第98話: 鳥綱カッコウ目カッコウ科の郭公
──Q.当人たちに見られないよう、こっそり姿を確認した瞬間、『たっくら~ん』というヤベー事実に気付いた妹の心境を答えよ。
──A.控えめに言って、地獄だよ。
──Q.救いはないんですか!?
──A.ねえよ、そんなもん。
はい、はい、はい。
現実逃避の茶番を終えた千賀子は、知りとうなかった現実を前に、立ち尽くすしかなかった。
だって、『たっくら~ん』である。ふざけないで書くと、托卵。呼んだ字のごとく、他所の種が根付いた卵。
つまり、浮気だ。
他所の男の種で妊娠しといて、別の男に『貴方が父親よ❤』と面倒を見させる、殺人にも匹敵する行為である。
……こそっ、と。
神通力にて完全に気配を消し、直視しても間違いなく認識出来ない状態で息を潜めながら……千賀子は、改めて兄の和広が連れてきた女性を見やる。
女の名は……覚えたくないので覚えていないが、髪は黒髪で、けっこう長く、ちゃんと手入れを欠かしていないのか、遠目にもサラサラだ。
でも、托卵をしている。
全体的な雰囲気はおとなしい感じで、率直に言えば、美形である。この頃(1970年)は美容整形技術なんてリスク極高なので……つまり、ナチュラル美人というわけだ。
でも、托卵をしている。
笑うと朗らかな印象を与えるようで、両親からの初見の反応は悪くない。いや、むしろ、不甲斐ない馬鹿な和広を思って気遣っている様は、良い印象を与えているようだ。
でも、托卵をしている。
既に父に殴られたのか、兄の和広の頬は腫れている。
けれども、それを仕方ない事だと思っているのか神妙な顔をしており、父もまた、何度も女へと頭を下げていた。
でも、托卵をしている。
なんで父が頭を下げるのかって、この頃はそういう常識だったからなのと、子供を作る様な行為をしたら問答無用で男が責任を取るという常識があったから。
後はまあ、順序が逆だから。
行為を否定しているわけではない。
ただ、出来る前に一言挨拶に行ったり来たりするのがスジであり……ぶっちゃけると、スジを通さなかったので、鉄拳制裁という流れである。
でも、托卵をしている……全部分かっているうえで托卵をしているのだ、この女は。
(うわぁ……真っ黒過ぎて引くぅ……)
そう、この女は誰かに脅されて行為を強要されたとか、前後不覚の状態にさせられて行為され、それを記憶から抹消しているとか、そんな話ではない。
単純に、彼氏を3人ほどキープしていて。
その中で一番タイプだけど生活観がヤバい男とは肉体関係を継続しつつ、その中で一番真面目で責任を取ってくれそうな男が、和広だっただけのこと。
金の有無ではない。
なにがなんでも、夢をスッパリ諦めて、自分と子供のために動いてくれる……そういう気質だと見抜いたから、そうしただけのこと。
そこに、罪悪感はまったくない。
なにせ、この女自身は、胎の中にいる子供が他所の男の種由来だと思っていない。あくまでも、和広の子供を妊娠していると思っているから。
だから、素知らぬ顔で、和広に自分ごと面倒を見させようとしている。己の浮気が悪い事だなんて、欠片も思っていない。
それどころか、その男とはまだ、関係が途切れていない。和広は気付いていないが、千賀子には分かる。
ほとぼりが冷めたら、間違いなくまた肉体関係を再開するつもりで……ハッキリと、ぶっちゃけてしまうなら。
『身体は彼に慰めてもらうけど、心は貴方を一番愛しているわ❤』、という、とんでもないやつだ。
そう、この女は、せめて不義理を働くならばという考えすらない。欠片の良心の
(……どうしよう、これ)
とんでもなくヤベー事になりそうな状況に、千賀子はどうしたものかと頭を掻いた。
何故ならば、両親たちを納得させるような説明が出来ないからだ。
『なんでそんな事が分かるのか?』
と聞かれても。
『分かるから』
としか答えられない。
もしくは、女神様から……いや、それはそれで、逆に不信感をもたらす可能性が高いので、あまり女神様を理由にするわけにはいかない。
とはいえ、このまま手をこまねいていれば、血の繋がりのない『たっくらんベイビ~』が約7か月後には甥or姪が誕生しそうな気配だが……とりあえずは、だ。
(……お婆ちゃん、お婆ちゃん、こっちに来て)
寛容に和広のやらかしを受け入れている(という感じに、この頃は見られる)托卵女のおかげで、なんだか朗らかな空気が漂い始める中で……千賀子は、祖母の脳裏に念を送る。
最初はピクッと反応して辺りを見回した祖母だが、すぐに千賀子の仕業だと判断したようで、「ちょっと、小便でよ」普段と変わらない様子で部屋を出ると……千賀子の自室になっていた部屋にやってきた。
