マンションで迎えた朝

 俺は翌朝、女の声で起こされた。

 眠い目をこすりつつ体を起こすと目の前に長髪の美少女の顔があった。

「うわっ!」あまりに至近距離だったもので俺は後ろへのけぞった。

「おはよう、ほのかちゃん」

「お前は……えっと……」

楓胡ふうこよ」

「ああ、眼鏡に三つ編みの……」

「正解! 良くできました!」

 そう言ってハグをする。楓胡のスキンシップは尋常ではない。

「朝ごはん、できてるわよ」

「ああ、ありがとう」

 昨日からこのマンションの一室を間借りすることになった。夢ではなく、現実だった。楓胡を含む三人の姉妹との同居生活。黙っていれば見分けがつかないくらいそっくりの姉妹だが、楓胡は表情で、桂羅かつら泉月いつきは髪の長さでどうにか区別がついた。

 すでに泉月の姿はなかった。生徒会の活動で先に登校するとのことだった。

 リビングのテーブルには桂羅がいて、トーストをかじっていた。

 空いた席、俺がつくはずの席にはスクランブルエッグとレタス、トマトが載ったプレートが置かれていた。トーストはトースターに仕掛けられていた。

「楓胡が用意してくれたのよ。あ、トーストは私」お礼を言いなさいと言わんばかりの様子で桂羅が言った。

「ああ、ありがとう」

「どういたしまして」楓胡が目を細めた。

「おはようの挨拶は?」桂羅が訊いた。

「あ、おはよう……」

「おはようございます……なんてね、つい癖で丁寧に言っちゃったわ」

 いちいち突っかかるやつだとは思ったが、まだ完全には目が覚めていなかったので無視することにした。

 今日が登校二日目だった。授業が始まることになる。教科書類は昨日学校で全て受けとった。リュックもあったから大変な荷物になったのだ。

 鞄がないから俺は今日もまたリュックを背負うことになると覚悟していた。ところが桂羅はもう学園指定の鞄を手にしていた。

「あんたの分もあるわよ」なんで知らないのと桂羅はソファーの上を指差した。

「ピカピカの鞄なんて恥ずかしいな」

「仕方ないでしょ」

 桂羅が先にマンションを出た。楓胡が一緒に登校しようと言った。

「お前は優しいな」

「ありがと、でも鍵の掛け方とかマンションの出入りのルールをまだ教えていなかったから」という理由があっただけのようだ。


 きょうだいたちとの同居生活。夢ではなかった。

 徐々に昨日のことを思い出してきた。忘れていたことが信じられないくらい強烈な出来事だった。

 楓胡ふうこ桂羅かつら泉月いつきと初めて顔を合わせた。

 俺たち四人は生まれて間もなく母親が死亡したために、それぞれ別の家に引き取られた。父方である東矢家で育ったのは泉月だけだ。

 このマンションは三月半ばに入居開始となったようだが、はじめの二週間ほどは楓胡と泉月の二人で住んでいたようだ。そこへ桂羅と俺が越してきたかたちになる。

 そして俺たちの事情についてはなぜか楓胡だけが知っていた。

 どうも楓胡は桂羅と泉月にことを伝えていなかったようだ。いや、楓胡だけでなく、あの叔父が二人に何も伝えなかったのだ。

 叔父の家に暮らしていた泉月ですら知らされていなかったことに俺は驚きを隠せなかった。

 俺が楓胡からそうした経緯いきさつを簡単に聞かされていたら、突然桂羅が、

――この男が私たちときょうだいである証拠はどこにあるの?

と言い出した。

 そんなのは自分の知ったことではないと俺は思った。

 どうやら桂羅は男と同居することに相当抵抗があるようだ。

 すると楓胡が言ったのだ。

――同じ顔をしているじゃない。

 それが楓胡のの始まりだった。

 桂羅と泉月は髪の長さが違うだけで瓜二つだった。そして楓胡も表情を無にすれば桂羅や泉月と同じ顔になれるのだ。しかし俺は男だ。何となく似ている感じはするが瓜二つというわけにはいかない。

 するとまた楓胡は言った。

――ちょっと化粧をすれば私たちと同じ顔になるわよ。

 手元に用意していた化粧セットで、俺は楓胡の手によって女の顔にさせられた。

――ほら、見てごらんなさい。おんなじよ。

 得意げに笑う楓胡。目を丸くする桂羅と泉月。

 結局、ふたりは納得した。いや、納得するのかい!

 そしてその後も信じられないことが続いた。

 化粧を落とすために俺は風呂に入った。そこに楓胡が入ってきたのだ。

――お化粧とれた? 背中を流してあげるわよ。

 頭にシャワーをかけていたので、薄目を開けると楓胡は全裸だった。

 俺は、若い女子の裸を間近で見たことはなかった。中学時代に元カノと呼べる女子がたくさんいたけれど、そこまで深い付き合いをしたことはなかった。

 いくら血を分けたとはいえ、裸を見せることに抵抗はないのか?

 俺は呆れと驚きを覚えた。

 どうもそれが楓胡の性癖らしい。新しい住人とは一緒に入って親睦をはかる。

 男同士なら当たり前のようにしてきたことだったが、まさか異性同士でこのような形の親睦をはかる奴がいるとは思いもしなかった。

 楓胡は「優しい奴」だったが、その思考や挙動はいかれている。


 マンションを出て、駅へと向かう道、楓胡は眼鏡の奥の目を細めて笑っていた。

 しかし電車に乗ったあたりから少しずつ俺と距離を置いていった。

 赤の他人のふりの始まりだ。

 毎日一緒に登校してしまうと、付き合っていると思われかねない。そうなるとそれを否定するのが面倒だった。

 このキャップを被ったような髪型と黒眼鏡がもてる男に見えるとは思わなかったが、気を付けるに越したことはなかった。並んで歩くとカップルに見えないこともない。

 楓胡とは別々に俺は学校の門をくぐった。

 正門のところには今日も何人かの教師たちと生徒会役員、美化風紀委員の生徒がいて、服装のチェックをしていた。

 その中に泉月の姿を見たが、泉月は俺のこともただの一生徒として、無視に近い扱いをした。

 三人の中では最も話しづらい女だ。

 楓胡は馴れ馴れしいくらいにスキンシップをしてくる。

 桂羅は憎まれ口をたたくも、避けてはいない。

 しかし泉月は何を考えているのかまるでわからない人種だった。

 あの叔父と同じ匂いがする。東矢とうや家の人間はみなこのタイプの人間なのだろうか。

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