第15話 諍い

「――2人とも無事で良かったー!」

 

 林間学校2日目の朝、乾いた運動着を身に着けて自然の家に戻ると、星川を筆頭に安堵の言葉を幾度となく掛けられた。

 雷雨の森に放り出されるという状況が状況だっただけに、僕と篠崎のロマンスとして茶化してくる輩は意外なほどに居なかった。


 林間学校2日目は午前に軽いリクリエーションが行われたあとに昼食を摂り、午後にはバスに乗って学校へと戻った。あっさりと終わった形である。


「改めてごめんなさい、橋口くん」


 やがて学校に到着したあとは解散となり、僕らは放課後に突入した。篠崎が謝罪の言葉を掛けてきたのは、昇降口で靴を突っかけて外に出た直後のことだった。


「ごめんなさいって、昨晩のことか?」

「もちろん……私のせいでああなってしまったから」

「だから、気にしなくていいって」


 昨晩はむしろ非日常的で良かった、というのは昨晩伝えた通りだ。温室育ちで勉強まみれの僕には、ああいったトラブルくらいが刺激的でちょうどいい。


「気を遣ってるわけじゃないからな? ホントにそう思ってるんだ」

「ありがとう……」

「……このあとはバイトか?」


 続けるには暗めの話題なので、僕はひとまず意識を切り替え、小声で尋ねた。小声なのは、バイトの件は周囲に隠しているっぽいからだ。芋づる式に家庭事情が周囲に知られるのがイヤなんだろうな。

 その家庭事情の詳細を、僕はまだ知らない。自分で生活費を稼がないといけない状態なのは知っているが、なぜその状態になっているのかは知らない。

 でも、そこは多分聞いてはダメな気がする。出過ぎた真似。余計なお世話。少なくとも今は、聞くときじゃないだろう。


 ともあれ、篠崎は僕の質問に頷いてみせた。


「ええ、余力があるからシフトを入れてもらったわ。お金を貯めないといけないし。……それと、橋口くんから受け取ったバイト代、今日の分は返すわ」

「言うと思った」


 篠崎を林間学校に参加させるために、僕は昨日と今日、2日分のバイト代を肩代わりした。でも今日のバイトには行ける余力があるから、今日の分は返すということだろう。でも僕は拒否をする。


「返さなくていい。篠崎が頑張ってる理由は知らないけど、足しにして欲しい」

「でも……」

「いいんだって。じゃあまた」


 このまま残っていたら押し切られそうな気がして、何かを言われる前に撤退することにした。

 そして校門に差し掛かったところで、路肩に黒塗りの車が停まっていることに気付いて僕はハッとする。

 その車は……親父の車だ。


「乗れ」


 後部座席の窓が開いて、親父がそう言ってきた。


 ……なんで迎えに来た?

 まさか昨晩の件が親父に伝えられていて何か言いに来たのか?

 あるいは別件……?

 面倒事がバレていたら良くないよな、とか思いつつ、僕はひとまず後部座席に乗り込んだ。車はすぐに動き出して、自宅とは別方向に走り始める。


「今夜はお世話になってる先生のもとでがあってな、来てもらうぞ」


 いきなり告げられたその言葉は、僕に安堵をもたらしてくれたが、同時にしかめっ面にもさせてくれた。

 パーティー……それはいわゆる政治家の資金集めイベントだ。そこに僕を連れて行くのは珍しいことじゃない。僕を連れて行く意味は、会話の取っかかりを作りやすくするためだ。「息子さんですか?」「そうなんです」というやり取りから始めて、繋がりをまだ持たない有力な他者とのコネやツテを作る。親父がよくやるやり方だ。要するに僕をダシにしているわけだ。本当に嫌いだこの親父。


   ※


「おー、ご子息ですか。これは先生に似て聡明な風貌でありますな」

「いえ、まだまだ未熟なヤツでして」


 パーティーの会場に到着すると、宴はまだ正式な開宴には至っていないが、そこかしこですでに立食しながらのやり取りが繰り広げられていた。

 正装に着替えさせられた僕は早速ダシにされている。今親父と話しているオッサンは、どこぞの企業の社長であるらしい。政治家以外も来るからこそ、コネ作りにはもってこいの場なわけだ。


 ホテルの広間。来場者は優に数百人規模。かなり大規模だが、政治家のパーティーはお忍びでもなければ大体こんなもんだ。主催者は、無駄に高いパーティー券を買わせて資金を集める。参加者は、無駄に高い費用を払ってでも親父のようにコネ作りのために参加したがる。この場には色々な策謀が渦を巻いている。良くも悪くも普通じゃない。


 僕はもちろん楽しくない。親父が僕の成績などを自慢するたびにお偉いさんやその愛人みたいな美人に褒められたりするが、そんな言葉で満たされるはずがない。来たくもない場所に連れて来られて楽しめるほど、僕は諸々割り切れていない。


「もう帰っていいぞ。俺はまだ残る。ご苦労だったな」


 やがて午後9時が過ぎた辺りで、僕というアクセサリーが今日のところは不要になったらしい親父が万札を渡してきた。タクシーで帰れということだろう。送迎の車は自分のために待機させておくらしい。


 無言で万札を受け取り、僕は会場をあとにした。タクシーに乗り込んで、動き出した車内でため息を吐き出す。今日もまたストレスが溜まった……せっかく林間学校で癒やされたのにな。


 けれど、そんなふて腐れた気分がどうでもよくなる出来事がおよそ30分後に起こった。


「……っ、――停めてもらえますかっ」


 タクシーが地元の駅前に差し掛かったところで、僕はとある光景を車窓から捉えてしまい、そう告げざるを得なかった。運転手さんは「え……」と戸惑いつつも路肩に車体を寄せてくれる。


「……ここでいいんですか? 目的のご住所までもう少しありますけど」

「大丈夫です。ありがとうございました」


 早口にそう告げて料金を支払って降りる。

 そして僕はすぐそこの広場に足を向けた。


 なぜなら、そこには1人の中年男性に絡まれる篠崎の姿があったからだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る