名乗るほどの荷ではありません
「夜番で来てた人が呼出しだかなんだかで明け方近くに帰っちゃってね、別にそれは仕方がないんだけども、天井ががたんがたん鳴るのがちょっとさ……今の時期なら栗首鼠とかそういうあたりだろうけど、そうだとしたら気が滅入るし勿論それ以外だったら嫌だしさ、このまま放っておかれたらちょっとは辛いことになってたろうから、イヌカイ君が来てくれて助かったよ」
カガミはありがとうと頭を下げてからそれ以上何も喋らなかったので、どうやら話が終わったらしいと認識した。何だか天井がうるさいとか辛いとか言いつつも最後はこちらに礼を言っていたので、とりあえずはそこだけ把握しておけばいいだろう。
こんなに一方的に喋る人間がいるのか。
仕事相手のろくでなしやアダカさんを始めとした兄貴分連中などは基本的に口数が少ないのが常で、およそ不満も指示も暴力のついでのように伝えられるものだったから、純粋に言葉の分量だけで圧倒されたのは初めてだった。
倉庫の中は適切な温度に保たれている。
申し訳程度に整えられた髪は黒く、採光窓から入る夏日に照らされてはいるが艶のひとつも見当たらない。肌は酔鬼芥子のような生白さで、全体的に肉が足りない。眠りそびれた夜のような濃い青色のシャツの肩口は見ただけで分かるほどぶかぶかとしていて、柄が派手──大輪の白い花があちこちにあしらわれている──な分だけ何だか痛々しい。
何よりも目がいけない、と俺は思う。垂れ目だ。右の目元には薬刺針で突いたような微かなほくろがある。
その両目は鎌の刃のように笑みらしき形に機嫌よく細められてこそいるものの、瞳の黒々とした具合は、俺が仕事先で見慣れた連中の眼とよく似た泥を凝らせたような代物としか見えなかった。
首筋も手足もどこもかしこもひょろひょろとしていて、ともすれば悪相とでもいうべきところにやけに人懐こい表情が浮かんでいる。全体的な要素の噛み合わせが悪いせいか、余計に得体のしれない有様になっている。
商品として出荷するのならば、需要があるのだろう。けれどもこの痩せぎすのさして若くもない男にどういう理由で値が付くのかがどうにも分からなかった。
「あんたは何でここにいるんだ」
「何でって売られるからだよ」
「質問が荒かった。商品価値は何だ」
「聞いてないの? 別にいいけどさ。
そう言ってカガミは右足を差し出してみせる。
安っぽい突っかけを爪先に掛けた、剥き出しになった生白い足の甲には小奇麗な火傷痕のような、赤黒い模様があった。花の焼き印のようでもあり、獣の噛み跡のようでもあり、刃物で刻まれた傷がぐちゃぐちゃに縫い合わせられてそのまま固まったようでもある。得体のしれない模様だった。
アカマルの土地にはろくでもないものが吹き溜まる。
普段は気にすることもないが、前に借りた銭も返さないくせに回収に来た人間を前にして「凡人風情が俺に金を貸せることを光栄に思え」と脳みそを道端に落っことしてきたようなことを抜かす阿呆や、たかが不幸な事故と悲しい偶然で数人が死んだ一軒家の居間の天井からぶら下がっては小汚い血膿をスプリンクラーのように撒き散らしながら泣き叫ぶバケモノだのを仕事で殴り倒していると、いくら俺が馬鹿で金のない若造だからといってこんな目に遭わないといけないのかとうんざりしてくる。
そういうときにどうしてこんなことばっかりあるんですか、と年寄り連中や機嫌のいいときのアダカさんに尋ねると俺の生まれる随分前に派手な戦争や大乱やら聞いたこともない星座の話を始めるのが常だ。
何だかひどいことと厄介なことと面倒なことがあって、そのせいで現状が人間もバケモノもそれ以外の何かしらもどうしようもないことになっている。俺の頭ではそれくらいの理解が限界だったが、きっと他の連中も──アダカさんでさえ似たような状況なのかもしれない。
アカマルというのはそういう由縁の上に成立したどうしようもない土地なので、およそは何でもありだ。人攫いは人間もやることだが、カミサマだかバケモノだかもそういうことをやらかすのだからどうにも救われない。
ことにカミサマ──誰も救わないし御利益も齎さないけど何だかすごい力で規模を問わずに好き勝手をやらかす連中──はやることが乱暴で、地区や街に土地どころか世界を超えて攫ってくるのだからどうしようもない。そうして人を攫うカミサマの中でも、こうやって拾ってきたやつにこれ見よがしの痕をつけるような趣味の悪いやつも存在する。カガミが見せたような痕跡をつけている商品は過去にも見たことがある。アダカさんなら見ただけでどのカミサマの仕業かも分かるだろうが、俺にはさっぱり見当もつかなかった。
ともかくそういう理屈があるので、確かにこいつはよその世界から攫われてきたやつなんだなと納得した。
「
外見も年齢もぱっとしない痣付きを商品として扱うのなら、それくらいしか理由が思いつかなかった。
部品の需要というのも一瞬考えたが、それにしては年を取り過ぎている。何よりそういう用途としては異世界の連中は具合が悪いのだと聞いたことがある。それ以外ならば精々が食用具合だろうが、カガミの痩せた手首と鎖の巻き付く棒切れのような足を見てその考えは早々に捨てた。
「ああ、異能ね。俺のはね、モノ寄せだと思う」
「モノ寄せ」
「何だろうね、蚊取り線香の逆みたいなもんだろうか。色んなもんが寄ってくる、単純なやつだよ」
