そのまま初登校・始業式

 翌朝、俺は慌てて電車に乗った。

 ろくに顔を洗う時間もなかった。始業式初日から寝過ごしてしまったのだ。

 昨日から御堂藤みどうふじ学園の制服は着たままだ。手櫛をかけ、伊達眼鏡をかけて、俺は東京の西の外れまで電車に乗った。どうにか始業式には間に合いそうだ。

 しかし遠いな。上京したつもりだったが、東京とはいっても西の果てだ。ほとんど神奈川県ではないか。

 実際、俺が住む予定のマンションは神奈川県にある。俺は千葉県民から神奈川県民になったのだ。通う学校は東京都だ。何だかな。


 二年生になったとはいえ、新しい高校に通う。眼鏡をかけた陰キャとして高校デビューすべきか、それとも素を出すか。思案のしどころだ。

 しかし少なくとも生徒手帳に書かれた校則を読む限り、素を出すのはまずいのではないか。

 髪型や服装に何かと制限がある。バイトも特別認められた生徒のみ許可される。そして何より生徒同士の恋愛禁止。アイドルグループかよ。

 ということで選択肢はガリ勉くんだ。うまくガリ勉になれるだろうか。オタクになってしまいそう。それだけが心配だった。


 学園の最寄り駅に着いた。ここから徒歩十分。編入試験の時に一度来ているから道は迷わなかった。

 学園に向かう道に生徒たちの姿はまばらで、みな急ぎ足になっていた。おそらく遅刻しそうな連中なのだろう。

 やはり女子の比率が高いな。しかもみんな可愛い。似たり寄ったりに見えるのは校則のせいだ。


 校門の手前から中に少し入ったところに至るまで教員がずらりと並んでいた。それに混じって立っている生徒は風紀委員か何かか。

 中流の公立学校しか知らなかったから珍しい光景だった。

 制服や荷物のチェックに教師と生徒が協力しあっている。

 俺は他人事のように見ていたのだが、思いがけず男性教師の一人に呼び止められた。

「君、そのリュックは何だね?」

「あ、これは着替えやら何やら――」と言いかけてまずいと思った。

 初日から外泊明けと知られるのはまずいのではないか。

 やってしまった。

 以前の高校なら何てことのない出来事だが、ここではそれは日常の瑣末ではないのだろう。

「彼は転入生で、私のクラスの生徒です」そう言って間に入ってくれた教師がいて助かった。

 西脇という初老の――本当は中年なのかもしれない――教師で、彼が担任のようだった。

「こちらに来なさい」

 言われるまま俺は西脇の後を追った。

 いや、助かったぜ。

 ふと何気なくそこに立っていた女子生徒を見て俺ははっとなった。

「お前、あの時の――」編入試験の時に一緒になった聖麗女学館の女子生徒だと思ったのだ。

 しかしそいつは眉ひとつ動かさずに言った。「どなたかと勘違いされているのでしょう。私は初対面の殿方に『お前』呼ばわりされる覚えはありません」

 エッと思ったが、西脇に引っ張られてそこを離れた。

 やはり勘違いだったのか。

 言われてみれば髪型が違うな。そこに立っていた女子生徒はショートボブではなく、髪を後ろで綺麗に束ねていた。長い黒髪が隠されていたのだ。

 しかしよく似ている。もはやそっくりだ。

 そう思いつつも俺は西脇の動きに従った。

 気持ちを切り替えて、西脇と歩いた。

 カプセルホテルからで登校した俺も冴えない格好だったが、西脇もさながら昼行灯のような姿なりをしていた。

鮎沢火花あゆさわほのか君だね?」

「そうです」

「昨日、家に帰らなかったのか?」人気ひとけがなく、静かな廊下を歩きながら西脇が話しかけてきた。

「少しいろいろありまして……」

 何と説明して良いかわからなかった。しかしこの教師、とぼけたふりして俺の家の事情を知っているようだった。

「君が東矢とうや財団の親族であることはごく一部の教職員しか知らない――」

「先生はご存知なのですね?」

「まあ、担任だからな。ただ、知っている教職員も知らないふりをして君に接することになる」

「それがお約束、ということですね」

 叔父から聞かされていた。財団理事長の孫であることで周囲が気を遣ったりしては学園生活もままならない、ということらしい。ようは、財団の傘に頼らず、自らの力で成長しろ、ということだ。

