第91話: 一方、日常ほのぼの。一方、シリアス( )



 年は暮れて、年末。


 今年は例年よりも冷え込むのか雪の量が多く、どの家も雪かきの頻度が多かった。



「年末の掻き入れ時だけど、本当に良かったの?」

「いいの、いいの。むしろ、ダービー馬? とかいうのはすごい馬なんでしょ? そんなのがうちに来てくれたら、それだけでもすごい宣伝モノよ」

「そう言ってもらえると、気持ちが楽になるよ。まあ、ロウシは無理だけど、テイトオーの背中に乗せるぐらいはできるから、お風呂が終わった後でね」

「ありがとう。実は、馬が来ているって聞いた近所の子が、見たい見たいって騒いでいるのよ……」



 そんな中で、1969年の年末も明美の銭湯にやってきた千賀子は、今年も年末年始を実家で過ごすことにした。



 ただ、前回と違う点が一つ。


 それは、当初より千賀子から注文されていた、馬用のお風呂が完成したこと。なので、ロウシとテイトオーの2頭も、今年は湯治も兼ねた初の銭湯体験となった。


 モクモクと、白い湯気が立ち上る馬用の浴槽は、人間用とは異なり、長いスロープで緩やかに深いところへ続いている……ある種の、細長い通路のような形をしている。


 馬も実は横座りして休んだりできるが、人間ほど自由自在に身体を起こせるわけではない。基本的に、立ったまま入浴を行う。


 なので、浴槽の長さこそ相当なものだが、浴槽の通路……すなわち、幅はそこまで広くはなく、身体をどちらかに傾けると、もたれることができるようになって……ん? 



 なんで馬用の方が遅れたのかって? 



 それは、注文して作る側が……有り体にいえば、馬用のお風呂を作ることが初めてで、何もかもが手探りだったから。


 馬の採寸やらなんやらを何度も行い、調整を重ねてゆくにつれて、新たに拡張する必要があったり、設備を追加する必要があったり、色々出てきたからだ。


 なにせ、馬と人とでは身体の構造が全く違う。人間用をそのまま大きくすれば良いわけではない。


 人間と違って両手で手すりを掴むことなんてできないから、万が一転倒なんてしたら命に係わる。下手すれば、取り返しのつかない事態になってしまうだろう。


 また、さすがに馬用の風呂までとなると、人間用のボイラーから出ているお湯を流用してしまうと、そちらの方のお湯が出なくなる。


 千賀子としても、他の客など後回しにしろと言うつもりはないし、そんな気持ちにもならない。


 だから、馬用には新たにボイラーを設置する必要があるわけで……そうなると、明美家が所有している土地では微妙に足りなくなるわけで。


 幸いにも、明美家のお隣さんは年齢的にだいぶ高齢であり、土地代+墓代+αを出したら即決で売るよ……とのことで、スペースの確保はスムーズに終わったが、それでも相当な時間を必要としたのであった。


