第92話: 月の石(押し入れの段ボール箱にいっぱいある)




 ──1970年(昭和45年)の日本というのは、日本にとっては……こう、光が輝けば輝くほどに影もまた濃くなる……そんな1年だったのかもしれない。


 この年、なんといっても日本の歴史に名を残した出来事と言えば、『大阪万博博覧会』だろうか。



 大阪万博とは、なにか。



 それは、1970年3月15日(日曜日)から9月13日(日曜日)まで、約183日開催されたとんでもない博覧会である。


 参加国は日本を含めて77ヶ国。


 人類の進歩と調和をテーマにしており、のべ入場者数が約6421万人を超え、1日の最高入場者数は83万人を超え、平均入場者数は約35万人となっている。


 現代ですら足元に手を伸ばすことすら難しい記録を打ち立てた大阪万博だが、それは、それだけの力を注ぎ込み続けていたからに他ならない。


 なにせ、日本が国際博覧会条約に加盟したのは昭和40年の2月。同年の9月に博覧会の開催が正式に決まったのだが、本格的な準備が始まったのは昭和40年10月頃。


 加盟した時から数えれば、約5年。


 それだけの月日、土地開発、道路整備、インフラ整備、紆余曲折ありながらも万博開催に間に合わせたのは、けして楽な道でなかったのは明白である。



 そして、それは光である。



 それだけの余力が注ぎ込まれたということは、それだけの発展がそこにはあったということ。


 実際、この頃の大阪は流通整備の遅れを始めとして、増え続ける人口にともなう様々な弊害が起こってはいたが、景気はとても良かった。


 もちろん、全ての人達が好景気に悠々自適な生活を送っていたかと言えば、そんなことはない。


 急激な物価の上昇によって家賃が3割増し4割増し、全国的にストライキが発生し、時には暴動すら起こったのだから、いかにこの頃の混乱が凄まじかったかが伺い知れるだろう。



 でも、光なのだ。



 何故なら、数字上ではなく、実体として経済発展し、暮らしが良くなり続けていたから。毎月のように目新しい商品が生まれ、消費は上がることはあっても、下がることはなかったから。


 それに、大阪だけではない。


 あくまでも1970年を象徴する光が『大阪万博』なだけであって、この年の関東もまた前年と変わらず好景気の流れは変わらず、東京の発展もまた進んでいた。



 ……。



 ……。



 …………では、万博が光ならば、影はいったいなんなのだろうか? 



 それは、兎にも角にも経済発展を最優先してきたツケであり、目を背け続けてきた歪みでもある……『公害』である。


 そう、1970年頃を境に、これまではあくまでも局所的という形で問題を先送りしてきた、様々な『公害問題』が日本全国に広がり始めたのだ。


 後に、四大公害病の一つにカウントされる『四日市ぜんそく』の患者が急増したのも、この時期だ。


 それに連なる形で広がった『川崎公害』、いわゆる『川崎喘息』と名付けられることになる、日本の大規模公害の一つもまた、そう。


 あまり知られてはいないが、富士市のヘドロ公害、東京の鉛中毒、多摩川下流の洗剤汚染、琵琶湖もまたヘドロ公害が発生し、岡山、広島、名古屋でも大気汚染が深刻化。


 戦前から続く工業地帯である川崎市は、戦後の工業復興によって公害被害が酷くなり、近隣の横浜市でも公害が発生し、『横浜ぜんそく』と呼ばれた。


 酷くなった理由は、高度経済成長制作による、石炭から石油へのエネルギー政策の転換。それによって、大型コンビナートと道路網が建設されたことが、大きな原因とされている。


 大量生産、大量消費、大量廃棄。


 大量に作って、大量に使って、大量に捨てる。


 教科書などでは生産と消費にばかり目を向けられがちだが、結局のところ、経済発展のために後先考えずにこの三つのサイクルをフル回転させたのが悪かった。



 そのうえ、だ。



 この頃の工業地帯は現代のように厳しい基準が設けられていなかった(また、公的に危険性を認めてはいなかった)こともあって、実に酷い有様であった。


 工場の煙突から吐き出される煙やスモッグで空はかすみ、うっすらと黄色く染まり、硫黄のような刺激臭が四六時中立ち込めていた。


 それがどれぐらい酷かったかって、マスクをしていなければ息をするのも苦しく、日によっては目に痛みを覚え、体調を崩す子供が続出したぐらいである。


 道路には雪のように砂塵が降り積もり、洗濯物は乾かないどころか砂塵で汚れ、昼間なのに夕暮れ時のように薄暗く感じるほどだ。


 また、汚染は大気だけではない。工業地帯のみならず、様々な場所より垂れ流される汚染水もまた、非常に問題であった。



 と、いうのも、だ。



 この頃はまだまだ上下水道の整備が追い付いていないところが多く、また、そんな費用を出せない企業や工場が多かったために、下水や近くの河川に垂れ流しするのが常態化していたのだ。


