律義に化けて出る話
参観予定ありって言うなら、事前に教えて欲しかったな。
まあ、仕方ないか。俺がどうこう言える立場なわけはないし、イヌカイ君が断れるわけもないだろうし。別に疚しいことがあるわけじゃないから、いつも通りにやるけどね。話相手が増えたって考えれば、何なら俺には得しかないわけだ。意外と寂しがりだから、近くにいてくれる人は多い方がいい。予備があるってのは何だって嬉しいもんだろ?
ん……そうだな、今日は金捌螺の糸売り連中に買われたときの話にしようかと思ってたんだけど、ちょっと別のにしてみようか。せっかくアダカくんがいるからね──別にね、内容が疚しいとかそういうんじゃないよ。金捌螺はもう宝腹のところの傘下に入ったんだから、昔の話をしたって誰も困らないだろ。俺を買った頃の連中なんてもう皆死んでるんだから尚更だ。死人に口なし、喋る荷物が何を言ったって、君たち以外に誰も聞いちゃいないからさ。だからそんな怖い顔をしないでくれよ。イヌカイ君もよくやるけど、檻蹴られるとそこそこ驚くから。
じゃあ、そうだな。
公開授業向けっぽい話をしようか。見聞を広めるっていうか、俺が元々生きてた世界の話。
別にね、異世界ったってそんなに変わったものでもない。うっかりすれば死ぬし、踏み外せばとりかえしのつかないものなんていくらでもある。そういう仕掛けがここより見えづらいってだけでね。
俺はさ、こっちに来る前はちゃんと社会人してたわけだよ。あー、労働してたってわけだ。組織に勤めて、振られた仕事をこなして、お給料をもらってってね、平均的かつ平凡な労働者をしていたわけ。事務所勤めだった……嘘じゃない、っていうかこれも多分単語の定義が違うやつだな。君らみたいな事務所じゃない。そもそもね、
だから君たちが想像するよりかは仕事の内容も平和的でね、俺を雇ってくれた事務所は銭勘定が主な業務だった。勿論それだって真っ当な銭だけど。アダカくんなら経理って言えば分かるかな。そういうね、商売やるのに必要な普通のお寺とか個人の飲食店とか、そういう市井の細かいところを相手に地道な商売をしてた。実際老舗だったしね。士業のくせに三十年四十年、代替わりして続いてるみたいな。
で、そういうお堅い職場ではあったんだけどね。怪談、っていうか『やっちゃいけないこと』はあった。
毎月の十六日、その日だけは絶対に残業しちゃいけない。どうしてもしないといけないときは、六時以降の電話には出ない。それでも限度ってものがあって、最悪でも八時前には事務所を出ないといけない。
出なかったらどうなるかったら、まあ。凄く怖い目に遭う。
それでどうなるかは人によるけどね。こう、血だらけっていうか痛々しいっていうか……見た目だけでもだいぶやられるらしいから、俺はちゃんと聞かなかった。怖がりだったからね、若い頃は。
まだるっこしい、っていうか猶予があるったらその通りだ。ぎりぎりまで試したんだろうね、妥協点。まあ、分かるよ。お化けが出るから仕事ができませんでしたって、事情が分かる所内ならともかく、他所にそれ言ったら正気を疑われるだけだよ。お化け、そんなに出ないからね、向こうは。
因縁っていうか、心当たりはちゃんとあるんだよね。
俺が入所する前に自殺者が出てた。お手洗いで刃物で失血死。俺は入所するまで知らなかったけど、近場の人で趣味の悪い人にずっとひそひそ話されるくらいには有名だったみたい。
地元の評判とか調べとけよって言われたらその通りなんだけど、でも俺んときって就活しんどかったからさ。俺みたいな微妙な大学卒の平均よりちょっと落ちるくらいの新卒を雇ってくれるってだけで御の字だったんだよね。
週休二日で祝日休みで繁忙期以外は大体定時、しかも給料もそこそこ。そういう職場で働けるんなら、事前に人が死んでるとか訳ありとか知ってても、気にしなかったと思うんだよな。君らだってそうだろ、銭の払いが良かったら多少のことなら目を瞑る。……
あ、
教育係の先輩がいてさ、その人から色んなこと教えてもらった。や、ちゃんと仕事を教わるついでにね。それなりにね、仲良かったんだよ。趣味の方向が結構近くてさ、お勧めの芸人とか映画とかよく昼休みに情報交換してさ。
で、その人も先輩から教わったって前置きで教えてくれたけどさ。まあ……言い方が悪いけど、そんなに独自性のある理由じゃなかった。職場の人間関係で馬とか反りが合わないとか、仕事ができなかったから人より朝早く出て夜遅くまで帰れないけどやっぱり駄目だから上司にめちゃくちゃ叱られてたとか、辛うじて任されてた顧客もろくでもないからそれなりにひどい対応をされてたとか、そんな具合。かわいそうだし大変そうだけど、平均的だろ。
