第93話: 時の流れは無情にも……
よく分からないけど、どうやら神社がある山のことで、元の持ち主の親族が訴えている……とのことらしい。
神社がある山とは、最初の神社がある山である。
具体的には、おやっさんから格安で譲ってもらった(というか、譲渡してくれた)山であり、現在、千賀子が主に住んでいる場所でもある。
詳しい経緯を話せば長くなるので省略する……まあ、それでは困る人もいるので、簡潔にまとめると、だ。
親族に渡っても、好景気に浮かれているだけの彼ら彼女らでは、ろくな使い方をしないだろう。時勢を読めているようで読めていないようにしか思えない。
それを家族だからこそ分かっていたおやっさんは、ろくな結果にならないことを見越し、自然のままに残してくれるという千賀子に願いを託したわけである。
なので、騙し取ったというのは違う。
むしろ、最初は千賀子も断ろうとしていたのを、おやっさんは拝み倒して千賀子に承諾させた方なのだ。
それに、千賀子はおやっさんの願いどおりに、『山』の開発は行っていない。まあ、女神的なアレで手を加えられてはいるけど、それだけだ。
それを、騙し取ったと言われるのは不本意を通り越して無礼でしかない。
いったいどういう経緯でそうなったのかは知らないが……そうだ、考えてみれば、おやっさんも、おやっさんだ。
俺の目の黒いうちは何もさせないと言っておきながら、これはいったいなんなのだろうか。
人間は心変わりする生き物だが、最初からして強引に話を持ちかけてきたのは向こうなのに、それを棚に上げて……さすがに、千賀子もちょっとイラッとした。
なにせ、『とりあえず、ここに連絡して』ということで母より伝言された電話番号より、件の相手と連絡を取ったわけなのだが。
相手の態度が……それはもう、酷かったのである。
もう、最初から『大事にはしないから、さっさと認めて土地を返せ(要約)』という言葉と態度だったのだ。
中立どころか、100%こっちを詐欺師扱い。正式な契約書を交わして譲渡されていると話しても、騙して奪ったのだと繰り返すばかり。
終いには、『詐欺行為には毅然とした対応を取ります。貴女も学校を卒業したのだから、子供扱いされて許されるとは思わないでください(要約)』ときたもんだ。
そんなの、千賀子でなくとも怒って当たり前である。
むしろ、なんかイソイソと千賀子から離れてナニカをしようとしたり、ヌーッと腕を伸ばして受話器を掴もうとしたりする女神様を押し止めた千賀子は理性的な方だろう。
「女神様、ちょいお座り。とりあえず、3号はちょろっと情報収集してきて。とにかく、何がなんだか分からないから、経緯が分からないと」
「向こうの弁護士から呼び出しを受けているけど、どうするのかな、本体の私」
「どうするもなにも、受けるしかないでしょ……っていうか、これってくっそ失礼じゃない? なんか、もう私が騙し取ったのが確定で話を進めるのだ向こうは……!!!」
「裁判沙汰なんて、そんなものっしょ。基本的に、私は悪くないお前が悪い、あるいは、警察も役所も当てにならないから……てのが始まりだし」
「とにかく、行ってきて……ああ、そうだ」
ちょっとばかり愚痴をこぼしたおかげで冷静になった千賀子は、3号への命令に、一つ付け足した。
「可能なら、ちょっとおやっさんの様子も見てきて」
「行くのはいいけど、おやっさんはなんで?」
「母さんに聞いたら、『ちょっと前に倒れて病院に運ばれてから、顔を見ていない』って話らしくて……」
「あ、そうなんだ」
「うん、元々歳が歳だったし、また倒れたら助からないかもだから隠居することになったって話らしいのだけど、実際のところは分からないから」
「なるほど、それならヨシッ! ちょっくら見てくるんで、留守番よろしく!」
「なんだろう、失敗しそうな気がする……」
……。
……。
…………とまあ、まずは情報収集を3号にさせた……のだが。
「……は? え? おやっさん、ボケちゃったの?」
