第10話 肩代わり
放課後。
篠崎が林間学校に来られない事情を確かめたい僕は、帰宅したのちに【今日も僕んちで夕飯を済ませないか?】と篠崎に誘いのメッセージを送り、事情を聞く機会を設けようとした。
すると、
【今夜は行けるとしたら9時を回るから、夕飯はパスで。でも、痛みが引いたから契約だけ果たしに行くわ】
という返事が届いた。来てくれるならこれはこれで問題ない。
僕は【了解。待ってる】と返信し、今日のところはひとまず自分で夕飯を作って腹を満たすことにした
野菜を切って豚肉と共に炒め、焼き肉のタレを掛けただけの雑な野菜炒めを作ったあとは、適当に味噌汁も調理し、炊いた白米と一緒に食卓へと並べた。この程度でいいなら僕にも作れた感じである。写真を撮って母さんに送ってから食べてみると、白米が若干柔らかい以外は特に問題なかった。
にしても、今夜は行けるとしたら9時を回る、という篠崎のメッセージに少し引っかかりを覚えている。そんなに遅くなるのはなぜだろう? 思えば、セフレ契約の初回を成し遂げたあの夜も、篠崎が来たのは9時過ぎだった。
……バイトでもしているんだろうか?
もしそうなら、それは別におかしな話じゃない。
けど、なんでバイトをしているのか、という部分が気にはなる。
なんにしても、まず知りたいのは林間学校に来られない事情、である。
そしてその事情がどういうモノかによるが、僕が手を貸せばどうにかなる事情だったら手を貸して林間学校に参加させてあげたい。
一緒に行けるなら、絶対にその方が良いはずだからな。
※
やがて午後9時を回った頃――
「――こんばんは、橋口くん」
篠崎が予定通りに僕のもとにやってきた。篠崎は案の定制服姿であって、放課後は一度も家に帰っていなさそうなのが見て取れ、やはりこの時間までバイトでもしていたんだろうかと疑惑を深めることになった。
すでに風呂を済ませていた僕をよそに、リビングまで上がってきた篠崎が「シャワーを借りてもいい?」と問うてくる。篠崎としては契約を果たしに来たわけだから、その問いかけは当然のモノだろう。
僕は頷こうとしたが、事に及ぶよりも先に掘り下げを為すことにした。事後に尋ねるよりは、その方が誠実な気がしたからだ。ヤるだけヤったあとに余計な掘り下げをするのは、野暮な気がするし。
「悪い篠崎、シャワーを貸すのはやぶさかじゃないが、その前に話がしたい」
「……話?」
「林間学校……行かないんだってな」
「あぁ……ええ、行かないわ」
篠崎は目を逸らしながら頷いてみせた。
「なんで行けないのか、聞いたら迷惑か?」
僕は踏み込んだ。もしかしたら関係が終わるかもしれない質問だ。ストレスを解消するための関係なのに、余計な詮索をしているんだから。
「……どうしてそんなことを聞いてくるの?」
「篠崎が林間学校に行けないのは、家庭事情の影響なんじゃないかって思ってる……もしそうだとしたら、僕が手を貸してどうにかなるなら手を貸したいんだよ。親に余計な縛りを貰ってる僕としては、似たような相手を見捨てられない」
正直にそう告げると、篠崎は困ったように笑ってみせた。
「優しいのね……というか、物好きかしら。わざわざ面倒な部分に突っ込んでくるなんて」
「物好き扱いでもいいさ。とにかく、迷惑じゃければなんで行けないのか教えてくれないか? 力を貸せるかもしれない」
「……バイトよ」
「バイト……?」
「そうよ、バイトをするから林間学校には行けないの……
……僕にだけ教えてくれたらしい。
それは、なんだろう……信頼を得ている、ってことなんだろうか。
分からないが、僕はもう少し掘り下げないといけない。
「バイトってなんのだ? 今晩遅めに来たのもそれが原因か?」
「……そうよ、駅前のファミレスで働いているわ」
「それにしては、目撃談がなくて謎に包まれているような……」
「ホールではないからね」
「……なるほどな」
キッチンスタッフってことか……料理が上手いのとも繋がってくるな。
「でも待ってくれ……なんで林間学校よりもバイトを優先するんだ?」
「単純な話よ……私を取り巻く環境的に、林間学校に行っている余裕なんてないの。1泊2日の分だけシフトにフルで入ってお金を稼いだ方が有意義ということね」
……その言葉にウソがないなら、金銭面の問題でバイトを優先しなきゃならない生活環境ということになる。そこまで……切羽詰まってるのかよ……。
「みんながみんな、恵まれているわけじゃないわ……私は他の人たちみたいにまともな青春は送れないということよ」
篠崎は視線を落としながら呟く。
……ここ数日で得た篠崎の情報を軽くまとめてみると、篠崎は夜に出歩いても心配してこない親元で育ち、週に何度かファミレスでバイトをしていて、勉強と関係ない課外授業の際はそれを休んででもお金を稼ぐことに注力したいくらい、金銭面に困っている、ということのようだ。
……普通じゃない。
一体どんな家庭環境なのか、もっと詳しく話を聞くべきなんじゃないかという思考がふつふつと湧いてくる。でも掘り下げ過ぎればウザい気もする……。
そんな葛藤の狭間に佇む僕をよそに、篠崎はぽつりと、
「……本当は行きたいけどね、林間学校」
……その呟きは恐らく本音だろう。
「だったら……」
僕は気付くと、反射的に思ったことを口にしていた。
「……バイト代、僕が代わりに出すのはどうだ?」
「え」
「1泊2日のシフト分、僕が代わりに払うよ。それなら篠崎はその分林間学校に参加出来るだろ?」
「そ、そんなのダメよ……」
篠崎は困ったようにうつむいていた。根が真面目な篠崎が容認出来るアイデアじゃないのは分かっている。それでも僕はゴリ押しを図ることにした。林間学校に来られるようにするために、これ以上に合理的な解消方法は多分ない。
「……悪いとかは思わなくていいさ。勉強の合間に息抜きとして仮想通貨をやっててな、まともな趣味がないから使わずに貯まってばかりの小遣いを元手に利益が順調に出てるんだけど、まともな趣味がないから結局増やしたところで貯まるばかりでさ、散財のしようがないんだ」
「……だからといって、それを私に使おうと言うの?」
「そうさ。自分で生み出したお金で何をしようが僕の勝手だからな。無駄なモノを買うよりは、知人を救う方が有意義に決まってる」
「……なんで……わざわざ私なんかを気に掛けてくれるの?」
その質問に対する答えを、僕はまだ持ち合わせていない。
だから色々考えた末に、
「……ノブレスオブリージュ、ってことにしといてくれ。僕は親に色々強いられて大変だけど、それで大変って言ってたら鼻で笑われる気がしたんだ」
「……情けを掛けられるのは嫌いだわ」
「だろうな……けど、これは情けじゃない。僕がそうしたい、ってだけなんだ」
ノブレスオブリージュなんて建前でしかない。
本当はただ、篠崎という女子に良い格好がしたいだけなのかもしれない。
「とにかく、今回は大人しく僕に買われて欲しい……せっかくの林間学校なんだ、一緒に来て欲しいんだよ」
「……」
そう告げると、篠崎は少し鼻をすすりながら目元をぬぐい、それからわずかに迷うような素振りを見せて、しかし最終的には、
「……なら、今夜はその分尽くさせて」
僕が一方的に善意を押し付けるだけじゃ篠崎が息苦しくなってしまう。
だから僕はその見返りを、きっちりと今宵受け取ったのである。
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