第18話 ささやかな復讐

「本当にありがとう橋口くん……昨晩は久々にゆったりと休めたわ」

「なら良かったよ」


 翌朝を迎えている。

 篠崎が焼いてくれたフレンチトーストを朝食として頂きながら、食卓で向かい合って話をしているところだ。


 昨晩は個室のベッドを篠崎に使ってもらい、僕自身はリビングのソファーで寝た。篠崎は最初遠慮していたが、僕がしつこく勧めると観念したようにベッドを使ってくれた。すでに男女の仲なんだからせめて一緒に寝ないかとも誘われたが、しっかり休んで欲しいからそうはしなかった。


 同じくフレンチトーストを食べている篠崎は、心なしかこれまでよりも顔色がよく見える。それだけネカフェ生活が堪えていたのかもしれない。気分が優れたようで何よりと言える。


「にしても、父親が癌だったとは……僕らはそんなところまで似ていたんだな」

「そうね。だから橋口くんの事情を最初に聞いたときは勝手にシンパシーを抱いてしまっていたわ」

「でも、実際は篠崎の方が酷いわけでな」


 ギャン中親父と、それに愛想を尽かして逃げた母。

 そんな2人のせいで篠崎は高2のこんな時期から無茶な独立をするしかなかったわけだ。


「そういえば……お金をたかりに来る以外の被害はあったりするのか?」

「物理的な虐待とかはないわ。家出の一番のきっかけはバイト代を勝手に使われていたことだから」

「……マジか」

「ええ……私は将来の独立費用のために高1の頃からバイトをしていたんだけど、親が作った口座を給与の受け取り口座に設定していたら、母さんが逃げたあとに父が勝手に使い出してしまって……まさか使われるとは夢にも思わなくてね、もうイヤになって飛び出したということよ」

「今は大丈夫なのか? 口座の件」

「今は大丈夫。別のネットバンキングを開設してそちらを振込先に変えたから」

「それは良かった。……にしても、去年からバイト三昧だったってことか。そんな環境でよくもまあ学年2位をキープしてるもんだ。凄いな」

「少しでも良い条件で進学したいからね、勉強も手を抜けないのよ」


 良い条件……特待生での進学を狙っているんだろうか。少ない費用で進学するにはそれが一番だもんな。


「だから、橋口くんは私にとって以前から良いモチベーションでもあったのよ」

「……僕がモチベ?」

「橋口くんという万年1位が居てくれるから、この人を超えたい、超えられないにしても点差を縮めたい、――そういうやる気が生まれていたということよ」

「それは光栄だな」


 親に強いられてきた立場だから、僕は学年1位に誇りを感じたことはない。学年1位という肩書きは義務感の塊であって、嬉しくもなんともないのだ。

 でもそんな僕の存在が篠崎のやる気に繋がっていたというなら、僕は生まれて初めて学年1位というポジションに誇らしさを感じることが出来そうだ。


「それはそれとして……私は本当にここで暮らしていいのかしら」


 ふと漏らされた呟きは、この状況への葛藤を滲ませたモノだった。


「橋口くんは、成績だけじゃなくて素行の良さも親に求められているんでしょう? ……もしこの状況がバレたら……」

「バレたらバレたで、そのときはそのときだ」


 なるようになればいい。

 それでも僕は篠崎の側に立つと決めている。


「だから、気にせずここに居てくれ」

「ありがとう……でもせめて家事はやらせてもらってもいい?」

「篠崎がそう言うなら、もちろん」


 こうして僕らのあいだで取引、と言うほどのモノではないが、等価交換が成立し、篠崎が正式にこの部屋で暮らすことが決まったのである。


   ※


 そんなこんなで特に支障なく篠崎との生活が続き、やがて学校が夏休みに突入した。暦も8月に切り替わり、このまま問題なく篠崎との同居が続くんだろうなと思っていたその矢先――……思いも寄らぬところから、親に同居がバレてしまうことになる。


臣夜おみや、あなたの部屋の電気使用量が単身とは思えないほど高いのですが、他に誰かを住まわせているんじゃありませんか?』


 という母さんからの電話が来たとき、僕はそこに気が回っていなかった自分を殴りたくなった。……まぁでも、仮にその点に気付いていたところで大した足掻きようはなかったと思う。つまりこうなるのは時間の問題でしかなかったんだろう。


