第17話 家
篠崎の帰り道を尾行している僕は、間違っても褒められていい人間じゃない。
数十メートル先を行く篠崎の後ろ姿を見ながらそう思う。
けど、帰る場所が本当にあるのか心配なんだ。
あるならあるで、もちろんそれでいい。
僕の杞憂で済むなら、この尾行はただの徒労で済む。
でも仮に篠崎がまともに帰る場所を持っていなかったら?
そのときは……どうにかしてあげたい。
そう思う僕の視線の先で、篠崎は駅前の歩道を歩いている。やがて角を曲がったので、見失う前に足早に追いかける。
もちろん慎重を期することも忘れない。待ち伏せの可能性を考慮してそっと角を曲がってみると、篠崎が普通に歩みを進めていたので僕は引き続き後を追っていく。
居酒屋やスナックが軒を連ねる路地。
道端では酔っ払ったサラリーマンたちがやかましく会話をしていたりする。
そんな中を進んでいた篠崎は、やがてひとつのテナントビルに足を踏み入れ、階段を登っていくのが分かった。
……そこが自宅? なわけがないよな。
テナントビルに迫ってフロア表を確認してみると、カラオケや金券ショップなどが記されている中に、ネカフェがあることに気付いた。
まさか……篠崎の言う「帰る場所」っていうのは、このネカフェ?
分からない……1人カラオケでもしようとしているのかもしれないし、売りたい金券でもあるのかもしれない。むしろそうであって欲しい。
けど……もしネカフェを根城にしているんだとすれば、そんな生活は……看過出来ない。
確かめよう……。そう考えた僕はネカフェのある4階に向かった。
「すみません。今長い黒髪の子が利用しに来ませんでしたか? 妹なんですけど、捜してまして」
ワンフロアを丸々使っているその有名チェーンのネカフェに到着したところで、カウンターの店員にそう告げた。ウソの理由だが、そう告げることで『家族を捜しているならしょうがないか』と思わせて個人情報を漏らしてもらう算段だ。
「あ、はい。その子でしたら今晩もこちらに」
今晩も、か……ビンゴだな。
「妹はどの部屋に?」
そう尋ねると、店員はあっさりと部屋番号を教えてくれた。入店にあたり30分料金だけ支払い、それから僕は篠崎の部屋を訪ねた。
「え……」
ノックしたら顔を出してくれた篠崎は、僕を捉えた瞬間に表情をギョッとさせていた。
「……橋口くん、どうして……」
「ごめん、尾行させてもらった……最低なことをしたと思ってる」
頭を下げる。この行動に関して僕には言い逃れようのない非がある。なじりやそしりは幾らでも受ける覚悟だ。
「でも、心配だったんだ。篠崎が本当にきちんと家に帰っているのかどうかが」
「…………」
「そしたらコレだ。篠崎はここで生活しているんだな?」
返事はすぐにはなかった。知られたくなかったことを知られたとでも言うように、顔をうつむけて黙り込んでいる。
しかし、
「ええ……そうよ」
やがて篠崎は頷いてくれた。
「……私はここで暮らしているわ」
「やっぱり……」
嘆かわしい気分になる。もちろん篠崎に対してじゃない。篠崎をこんな環境に追いやっている親に対してだ。
「……いつからここで?」
「5月くらいから、かしらね……」
もう2ヶ月以上も……。
僕は嘆かわしい気分を深めてため息さえ吐き出しながら、
「篠崎の家庭はどうなってるんだよ……」
と問いかけていた。
「……なんで篠崎がこんなところで暮らさなきゃならないんだ」
「別に難しい話じゃないわ……家に居るのがもうイヤになったのよ……」
「……家に居るのがイヤに?」
「父がね、ろくでもないのよ……さっき私に絡んでいた中年が居たでしょう? アレ、父なの」
……父親だったのか。
「パチンコ、競馬、競艇、競輪……働きもせずに、ギャンブルで遊んでばかりのろくでなし……さっきのアレはね、私にお金をたかりに来ていたの」
「親がたかりに、って……ウソだろ?」
「信じられないでしょう? ……でもね、事実よ。あの男のせいで私の家族はもう無茶苦茶……アパートの家賃すら危うくなるような生活で、母さんはそんな金食い虫に愛想を尽かして今年の春先、一人娘の私を残して逃げていったわ……だから私も逃げ始めてる。バイトで稼いで、ネカフェで暮らしてる……」
それが……篠崎を取り巻く家庭事情の、おおまかな全容ってことか。
「……ネカフェ暮らしなんて、自分でも馬鹿げていると思っているわ……でもこうするしかないの。友達には申し訳なくて頼れないし、そういう弱味を見せたくだってない……誰にも頼らず、自分で稼いで生きていくのが正解なのよ」
そんな言葉を聞いて……僕の悩みなんてちっぽけだったんだな、と思わざるを得なくなった。親父が好成績と品行方正を強いてくる生活なんて、篠崎の環境に比べればなんと気楽なことだろうか。
僕のストレスなんて些末にもほどがある。篠崎の方が、よっぽど切羽詰まっていたわけだ。それにもっと早く気付いてやれなかった自分が、腹立たしくなってくる。
「もう帰って……」
そんな中、篠崎が弱々しくそう言ってきた。
「私のこと……分かったでしょう? 色々知られるのは、みじめな気分でもあるのよ……だから――」
「だからこそ……悪いけど、このままじゃ帰れない」
事情を突き止めてハイおしまい、じゃ終われない。僕は別に篠崎の事情を知りたかっただけじゃない。知った上で、手を差し伸べに来たんだ。
「僕の部屋に来いよ」
気付けばそう告げていた。
篠崎はハッとしつつも目を伏せてしまう。
「ダメよ……迷惑を掛けてしまうわ」
「そんなのどうでもいい。親父にバレなきゃ問題ないから」
「だけど……」
「いいから来いって。こんなところに居るよりはマシだろ?」
「……どうして橋口くんは手を差し伸べようとしてくるの……メリットなんて何もないでしょ……」
「損得で行動してない。僕はただほっとけないだけなんだよ」
家庭が原因で苦労する篠崎を、同じく家のことで苦労している僕は見て見ぬ振りが出来ない。篠崎の方が大変だと分かったからこそ尚更だ。
「家庭が原因でまともな青春が送れないなんてあっちゃならない。だから、どうにかしてあげたいんだよ」
「橋口くん……」
「ほら、荷物まとめて僕の部屋に行くぞ。迷惑なんて気にしなくていいから」
ダメ押しにそう告げながら僕は個室に押し入り、家出と一緒に持ってきたのであろう大きなリュックに荷物を勝手にまとめてそれを担いだ。
背後を振り返ると、篠崎がこちらを眺めながら瞳を潤ませていた。
「本当に……いいの?」
「いいよ。昨晩は雷雨の小屋で寝泊まりだったし、まともに休めてないのもあるだろ。まずはきちんとしたベッドで休むべきなんだよ、篠崎は」
「……ありがとう……本当に……」
篠崎は手のひらで顔を覆い隠しながら嗚咽を漏らし始めていた。
僕はそんな篠崎の手を取ってネカフェをあとにする。
これが正解であると信じて。
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