第5話:ウェルネートの市場へ

 窓から入る柔らかい光で目を覚ますと、やっぱりそこは昨晩眠りについた異世界の客間だった。

 ただ、戸惑いながらもよく働いて美味しいものを食べて眠ったおかげで、気持ちがだいぶ落ち着いてきている。


 今後のことを考えるにしても、まずはこの世界について知らないことには始まらないので、お店を手伝いつつその辺はフェリチェの面々に教えてもらえることになった。

 昨日は店の手伝い以外についてはお世話になりっぱなしだったので、今日からは店以外のことも手伝わせてもらおう。

 

 そのやる気を胸に軽く身なりを整えて部屋を出ると、キッチンでタバサが朝ごはんの準備をしていた。

 

「おや、おはよう。よく眠れたかい?」


「おはようございます。おかげさまでぐっすりでした」


「そいつはよかった!そろそろ朝ごはんにするから、そこにあるものを適当に並べてくれるかい?」


「わかりました」

 

 タバサに指を差されたテーブルの上にはパンとチーズ、ソーセージが並べられていた。昨晩の様子から気を使ってくれたようで、パンはかなり薄めに切ってくれてある。

 美味しく食べられているもののまだ食べ慣れている訳ではないので、こういう細かい気遣いが本当にありがたい。


「あとはこいつを真ん中に置いておくれ。アタシはダーヴィットとマルクスを呼んでくるよ」


 任された鍋の中身はジャガイモのポタージュっぽいスープだった。

 僕が食べ慣れてきたポタージュとは違いかなりあらごしで作られているので、ところどころに芋の形が残っている。これはこれで食べ応えがあって美味しそうだ。

 

 鍋を置いて深皿を並べているうちに全員が揃ったので朝ごはんを食べ始めると、ダーヴィットからとある提案があった。

 

「ケイが元気そうだし、今日は俺の買い出しに付き合ってもらいつつ、この街のを案内しようと思うんだが…どうだ?」


「そいつはいいね!ついでに古着屋とかも見ておいで」


「何から何まで…本当ありがとうございます」


「その代わり今晩も頼んだよ!買い出しをしつつ良いメニューを考えておくれ」


 片付けをタバサとマルクスに任せてお店の外に出ると、インドア派の僕でも外に行きたくなるくらい気持ちよく晴れていた。

 体を伸ばしながら改めて街を見渡すと、レンガ造りや三角屋根のおしゃれな建物が立ち並んでいる。

 まるでおとぎ話に入り込んだような世界なので、いろんなところに行ってみたい。


 だいぶ前向きに考えられるようになったなぁ…と思いながらぼーっと街を見渡していると、ダーヴィットも準備ができたようで外に出てきた。

 

「そんじゃあまずは、市場に行こう!真っ直ぐ行った広場の先にあって…そいや、あの広場が昨日ケイに会ったところだな」


「昨日は凄く長い距離を歩いた気がしてたんですが…意外と近場だったんですね」


「ま、初めての場所なんてそんなもんだろ。見るものも多いし、さっさと行くぞ」


 ダーヴィットとしばらく歩いていくと、所狭しと屋台が詰め込まれた場所に着いた。野菜が並んでいるお店もあれば肉類や飲み物、軽食を売っているようなところもある。

 どこの屋台からも良い匂いが漂ってくるので、朝ごはんを食べた直後なのにお腹が空いてきそうだ。


「すごい…なんでもありますね!」


「だろ?ここら一帯が市場になってっからちゃんと見て回ると面白いぜ。今日だけ出してるような店もあるから毎日来ても飽きねぇんだ」


「毎日違うんですか!?僕1人で歩いたら迷子になって帰れなくなりそうです…」


「お店の並び方さえ覚えれば大丈夫よ!とりあえず野菜を見に行くか」


 はぐれてしまうと二度と出会えなくなりそうな気がするのでダーヴィットを見失わないように必死に後をついて行くと、山盛りに野菜が積み上げられた屋台が並んでいる通りに出た。

 どうやったらあそこまで高く綺麗に積み上げられるんだろうか?


