第7話 少し踏み出す
気付けば翌朝を迎えていた。
ベッドで目覚めた僕は、自分が行為後に寝落ちしたことを思い出して、目覚めたばかりだというのにハッとして焦りを覚えた。上体を起こして寝室内に目を這わせてみると、このベッドで一緒に休んでいたはずの篠崎の姿が見当たらなかった。リビングに出てみると、そちらにも居ない。
しかし、食卓の上に1枚のメモを見つける。
【昨晩はありがとう。少し痛かったけど、まずはきちんと出来てホッとしました。次はもっと気持ち良くなれるように頑張る。あ、くれぐれも、この関係は内密に】
綺麗な文字でそう記されていた。どうやら、昨晩のことは僕が見た夢ではなかったらしい。篠崎は確かにここに居て、僕とのセフレ契約の初回を取り交わしてくれたのだと分かってなんとなく安堵する。
思い返すことは出来るが、正直昨晩の記憶は曖昧だ。緊張していたし、興奮していたし、やっぱり夢だったんじゃないかと思えるほどに色々きちんと覚えていない。
勿体ないな。でも、このメモの言葉を信じていいなら、次もあるようだ。それが嬉しく思えた。
初回を経て、寝起きの気分はいつにも増して良かった。いつもなら、今日も勉強を頑張らないといけないという鬱屈とした気分で朝を迎えることになるが、今日は晴れやかで、篠崎と身体を交わらせた意味は間違いなくあったと思う。
次がいつになるのかは分からないが、とりあえず昨晩のことを糧にして、今日1日を頑張ることにした。
※
やがて登校すると、教室にはもちろん篠崎が居た。女子の友人たちと楽しげに話す姿はいつも通りでなんだか安心した。朝帰りしたせいで何か不利益を被っているんじゃないかと心配だったが、ひとまず大丈夫であるらしい。
僕はそんな篠崎に声は掛けず自分の席に腰を下ろした。僕と篠崎の普段の距離感は友達に満たない単なるクラスメイトである。機会があれば話すが、そうじゃないなら話さない。だからいきなり挨拶をすれば周りに怪しまれる。少し味気ないがこれでいいし、こうしなければならない。
やがて学校生活を終えて放課後を迎える。篠崎とは結局ひと言も話さないまま昇降口で靴を履き替えることになった。でも視線がたまに絡むことはあって、そのときに小さく笑ってくれるのが僕としてはわりかし嬉しかった。
昨日はカップ麺で済ませたが、1人暮らし2日目の夕飯はきちんと自炊してみようという決意のもと下校途中にスーパーへと立ち寄った。
実はさっき母さんから【昨日の夕飯は何を食べましたか?】とLINEで聞かれ、【カップ麺です】と答えたら【栄養のある食事をしないなら帰ってきなさい】というお叱りを受けたがゆえの決意だ。夕飯は写真を撮って報告なさい、というお達しまで届いた。面倒だが、それを怠れば部屋を強制的に取り上げられかねない。自分の健康のためにも自炊するしかなかった。
「あら、奇遇ね」
そんなこんなでスーパーで食材を吟味していると、篠崎とバッタリ鉢合わせる事態が発生した。篠崎はその手に、おにぎりと出来合いの惣菜を抱えている。
「小腹が空いて立ち寄ったのか?」
抱える品を眺めながら問うと、篠崎は「小腹用ではないわ」と応じた。
「これは夕飯なの。安いから、いつもここで買っているのよ」
「それがいつもの夕飯? ……家でしっかりとした夕飯は食べないのか?」
尋ねると、篠崎は目を伏せながら「ええ、ちょっとね……色々あるから」とうつむいてた。うっかり喋り過ぎたという雰囲気でもあって、夕飯が出来合いというのはあまり知られたいことではなかったのかもしれない。
……じゃあ僕は、何も見なかったし聞かなかったことにするべきだろうか。
しかしだ……篠崎が遅くに出歩いても気に留めない親、という情報を昨晩得ているわけで、今の発言も合わせて篠崎家はやはり不穏だ。
憶測の域をまったく出ないが、悪い意味での放任主義だったりするんだろうか。
もしそうだとするなら、管理タイプの僕んちとは正反対だ。
「なあ……篠崎が迷惑じゃないなら、今夜は僕の部屋で夕飯を食べていかないか? そういう出来合いのモノじゃなくて、もっときちんとしたモノをさ。今ちょうど買い出し中だし」
気付くと僕はそう告げていた。なんとなく放っておきたくなかったからだ。無駄に肩入れするのは割り切りの間柄としては失格かもしれないが、それでもその程度の踏み込みは許されてもいいんじゃないかと思った。
すると篠崎は、
「……いいの?」
と、拒否反応ではなく、縋るような目線を向けてくれた。地雷を踏まずには済んだらしい。
「いいよ……自炊しなきゃいけなくなったから、篠崎がもし料理上手なら手を貸して欲しかったりするし」
「……自炊を強いられたの?」
「そう……昨日の夕飯を聞かれてカップ麺って答えたら怒られてさ」
「カップ麺は……私が親でも怒るかもしれないわ」
篠崎は母さんに肩入れするらしい。
でも常識的にはそりゃそうか。
「じゃあ……一応普通の料理くらいは作れるから、手を貸すわ」
どうやら今晩も、篠崎と一緒の時間を過ごせることになりそうだった。
それを地味に喜ぶ自分が胸の内に居ることを、否定することは出来なかった。
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