「正確には、脳こうそくで倒れた後遺症って感じかな。でもまあ、ボケちゃっているのは事実なのだけど」
その結果、まさかとしか言い様がない話が分かったのであった。
内容を簡潔にまとめると、倒れて以来顔を見なくなっていたおやっさんはボケてしまっていた……つまり、『認知症』を発症していたようだ。
ずいぶんと進行が早いのではと思われそうだが、この頃はまだ老人という問題は認識出来ていても、認知症(この頃は、痴呆)に対する人々の認識はなかった。
そこに加えて、痴呆は遅かれ早かれ発症するもので、生活習慣などで予防できるという認識が皆無であり、現代では逆効果とされている方法が取られることも多かった。
具体的には、歳を取った(ミスが増えた)からと隠居させたり、空気の良いところに引っ越しさせたり、怪我をするからと家に閉じ込めるようになったり……この頃では当たり前の配慮が、認知症を悪化させるというのが多かった。
おやっさんも、最初は善意で周りからそうされたようで……本人も、善意でされたことだから、あまり強くは言えなかったようだ。
なにせ、倒れて医者の世話になったばかりだから……しかし、実際のところ、それこそが認知症を悪化させてしまうのだ。
なにせ、認知症の特徴は、加齢による物忘れとは異なり、『忘れていることを思い出せない』というもの。
最初の頃は自覚出来ていたとしても、周りに気を使って黙っているうちに症状が悪化し……周りがいよいよ違和感を覚えた時にはもう、というのがこの頃の流れであった。
「……どれぐらいボケている感じ?」
「医者じゃないから何とも言えないけど、けっこう進んでいるっぽい。寝たきりとまではいかないけど、以前に比べたら誰が見ても分かるぐらいボケちゃっているかな」
「……そっか、わかった、ありがとう」
その言葉と共に、千賀子は『同期』する。
最初からしなかったのは、もしかしたらという予感があったので、心の準備をしておきたかったから……おかげで、現在のおやっさんの状態を千賀子は冷静に確認出来た。
……。
……。
…………そうして、改めて見た現在のおやっさんの姿に、千賀子は何とも言えない気落ちになった。
ある意味、祖父よりも元気だったおやっさんの快活さが、見る影もない。
以前に比べて痩せていて、髭は伸びっぱなし。本帝ではなく、別邸の一室にいるその姿は、誰が見ても老化による衰えが分かる有様だ。
布団に寝ているその目には力はなく、ぼんやりと焦点が合わない目で、点けっぱなしのテレビを見つめているばかりであった。
──人は、いや、生き物は必ず衰える。
祖父が老いてその命を終えたように、おやっさんもまた、命を終えようとしているのだ……それを責めることは、千賀子には出来なかった。
(……なるほど、おやっさんがもう物事を判断出来る状態じゃなくなったから、周りの親族が動いた……って流れね)
ひとまず、大まかに流れを把握した千賀子は次に、向こうの言い分を知る為に、話し合い(半ギレ)の場に向かうことにした。
……まあ、しかし。
場や日時を一方的におやっさん宅(本邸)に指定してきたり、譲渡用に使う判子や書類の手数料を用意しておくようにとかいう指示があったり。
最初からこちらをなめくさっているうえに、指示の端々に『本当に訴えられたくなかったら、わかるね?』という態度が見え隠れしているのは……めたくそに腹が立つけれれども。
とりあえず、最初から喧嘩腰に挑むのも……おやっさんはそんなこと望んでいなかっただろうしと思いが、千賀子をそうさせたのであった。
──で、その結果。
「それじゃあ、こちらとしても忙しいからここに判子と署名、あとは手数料ね」
「……はぁ?」
「なんだ、その態度は。こっちは何時でも訴えることが出来るんだぞ、それをしないでおいてあげるだけでも、有り難く思え!」
「?????」
千賀子は、初っ端から忍耐力を試される試練から話し合い(笑)はスタートした。
そう、間違いなく歓迎されないだろうなあとは思っていたが、あまりにも向こうの対応は酷かった。
