栴檀月昇る、首三つ落ちる
目々
夏、倉庫、与太者
抓浜の三番倉庫に商品が着いたから世話と監視番をしろとアダカさんから指示があったので、そうすることにした。
この時期恒例の
真化芭事務所というここらでは比較的マシな職場──なにせ給料と
アダカさんは俺の兄貴分で、俺を拾って真化芭事務所の
だからアダカさんが倉庫番をしろと言ったら黙々とその指示に従うのが当然で、商品の監視と世話が役目だと言われたらそれを全うできるように力を尽くすべきなのだ。
商品が何だとかいつまでとかそういうことは俺が考えるべきことではない。やれと言われたことだけを確実にやり遂げること、それだけが俺に要求されているすべてだ。
抓浜の倉庫には何度か行ったことがあるので、道に迷うこともない。倉庫に出入りするのに必要なものは一通りアダカさんから渡されていたし、俺が自前で揃えておくべきものなどは精々が力技が必要になったときに躊躇なく揮える凶器ぐらいなもので、それならば日頃から使い慣れた金属バットがある。俺の風体からしてどう見ても人の頭を引っ叩くための棒だということは想像がつくだろうが、そんなことで文句をつけるような連中はこの辺りで生活していない。
通り魔の提げた刃物のようにぎらぎらと照らす夏の日差しに焙られながら、俺は行き先について覚えていることを頭の中から取り出し始める。
抓浜の倉庫、ことに三番に入ったというのなら、十中八九商品というのは人間だろう。俺がいる事務所が扱っている倉庫は多々あるが、抓浜は基本的には
中央から離れて随分遠い、この辺りでさえ商品に人間を扱うとなると途端に眉を顰めるやつがいる。俺にはそれがよく分からないが、人によって趣味や好物が異なるぐらいのものだとは思う。
欲しいと思うやつがいて、売ろうと考えるやつがいるなら商売が成り立つ。対象が人であれなんであれ、突き詰めればそれだけのことだろう。ここアカマルの土地では幾らかの面倒はあれどもそれで通っているのだし、恐らくはどこであれ同じことだろう。
つまるところただの商売ではあるが、それなりに苦労や問題はある。金銭と契約で成された取引だというのに、品の横取りや代金の踏み倒しを狙って錆鎌衆のような荒事向きの連中をけしかけられたり、
『同情だのなんだのをするなよ、そんなもんは無意味だし、下手をすればそのせいでこっちまで道連れにされかねないんだから……』
以前の仕事──地元の抓名波網元が買い上げた三腕殻御子を屋敷に運び込んだ業者の男が、その商品に誑し込まれたのか憐れんだのかその両方なのかも分からないがとにかく網元の御殿に忍び込んで見張りを任されていた運のない使用人を牙裂山刀で膾にしてから手に手を取って逃避行と洒落込んだのを捕縛したときに、アダカさんが延々と啜り泣く男の横面をうんざりした様子でぶん殴りながら言っていたことを思い出す。
男の往生際は炎天下の蛞蝓の方が遥かに潔く見えるような代物だったが、御子は小汚い部屋の片隅で粗末な寝具の上に行儀よく座り込んだまま、獣咬縛縄で大根の束のようにひとまとめにされた三腕をただ静かな目で眺めていた。
どんな商品があっても、自分と同等のものだと思ってはいけない。
物を言おうが泣こうが笑おうが怒鳴ろうが、須らく相手は何かを企んでいるものだし、そういうものだからこそ、俺たちの事務所に商品として扱われるような巡り合わせに落ちたのだ。そこに善意や情を寄せたところでどうにもならない。精々が道連れにされて終わりだろう。
商品であって、俺は監視役である。指示された倉庫、その扉の前で、やるべきことを反復する。簡単なことだからこそ、見失えばどうにもならなくなるからだ。
久しぶりに見た倉庫は相変わらず愛想もそっけもない代物で、荒鼠色の外壁はただ凶暴な日差しの熱に黙って耐えているばかりだった。
倉庫の扉にはこけおどしの南京錠がぶら下がっている。褪せた銀色を横目に、扉の端にある入力盤に教えられた数字を入力する。
仕上げのように渡された鍵を日差しにぎらつく錠に差し込めば耳障りな音を立てて掛金が開いた。
扉を引き開けて、踏み込む。
どこか埃の気配が滲む倉庫の空気の中、ちゃらちゃらと小銭でも弄ぶような金属音が一定の間隔で響いている。