 野菜の山を流し見ているうちに行きつけの屋台に着き、ダーヴィットが積み上げられた野菜を慣れた手つきで見比べ始めていると、その様子に気がついた店主の男性が表に出てきた。

 

「おはよう!おっさん!今日のおすすめはどれだ?」


「おい!お前もおっさんだろ!今日は葉っぱもんだな。キャベッジなんかはいいやつが揃ってるぜ」


「こいつはしっかりしてるな。ケイも触ってみろよ」


 ダーヴィットに促されるままキャベッジと呼ばれるキャベツに似た野菜を手に取ると、ずっしりと重たく葉っぱ1枚1枚がしっかりとしているので冬キャベツに近い感じがする。

 トマティーナはトマトとはだいぶ違っていたが、キャベッジはほぼキャベツのようなので全部が違うという訳でもなさそうだ。


「しっかりした葉っぱで美味しそうですね。ロールキャベツとかにしてもいいかもしれないです」


「なんだその料理?美味いのか?よし!おっさん!キャベッジのいいやつ6つ残しておいてくれ!」


 昨日のスープですっかりダーヴィットの胃袋を掴んでしまったようで、僕がどんな料理かも話していないのにメニューを即決されてしまった。

 これは…今日も仕込みが大変になるだろうな。


 一通りの野菜を選んで取り置いてもらうと、次は肉屋、その次は穀物屋と。屋台を一周するころにはかなり疲れてお腹も空いてきていた。

 そろそろ少し休まないかとダーヴィットに言おうとした瞬間、街中に鐘の音が響き渡った。


「もう昼の鐘が鳴る時間か!だいぶ歩き回ったし、少し休もうぜ」


「そうしたいです…。ところで、この街は鐘で時間を確認しているんですか?」


「おうよ!時計なんてもんはあってもせいぜい教会と時計塔くらいだからよ。教会が1日6回、鐘を鳴らすようになってんだ」


 鐘が鳴るのは午前2回、お昼に1回、午後に3回ということなので3時間おきのようだ。それで考えると今は12時か。


「あそこに美味い店があるから、ちょっとそこに座って待っててくれ」


 そう言い残してダーヴィットはお皿とカップを片手に走っていった。

 同じだけ歩き回っているのに、全然疲れた様子を感じないので、ダーヴィットの体力が少し羨ましくなる。

 

 この世界にはプラスチックはもちろん、紙皿なんてものは存在していない。それなので、外で食べ物や飲み物を買うときは器ごと買うか、自分で器を持って行く仕組みになっている。

 だから、出かけるときの荷物にはお皿とカップ、スプーンとフォークが欠かせないのだとか。


 今までとは色々なところが違うので、転移してきて辛うじて持っていたメモに街で歩きながら教えてもらったことをメモしていると、お皿にパイとお肉の山を乗せたダーヴィットが戻ってきた。


「待たせたな!これは挽肉のパイとオークの香草焼き、オランジェのジュースだ!」


「…オーク!?」


 美味しそうな匂いで聞き逃しかけたけれど、オークって言ったのか!?

 オークってファンタジーの世界に出てくる魔物の名前な気がするけれど、この世界では豚の種類だったりするのだろうか…。

 そう自分を納得させようとしていた矢先、ダーヴィットからとどめを刺された。

 

「なんでそんなに驚いてるんだ?オークは魔物の中でもかなり美味いぞ!」


「やっぱり魔物!?えっ!?魔物って食べて大丈夫なんですか?」


「大丈夫も何も…昨日の足長鳥や今朝のソーセージ、さっき買ったのも魔物の肉だぜ?」


 何がそんなに気になるんだ?と言わんばかりの表情でダーヴィットは僕の顔色を伺っているが…魔物だぞ!?

 魔物を実際に見たことはないけれど討伐されるような相手だし、おそらく僕がイメージしているような凶暴で毒々しい生き物なのだろう。

 

 これまでの食事で身体に何か変化があった訳ではないけれど…なんだか気持ち的なところが引っかかる。

 あれ?そもそも僕は知らないうちに魔物を食べていたのか…!?


 なんとも言えないショックを受けながら、ダーヴィットから差し出されたお皿に乗ったオークの香草焼きにフォークを刺し、恐るおそる口に運ぶ。

 悔しいことに、香草の良い香りをまとったオークの肉はジューシーでとても美味しい。


「美味しい…です…」


「何がそんなに気になるのかよくわかんねぇが…美味いだろ!こっちのパイも絶品なんだ!」


 挽肉…これはどんな魔物の肉なのか…?ということを考え始めると食べられなくなってきそうなので、考えるのを諦めてパイを手に取り頬張ると、あのトマティーナの酸味と挽肉がちょうどよく絡み合っていて、こちらもすごく美味しい。

 

「僕のいたところでは魔物を食べる習慣がなかったので…抵抗があったんですが、美味しいです…はい…」


「なんだそんなことか!ここらは動物が少ないからな。基本、肉って言ったら魔物の肉なんだ。まあ、美味い肉ならなんでもいいだろ!」


 ガハハと高らかに笑うダーヴィットの横で、複雑な顔のままパイと香草焼きを頬張る。

 うん。もうあれだな、オークの見た目は知らない方がいいんだ。魔物はできるだけ見ないで生きていこう。


 これまでの感覚を少しずつ捨てないとこの先やっていけないな…なんてことを思いながら飲んだオランジェのジュースは、ひときわ美味しく感じられた。

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