「さっきのは千賀子か?」
「うん」
「ほうか、急にはびっくりするでよ、次からは止めてな」
「うん、ごめんね」
当たり前のように超常現象が起こったのに、祖母は欠片も気にした様子もなく……まあ、うん。
普段は物静かな人だが、あの祖父と付き合ってきた女性だ。胆力というか、あるがままを受け入れる力が本当に強い。
一般の人からすれば飛び上がって驚くような現象を前にしても、『孫はそういう事ができるのだろう』という、その程度の認識でしかないのかもしれない。
「ほんで、何か言いたい事でもあるんか?」
「うん……あの、怒らずに聞いてほしいんだけど……あの人ね」
そして、それを千賀子も分かっていたので、だからこそ、千賀子は余計な言葉を入れずに単刀直入に結論を告げた。
「あの女の腹にいる子供、兄貴の子供じゃない。他所の男の子で、あの女は気付いていないけど、兄貴に責任を取らせようとしているのだけど」
「……ほうか」
それは、どの角度から考えても、爆弾発言以外の何物でもなかった。
普通に考えたら、急に何を言い出すのかと困惑するか、失礼だと怒る場面だろう。
それを分かっているからこそ、千賀子は囁くように告げた……のだが。
「……そんでぇなと思っとったよ」
どうやら、祖母の目にも怪しいと判定されていたようで、千賀子の言葉をすぐに信じてくれた。
「私が言うのもなんだけど、よく信じてくれたね」
「そらぁ、卑しい目をしとるからな。性根の腐った目をしとる、長生きすりゃあ誰でもわかるでよ」
「いや、わからんと思うよ、お婆ちゃん」
「ほうか? んで、千賀子……和広のやつ、ヤルことはヤッたんか?」
「ヤッてるね。ちゃんとヤッてる。ガッツリ、ヤルことはしっかりヤッているし、中にも出した感じだね、アレは。だから、兄貴は騙されたっぽいけど」
なんでそう思ったのか尋ねたら、『勘(※要約)』だと返答が……実は祖母も超能力かナニカを持っているのではと思いつつも、千賀子は率直に相談した。
「どうしたらいいかな?」
「素直に言えばええ。娘を信じるか、他人の娘を信じるか、任せるでよ」
「……大丈夫?」
「その程度でギャアギャア喚くようにはしとらん。早いうちがええ、呼んでくるけぇ、話は任せるでよ」
「うん、わかった」
すると、さすがは年の功というやつか、祖母の判断は実に素早く、優柔不断なところがある千賀子には中々出来ない即決であった。
……。
……。
…………で、だ。
いきなり全員呼び出すと不信感を抱かれそう(抱かれても問題はないけど)なので、伝言形式で1人ずつ来てもらうことにした。
やることは、同じ。
女は浮気をしていて、今も継続中で、欠片の罪悪感もなく、和広のことなどまったく考えていないということ。
本命は別に居るが、そちらはまともに面倒を見てくれなさそうなので、面倒を見てくれる和広を選んだだけ。
和広のことを愛しているというよりは、生活のために打算で選んだだけで、もしも、その相手が心を入れ替えてちゃんと生活しようとしたなら、即座に和広は捨てられるだろう。
……そう、千賀子は言葉を濁さず伝えた。
当然ながら、最初は両親も困惑し、滅多な事は言うもんじゃないと憤慨した。
しかし、その相手は、よりにもよって、千賀子である。
瞬間的な怒りは、瞬間で終わり。父も母も、すぐに困惑から悲壮感へと、悲壮感から苛立ちに、苛立ちから怒りへと移り変わり……それを、千賀子は止めた。
そりゃあ、そうだ。
自分の息子が性質の悪い女に騙されようとしているばかりか、騙す方の女はさらに騙そうと企んでいる……という話を、よりにもよって千賀子から聞いたのである。
千賀子がただの一般人であったならばともかく、これまで幾度となく不思議な事を……それどころか、超常的な現象を見せてきたのだ。
そのうえ、千賀子の性格を、両親はよく知っている。
今更、千賀子の言葉を疑う理由はないし、千賀子が家族を騙す理由が思いつかない。と、なれば、信じるという選択肢しか2人にはなかった。
……そして、だ。
席に戻った両親たちと祖母……入れ違いの形で自室にやってきた和広。その頬には、父に殴られた痕がくっきり残っていて、赤く腫れていた。
その目には、一抹の寂しさがある。そりゃあ、そうだろう。
自分が仕出かした事とはいえ、子供がデキた以上は、夢を追ってバンドマンをしているわけにはいかない。
夢を捨てて、子供のために、彼女のために、定職に就いて働いて行く必要があるわけで。
実家に連れてきた以上は既に覚悟しているのだろうが、それでも、和広はまだ若いのだ。
