第5話 わりかし順調

「父さん、お話よろしいでしょうか」

「ああ、どうした?」


 夕飯を済ませたあと、僕は接待から帰ってきた親父の書斎に顔を出した。

 親父は黒革のマッサージチェアに座りながら読書をしていたようだが、それを取りやめて僕に視線を向けてくる。


「お前の方から話に来るとは珍しいな」


 橋口藤吉郎とうきちろう

 元々はただの一般家庭に生まれた雑草のような人だが、あらゆる努力を尽くした結果として、外資系企業でリーマン⇒そのリーマン人生で得たコネクションを用いて与党の議員にまで上り詰めた40代半ばの若手政治家だ。

 僕が知る限り黒い噂はなくて、クリーン。でも上り詰めた地位を守るためか、自分の面子を結構気にするタイプで、自分の株を下げかねないだらしない身内(家族のみならず周囲の人間関係なども含めて)にはかなり厳しい人間である。

 だから僕は生まれてこの方、学業面では成績トップを強いられ、素行面でも品行方正であることを強いられている。


 言うまでもなく、僕はこの親父のことが好きじゃない。良い環境を与えてくれていることには感謝している――けど、そのことと好きかどうかは別問題だ。

 親父の子供として、親父のことを好きになれる要素がない。小学生時代に一度成績が悪化した際、鉄拳制裁ののちに1年あまり学校と家だけの往復生活を強いられたのが未だに心の中に傷として残っている。

 外では良いツラをしているが、父親として十全な役割を果たしているかと言えば、絶対に果たしていないと言える。実子の僕が断言する。たとえ稼ぎが悪かろうと、この親父より良い父親は世の中にいっぱい居る。


「頼みがあるんです」


 そんな親父に対し、僕は部下であるかのように腰を低くして接する。そう教育されているからだ。アホらしいが、それを守らないと小遣いを減らされたりするのだから表面だけでも取り繕った方がマシだ。


「頼み? 言ってみろ」

「はい。先日父さんは『1人暮らしの予行演習でもしたらどうだ』と私におっしゃったわけですが、そのお話に乗らせていただくことは可能でしょうか?」

「なんだ、乗り気になったのか。自分が母さんの手を煩わせる寄生虫だという自覚が出てきたようだな」


 親父は嫌味ったらしくそう言った。


「まぁ、良い心がけだ。俺がお前くらいの頃は学校に通いながら新聞配達をして学費を稼ぎ、食事も出ない寮の一室で自らメシを作っていたものだ。お前は恵まれ過ぎている。自分の手で家事炊事をまかなうことで見えてくるモノもあるだろう」

「では……その環境を用意していただけますか?」

「別に構わない。今回の期末も1位だったみたいだしな、褒美として近所にひと部屋借りてやろう」


 よし……。


「ただし」


 釘を刺すように鋭い言葉が飛んでくる。


「悪い連中と遊ぶための巣にはするなよ?」

「……しません」


 僕のこの返事は、ウソということになるんだろう。篠崎は悪い連中には該当しないが、僕と悪いことをする相手ではある。バレたら面倒なのは間違いない。篠崎との関係は、気付かれないように注意しないといけない。


「なら、週中には部屋を用意しておく。1人で足掻いてみろ」

「ありがとうございます、父さん」


 一応の感謝を示しつつ、こうして話をまとめるに至った。


   ※


 それから数日後、自宅と学校のちょうど中間地点に当たる場所に、1人暮らし予行演習用の部屋を用意してもらうことが出来た。

 その日の下校時にまず僕1人で立ち寄って内部を確認してみると、6畳の1LDKで家具家電がある程度揃えられていた。


 成績を落としたり、篠崎との件がバレれば、恐らくこの場所は取り上げられてしまうだろう。だから篠崎との関係がバレないようにするのは当然として、今まで通りに成績の維持に励まなければならない。

 つまり相変わらずストレスやプレッシャーは存在するということ。

 だけど、篠崎との契約をきちんと始められれば、そのストレスやプレッシャーは多少なりとも和らぐと信じたい。


【そういうことなら、今日の午後9時頃に訪ねてもいいかしら?】


 それから部屋の入手を篠崎に伝えたところ、そんなメッセージが返ってきた。いきなり来たいと言われたことに驚きながら、僕は確認の返事を綴る。


【僕は大丈夫だが、そんな夜分に篠崎は大丈夫なのか? 色々】

【大丈夫。心配には及ばないわ】


 とのことだが、親の目はどうなっているんだろう。

 ……でも篠崎はセフレ契約を持ちかけてくる程度には家庭事情でストレスを抱えている、らしいので、篠崎を心配するような親ではない、のかもしれない。

 ひとまず、篠崎の言葉を信用しておく。


【分かった。来るなら夜道には気を付けて】

 

 僕はそんな返事と共にこの場所のGoogleマップを添付し、そわそわしながら篠崎の訪問に備えることとなった。

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