第16話 もっと知るために

「――すいません、何してるんですか?」


 タクシーから降りて駅前の広場に足を運んだ僕は、その場で1人の中年に絡まれている篠崎の傍らに歩み寄った。

 声は篠崎に掛けたわけじゃなく、男の方にだ。

 状況はよく分からないが、篠崎に降り注ぐ厄介払いをするために。


「あ゛? 誰だよお前は」


 男が僕を振り返ってきた。篠崎も「橋口くん……」と僕に気付く中、その男は僕に睨みを利かせ始めている。歳はおよそ30代後半から40代半ばほどだろうか。くたびれたTシャツにハーフパンツを合わせた格好で、無精髭を伸ばしたままだ。朝剃ったモノが伸びてきた、って感じじゃない。手入れを数日放棄している感じの粗雑な風貌で、正直に言ってまともな大人には見えない。ほのかにアルコール臭も漂っているのが、その印象に拍車を掛けている。


 ……バイト終わりの篠崎が酔っ払いのナンパに絡まれている、のか?

 よく分からないが、とにかく退散願うしかない。


「すいませんけど、あなたはその子のなんですか?」

「なんだっていーだろ! てめえこそなんだっつーんだええ!?」

「友達です。その子から離れないなら警察呼びますよ?」

「警察だぁ? 呼びゃあいいじゃねーか!」

「じゃあ呼びますね」


 こういうのは躊躇しない方がいい。口だけだと思っているから無駄に強気なだけだ。だからスマホを取り出して110番を入力し始めた途端に、男は予想通り焦ったように態度を取り繕い始めた。


「お、おい待てってお前……っ」

「なら5秒だけ待つのでさっさと消えてください。5、4、3、2――」

「わ、わぁーったよ……クソが。覚えとけよ……」


 テンプレじみた捨て台詞と共に、男は広場から小走りに立ち去っていった。

 ……ひとまずなんとかなったか。


「大丈夫か篠崎……怪我とかは?」

「大丈夫。ありがとう橋口くん……」

「誰だったんだ、今の?」


 萎縮状態から立ち直った篠崎に問うと、彼女は幾らか視線を泳がせつつ、


「……知らない人よ」


 と言った。

 反応的には、誤魔化したように見える。本当は何かしらの繋がりがあるのかもしれない。けれど篠崎が知らないと言うなら、僕は掘り下げないべきだと思った。本当にそれでいいのか、という自問と共に。


「ところで……橋口くんはどうしてここに?」


 話題を変えたいようで、篠崎がそう問うてきた。

 僕はひとまず応じる。


「パーティーからの帰り道なんだ。タクシーでここを通りかかったら偶然篠崎を見かけたから、助太刀した」

「……パーティー?」

「いわゆる政治資金パーティー。親父の付き添いで」

「あぁ、だから正装なのね。……橋口くんは将来政治家になるの?」

「まさか」


 僕は肩をすくめてやった。


「興味ないね。親父はもしかしたらそうさせるつもりかもしれないが、それはお断りだ。もし強要してくるようなら縁を切る」

「……じゃあ橋口くんは今夜、望んでいないパーティーに連行されていたわけね」

「その通り。めんどくさいけど、今はまだ耐えるべきときだからな」


 親の恩恵にあずかって暮らしている以上、文句は言うべきじゃないと思っている。

 もちろん度を超えたら、話は変わるのかもしれないが。


「それより、篠崎はバイト終わりだよな? 夕飯まだだろ、僕んちに来るか?」

「……でも橋口くんはパーティーで食べたんじゃないの?」

「それはそう。でも篠崎だけ勝手に作って食べてくれれば」

「いいえ、橋口くんが食べないのに私だけ食べるのは申し訳ないわ……」


 篠崎はそう言ってうつむいてしまう。


「今日は大丈夫。夕飯は自分で済ませるから」

「……きちんと夕飯を済ませられるのか?」


 僕はなんだか心配になってそう尋ねていた。


「親と何かあるにしても、帰る場所はきちんとあるんだよな?」

「……もちろん」


 篠崎は目を逸らしながらそう言った。あまりにも信頼出来ない「もちろん」だった。そう思う僕をよそに「じゃあまた……」と篠崎が立ち去っていく。


 ……僕はその背を黙って見送るのが正解なわけだが、事ここに至って「それでいいのか」という自問がまた湧いてくる感覚に見舞われた。

 果たして篠崎をこのまま放っておいていいんだろうか。

 何かあるのは分かっているのに、見ないフリをして帰るのが正解か?

 

「……………………違う」


 僕は自分の心の声にそう答えて決心する。

 今から篠崎を……尾行してみる。

 帰る家が本当にあるのかすら怪しい篠崎のことを、放っておいてはダメだと思ったからだ。

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