夢を追い掛けてこれからという時なのもあって、完全に未練を断ち切るには……まだ、幾ばくかの時間を必要とするのも、致し方ないことであった。
「…………え?」
けれども、だ。
それは、あくまでもあの女の胎の中にいる子供が、本当に和広の子供であるという前提があってこそ、成立するわけで。
「え? え? ……え?」
「御労しや、兄貴……」
「……え、いや、本当?」
「申し訳ないけど、本当です。信じる、信じない、それを決めるのは兄貴だけど、私の予想だと、間違いなく血の繋がりがない子供が……」
「……いや、いや、信じるよ、うん」
「本当に? 正直、殴られる覚悟はしていたんだけど……」
思わず、言った方の千賀子が目を瞬かせた──そんな妹の反応に、和広は思わず苦笑をこぼした。
なんだかんだ色々とあったし、長い間不仲が続いていたとはいえ、和広は千賀子の兄であり、家族である。
好きの反対は無関心とは言うが、嫌いだったからこそ目に留まる部分もある。
少なくとも、和広が知る限り、千賀子は、その手の冗談や嘘を言う娘ではない。むしろ、なにかしらの確信を得ていなければ口にすら出さない……そういう娘だと思っている。
だからこそ、わざわざ忠告をしてきた時点で、千賀子の中では確実な根拠があるのだろうと……そう思えたからこそ、和広は千賀子の話を信じたのであった。
「千賀子が言うなら、少なくともいきなり否定はしねえよ……それに、妹の、女のおまえに聞かせる話でもないんだけどさ」
「うん?」
「言われてみたら、妙に……その、一日に何度も誘ってきた時があって……あいつ、あんまり、そういう事は好きじゃないのに……って、なったことがあって」
「あっ(察し)」
「その時は、たまたまそういう気分になったんだろうって思っていたけど……千賀子の話が事実なら、誤魔化すために俺とやろうとしていたんだな……って、思っちゃってさ」
「う、う~ん、その、ごめんね、こんな話をしちゃって……」
「いいよ、謝らなくて……むしろ、教えてくれて良かったよ。でなきゃ、俺ってば……浮気女と知らねえ男の子供を育てるところだったし……」
千賀子より説明を受けた和広は、その場に崩れ落ちるように座り込んだのであった。
……まあ、そうなるのも当たり前である。
いくらこの頃(1970年)とはいえ、胎の子供が別の男の子供だと分かれば、男の責任なんて話はぶっ飛んでしまうわけだ。
まあ、しかし、他所の男の子供なのか……それを知る術がないから、普通はバレないけれども。
なにせ、この頃にはDNA鑑定なんて言葉すら、まだない。
実質、生まれるまで知る方法がなく、よほど見た目が違うか、血液型が証明しない限りは……ゆえに、だ。
「いちおう聞くけど、どうしたい?」
「どうしたいって、そりゃあ、結婚なんて中止だよ。なんなら、あのクソ女を叩き出したい気持ちだ」
「叩き出す? 未練とかはないの?」
「浮気するような女、こっちから願い下げだ。ここで俺が知らなかった事にしたって、次に生まれる子供が俺の子供である保証もねえからな……」
率直に尋ねたら、和広は吐き捨てるように悪態をついた。
どうやら、一度疑いを抱いた影響からなのか、次から次に、これまでの彼女の不審な行動とか不審な点に気付き始めたようで……瞬く間に、彼女に対する気持ちが冷めていっているようだ。
……とはいえ、だ。
裏切りがあったとはいえ、人の情はそんなに簡単に切れるものではない。和広の顔は、怒りとも悲しみとも違う表情を浮かべていた。
未練とかではなく、憎悪とも違う、一度はちゃんと責任を取ろうとしたぐらいには情を交わした相手なのだ。
言葉には出来ない、複雑な感情が渦巻くのは当然である。
実際、『叩き出したい』と吐き捨てた和広も、『叩き出してやる』と今すぐ動かないのが、その証拠。
瞬間的な怒りで誤魔化しているが、ショックが大き過ぎて、行動に移せないのだろう。己の時とは逆だが、千賀子にも、その気持ちは痛いほどに察せられた。
「それなら、私がやりかえしていい?」
「……やり返すって、殴るのとかは駄目だぞ。おまえがそれをするぐらいなら、俺の手でやる」
「いやいや、そんな事はしないよ」
なので、千賀子としては。
「ただ、事実を述べるだけだよ……ただ、それだけ」
何をやってもまったく堪えない女神様に比べたら、いくらでもやりようがあると……千賀子は笑みの下で、静かに怒りを煮え滾らせるのであった。
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