとなった。

 昼食は弁当持参組、学食組、購買部かコンビニでの購入組に分かれる。俺はしばらく買い食いでしのぐつもりだった。

 他のきょうだいたちがどうしたのかわからない。泉月いつきの姿は朝から見ていないし、楓胡ふうこは朝と同じトーストをサンドイッチにしたものを持って出たはずだ。

 俺も持っていくかと楓胡に訊かれたが、朝と同じメニューが気に入らなかったので断ったのだった。

 桂羅かつらも弁当を持たなかったから学食にしたのではないか。そう思って食堂を覗いた。

 ここまで広く綺麗な食堂を俺は知らない。いつかテレビで観た一流企業の社員食堂といった感じだ。そこが生徒で溢れていた。中等部の生徒もいるから六学年集まっていることになる。

 何か買って教室で食べようかと思っていたが、ランチメニューの焼肉定食が目に入って気が変わった。

 学食で七百円というメニューがあるのも信じられなかったが、この空腹を満たすのにふさわしい外観と量に見事に討ち取られたのだ。

 以前の学校だったら昼食に七百円もかけるなど考えもしなかった。しかし東矢とうや家からの小遣いもあるし、裕福な子女が通う学園に転校してきたわけだから、ここは郷に入っては郷に従えだ。

 俺は迷わず焼肉定食を頼んだ。

 トレイを手にする。なかなかうまそうじゃないか。

 至福のときをゆっくり過ごそうと思ったが、席を見つけるのに苦労した。なかなか空いている席が見つからない。

 ところどころ空いてはいるが、女子生徒のグループの間に入り込む形になるのだ。四割ほどいるはずの男子生徒が食堂では三割以下になっていた。

 前の学校で男女入り交じって遊んでいたから女子の間でも抵抗を全く覚えない。しかしこの学園では地味な男子生徒としてデビューするつもりだったので、女子に囲まれた席は不自然ではないかと思ってしまった。

 少しずつ席を探して歩を進めていると、ようやく空席らしきところを発見した。

 あるじゃないか。しかも壁を背にして座る特等席が。

 なぜかそこだけポツリポツリと空席があった。その理由をすぐに俺は察した。

 見るからに目付きの悪い額出しの男子生徒が一人でランチに箸をつけていた。

 少し立っているように見える黒髪は茶髪の方が似合うだろう。隣に誰も座らせないように足が大きく開かれていた。

 この学園にもこういう奴がいるのか、と俺は懐かしささえ覚えた。前の学校ではまわりにうじゃうじゃいた輩だった。

 それで誰もこいつの近くに座らないのだ、と俺は納得した。

 壁を後ろにした席だったこともあり、テーブルは一つずつ隙間が作られていて、さながらふたり掛けテーブルがいくつも並んだ状態だったが、見事に空席ができていた。

 その男子生徒とは誰も関わりたくないのだろう――と思って横を見ると、一つ置いて隣に女子生徒が一人いた。それが桂羅かつらだった。

 桂羅もまた、一人で誰にも話しかけられないオーラを放っていた。それがとても可笑しかった。

 俺は何食わぬ顔で、ヤンキー面の男子生徒と桂羅の間に腰を下ろした。

 テーブルの隙間はあるものの、ヤンキー、俺、桂羅が壁を背にして三人並んだような格好になった。

 それはおかしな光景だっただろう。見ていないふりで三人を観察する視線を俺は感じた。

 多くの生徒たちが、このならびに注目したようだった。

 男子生徒が横目で俺を見てガンを飛ばしているのを知っていたが、気づかないふりをして、焼肉定食を堪能した。

「うまい……」小さな声が漏れてしまう。まさに至福のときだった。

 左隣にいる桂羅は、フッと笑ったようだったが、知らぬふりをしていた。

 黙々とランチをとる横並びの三人。混雑する食堂で、ゆったりとした食事を堪能していたら、そこにさらに一人が加わった。

「ここ、空いているかい?」

 見上げると、わざとらしい爽やかさを身に纏ったホストづらの男子生徒がトレイを手にして立っていた。

 俺に言っているのか? お前みたいな人種に声をかけられるいわれはないのだが。

「ど、どうぞ」地味男を装っている俺は答えた。

「ありがとう」そいつは俺の前に腰かけた。

 そいつのトレイには三種類のサラダ盛りが置かれていた。タンパク源はサラダに混じっているチキンとサーモンだけのようで、炭水化物の類は一切なかった。

 以前の俺だったら間違いなく突っ込んだところだろう。

 そいつは星川ほしかわというヤツだ。二年H組のクラスメイト。名札がそう告げていた。

 何となくそんなヤツがいた気がする。

鮎沢あゆさわ君だね、転校してどうかな。何かわからないことがあれば遠慮なくボクに聞きたまえ。ボクは生徒会の書記もしているんだ」

 何だそれ? 自慢のつもりか?

