第3話:酒場フェリチェ

 

 スープを口にしてから反応がないことで不安に駆られていると、ようやくダーヴィットは口を開いた。

 

「トマティーナを使ったこんな美味いスープは食べたことがない…。あれはどうしても酸っぱさが強く残りすぎちまうんだ。ケイ!お前すごいな!」


 興奮冷めやまないダーヴィットは近くにあったスープ皿を手に取り、スープをちゃんと飲み始めた。

 どうやら驚きすぎてフリーズしてしまっていただけのようだ。


「ちょっとケイ。ダーヴィットだけずるいじゃないか!アタシとマルクスの分も用意しておくれ!」


 ダーヴィットの声が聞こえてきたようで、気がつくとタバサとマルクスもまたキッチンにやってきてお皿を僕の方に差し出していた。


「一応、お店で出す用なので…食べすぎないでくださいね?」


 2人にもスープをよそっていると、ちゃっかりダーヴィットがおかわりを要求してきている。

 美味しいと言ってもらえて、どんどん食べてもらえること自体はすごく嬉しいのだが、このままではお店のメニューから消えかねない。


 どこかでストップをかけようとしても、3人の食欲が止まることはなく…。

 作ったスープの半分近くを平らげてしまったので、もう1鍋分のスープを作る羽目になってしまった。


 腹が満たされたところで開店準備はラストスパートを切った。テーブルセッティングから今日のメニューと注文をどう回すかの最終確認。

 キッチンサイドは僕が早く出せるメニュー、ダーヴィットが時間のかかるメインメニューを担当することで話がまとまっている。

 1人ではないとはいえ、いきなり繁忙期のキッチンを上手く回せるのだろうか…。


 不安が出てしまっていたようで、僕の顔を見るなりダーヴィットは僕の頭をぐしゃぐしゃと荒く撫で回してきた。

 

「まあ、そんなに緊張しなくても大丈夫だから落ち着いていこうぜ!お前さんなら大丈夫だ!」


「ありがとうございます。なんだかダーヴィットさんにそう言ってもらえると大丈夫な気がしてきます」


「アンタたちも大丈夫そうだね。じゃあ開店するよ」


 タバサが看板を変えに外へ出るとすでに何人かお店の前で待っていたようで、あっという間に店内の半分の席が埋まった。


「待ちくたびれたぜ!タバサ!とりあえず酒とすぐ出るつまみを頼む!」


「俺も!何でもいいからまずは酒だ!」


「はいよ!大人しく席に座って待ってな!」


 いきなり騒がしくなった店内は、どの席の会話からも「今日の討伐」という言葉が聞こえてくるので、きっと彼らが冒険者というやつなのだろう。早々に忙しくなりそうだ!

 

 早速、パンと合わせてトマティーナのスープを出す準備に取りかかる。フェリチェの面々には好評だったものの、他の人の口にも合うだろうか。


「マルクスさん、準備できたのでこれお願いします。あの、できればでいいんですが…」


「お客さんの反応が知りたい、でしょ?任せて。聞いてくるよ」


「ありがとうございます!よろしくお願いします!」


 慣れた手つきでトレンチに料理を乗せたマルクスは、手をひらひらと振りながらお客さんの待つテーブルに向かって歩き出した。

 