 それは、局所的な話ではない。日本全国、全てが同じ問題を抱えていた。


 そして、それは工場や企業だけではない。一般家庭の認識もまた、似たようなレベルである。


 生活排水を近くの河川に垂れ流している家は多く、ゴミの分別なんて考えもほとんどなく、ポイ捨てや不法投棄も日常的に、罪悪感なく行われていた。


 そう、これが歪み。


 たっぷりとその恩恵を受けつつも、自分たちには関係ない、自分たちは影響を受けていない、自分たちが考える事ではない、そうやって他人事を続けた結果。


 都合よく目を逸らし続けてきたツケが、無かった事にして蓋をし続けて後回しにしてきた問題が、この頃になって次から次に爆発し始めたのだ。



 ──その結果が、様々な公害病に対する、訴訟の頻発である。



『四日市ぜんそく』もそうだが、『水俣病みずまたびょう』と『新潟水俣病』、『イタイイタイ病』、の、四大公害病が人々に知られるようになったのも、この時期ぐらいから……と、言われている。


 それが大なり小なり日本全国で発生していたし、汚染が続いていた。


 美しくネオンで彩られた高度経済成長の、影とも言うべき、当時の日本のもう一つの姿であった。






 ……。


 ……。


 …………とまあ、1970年とはどういう年なのかを、一部だけとはいえ簡潔に説明した後で、だ。



「はぁ~……本当にこっちに来ると、息をするのが楽になるわね~……東京にはもう戻りたくないわぁ~」

「そんなに? テレビとかでは酷いって話だけど、アレって大げさに言っているわけじゃないんだ」

「大げさではあるんだけど~、まるっきり嘘ってわけでもないのよ~。晴れた日は目が痛くなるし、ゴミやドブの臭いが酷いし、うっすらと排気ガスの臭いはするし……」

「うわぁ……そんなに酷いんだ……」

「色々法整備がされるって話らしいけど、改善されてゆくのは5年10年……ううん、20年は掛かるかなってパパも言っていたから、明美も行くなら覚悟した方がいいわよ~」

「嫌よ、キラキラしたのはテレビ越しで十分、私はこっちの方が好きだから、離れるつもりはないよ」

「その方が良いと思うわよ~。正直、ろくな所じゃないわよ、東京なんてね~」



 場所は、道子の家。


 挨拶回りやら何やらを始めとして、諸々の仕事がひと段落して時間が取れた道子より、『久しぶりにお喋りしたい』と話が出てから、翌々日。


 家業があるとはいえ、それぐらいの融通をきかせることができる明美と、実質365日休日中の千賀子は、道子の家で高校以来の女子会を開いたのであった。



「……それにしても、千賀子って本当に綺麗に痩せたわよね」

「あ、それは私も気になっていたわ~。参考までに~、どんな方法で痩せたの~?」

「適切な運動と、くっそマズイ栄養食の合わせ技です。間違っても私のやり方を参考にしてはいけない、確実に体調を崩すから」

「えぇ……そ、そんなに頑張ったの?」

「自慢じゃないけど、私だから痩せられたってぐらいのアレだから。普通の人が同じ事やったら、たぶん一ヶ月もたないと思います、はい」

「ち、千賀子がそこまで言うなら、参考にならないわね~」



 ……女子会と呼ぶにはもう、3人とも歳を取っているし、場にはお酒も置かれている。


 非常に酒癖が悪いと自覚している千賀子は飲酒を固辞し……なお、明美と道子からは『私たちが介抱するから気にしなくていいよ』と言われたが。



『──前に後先考えずに酔っ払って、月に神社を増やしちゃったから……』



 と、遠い目で言われた2人は、『千賀子のことだから、マジかもしれない……(戦慄)』と思い、それ以上はすすめることはしなかった。


 まあ、2人は2人で加減を分かっているので、前後不覚になる様な飲み方はしないのだけれども……さて、話をまた戻して。


 毎日顔を合わせていたら話題も無くなってくるが、どうしても学生時代の時みたいにはいかなくなったがゆえに、また、点けっぱなしのテレビが話題提供に協力してくれていた。




『 乗ろう、のろーよ、新幹線 』




「へえ、東京まで5時間掛からずに行けるようになったんだ」

「すごいわよ~、前に乗ったけど、下手に飛行機使うよりも早く着いたりするわよ~」

「へえ……いつか、新幹線ってのには乗ってみたいわね。飛行機は怖いから嫌だけど」

