見たがり・したがり・聞きたがり

 設定通りに稼働する換気扇と冷房が立てる耳鳴りに似た低い唸り、その合間にカガミの脚に纏いついた鎖のちゃらちゃらと擦れる場違いに軽やかな音が混ざる。

 外の茹だるような暑さに比べて、倉庫の中は快適な温度を保っている。

 座り込んだ床の意外な冷たさに少しばかり驚きながら、俺は語り終えたとばかりに伸びをするカガミをじっと眺めている。


「さっきさ、話の前っていうかイヌカイ君が倉庫に入ってくる前、壁のあたりで音してたけどなんかあった?」

「いた。始末した」


 壁に張り付いていた黄手束蜘蛛を折り潰したときの音だろう。

 別段害のある虫ではない。春先に街灯の近くでのたのたと指先を動かし、巣にかかった虫を啜っているところをよく見る。一匹だけなら放っておいたが、五六匹と群れて名前の由来でもある人の指によく似た肢をうぞうぞと絡ませているのを見てしまったので、害虫駆除めいた真似をせざるを得なかったのだ。見た目が悪いというだけで潰されるのは納得できるものではないだろうが、目に入ってしまったのだから仕方がない。不愉快さを堪えて虫けらの群れを生かしておいたところで、俺に益があるわけもない。

 そういう理由と事象があったが、わざわざ細かく説明してやる必要もないだろう。こいつの監視が俺の仕事である以上、無用に寄りつく不審なもの──今回は蜘蛛だったが──を処理するのは業務として適切なはずだ。そして仕事の内容を荷物に教える理由もない。

 カガミは座り込んだ俺の傍らに転がる得物金属バットを物も言わずにどことなく険しい顔で眺めていた。何を潰したと思っているのかは想像できなくもなかったが、どう思われていたとしても特に困らない。


「……まあ、そうだな、今回の話はどうだった」

「阿漕で無謀な商売」

「身も蓋もないな」


 それ以外に言い様もないだろう。何を信じて幾らで買うかはそれぞれの勝手だが、相場というものがある。カミサマ連中のような人間俺たちの手に負えるかどうか危ういものでそんな真似をするのは迂闊でしかない。怪異バケモノどもだって殴れる相手ならばまだどうにかなるが、それでも素人が対処をうっかり誤れば手なり足なりが無くなることもある。怪異の関係する暴力沙汰を専門に引き受ける事務所が商売としてそれなりに繁盛しているくらいだ。人の嫌がることをすると金になるのはその通りだが、それをまともにやろうとするのは正気ではない。

 まとめて馬鹿なことをしているという感想で、やっぱり前の話と同じではないかと思った。馬鹿なことをすると怖い危ない目に遭う、と主張したいのならば理解ができる。

 カガミは俺の返答を黙って聞いてから、檻越しにこちらを見ながら口を開いた。


「じゃあ、もう一つ。人を食うカミサマについては何かある?」

「それで取引が成立してるんなら、俺からは何もない」


 食用として売られる人間と買う人間がいる。嫌な話ではあるが、それだけだ。売られる立場になった人間に同情じみたものを抱かないわけではないが、それでも結局他人事ひとごとだ。

 理由は様々にあるだろうが、どの道俺にどうこうできるものでもない。値段設定については思うところはあるが、それで成立するのならば金も払わないやつがどうこう言える筋合いではない。

 そこまで考えてカガミを見る。そもそもそれを言い出したら、こいつだって同じだろう。食用でこそないが、商品として売買されているのだから。


「お前としてはどうなんだ」

「ん、商品として、みたいなことを聞いてるかな」


 頷く。

 カガミは特に表情を変えることもなく、のそりと足を組み替える。持ち上がった足につられて鎖が鳴った。


「そうだな、色々あるけど……とりあえず自分に値段がつくってのはそこまで嫌いじゃないんだよな」

「平気なのか」

「まあ、今んとこ死んでないってのがあるしね。痛い目を見てないからここまで楽観ぶってられるっていう自覚はあるよ」


 鎖を手繰りながら、少しだけ間を取って続けた。


「俺の立場としてはさ、よそ者で痣付きでおじさんなわけだよ。そういう状況で辛うじて痣付き異能ってところが評価されて、買って嬲り殺すよかもうちょっとマシな使いようがあるって判断してもらえて、現状があるわけだからね。これ以上を望めるかったら難しいんじゃないかなって思うよ」

「痣が本体みたいなこと言うんだな」

「実際そんな具合だしね。それで不満もないけど……」


 消えかかる語尾を飲み込むように息を吐いてから、言葉が続いた。


「どちらかというと、価値を提示できるんならまだ交渉の余地があるだろ。だから、差し出せて評価してもらえるだけの価値がなくなった方が困る気はする」


 そういう話でもあったんだよなと、カガミは細めた目をこちらに向ける。

 振られた話題を把握しきれず、俺は黙って次を待った。問いかけに余計なことを言うよりかは、勝手に喋らせた方がいい。甘電歓楽街仕切りでの親睦会とやらで聞いてもいない昔語りや武勇伝をつらつらと喚く年寄りや中年にうんざりして喫煙所に逃げ出したときに、先客として煙を吐いていたアダカさんに一発蹴り飛ばされてから教わった。