まず、向こうの親族と顔を合わせて早々、最初の一声が『手間取らせやがって、泥棒女が!』という罵声から始まり。
『あんたみたいな泥棒の足跡なんて残したら、うちにも泥棒が出ちゃう』とかいう言い分で、なにやらボロボロのスリッパを投げつけられて。
テーブルに着いたらついたで、『ふ~ん、親父もその身体でたらしこんだのか』という言葉とともに、それはもう露骨な眼差しでジロジロ見られ。
当然ながらお茶なんて出されず、なのに向こうはちゃんとお茶を出され。
あまりにも露骨な態度に思わず運んできた女性に視線を向ければ、『あら、私に色仕掛けでもするの?』といった感じで小馬鹿にされ。
そして、向こうが既に呼んでいた弁護士とも対面したかと思えば、淡々とした様子で……それでいて、訴訟も辞さないという態度を臭わせつつ、譲渡のための書類を並べたわけである。
もはや、嫌がらせを通り越してコントである。
少なくとも、途中から千賀子は内心にて、そう来たか~、とちょっと楽しんでいたぐらいには、全てが露骨であった。
……で、話を戻すが、本来であれば、そもそもこの話は最初から始まらない話である。
なにせ、千賀子に『山』が渡った経緯に関しては、何一つ違法性が無い。考えられるとかいう話ではなく、100%無いのだ。
こういうトラブルで起きがちな口約束、素人間でこしらえた契約書などではなく、おやっさんが自分で呼んだプロを間に挟んだ、正式な話である。
いくら親族であろうとも訴えを起こすことはできない。
千賀子がおやっさんとの約束を破って自然を壊して開発していたなら、まだ可能性があったかもしれないが、それすらない。
つまり、最初から無理筋なのだ。
そして、向こうも本当は分かっている。
分かっているからこそ、ド素人である小娘を恐喝して、権利書を奪おうとしている……というわけだ。
だって、どれだけわめこうが、どれだけ暴言を吐こうが、どれだけ強い言葉を使おうが、法的には千賀子の物であることは揺るぎないから。
付け加えるならば、相手が悪かった。
千賀子がただの女性だったならば、恐怖から逃れるあまり、書類にサインをしたかもしれない……が、現実は違う。
なんだかんだ女神様との付き合いで図太さを増している千賀子には、そういった脅しはまったく聞かない。
相手が、恐怖などを与えて考える事を放棄させて話を持って行こうとしているのを察してしまえばもう、千賀子にとって眼前の者たちの罵声はそよ風にしか感じなかった。
(あ~……なるほど、空気がキレイなあの山の土地を使って、お金持ち用の別荘とか、慰労用の施設とか作りたいわけね……)
そういえば、山を貰った時におやっさんが似たような話をしていたなあ……っと、ちょっと懐かしく思って過去に浸っている──っと、その時であった。
「──いっだ!?」
いきなり激痛が頭部から走ると同時に、ブチブチと頭から何かが抜ける音と感触がして、千賀子は我に返る。
「黙っていないで、さっさと書け!!」
見やれば、興奮で顔を真っ赤にした男が、千賀子の髪を掴んで引っ張っていた。
女の髪を引っ張るとは何事かと怒りを露わにするよりも前に、ぶんと強引に手を外される。
思わず体勢を崩す千賀子の視界の端で、パラパラと己の髪がいくらか落ちたのを千賀子は見た。
「ほら、早く書くんだ! ここだ、こ~こ! ここだ!!」
次いで、別の男が無理やり千賀子に筆を握らせようとする。
反射的に抵抗すれば、目に見えて不機嫌になったその男は……なんと、千賀子の手を掴んで、何度もテーブルに叩きつけ始めた。
当然ながら、痛い。出血こそしていないが、顔をしかめるぐらいに痛い。
神通力という超常的な力が使えるとはいえ、肉体は普通の人間。ある程度はガード出来るが、おやっさんの親族を怪我させるわけにはいかないので、痛みを我慢するしかない。
(め、女神様、ステイ! ちょっとステイ! 何もしないで、何もしないでね、お願いだから!!!)