カガミはふいと視線を床に向けてから、天気の説明でもするような口調で続けた。
「これまでいくつかのところに買われたけども、大体ひどいことになるんだよね。夜行に一族郎党食われたり、屍視趾群に取り囲まれて駄目になったり」
「あんた不良品なのか」
「言ったろ、何でも寄せるんだって。俺の売り文句、アツムヒメカミ様の加護たる痣付き、こいつが居れば金もご縁も思うがままの現世利益の大権現みたいなやつだからね。いいもんもちゃんと寄せるんだよ」
「バケモノや祟りも寄ってくるんじゃ意味ないだろ」
「『寄ってこないとは言ってない、聞かれたらちゃんと答えた』──商人連中はそう言うだろうね」
用心しないやつが間抜けだって話だと、カガミは口の端を吊り上げた。
「あんたは無事なんだな」
「そうだね。運がいいんだろう」
カガミは頷きもせず、迷いもせずに答えた。
「そうやって売られた先が潰れるばっかりで俺は元気だから、その都度都度で真化芭さんのところに出戻ってきているってわけだよ。人の売り買いならイヌカイ君んとこが一等上手だから」
ちゃらちゃらと足元の鎖を鳴らしながら、呟くような調子で言葉が続いた。
「だからこんな倉庫みたようなところに一人で置かれているのさ、寄ってきてよくないから……」
があんと金属の板を癇癪もちが自棄を起こして蹴りつけたような派手な音がした。続いて随分と控えめな音量で、足音らしきものが一定間隔で俺たちの頭上を走り去っていく。栗首鼠の仕業だろうか。あいつらは倉庫や納屋などどこにでも湧いてはすぐに増えるので面倒だ。
異音の残響が消えたあたりで、カガミが口を開いた。
「ところでさ、イヌカイ君。君は監視番ってことは何をするのか聞いてるのかい」
「監視」
「檻の中に入って鎖までついてるやつの何を監視するんだよ」
「知らない。けど、しろって言われたからにはやるべきだ」
言ってから、俺は改めて檻を眺める。
個室の壁をぶち抜いて代わりに檻を仕込んだような造作だ。金属製の格子戸の向こうには寝具やらに添えるようにして空の棚が置かれている。端の方に雑誌か何か本らしいものが幾らか積まれてはいるが、棚の大半は空だった。どうにか人が住めるくらいにはなっている──というか、住処としてはマシな方だと俺は思う。白蕃地区の錆乞通りあたりなら御殿扱いだろう。
カガミの足元へと視線を向ける。鎖は随分と良識的な余裕がある代物のようで、座敷牢の構造的にも水場と便所の利用くらいはこいつだけでできるようになっているのが分かる。
カガミは俺の視線に気づいたのか、一度だけ頷いてみせた。
「まあね、そりゃあ行動範囲はそこそこ取れるけど……でも何にもできないのは分かり切ってるだろ」
今度は俺が頷く。ひょろひょろとした手足や生白い肌からして、およそ暴力沙汰の才能はないのが見て取れる。こいつに傷つけられるようなやつは
逃走の心配のない生体商品。手間がかからないのは道理だが、つまり俺の仕事も最低限になるということだ。
この特に見映えもしない上にやけに馴れ馴れしい男を
仕事というのは基本的に面白くないものだが、だからと言って限度があるだろう。隠してやる義理もないので、思い切り溜息をつく。
カガミがじゃらりと鎖を鳴らした。
「だからさあ、提案だよ。ひたすら暇だっていうならさ、俺が話をしてやるから。イヌカイ君はただ聞いていてくれればいいよ」
話し相手になってくれよと最初に言ったことをもう一度繰り返して、カガミは真っ直ぐに俺を見た。
「よそ者が何を話すんだ」
「そうだな、一応君よりかは長生きしてるからね。売られた先で見たものとか、聞いたこととか……そういう話だよ」
「子守りみたような真似だな」
「まあね。むしろ逆じゃないか、子守りも子供っていう財産の監視役なわけでさ」
「屁理屈捏ねるなよアカスジマキのくせに」
痣付きに対する蔑称を吐けば、理解できたのかどうかはともかく、罵倒されていることは分かったのだろう。カガミは片眉だけを上げた。
「まあね、君みたいな若い子が仕事だって張り切ってきたらおじさんの監視役ってのは……なんだ、不満もあるだろう。それは俺にだってわかるよ」
でも指示には逆らえないんだろうと言うので、思わずぶん殴ってやろうかと思った。
それでも商品に手を出したら俺はぶん殴られるどころでは済まないということぐらいは分かっていたので、とりあえず目の前の格子を蹴り飛ばせば思ったより派手な音がした。
本当のことを言われると、言ったやつを殴るか殺すかしかないのにどちらも選べないのが何より不愉快だった。
カガミは一瞬だけひどく眩しいものを見たように目を細めてから、呑気な声で続けた。
「とりあえずね、夜まで。それまででいいから。そうじゃないと今日一日で暇で死んじゃうから、俺」
「俺から話すことは何もないぞ」
「そこまで世話はかけられないよ。だからあれだ、聞いていてくれればいい」
ついでにお茶でも入れてくれればありがたいねとカガミが微笑む。
どうにかしてその顔面をぶん殴ってやろうと寸前まで思ったが、やっぱり商品を傷物にするわけにはいかないのだということをどうにか思い出して、俺はもう一度格子を蹴りつけた。
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