音の出所の予想ができず、一応何があってもいいように、引きずっていた金属バットを握り直す。
「ああ、君が
かけられた声が余りに呑気な調子だったので、一瞬自分が何をしているのかが分からなくなる。
目の前の光景を認識しようと試みる。
ところどころ錆やら塗装の剥げやらが目立つ鉄格子。剥き出しの床と最低限の文化的住居とでも主張するような小さなテーブル。安宿の壁を一枚剥いで格子に置き換えたような有様だ。
その向こう、粗末な寝台らしきものに掛けたままひらひらと手を振る男は十年来の友人にでも会ったような笑顔をこちらに向けている。
自室に友人でも招いたような様子に一瞬唖然としてしまった。
先程聞いた金属音がまた聞こえて、この男が拍子でも取るように足元を繋ぐ鎖を弄っているせいだと気づいた。足元から伸びる鎖が何のためにあるのかを理解していないのか忘れているのか、そもそも自分の立場と状況が分かっているのか──総合して頭の中身を疑ってしまう。
「納得できないかもしれないけど、まだそれなりに正気だよ。証明する手段は何にも出せないけどね、イヌカイくんには悪いけど……」
明らかにこちらをからかうような声で俺の名前を呼ぶものだから、咄嗟に手にしていた金属バットを投げつける。
当たり前だが俺とそいつを隔てる鉄格子に棒切れは投げつけた勢いのままに跳ね返され、派手な音を立てながら床に転がった。
男は眉間に皺を寄せた。
「びっくりするだろう。そういうことすんなら予告してくれないか」
「どうして荷物が俺の名前を知ってる」
「伝言があったんだよ。これから世話になる相手の名前なんだから、知っておいて悪いってこともないだろうに」
アダカさんと事務所の連中以外に名前を呼ばれるのは嫌いだ。俺みたいなやつの名前を知っているやつにろくなやつはいないし、そんなやつに関わると十中八九面倒なことになる。
その相手が荷物だから尚更だ、と俺は男の方へと視線を向ける。
気に障ったんなら謝るよ、と格子越しにこちらを見返す目がやけに黒々としていて、そんなはずはないのに内心を覗き込まれているような気分になる。俺の思考が単純でありきたりだから、こいつの吹いた適当がたまたま的中しただけだろう。面白くはないが特に興味を持つべきものでもない。
「正気かどうかはともかく、真っ当に生きてたらこんなところにいないだろ、俺にだってそのくらいは分かる」
「その通りだ。まったく正論だ──だから俺みたいなもんはこうして檻の中だし、鎖と監視のおまけまでついてくる」
どうにも世間様にはご迷惑をおかけすることになるねと心にもないであろうことをやけに愉快そうに言って、男が目を細める。
天窓から差し込む夏真昼の光の下でさえ黒々としたその目は廃屋の壁を覆う亀裂のようだった。
まとまらない思考をどうにか動かす。倉庫の扉はアダカさんから渡されたものできちんと開いた。いくら俺が脳足りんの下っ端とはいえ、そもそも場所を間違えるような下手はそうそう打たない。
俺の仕事は倉庫の荷物を監視することで、荷物とは倉庫の中に収納されているものだ。
つまり、目前のこの男が俺が監視と世話を頼まれた荷物だということに間違いはない。そういうことになってしまった。
「そうだな、俺だけイヌカイくんの名前を知ってるのは不公平か。俺カガミっていうんだけど、どう書くかって説明した方がいい?」
「いらない。荷物の名前が分かったところで意味がないから」
「つれないね。でも一応は聞いておいてくれよ、お近づきの印にってやつでさ……」
カガミという名前が本名かどうかは知らない。そもそもがどうでもいい。文字に記してどうなるかというのも興味はない。書類仕事は俺の領分ではないし、ただ監視と死なない程度の世話というだけの業務で名前が必要になる状況も分からない。
呑気で穏やかな声音。ひらひらと振られる手の軽薄さ。笑みの形につり上がる口元。
それらすべてに噛み合わない真っ黒な目が、格子の向こうからこちらをじっと見ているのが妙に相応しく見えた。
──檻の似合う男なんだな。
脱力した思考の中でそんな言葉が浮かんだが、カガミには言わずにおいた。
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