『一旦実家にいらっしゃい。まだ私しか気付いていませんので』


 あまり怒っていない雰囲気でそう言われたのがこの日の午前のことで、篠崎がバイトに出掛けている中、僕は4週間ぶりに実家へと顔を出すことになった。


「臣夜、実際のところどうなんですか? 誰かを住まわせていたりは?」

「……住まわせて、ます」


 リビングで母さんと向かい合った僕は素直に認めた。ここで誤魔化しを図っても騙せる状況ではなかったからだ。


「そうですか」


 母さんはやはり怒っているようには見えなかった。


「誰を、住まわせているんですか?」

「クラスメイトの女子、です」

「どんな事情で?」

「彼女の家庭環境が、複雑なんです」


 そう言って僕は篠崎の家庭環境について説明した。


「なるほど……父親が穀潰しで、母親はその父親に呆れて逃げた、ですか……」

「はい、そして彼女自身はろくでもない家庭環境を嫌ってネカフェに家出していたんです。僕はそれを看過出来ず、僕の部屋に身を寄せてもらうことにしました」

「なるほど……」


 母さんは繰り返しそう呟きながら、納得したように頷いていた。


「……多分、あなたはその子に自分を重ねている部分があるんでしょうね。あなたも環境はともかく親には恵まれていないでしょうから」

「それは……」

「いいんですよ、認めてしまっても。……私や藤吉郎さんが良い親であったかと言えば、違うと思いますから」

「いや、母さんは違います……母さんだって、親父のアクセサリーとして色々我慢を強いられてきた側じゃないですか」


 今は僕が親父のステータスとしてパーティーなんかに連れ回されているが、元々は母さんがその役目を担っていた。高学歴の美人だから連れているだけで絵になるし話も広がる。

 そんな母さんは現状不倫や浮気といった不祥事防止の観点からプライベートでの外出を禁じられ、同窓会にも行けないほどだ。

 親父の身勝手に色々縛られているのは僕だけじゃない。


「僕は親父のことは嫌いですけど、母さんのことは味方だと思ってます……今だってまだ親父には言わないでくれているわけで」


 自分のことを親父と同類扱いしていそうな母さんにそう告げる。

 すると母さんは、少し涙ぐみながら目元をぬぐっていた。


「……ありがとうね、臣夜。……なんにしても、その篠崎さんという女の子については、……これからも匿ってあげなさい」

「――っ。……いいんですか?」

「ええ。あの部屋の光熱費等の管理は私がやっていますから、私が報告しない限り藤吉郎さんは気付きません」

「でも……本当にいいんですか?」

「いいんですよ。これは……私から藤吉郎さんへのささやかな復讐ですので」

 

 母さんはそう言って小さく笑っていた。


「……家庭のことを私に丸投げし、その上で厳しく縛り付け、自分は接待やらを楽しんで外ヅラ良く振る舞う。臣夜にも父親らしい接し方をせず、金を稼いでいるんだから良いだろうと言わんばかりの亭主関白っぷり。……正直、あなたが居なければ実家に帰っていたかもしれません」

「母さん……」

「だから、臣夜の秘密に乗っかる形で、せめてあの人を出し抜いてやりたいんですよ」


 ……それは切実な願いに聞こえた。

 そして僕は、……母さんのそんな復讐に乗っかるしかないと思った。

 家庭をぶち壊さない程度の、ささやかな意趣返し。

 それくらいやっても、バチは当たらないはずなのだ。


「母さん……じゃあ僕も一緒に悪い奴になります」

「ふふ、そうですか。じゃあ臣夜はくれぐれもその篠崎さんというクラスメイトをきっちりと守ってあげることですね。親御さんが何かをしてきたら、下手な手は打たずに児童相談所などを頼ること。私も手を貸せることがあれば貸しますから」

「分かりました。ありがとうございます」

「それと」

「……はい?」

「避妊はしっかりなさいね?」

「……は、はい」


 色々と見破られているんだな……。

 ……でも、こうして母さんが味方になってくれたのは心強い。

 しかも篠崎を匿うことが、親父へのささやかな復讐に繋がる。

 良い状況を作れたように思う。


 かくして、僕らの生活は母さん協力のもと順調に続いていくことになる。


 途中、篠崎の父親が僕らの同居を突き止め、僕がボンボンだということを知った影響で僕の実家に泥棒に入ろうとしたものの、僕がそれを防いで豚箱送りにした、なんて出来事もありつつ、それから月日は流れて――

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