「君はどういうキャラでいくつもりなんだね?」

「これ、似合いませんか?」

 俺は黒眼鏡を中指で押さえて少し額へ向かって上げた。どや! インテリだろ!

「金髪はちゃんと染め直したみたいだな」

「ばれてたんですか?」

「面接官を甘く見るな。みんなスルーしていただけだ」

「よく合格できましたね」

「財団の親族だからな。出来レースだ」

「なるほど」

「しかし、お前は数学ができる。編入試験は年度末に一年生に対して行った実力試験と同じ問題だったが、最後の4番の問題を完璧に解いたのはお前だけだった。素質はある。勉強したら化ける可能性はあるんだ。だから、どんななりをしてもよいが、勉強だけは励んでくれ」

「それは先生のお願いですか?」

「そうだ、ワシも生活がかかっているんだ。頼りにしているよ」

 途中から「お前」呼ばわりされるようになったが、ここでの教育係はこの西脇なのだと納得した。


 始業式は体育館で行われた。西脇に連れていかれた体育館にはすでに生徒たちが学年ごとに着席していた。

 ミッション系の私立だと認識していたが、ここまで荘厳な眺めとは思いもしなかった。

 生徒たちは男女とも上品で、私語ひとつしていなかった。そしてやはり女子生徒の姿が目立つ。田舎の学校にはこれ程美少女が揃うことはないだろう。まさに洗練された裕福な家庭の子女がそこに集まっていた。

 場違いなところに来てしまったと俺は頭を掻いていた。

 寝癖に気づく。飛び出した髪を押さえつつ、始まった始業式を見ていた。

 校長、学校法人理事の挨拶などを経て、生徒会からも広報があった。

 生徒会長は女子生徒だった。セミロングの黒髪をシニヨンにまとめたゾッとするほどの美女。

 俺はうっとりと見とれた。お近づきになれるかな。退屈な始業式では唯一の光だった。

 やがて始業式はお開きとなり、それぞれ自分たちの教室へと移動することとなった。

 初めて登校して校内に不案内な俺は、どう動くべきか少し思案した。

 二年H組の教室を探さなければならない。それが俺のクラスだ。

 そこで、生徒たちが胸につけている名札を見た。

 校外では外しているが、校内では名札をつけることが義務づけられていた。そこには姓とクラス名が印字されている。

 俺の場合、「2H 鮎沢」と印字されていた。

 名札を見れば同じクラスの生徒を知ることができる。

 そう思って見回していたら知っている顔を見つけた。ショートボブの女子生徒。今度こそ間違いなく編入試験の日に知り合った彼女だ。

 それは目があった時の彼女の反応で確かとなった。

「あ」と彼女は声が出てしまっていた。「へえ、ちゃんと編入できたんだ。髪も染め直したみたいだし」

 冷やかすように彼女は言った。

 あの時の聖麗女学館の制服ではなく、御堂藤学園のセーラー服を着ている彼女はとびきりの美少女だった。

「そっちこそ、制服、似合ってるじゃねーか」俺は彼女の制服姿をまじまじと視た。

「な、何言ってるの、変態!」彼女は顔を背けて去っていった。

 その顔が一瞬赤らんでいるように見えた。

 褒められ慣れていないのか。照れるなんて意外に可愛いところがあるではないか。

 俺はにんまりとした。

 しかしそういうことをしている場合ではない。さらに見回して、眼鏡をかけた肥満体の男子生徒が二年H組であることを見つけると、その生徒の後を追った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る