第3話 待ち合わせ

 ……寝付けなかった。


 今日は日曜日で、言わば運命の1日である。

 トントン拍子で話が進んだ、篠崎とのセフレ契約初回当日。

 まるで修学旅行前夜であるかのように僕はろくに眠れず、ギンギンに冴えた頭で気付けばその朝を迎えていた。


「なんだか顔色が悪くないですか?」


 朝食のさなか、母さんにそう問われた。

 親父ともども僕に成績と品行方正さを求めてくる母さんだが、その部分を除けば悪い母親ではないと思う。少なくともこうやって体調を心配してくれる程度には。

 親父はそんな心配すらしてくれないし、そもそもこの場に居ない。朝早くから接待ゴルフにでも出かけたようだ。


「体調は平気だよ……それより、今日はちょっと出かけてくる」


 無断外出は禁じられているので、僕はひとまずそう告げた。余計な詮索をされないためにも、自分から伝えておくのが正解となる。


「どこに出かける予定ですか?」

「服を買いに」


 バカ正直に「セフレのクラスメイトとセックスしてくる」とは言えない。


「そうですか。なら気を付けて出かけてくださいね」


 母さんはそうとしか言わなかった。親父と同じく色々強いてくる母さんだが、それは親父の方針に従っているだけの節がある。

 夜中に一度、親父と母さんがリビングで話し合っているのを見たことがあって、その際に母さんは「もう少し臣夜おみやを自由にさせたらどうですか?」と言っていた。もちろん却下されたようだが、その点を鑑みれば親父と母さんは似て非なるということだ。僕に完璧を求めてくる元凶は親父と言える。


 だから母さんは好きだ。

 親父は嫌いだ。


 やがて朝食を済ませた僕は、軽くシャワーを浴びてから私服に着替えた。使用人が服を用意してくれたり、ということはない。周囲の家に比べれば多少デカくて豪奢だろうが、住宅地にある一軒家に過ぎず、お手伝いさんなんて1人も居ない。


 さておき、僕は午前10時頃には家を出ていた。もちろん足取りに軽さはなくて、いつにない緊張感に包まれながらだ。


   ※


「おはよう。いよいよね」


 午前10時30分。

 知人の誰にも見られないように地元駅から何駅か移動したとある駅前のカフェが、篠崎との合流場所だった。僕がその場を先に訪れて待機していると、長い黒髪をなびかせながら私服姿の篠崎がやってきた。集合時間ぴったりである。

 僕と違って昨晩は普通に寝られたようで、その顔色は良好だった。服装は白い半袖ブラウスにハイウエストのデニムパンツというわりかしシンプルな格好で、スタイルの良い篠崎にはこれ以上なく似合っていた。


「少し涼んでいってもいいかしら? 汗ばんでいるから」

「あぁ、別にいいよ」


 7月の外は言わずもがな、暑い。クーラーの効いた屋内はオアシスとしか言えない。篠崎は僕も飲んでいるアイスコーヒーを頼んでいた。


「ねえ、ひとつ確認なのだけど、橋口くんは後悔しない?」

「……後悔?」

「私とこれからセックスすることに対して」


 セックス……その単語が優等生の篠崎の口から飛び出してきたことに、僕はなんだか動揺というか、高揚感を煽られてしまう。大して親しくもない篠崎とこうして休日に二人きりなのも含めて、非日常的だなと思った。


「初めては好きな人とすべきだと思うし、橋口くんは本当に私が初めてでいいの?」

「……その言葉は、そっくりそのまま篠崎に返すよ」


 初めては好きな人とすべき、というマインドは女子にこそ適用すべきモノだろう。ストレス発散のセフレ契約で初めてを散らしていいとは思えない。


「私自身は、処女なんて後生大事に取っておく意味はないと思っているわ」

「だからといって相手が誰でもいいわけじゃない、的なことを先日言っていたよな?」

「ええ、だから橋口くんなら大丈夫、と先日言ったでしょう? 知性や素行の良さは折り紙付きだもの。しかも童貞でしょう? お互い初めてだというのは安心感があるわ」

「……そうか? 普通は経験者が相手の方が安心出来そうだが」

「少なくとも私はそうは思わない」


 だそうで、まぁ個々人の感覚だし、僕もなんだかんだ経験者の手を煩わせる恐怖よりは、初めて同士で試行錯誤する方が良いかもしれない、と思う。


「というわけで、私は橋口くんとすることに後悔はないわ。橋口くんは?」

「僕だって後悔はしないと思う」


 初めての相手が篠崎となることに異論のある男子は恐らくこの世に居ないだろう。

 篠崎の容姿は誇張抜きに学校で一番だし、学校という枠組みに当てはめる必要すらないと言える。然るべきところを歩けばすぐにでも芸能事務所からスカウティングされそうなくらい、見た目がズバ抜けている。おまけに成績優秀で、この件を抜きにすれば素行面も問題はない。

 そんなクラスメイトに初めてを奪ってもらえる――しかもこちらも初めてを奪えるというなら、文句などあろうはずがない。

 最高のストレス発散になるはずだ。


「ならいいのだけど。……ちなみに緊張していたりする?」

「あぁ、まぁ……」

「ふふ、私もよ」


 余裕綽々な笑顔でその返事は「本当かよ」と思ってしまうが、よく見るとアイスコーヒーのグラスを持つ手が若干震えているように見えなくもない。……分かりやすくオモテに出てないだけだったか。そりゃそうだよな。


「それと、一応これも聞いておきたいのだけど……」

「……あぁ、なんだよ」

「私で……えっちな気分になれる?」

「それは正直……余裕だと思う」


 篠崎は見た目がいい、というのは容姿が端麗であることだけを指すわけじゃない。蠱惑的でもあるのだ。胸が大きいし、腰付きやお尻の丸みなんかもそそるものがある。それで興奮しない男子は居ないだろう。僕も例外ではない。


「そうなのね……もしかして、以前から私のことをそういう目で見ていた?」

「いや、それはない」


 本当は少しあるけどそう告げた。


「ふーん。なら、ひとまずそういうことにしておいてあげるわ」


 しかし僕の本心を見透かしたかのように、篠崎はどこか楽しげだった。本当に緊張しているのか怪しく思えてくるが、緊張を誤魔化すための強がりみたいなモノかもしれない。


「さてと……じゃあそろそろ向かいましょうか」


 やがて互いにアイスコーヒーを飲み干したところで、移動することになった。


 どこに?

 それはもちろん……ラブホテルに。



――――――――――――


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