 彼はスラッと背が高く、少しパーマ掛かった長めの髪で整った顔をしているため、女性の常連客の中には彼目当てで来る人も多いらしい。

 その反面、料理になるとかなり不器用らしく、炒め物を任せたらフライパンの上に何も残らなかったとか。

 ダーヴィットの料理に惚れ込み弟子入りをしたが、なかなか料理の腕は上がらず。それでも諦めきれずにこうしてホールで働きながら修行をしているようだ。


 一通り料理を出し終えたところでひと息つきながら足りなくなってきたメニューの仕込みをしていると、タバサがキッチンの様子を覗き込みに来た。


「アンタたちも落ち着いてきたかい?」


「ああ、なんとかな!いやー、ケイがすごくてよ。本当助かったぜ」


「ありがとうございます!ダーヴィットさんこそ、さすが熟練のシェフですね。手際も料理も完璧でしたよ」


 褒め返すとダーヴィットは照れくさそうに頭をかきながら視線を逸らした。人のことを褒めちぎるわりに、自分が褒められることにはあまり慣れていないようだ。


「それならちょっとケイを借りて行っていいかい?アイツがどうしてもスープを作ったやつを呼んでこいってうるさいんだ」


「あー…やっぱりか。いいぜ、行ってこい!」


 少し呆れ顔のダーヴィットに背中を押されてキッチンを後にする。

 マルクスから教えてもらった感じではお客さんからは好評のようだけれど、何かまずいことにでもなっているのだろうか。


 タバサの後について行くと、ふわふわとした茶髪の青年が仲間に何かを熱弁していた。


「待たせたねフレッド。コイツがスープを作った料理人、ケイだよ」


「おお!君が!ケイ、俺は君に惚れてしまったよ!」


 フレッドと呼ばれた青年はタバサに紹介されるや否や勢いよく立ち上がり、僕の手を握りしめて突然の告白をしてきた。

 初対面だし、料理の腕の話…だよな?

 

「えっ…とぉ…?ありがとう…ございます?」


「あのトマティーナ独特の強烈なすっぱさ。それこそがトマティーナの魅力ではあるものの、そのせいで料理になると他の食材の持ち味を潰してしまう…しかし、君のスープは完璧だ!トマティーナの風味が残りつつ他の食材とも見事に調和をしている!このスープはトマティーナのスープの真の姿を見せた。もはやトマティーナ料理の完成系と言っても過言ではない!!」


 怒涛の褒め言葉を一息で話す勢いから、目の前にいる男性はこのトマティーナのスープが相当気に入ってくれたようだ。嬉しさはもちろんあるけれど、彼の熱意が凄すぎる。

 押されに押されてどうすることもできずにいると、その光景を見かねたタバサが大きな音で手を打ち、目の前の男性を怯ませてくれた。


「フレッド、一旦落ち着きな。ケイがドン引いてるじゃないか」


「ああ…ごめん!話し出したらあの感動が溢れ出てきて…。俺はフレッド。これでも剣士で冒険者をしているんだ。よろしく」


「京一朗です。料理がお口にあったようで何よりです」


「口にあったなんて次元の話じゃないよ!一体どうやってあのトマティーナの酸っぱさを抑えたんだ?」


「えっと…」


 入れたあの食材はこっちの世界であれはなんて呼ばれているんだ?使う時、ダーヴィットに食材の名前も教えてもらっておけばよかったなぁ。


「ハナバチの蜜、だな」


 どう答えるべきかを迷っていると、ダーヴィットがそう答えながら僕たちのところへやってきた。


「ハナバチの蜜?あれはデザートやお茶に入れるようなものでは?」


「そうなんだよ。だが、ケイの故郷ではハナバチの蜜を料理にも使っているんだとよ」


「へえ…珍しいところもあるんだ。ケイの故郷はどこ?」


「おっと。そいつは言えねぇな!さ、そろそろキッチンに戻ろうぜ」


 フレッドはまだ話したさそうにしているが、まだどう答えるべきかを決めかねていることなので、ダーヴィットの気遣いに救われた。


「フレッドは悪いやつじゃぁないんだがな。食べることが好きすぎて、美味いものを食うとああなっちまうんだ」


「なるほど。ビックリはしましたけど、あんな風に素直な感想がもらえるのは嬉しいです」


「ははっ。意外とケイとフレッドは相性がいいのかもしれないな!」


 そんな話をしながらキッチンに戻ると、マルクスが笑顔で大量の注文を書いた紙を渡してきた。

 フレッドとのやりとりを見ていた他のテーブルからスープの注文が殺到し、中にはおかわりを要求している人もいるとか。


 結局、作っておいた2鍋では足りずもう1鍋分のスープを作り、それが空になる頃ようやくフェリチェを閉めることが許された。

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