第7話:文字から見えたもの
なんとかお店の仕事をやりきった後、マルクスに読み書きを教えてほしいと頼んだところ快く引き受けてくれたので、昼間借りて来た本と共にダイニングテーブルの彼の向かい側の席に座る。
「この本を読むことを勧められたのですが、何の本なんですか?」
「これは『猫の冒険』だね。旅人の猫が世界中を旅して回る話で、簡単な言葉で書いてあるから最初に読む本としてはいいと思うよ」
「なるほど。それなら僕も頑張れば読めそうな気がします」
うんうん、と頷きながら、マルクスは僕の手から本を受け取り、巻末までページをめくった。
「初学者向けの本はこんな感じで、この国の文字とイラストの横にその単語の綴りが書いてあるんだ」
「すごい…この世界の本は親切ですね。ここだけで凄く勉強になりそうです!」
開いてくれた巻末のページを食い入るように見ていたせいか、マルクスは見過ぎと言わんばかりにクスクスと笑いながら僕を見てくる。
やっとこの世界の文字を理解できそうなのだ。つい興奮してしまうのを今だけは少し許してほしい。
「ケイの反応は面白くて見てて飽きないね。それじゃあ早速、説明に入らせてもらうけど、この国の言葉は31種類の字を組み合わせて書かれているんだ」
それぞれの文字を読み上げながら、マルクスは文字表を指でなぞる。
その指を目で追いながらちゃんと文字の形を見てみると、どこかアルファベットと似ているが、ところどころに記号がついてドイツ語のような感じもある。
ただ、大文字と小文字の区分はないのでそれを考えると自分の世界の他言語よりはルールを覚えやすそうだ。
会話がなぜか最初からできていたことも考えると、文字の組み合わせ方や読みさえ理解できればすぐに読み書きができそうな気がする。
よし、と改めて気合を入れてマルクスの方を向くと、説明を再開してくれた。
「あの文字を組み合わせて、これが『私』、『猫』、『旅』で間に繋ぎ語が入ることで『私は旅をする猫である』になって…」
まずはわかりやすい文章の単語と文法を教えてくれたので、それを昼間に買ってもらった紙の束にメモを取る。
ノートのように綺麗に製本されたものは高価なため、書く機会がほとんどないに等しい平民が紙を買う時は、わら半紙のような薄く表面がザラザラと粗い紙を紐で束ねたものを買うとのこと。
書き心地が良いとはお世辞にも言えないが、何かととにかく紙に書いて頭の整理をしている自分にとっては書けることそのものがとてもありがたい。
上機嫌でメモを取っていると、マルクスが険しい顔で僕の手元を見つめていた。
「ケイの言葉は凄くややこしそうだね。今書いてあるだけでもすごい種類の文字だ…。全部だと何文字あるの?」
「えーっと…このひらがなって文字が50文字くらいで、同じ数だけカタカナもあって、この漢字って言うのが…よく使うのでも2000文字くらいだっけ?」
「2000文字?そんなに使うの?文字覚えるだけで何年もかかりそう…僕、ケイの世界で生まれなくて本当によかったよ」
「まあ、僕のいた国が特殊だっただけで、もっと少ない国もあるよ」
「なんだ、これが共通語ってわけじゃないんだね。ちょっと安心したよ。今度、時間ある時にケイの国の言葉も教えて」
その後、マルクスに教えてもらいながらやっと3行分読めたところで、タバサがそろそろ寝るようにと声をかけにきてくれた。
集中していたし時計がないので気が付かなかったが、双子月と呼ばれる僕の世界で言うところの月がだいぶ高いところまで昇っているので、かなり遅い時間になってしまったのだろう。
「マルクスさん、遅くまで付き合わせてしまってすみません…」
「全然気にしないで。僕もケイのことを色々知れて楽しかったし。それじゃあ、明日も早いしおやすみ」
「ありがとうございます。おやすみなさい」
明日も朝早くから買い出しや、お店の営業があるのでそこでお開きにはなったが、マルクスが丁寧に教えてくれたおかげである程度の文法やルールを掴めてきて早く続きを読みたくてたまらなかった。
この気持ちが学生時代にあったら、もっと色々なことを学べていたんだろうな。
そんなことを考えながら眠ったせいか日が出かける頃には目が覚めてしまったので、ダイニングテーブルに本と筆記用具を広げる。