 下っ端の分際で煙草に逃げるなと言ってから、一本煙草を分けてくれたのも覚えている。恐らくは口止め料だったのだろう。アダカさんは酒は好きだが人間が嫌いな人だ。

 荷物カガミはふらふらと左手を振ってから続けた。


「要するにさ、価値を提示できるから取引が成立するわけだ。銭を払えば願いが叶うから商売が続いたし、をくれるからカミサマは大人しく管理されてくれてたし、異能があるから俺も大事に飼ってもらえた。そこは分かるかい」


 頷く。

 取引の基本だ。相手の要求に応えられるものを差し出して、自分の要求を満たすものを得る。『その釣り合いを取るのが上手いやつほど、人生がうまくいく』──アダカさんが昔そんなことを言っていた。

 カガミは少しだけ俯いてから、また口を開いた。本当によく喋る男だ。


「価値があるから取引が成立する、つまり、そういうことだね」

「当たり前だ」

「価値、というかっていうのはさ、状況としては最悪じゃないか」


 役立たず、無能、不用品。そう扱われたものがどうなるかについてはわざわざカガミに説明されずともよく知っている。このアカマルでそうやって時点で、這いずるための路地裏さえ追い出されて、ろくでもない末路に駆け込むしかなくなるのだ。


「例えばさ、物でも技術でもいいわけだ。金があるとか土地があるなんかもそうだし、人付き合いが得意とか人を殴るのが上手いってのでもいい。価値を認めてもらえれば、それを元手に取引ができる。大袈裟だけど、生きていく術が見つかるってくらいのものだろ」


 溜息で僅かな間を開けてから、言葉が続いた。


「それを失うってことはね、すごく怖いと思うよ、俺は」


 カガミは自分の足元に目を向けてから、俺の方へと向き直る。


「自分の存在を保証してくれるであろう価値を見切られる、自分が縋って誇っていたものがあっさり台無しにされるってのはね。人によっちゃそれこそとんでもなく怖いことかもしれない」

「大事なものを壊すのが有効って話か」

「ああ、まあ、そうね。暴力方面に出力するとそういう話か。そいつが誇っているものを理解して、それを損なうっていうのは有効だろうね。……嫌だな、俺それ絶対やられたくない。だったら初手で殺してくれた方が総合してマシかもしれない」

「お前大事なもんとかあるのか」

「この流れでそれ聞かれて答えたくないな」


 眉間に皺を刻んでから、それでもカガミはいつものように答えた。


「あんまりないけどね。しいていうなら痛いのが嫌だってぐらいで」


 そういうイヌカイ君は何かあるのと軽い調子で問いを投げられて、俺はまた黙り込む。

 特に思い浮かばない、というのもある。怪我が嫌だというのが真っ先に浮かんだが、要はカガミと同じ理由だ。痛いのは辛い。熱が出るともっと辛い。いつか削られた頭の傷が痛んだような気がして、思わず手で触れる。微かなへこみと硬い髪があるばかりだ。

 今の話が理解できなかったわけではない。

 例えば絵描きが指を踏み折られた鶏串のようにされるのを嫌がるのも、顔の綺麗なことを生き甲斐にしているやつが自分の顔面を雑巾の縫い合わせのような有様にされることを拒むのも、その理由を想像できるし納得ができる。

 その上で、俺にとっての『喪失して困るもの』が思い当たらないのだ。


「別にさ、物とか技術に限らないんだよ。関係とか立場とか、そういうのでも売り様はあるし、失くせば辛い。そうだな、自分が生きていくための手段であり理由みたいなものかな、要は」


 ひとしきりほざいてから、カガミは俺を見た。

 窓からの日射しも照明も何もかもを塗り潰す、亀裂のような目だった。


 ──あの人アダカさんに見捨てられたら、俺はどうやって生きていくんだろう。

 その目に見られて、そんなことが真っ先に浮かぶ。

 それをこいつに言うのが何となく嫌で、俺は手元の金属バットへと視線を逸らした。


「お前、話の途中でアダカさんの名前を出したろ。どういうわけだ」

「ん? そりゃあ面識ぐらいはあるよ。商品だって長く出入りしてれば売り手のことぐらいは分かるようになる」


 唐突な俺の問いに、カガミは片眉だけを器用に持ち上げて、それでも淀みなく答える。話を逸らしたのには気づいているが、それを咎める気はないようだった。


「まあ、個人的には長い付き合いではあるかな。向こうがどう思ってるかとか、そういう細かいところは知らないけど……何なら君が聞いてみればいい、そのくらいは答えてくれるんじゃないか?」


 そう言って、黒子のある口元を吊り上げる。

 その顔がやっぱり癇に障って、俺は手元の金属バットを投げつけた。

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