 内心を表に出さず、声にならない頷きと会釈を星川に返した。

「相変わらず、草食だなあ、お前」と右隣のヤンキーが星川に言った。「ふだん女に囲まれて、肉食は飽きたってか」

鮫島さめじま君、唐揚げばかりだと肌に悪いと思うがね」

「何だとコラァ!」すぐ着火するなよ。気持ちはわかるけど。

「春休みが終わって髪を黒く染め直したところは認めるよ」

 優男やさおとこの星川はヤンキーに全く脅威を感じていないようだった。

 ヤンキーは鮫島といい、やはり二年H組だとわかった。

 教室の一番前の席では生徒の顔も覚えられない。こういう機会でもないとな。

 もっとも、男子生徒に興味はなかったが。

「ところで――」と星川は何気なく俺の左隣にいた桂羅に話しかけた。「――きみも転校生だね、ボクは星川漣ほしかわ れん。生徒会役員をしています」

「そうですか、どうも」と桂羅は答えただけだった。

 おそらくどれほどイケメンであっても桂羅の態度に揺らぎはないだろう。

「え? こいつ、東矢とうやじゃないのか?」鮫島は細い目を丸くした。

 二つ隣にいた桂羅を鮫島は少し前から認識していたようだ。

「東矢副会長が髪を切った姿ではないよ、鮫島君。それに副会長が学食を一人で食べることはない」

 なるほど泉月は学食では食べないのか、と俺は思いつつも、焼肉定食に集中した。

「こんなに似ている人間がいるか? ひょっとして双子?」

 鮫島は意外に喋る。思ったことを口にしてしまうタイプのようだ。

東雲しののめさんだね、二年C組か」名札を見たのか、最初から知っていたのか、星川は桂羅に向かって話しかけていた。「聖麗女学館から転校してきたんだね」

「お嬢様学校じゃねえか」鮫島が感心している。

 御堂藤学園も裕福な子女が通う学園だが、聖麗女学館はそれ以上だというのが鮫島の認識なのだろう。

 それより、俺の前に坐って、両隣とお喋りしているんじゃねえ!

 俺は星川にそう言いたかったが、口に出さなかった。俺は地味に行くのだ。

「おおお! 良いところが空いているじゃないか」また別のむさ苦しい男の声が近づいてきた。

 佐田さだという二年B組の男は、カツどんとラーメンを載せたトレイを手にして、鮫島の前の席についた。

「俺の前に座るんじゃねえ」

 鮫島は佐田を追っ払おうとしたが、佐田は鮫島の睨みに動じない男だった。

「硬いこと言うなよ、鮫島。オレとお前の仲じゃねえか」

「俺はお前とダチになった覚えはない」

「武道部の勧誘をしているんだが、今年の一年生、ひとりも希望者がいないんだ。鮫島、今からでも入らないか? お前、空手やっていただろ」

「興味ねーよ」鮫島はつれない。

「星川も柔道やっていたよな」佐田は星川にも顔を向けた。

「ボクには生徒会というオアシスがあるからね」柔道をやっていたようには見えない。

「ハーレムの間違いじゃねえのか」と言ったのは鮫島だった。

 なんだこいつら、なんでこんな連中が集まって来るんだ。

 左隣の桂羅が立ち上がった。そのまま何も言わずにトレイを手にして静かに立ち去った。

 桂羅に無視された形の星川は、少し目を細めただけで、特に何も言わなかった。どのようなタイプの女子の扱いにも慣れているようにも見えた。

「鮎沢君」佐田が俺に声をかける。「君は転校生らしいじゃないか。どうだ、武道部で汗を流してみないか?」

「ぼ、ボクは、体を動かすのが苦手で……遠慮します」俺は吃音きつおん混じりに答えた。

 ひ弱な男を演じているつもりだが、しっかり焼肉定食は豪快に食べていた。

「そうなのか……」佐田はじっと俺の手を視ていた。「そんな風にも見えないが……」

 箸を持つ手を隠すことはできなかった。母方祖父が道場を開いていた関係で、俺は幼いころから柔道、空手、剣道といろいろと教えられた。どれもみな中学で初段をとったところでめたから、もう何年ものブランクがある。

 やっていた頃に比べたら拳はだいぶひ弱になったはずだと思っていたが、佐田には見破られたかもしれない。

 この学園にも数少ないがむさ苦しい輩がいる。それはそれでノスタルジーを感じるが、今は関わり合いたくなかった。

「君たちも、鮎沢君を見習って、もう少しおとなしくしていたまえ」星川は、呆れたように鮫島と佐田に言った。「男子生徒の品格も大事だと思うよ」

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