──( <●> <●> )オテテマッカデカワイイ……
まあ、女神様が反応し始めているのを抑えるのに頭がいっぱいで気が回らなかっただけかもしれないが、とにかく、だ。
あまりにも強引なやり方、あまりにも稚拙なやり方。
びっくりし過ぎて静観するしかない千賀子を尻目に、その男は投げ捨てるように千賀子の手を放し……それから、これまで沈黙を保っていた弁護士が、再び口を開いた。
「千賀子さん、皆様方はこれだけ怒っているのです。事を済ませた後は私が説得しておきますので、とにかく署名と捺印を済ませましょう」
「は? え、本気で言っているの?」
「千賀子さんだって、経歴に傷を付けたくないでしょ? 警察を挟んでも良いという皆様方を私が説得して、なんとか話し合いで終わらせようとしているのです。君も大人なら、それぐらいは分かるでしょう?」
にっこり、と。
それはそれは、人の良い笑みで、とんでもない事を言い出す向こうの弁護士を前に……千賀子は、ようやく理解した。
(……あ~、なるほど、やっぱアンタもグルってわけね。なんかそんな気配がしていたけど、気のせいじゃなかったか~……)
と、なれば、千賀子がこの場にこれ以上留まる理由は何一つない。
なにせ、改めて向こうが初めから話し合いをするつもりがないと明言しているも同然だから。
おやっさんの見舞いが出来たらしておきたいと思っていたが、この様子だとそれは難しい。
一つ、溜め息を零した千賀子はこの場の者たち全員を無視して立ち上がる。
それを見て一瞬ばかり呆気に取られた彼ら彼女ら……そこに弁護士が入っている時点で正体がバレるも同然だが、千賀子は無視して踵をひるがえす。
──当然、我に返った皆様方は千賀子を止めようとする……が、止められるわけがない。
神通力でひらりヒラリと交わしたり、足をもつれさせて転倒させたり、閉められた玄関の鍵や正門の閂をサラッと外したり……逃げるのは、あまりに簡単であった。
向こうも、さすがに家の外にまでは追いかける(たぶん、誤魔化せないから)ことはせず、それはそれは苦々しい顔で千賀子を睨みつけるだけであった。
それは、弁護士とて例外ではない。
せめてそれぐらいは隠せよと思いつつ、千賀子はやれやれと疲れた溜息をこぼして、実家に戻るのであった。
……なんで、神社ではなく実家なのかって?
それはまあ、この話を聞いたのは母からだし、何も知らないままだとヤキモキさせてしまうし、事の経緯ぐらいは説明した方が良いと思ったからである。
千賀子としてはそのまま神社に戻ろうかと思っていたのだが、『一晩ぐらい泊まっていけ』という両親たちの優しさを受けて、その日は実家に泊まることにしたのであった。
……。
……。
…………さて、千賀子としては、それで話が終わったと思っていた。
相手がどんな言い分を出したところで、あのような手段を取れない以上は、本当に裁判を起こしたら困るのは向こうだから。
なので、千賀子さえ手出しできない場所にいれば、向こうは何もできず時間だけが過ぎるだろう……そう、思っていた。
──しかし、日が沈み、晩飯の支度をしようと母が動き、千賀子が手伝おうとしていた……そんな時。
「──こんばんは、警察署の者ですが、秋山千賀子さんは御在宅でしょうか?」
「……警察の方、ですか? ええ、まあ、千賀子なら晩飯の手伝いを……お~い、千賀子、警察の方が来ているぞー!」
突然、パトカーに乗って来訪した警察官たちに面食らった父に呼ばれた千賀子が、店先に出てみれば。
「えーっと、秋山千賀子さんで、お間違いないですね?」
「はあ、どの秋山千賀子さんかは存じませんが、私は秋山千賀子ですけど……その、なにか?」
「あなたに、傷害……分かりやすく言いますと、第三者への暴行の疑いで被害届が出ています。署に、御同行お願いします」
「ファっ!?」
どういうわけか、千賀子は暴行の容疑で、警察官に連れられて任意同行することになってしまったのであった。
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