巻末に食材の名前も少しだけ書いてあるので、単語の練習がてらそれを見ながらこの世界に転移してきてから作った料理のレシピを簡単に書いていく。
調味料については大さじと小さじなんて素晴らしい概念がないので、大スプーンとティースプーンで大体の分量を書く。
とはいえスプーンの大きさがまばらなので、今度どれか基準にできる大きさのものを探してみよう。
あの調味料はもう少し足して、あれは抜いても良さそうだと、夢中になって書いているうちにタバサが起きてきた。
「おはよう。昨日あんなに遅かったのに、ずいぶん朝早いじゃないか」
「おはようございます。なんだか早く目が覚めちゃったんで…昨日の夜、教えてもらったことの続きをしてました」
「ケイは真面目だねぇ。ん?これはトマティーナのスープのことかい?」
タバサはマルクスほど文字は読めないとは言っていたものの、僕が数時間教えてもらった程度のことであればわかるらしく、僕のレシピメモをまじまじと読んでいた。
「そうです。あのスープの作り方です。使った食材を忘れないうちにちゃんとメモしておこうと思って」
「おお!そりゃいい!アタシもあの味を作れるようになりたいから、もう1枚書いてくれないかい?」
「もちろんです。こんなのでも良ければ何枚でも書きますよ」
「ありがとう!自分で書けりゃいいんだろうけどさ、なかなか文字を覚えられなくてね…。書いてくれたものがあると助かるよ」
そっか、書けないだけでレシピ自体には需要があるのか。
しかもまだ僕が難しい文法がわからないのもあって、今書いているレシピは「トマティーナ 切る」や「火 強い」、「大スプーン 3杯」という単語と手順を書いただけのもの。だからこそ文字をあまり読めない人でも読むことができるようだ。
簡単なメモのつもりだったけれどこれを欲しいと言ってもらえるのなら、今日の夜は食材の名前を中心に教えてもらって、レシピメモをどんどん書いていこうかな。
*
その夜、フェリチェにあの貸本屋が来ているとマルクスが教えにきてくれた。
ちょうど一通りの料理を出して落ち着いたタイミングでもあったのでホールに出てみると、彼はカウンター席で1人お酒を嗜んでいた。
「貸本屋さん、あの本を貸していただきありがとうございます」
「あれはわかりやすい本でしょう?どのくらい読めました?」
「読めたのはまだ数ページで…。ただ、巻末にある単語表の食材名はほとんど覚えました!」
「ふっはっはっ!ひぃー…君は本当に面白いねぇ。本の読み方がダーヴィットと全く同じだ」
「ジョルジさん!やっぱりそれ確かめたくて今日来たのか!」
腹を抱えて大爆笑する貸本屋ことジョルジを前に状況がよくわからずぽかんとしていると、顔を真っ赤にしたダーヴィットが裏からやってきた。
「食材の本を探してそうだったから、お試しくらいのつもりで渡してみたら…ふふっ!期待を裏切らない面白い子だねぇ」
「えっと…?ダーヴィットさんも同じ読み方というのは…?」
「いやね、ダーヴィットがまだ子供で教会に行って勉強してた頃、この本を貸してあげたことがあったんだ。そしたら物語は読まずに食材の名前だけ覚えて自信満々に「読めるようになった」って返してきて…お兄さんもそれと同じだ」
まだ笑いが収まらないジョルジの横で、ダーヴィットは髪をぐしゃぐしゃにしながらそっぽを向いた。
「だからあの時、少し苦い顔してたんですね」
「お…おう…。だってよ、この本は冒険なのにちゃんと食材の名前がわかりやすくなってたし、そこは覚えられたし…」
「あのダーヴィットは可愛かったねぇ。自信満々に「読めるようになったよ!」って言いつつ文法はさっぱりだったのに、食材はちゃんと覚えられてて…ふふっ」
「おい!笑すぎだぞ!もうその話はやめてくれ…っ」
みるみる小さくなって床にしゃがみ込むダーヴィット。その様子を見てさらに笑いが込み上げているジョルジ。
愉快だなぁとその様子を見つつ、本を返して新しい本を借りようとしていたことは黙っておいて、もう少しこの本を借りておこうと心に決めた。
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