第4話 予定変更

「ラブホに入ったこと、ある?」

「童貞にそんな経験あると思うか?」


 さて……篠崎と一緒に駅前の路地を歩き始めている。表通りから1本だけ奥に入った状況だが、やはり表とは雰囲気が違う。例えるなら石の裏。カラッとした表面と違い、ジメッと何かが這いずっているような空気感。駅前の騒がしさが微塵もなくて、裏世界にでも迷い込んだ感じだ。


「確かに愚問よね。ちなみに私もないわ」

「そもそも18歳未満でラブホに入るのは風営法だの青少年保護育成条例だのに引っかかるから、そんな経験ない方がいいんだよ」

「じゃあ……今回のコレって政治家の息子的にはマズいんじゃないの?」

「かもな。隠れて飲酒するようなもんさ。でもご覧の通り帽子とマスクで変装しているし、別にバレたりはしないと思う」

 

 そもそも僕自身は有名でもなんでもない。学校やご近所で「あー、あの橋口議員の」と知られているだけだ。


「パパラッチ的なのが橋口くんに張り付いていたりはしない? お父様を貶めるネタ集めの一環として」

「それはない……はずだけどな」


 足を止めて振り返る。

 背後には誰も居ない。


「僕に張り付くくらいなら、直接親父に張り付いた方がネタはあると思うし」

「でも万が一がないとは言えないんじゃない?」

「……まあな」


 その可能性は否定出来ない。今の時代は誰でも現場記者と化してネタをすっぱ抜ける世の中だ。どこでどう見られていてもおかしくはない。たとえ背後に誰も居ないにせよ、だ。


「ラブホ、やめておきましょうか?」


 篠崎が不意にそう言った。僕を心配するような表情で。


「地元じゃないとはいえ、ノーリスクではないものね」

「やめるって、じゃあ……今回の件はどうするつもりだ?」

「たとえば……ネカフェでするのはどう?」

「いや、それはそれでバレたら面倒だし、そもそも篠崎みたいな、その……可愛い女子がそんなところで初めてを捨てるべきじゃない、と思う」

「あ、ええ……お気遣い、ありがとう」


 篠崎は照れ臭そうに目を逸らしてみせた。


「でもじゃあ……橋口くんはどこでならいいの?」

「まぁ、別にラブホでいいと思うが……」

「だけどやっぱりそれがバレたら大変でしょう? そうなったときに私は責任を取れそうにないから……というか、ごめんなさい。勝手にスケジュールを決めた私がそういうリスクを考慮していなかったせいで、グダグダになっているわね……」

「いや、それを言ったら流されて意見しなかった僕も悪いから……」


 決して篠崎だけのせいじゃない。


「……どうしましょうか。モラルを守るなら家とかでするのが良いんでしょうけど……橋口くんの家は無理よね?」 

「絶対に無理だ。リモートワークの母さんが平日はもちろん休日も常駐してるから」

「そういう感じよね……私の家も無理だわ。色々あって、誰かを招けるような場所じゃないから……」

「……だろうな」


 篠崎は家庭の事情でストレスが溜まっているがゆえに僕の誤爆に食い付いてきたわけで、他人を招くのはNGになって当然。

 ……となると、


「今後も考えた場合……それ専用の部屋を用意しておくのがマストか」

「……ヤリ部屋をわざわざ用意するの?」

「ヤリ部屋って言うとアレだが、まぁそういうことになるな」

「……宛てがあるの?」

「あるにはある」

「どんな……?」

「気が早い話だけど、僕は目標の進学先的に大学生活は1人暮らしになりそうでさ」

「それで?」

「その1人暮らしに備えて予行演習でもしたらどうだ、いつまでも母さんの家事頼りは情けないだろ、って親父に腐されてるんだ……要するに、僕が望めば親父はその予行演習用の部屋を用意してくれる可能性がある、ってことさ」


 親父は僕を苦労させたがっているきらいがある。親父自身が成り上がりの人間だから、僕を何不自由なく育ったボンボンにしたくはないらしい。僕にトップ成績や品行方正さを求めてくるのだって、自分の面子のため以外にもそういう「俺が苦労したんだからお前も苦労して育て」というメッセージが込められている気がする。

 余計なお世話だが、だったらそれを逆手に取らない手はない。親父の望み通りに1人暮らしの予行演習をさせてもらい、その場を僕と篠崎のストレス発散場所として応用出来れば最高なわけだ。


「なるほど……確かに実現出来ればそれって良い環境よね」

「ああ……でも部屋が用意出来るまで待てるか? 今日の予定はご破算になるし、用意出来るのがいつになるかも分からないが」

「大丈夫。そういうことなら待たせてもらうわ」


 篠崎はこともなげに頷いてくれた。


「さっきも言った通り、むしろ私が早計だったのよ。橋口くんはおおっぴらに悪いことをしにくい家柄なのに、ラブホを利用する前提で予定を立ててしまったのは失敗だったわ」

「いや、だからそこは僕が口出ししなかったのが悪いんだし……」

「なら……両成敗ということでいい?」

「ああ、それでいい」


 このグダグダは2人で生み出したモノだ。それに異論はなかった。


「じゃあ悪いけど……今日はもう解散でいいか?」

「せっかく出てきたのだし、軽くショッピングでもどう? 交友を深める意味も込めて。……あ、もちろん興が乗らないなら解散でいいけど」

「ショッピングか……なら服が見たいんだよな。服を買いに行く、って伝えて出てきたから」


 カモフラで何か買って帰るべきだと思っている。


「そうなのね。だったら私が選んであげるわ。これでも一応、ファッションには詳しいつもりだから」


 そう紡ぐ篠崎は、どこか得意げだった。


   ※


 こうしてこの日は篠崎に服を見繕ってもらい、ランチを食べたのちに解散となった。


 家に帰ると親父はまだ接待から帰っていない様子で、部屋の用意を頼むのは夜になりそうだった。

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