ん、あー……そうだね。
殴られてはね、ないと思うよ。
俺のいたところはね、暴力って基本的に最後の手段なんだよ法律ってものがそれなりに機能してたから。気に障るやつをぶん殴れないけど、代わりに自分もぶん殴られない。少なくとも物理的にはね。突然通りすがりで中華鍋振り回してくるやつは、まあ、いたけど。でも俺が大学出るまでの二十年ちょっとで一回しか見てないからそれは例外だと思う。
あー、その、話を戻すけど。
とりあえず、事務所のお化け? みたいなもんは俺は見てない。基本的に出る時期が指定されてるからね。決まりは確かに守ってた。準繁忙期みたいな具合でそれなりに忙しい十二月とか四月の末でも、十六日だけは確かに誰も残業してなかった。勿論俺もね。居ても役に立たないんだから早く帰れって、先輩にからかわれたりしたっけ。その通りだから素直に帰ってたけど。
十六日以外はね、本当に何もなかった。
や、繁忙期だと事務所の喫煙所ですごい顔して煙草吸ってる先輩とかはいたけどね。何人かいた同期も、事務方の人たちもそれこそ先輩も、その手のものは見たことないって言ってた。お化け以外の刃傷沙汰なんかも、俺のいた間は一度もなかったな。
俺の覚えてる範囲だと、精々春先に一回、訳分からんのが給湯室貸してくださいって来たことがあるくらい。何かね、お茶が飲みたくなったからお茶っ葉と茶碗とお湯貸してくださいって。客でも何でもない通りすがり。みんな困った。だからまあ、お化けの方が行儀がいいねってことかもしれない。特定の日だけ気を付けてれば大人しくしてくれてるわけだから。
後のこと、知らないんだよね。入社して三年くらいで
で、そうだな。一応先輩から話を聞いて、考えてることはあるよ。考えてるっていうか、やっぱり結論は出てないけど。
その人、っていうか一応原因っぽく扱われてる死人だけど、事務所でひどい目に遭ったわけだろ。この席で計算を間違って書類を作り直したとか、この食堂で聞えよがしの悪口を言われたとか、この個室で首に刃物を当てたとか。どこもかしこもろくでもない思い出しかないわけだろ。
そういう場所に死んだ後もいなきゃいけない、そこはどういう理屈なんだろうなと思ってる。
化けて出るのはまだ分かるんだよ。嫌いな人間脅かしたいとかそういうのはさ、分かる。せっかく死んだわけだからさ。ちょっとぐらいは憂さを晴らしたいのも、理解できる。
たださ、長すぎるわけだよ。
さっきも言ったけど、俺が入所する前、っていうか二桁以上は昔の話でさ。……具体的な個人名は先輩も濁してたけど、恨む個人はもういなくなってるんだよね。所内のやつも、取引相手も。だから、お化けが化けて出る理由、ないんだよね。
それでも相変わらず十六日には皆してさっさと帰るし、何なら年中行事でお祓いだってやる。そこがね、分かんないったらそうなんだよ。
そうだね、実際にはもういないのかもしれない。
だけど、偉い人たちはまだ信じてる。……っていうか、意味がなくなってるなら真っ先に止めてると思うんだよ。商売柄、その辺の無駄とか判断するのは慣れてるだろうし。
でも、続けてたわけだよ。だから、まだいるんだろうなって思う。で、それはもう逆転してるんじゃないかなっても、思う。俺はね。
事務所ですごい死に方をして、化けて出て、恨んだ相手はもういなくなって──じゃあさ、もうどこにでも行けるわけだろ。それなのに、今度は事務所の方で『ここにまだいますし、いるから対策を取ります』ってやられるわけだよ。
事務所に出るお化け、ってことで認識されちゃってる。だから、事務所がある限りは化けて出るしかない。そういうことだろ。
それはさ、幾らかむごいんじゃないかなって、考えるたびに思う。
まあね、全部俺の考えすぎかもしれない。
今じゃもう事務所の方でも全部なかったことになって、先輩も十六日の夜中の事務所で足りない資料と合わない数字ですごい顔して書類書いてるのかもしれない。もしかしたら先輩も転職してるかもしれない。人生何が起こるか分かんないから。いきなり仏像掘り始める確率だってないわけじゃない。先輩絵心なかったけど。中学のときの美術で
どうなってるか、こっちに来ちゃった俺にはもう分かんないわけだからね。だから、全部憶測。
気にするくらいなら忘れればいいんだろうけど、そういうわけにもいかないから──せめてね、先輩は元気だといいなとは思ってる。まあ、俺に言われたかないだろうけども。
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