第12話 嵐の前の

 林間学校なんてモノは、課外授業の中でもお遊び要素が強いモノの代表だろう。少なくとも僕らの高校ではそうで、来年から受験と向き合い始める2年生に対する青春の思い出作りとして行われている感が強い。


 だもんで、写生の時間が済んだあともバードウォッチングを兼ねたハイキングだったり、そういうのが続いて、夕方を迎えた頃には自然の家に戻って定番のカレー作りに取りかかることになっていた。


「――おー、美景野菜切るの上手~」

優那ゆなったら大袈裟ね。こんなの誰でも出来るわよ」


 と言いつつ、人参やジャガイモを華麗に刻んでいくのだから、周囲からすれば自虐風自慢にもほどがある。でも嫌味のない篠崎がそう言う分には反感を買うこともなく、むしろ他班から観に来る野次馬が現れるくらい、篠崎の調理テクは衆目を集めていた。


 そんな篠崎は楽しそうにしている。その姿を見ていると、改めて、バイト代を肩代わりしてでも参加させて良かったと思えてくる。相変わらず篠崎の家庭事情の詳細は分からないし、無闇に踏み込むつもりもないが、本人の素行とは関係ない部分で篠崎の青春が阻害されるのを見過ごせない僕としては、今の篠崎が楽しそうで良かった。


「――じゃあここからは肝試しの時間な。ほれお前ら、クジ引いてペア決めろ」


 カレーを美味しくいただいたあとは、担任の江藤の言葉通りにこれまた典型的古典イベントの肝試しが行われることになった。

 教師陣が脅かし役としてルート内に潜んでいるらしい。

 時刻はすでに午後7時過ぎなので、周囲の森は薄闇に包まれ始めている。


 そんな中で僕らはクジを引かされる。クジは絶対男女ごとになるという妙ちきりんな手心が加えられているそうで、クジを引いたあとの僕は、同じ番号の女子が現れるのをソワソワしながら待つことになった。

 すると、


「橋口くん、何番?」


 そう言って篠崎が僕の前にやってきた。


「え、32だが……」

「奇遇ね、私もだったわ」


 どこかホッとしたような表情で篠崎がクジを見せてきた。

 そこには確かに32の文字。

 偶然過ぎるが、これは助かった。他の女子だったら会話が持ったか怪しい。星川を除いて。


「――美景いいな~! 代わってよ~!!」


 そして噂をすればなんとやら。

 星川が嘆きの表情で僕らに近付いてきたのである。


「あたし唯一の余り引かされて1人で行くことになったんだよっ……!?」

「いいじゃない、気楽で」

「良くないしっ。うわーん、絶対泣くわあたし……」


 暗い森に1人で突入するのは確かに怖そうだ。


「はあ……まあいいや。――あ、ところでハッシー、ちょっと耳貸して?」


 そう言って星川がヒソヒソと僕に耳打ちし始めてくる。


「(本人にこれ言うと怒るんだけど、美景って結構方向音痴だから迷子にならないように見といてあげてね)」

「(……方向音痴?)」

「(うん。以前一度だけ遊園地に遊びに行ったときにさ、ちょっと目を離した隙に居なくなって最後まで合流出来なかったことがあったんよ。あたしらココに居るよ、って居場所教えても、まったく違うところ行ったりしててさ)」

「(へえ……)」


 それは意外な弱点だ。

 でも先日僕の部屋をGoogleマップで教えたときはスムーズに来てくれたよな?

 いや……別に道中の様子を確認してはいないし、もしかしたら初回は意外と迷っていた可能性を否定出来ない……。


「(とにかく、美景はめっちゃ方向音痴だからそこだけ気を付けといて)」

「(……分かった)」


   ※


 その後、数字の若いペアから順に肝試しへと出発することになった。僕らは割と後ろの順番なので、出発したのは最初のペアがスタートしてから30分ほど過ぎた頃のことだった。


「夜になったからか、少し冷えてきたわね」


 貸し出された懐中電灯を僕が持ちながら、暗い森の中を歩き始めている。暗い森の不気味さと、篠崎の言う通り冷え込んできた外気が合わさって、それなりに雰囲気がある。


「でも良い空気感でもあるわ。こうして自然の中を歩いていると、あらゆるしがらみから解き放たれたようで落ち着くんだもの」

「確かにな」


 人工物がほとんどない森の中。

 面倒なお家事情から遠ざかっているこの状況に心が軽くなるのはその通りである。


 やがて脅かし役の教師その1が白い布を被った状態で「わ!」と現れ、僕と篠崎は特にリアクションもせずに通り過ぎていく。「お前ら反応なさ過ぎだろ……」と呆れられてしまった。


「……私たち、つまらない人間なのかしら」


 改めて先に進み始めた一方で、篠崎がふとそう言ってきた。今のノーリアクションに対する反省が若干滲み出た言葉に聞こえる。


「別にいいだろ、僕たちは僕たちだ」


 空気を読まないだけで異端者になる日常が嫌いだ。

 同調圧力はクソだと思う。


「あ、ところで篠崎……悪いんだけど先に行っててもらえないか?」

「あら、どうして?」

「恥ずかしながら……尿意が」

「別に恥ずかしがらなくていいじゃない。生理現象だもの。了解よ、なら先に行っておくわ」


 そんなこんなで、僕は篠崎に懐中電灯を渡して先に行ってもらい、脇道に逸れた木陰でリフレッシュした。

 それからすぐ肝試しのルートに戻って篠崎を追いかける。


「あれ? 橋口くんキミ1人?」


 ……ところが、篠崎と合流する前に脅かし役教師その2の市原女史に遭遇し、僕は妙な胸騒ぎを覚えてしまう。


「いや……僕は篠崎と組んでます。それで、僕がトイレタイムを挟んだので先に行かせたんですけど……篠崎ってここをもう通りましたよね?」


 そう尋ねた瞬間、市原女史はアラサーの美人顔を怪訝なモノに変えてみせた。


「いいえ……篠崎さんなら見てないわよ?」

「え」

「……大変。もしかして篠崎さんったら迷子になったの?」


 市原女史が焦ったように呟く。

 そんな言葉を受けて、僕は肝試し開始前の星川の言葉を思い出してしまう。


 ――めっちゃ方向音痴だからそこだけ気を付けといて。


 まさか……そういうことなのか……?


「ど、どうしましょう……篠崎さんって今スマホ持ってないよね?」

「……持ってないと思います」


 壊れた場合に学校側で責任取れんから置いてこい、と教師陣に言われ、スマホは自然の家に置き去りとなっているのが僕ら生徒の状況だ。つまり連絡が取れない。今の篠崎は僕が渡した懐中電灯しか持っていないはずだ。


 くそ……僕が目を離したばかりに篠崎が……。

 ……でもそんな風に後悔している暇があるなら動くべきだ。


「……市原先生、僕が探しに行ってきます」

「ま、待って。それは危ないからダメっ」


 そんな制止があれど、僕はもちろんそれを振り切った。


「あぁもうっ、じゃあせめてコレを持って行きなさいっ」


 市原女史が何かを投げ渡してきた。

 パシッと少し痛みを覚えながら受け取ってみれば、それはスマホだった。


「篠崎さんを見つけたり他に何かあったらすぐに連絡寄越すこと! 他の先生方の連絡先入ってるから!」


 そんな指示に頷いて、僕は急いで脚を動かし始めた。

 大ごとになる前に、絶対に篠崎を見つけないといけない。

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