「これから、どんどん線路も増えていくだろうし、その時はアドバイスしてあげるね~」

「ふふふ、その時はお願いするわ──そういえば、千賀子って何度か東京に行っているのよね? もう、新幹線は慣れっこなの?」

「え? いや、ワープしたり空を飛んだりしているから、実は新幹線って子供の頃に一回乗ったぐらいで……」

「へー、そうなんだ」

「羨ましいな~。私も、千賀子の言う女神様にお願いしたら、やってくれるのかしら~」

「間違ってもお願いしちゃ駄目だよ、本当に取り返しのつかない事になるから。私ではどうにもならないからね、絶対にお願いなんかしちゃ駄目だよ(真顔)」

「う、うん、分かったわ、ごめんね、私が軽率だったわ~」

「こ、こんなに真顔になっている千賀子を見るのは初めてかもしれないわね」




 話題はテレビだけでなく、それ以外でも。




「あ、そうだ。千賀子~、実はね、パパから千賀子にお願いっていうか、言わなきゃならないことがあるんだけど~」

「ん? なに?」

「実はね、来年に競馬法が改正されるとかで、馬主の名義貸しが禁止になるみたいなの~。それで、どうするかを今のうちに千賀子に選んでもらおうと思って~」

「禁止って、あれ? 私って馬を飼えなくなるの?」

「飼うだけなら問題ないけど~、競走馬としてレースに出せなくなるわね~。犬や猫と同じペット扱いになるだけだから~」

「あ、そうなんだ」

「でも、馬主としてレースに出すつもりなら、とにかくなんらかの形で収入があると提示する必要があるのだけど~、どうする~?」

「あ~、う~んと……私ってば無職なんだけど、どうしたらいいかな? いちおう、お金だけは用意出来るけど」

「馬主として登録するの~?」

「うん、馬を売ってくれた人たちは、競走馬として売ってくれたわけだし、いくら私が買ったからといって、後から一方的に話を変えるのは違うかな……って」

「そうなんだ~。それじゃあ~、そうだね~……千賀子って神社の巫女さんなんだし~、宗教法人として登録して~、そこからコネを使って~って感じになるかな~」

「よくわからないから、手続きはお願い」

「いいよ~、パパに話しておくから~。いちおう先に聞いておくけど、お金は毎年いくらぐらい用意出来る感じなの~?」

「……億単位は、確実だと思う」

「へ~、千賀子ってお金持ちなのね~、それなら大丈夫かな~」

「……あんたたちの会話は殿上人過ぎて、嫉妬を覚えるどころか遠い国の話に思えてくるのはありがたいわね……」

「え~、無い方が辛いのはそうだけど、お金持ちはお金持ちで色々と大変なんだよ~」

「そうだよ、明美。出所が不明だけど完全にクリーンなお金を、満面の笑み……で、身悶えしながら見守られるのも中々に不安を掻き立てられるのだから」

「なんか、千賀子の場合はニュアンスが違くない?」




 そんな、姦しいお喋りが夜も更けるまで。




「そういえば大阪万博が開かれるけど、2人は行くつもりあるの? 私の方は……行きたいけど、行けるか分からない感じかな」

「パパは先に中を拝見したけど、私はまだかな。行くとしても、けっこう後になると思うよ~」

「私は特に興味ないから、行く気はないかな」

「え、興味ないの? だって、月の石が見られるって話じゃないの、見たくないの?」

「そうだね~、せっかくだし、一度ぐらいは拝見しておきたいかな~、私はね~」

「……見たくないっていうか、見飽きた」

「え?」

「え?」

「とりあえず、人混みに入るのは嫌だから……遠くから眺めるぐらいで、私はいいよ」




 誰にも知られることなく、続いたのであった。






 ……。


 ……。


 …………だが、そんな平和な時間が続いたのも、翌々日の昼間。



「……ごめん、お母さん。もう一回言って、何があったの?」

『だからね、私も詳しくは知らないのだけど、千賀子に話を繋いでくれって、弁護士だとか何だとかからの連絡が、先日から続いているのよ』

「うん、それはわかっているよ。私が分からないのは、その後」



 実家の母親から掛かってきた、一本の電話によって。



「……なんで、私が土地を騙し取ったって話になっているの?」

『そんなの、私に聞かれたって分かるわけないじゃないの』



 終わりを告げたのであった。


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