 ちなみに、設計から建設を行った業者さんからは『こんな貴重な体験をさせてもらって、本当にありがたい』と感謝された。


 千賀子としては、むしろ作ってもらえた良かったという気持ちだが……職人としては、面白い仕事だったのかもしれない。


 で、場面を戻して、馬用の浴室。


 実質、千賀子と千賀子の馬たち専用の浴室なので、他の客は入れない。物理的に離れているし、出入り口には看板を置いてあるので、間違って入ることもありえない。


 いちおう、何かあったら大変なのでと、使用の際は明美が立ち会うことになっている……のだが。



「……前からけっこう思っていたけど、千賀子って度胸あるというか、変なところで図太いわね」

「ん? そう?」

「そうよ。別に悪く言うつもりはないけど、汚いとか思わないの?」

「ん~、綺麗にするために入るのだし、ロウシだし、あんまりかな。どうせ、最後にシャワーで洗うし」

「ほら、図太いじゃないの」



 首を傾げる千賀子に、「それにさ……」明美はちょっとばかり呆れた様子で……一種に浴槽に入っている千賀子を見やった。


 そう、千賀子は、なんと馬と一緒にお風呂に入っているのである。


 ロウシがお先にと譲ったので、先ほどテイトオーを洗いながら入浴し、神通力にて乾燥。


 今はロウシと入っており、神通力による水圧操作にて全身のマッサージを行いつつ、ブラシでシャカシャカと洗っている最中である。



「怖くないの? うっかり蹴られたら、死んじゃうでしょ」

「蹴られないし、蹴られたところで私は死なないから。明美も試しに入ってみたら? 言うほど怖くないよ」

「いやいや、なにを言っているのよ。どう見ても、ボスを相手にしているからおとなしくしているって感じでしょ」

「う~ん、そうかな? テイトオーもロウシもとってもおとなしいと思うのだけど」

「……そこまで言い切られると、なんか私の性格が悪いみたいじゃないの」

「明美は良い子だよ、私が保障する」

「千賀子が保障してくれるなら、一安心だ」



 ケラケラと、2人で笑い合いながら、洗い終えたロウシの後片付けをする。


 具体的には、特注のシャワーホースを伸ばして、湯上りの身体にシャワーをジャバジャバかけること。


 あがる際に付着した細かい汚れを洗い落すのだ。


 それから、身震いして水気をある程度自力で取ったロウシの身体に特注の巨大タオルを被せ、千賀子の神通力による温風によってパッと身体を乾かしてゆく。


 テイトオーよりも賢いロウシは、されるがまま、気持ちよさそうな顔でうっとりと静かにしている。


 明美もロウシは怖くないのか、ポンポンとタオルを押し当てたりして動かしながら、乾かすのを手伝っている。


 そんな中で、千賀子はシャワーで自分の身体を洗い流す。


 細かい毛や汚れが付着するからで、ちゃんと洗い流さないと後が大変なのだ。行儀が悪いが、髪もついでにさっさと洗い流す……っと。



「……このロウシって馬、テイトオーって馬に比べたら痩せているわね」

「ん? まあ、ロウシもけっこうお年寄りだから……でも、元気だよ」



 唐突に話しかけられた千賀子は、そう答えた。


 実際、ロウシは高齢である。


 馬の寿命はだいたい25年~30年。ロウシの生まれた日は知らないが、今年で25歳……はっきり言えば、平均寿命に差し掛かっている。


 人間で例えるなら、70~80歳ぐらいだろうか。


 人間だってそれぐらいの年齢になれば自然と痩せてくる人が出てくるし、馬だって例外ではない。やはり、若い馬に比べて毛の艶もそうだし、肉付きも落ちている。


 けれども、ロウシは元気だ。


 テイトオーと同じぐらい食べるし、運動も負けず劣らず。


 さすがに走ったりはしないけど、時々は『おまえさぁ……』みたいな感じで女神様に蹴りを叩き込んでいるのを見る。


 だから、ロウシはとても元気だ。もう背中には乗れなくなったけど、今年も元気だったし、来年も元気なのだ──っと。



「……ごめん、無神経だった」



 身体を洗っていると、明美から急に謝られた。



「なにが?」

「……とにかく、ごめん」



 意味が分からずに尋ねれば、明美からまた謝られた。



 ──別に、謝る必要がないのになあ。



 そう思って苦笑していると……ガラリと、出入り口のガラス扉(擦りガラス)がガラガラと横滑りした。



「姉ちゃん、身体汚れたから入っていい?」



 その言葉と共に顔を覗かせたのは、明美家の末っ子である、あきらくんだった。


 けっこう活動的な子らしく、時々お手伝いをサボっては遊びに行くが、なんだかんだ要領が良いらしく、怒るに怒れないと前に明美が愚痴をこぼしていた子だ。



(へえ、前に見た時より背が伸びている……このくらいの子は、一年経てば本当に様変わりするなあ……)



 別に子供に見られたぐらいでは欠片も動じない千賀子は、気にせずシャワーで泡を洗い落としている──っと、明美の方が爆発した。



「──こらっ! あんた、返事を聞く前に開けるやつがあるか!!」



 普段は生意気な態度を取られても優しいお姉ちゃんだが、やってはいけない事をした時は、親の制止を振り切って叱りつける。


 今回、明がやったことは、明美の基準ではやってはならないことだ。


 いくら子供とはいえ、明の年齢は11歳。


 まだ男女のアレやソレを知らないし分からないとしても、駄目な事だというのは理解している。



「はよう閉めろ! お客さんが来ているんだよ、分かってんの!!」



 家族だからこそ、姉だからこそ、分かっていて中を覗いた弟を、明美は欠片も許さず、力いっぱい怒鳴りつけた。


 普通なら馬たちが飛び上がってパニックを起こすような行いだが、事前に千賀子より落ち着けと念を送っていたので、2頭とも、とても落ち着いていた。



「でも、泥だらけになっちゃって……こっちならお客さんいないし、こんな格好で入ったら汚れちゃうし……」

「汚れてもいいよ! ていうか早く閉めろ、あんたが父ちゃんと母ちゃんに黙ってこっち来てんの分かっての!」

「でも、寒いし、風邪引いちゃうよ……」

「うっさい、泥だらけになったアンタが悪い! いい加減閉めろ、本当に言いつけ──」

「私はいいよ、別に」



 そこまで言い掛けた辺りで、千賀子は明美に待ったを掛けた。



「──でも」

「いいから、早くしないと風邪を引いちゃうから」

「……ありがとう」



 千賀子が普通の女性であったならば悲鳴の一つもあげて怒鳴るところだろうが、あいにく、千賀子はそこらへん、一般的な女性とは違う。


 前世を入れたら、孫がいてもおかしくはない年齢(精神の話)だ。


 恥ずかしいモノは恥ずかしいし、思うところはあるけれども、寒さで青白くなっている子供を見て、自分を優先する気持ちにはなれなかった。



「ほら、明くん、私が良いと言うのだから早く入りなさい。そのままだと本当に風邪を引いちゃうから」

「う、うん、ごめんなさい」

「いいから、ほら、早く早く、開けっ放しは寒いから」



 千賀子の言葉に、明くんはおずおずと浴室内に……泥だらけというだけあって服が汚れているし、びっしょりと服も濡れていた。



「あんた、どうしたのそれ?」

「雪で遊んでいたら、穴にはまってこけちゃった。そこがぬかるんだ泥で……」

「あんた……お手伝いをサボっているからよ」



 呆れて溜息をこぼす明美から逃れるように、明くんは震える指先を動かして服を……だが、上手く力が入らないようで、モタモタしていた。


 それを見て、明美はもう一つため息をこぼすと、ちゃっちゃと弟の服を脱がす。かじかんでいるようで、明くんの動きはぎこちない。


 それでも、あっという間にすっぽんぽんになった、その小さな手を掴んだ千賀子は、抱きかかえるようにシャワーの範囲に入れてやる。



「ん~、身体がすっごい冷たくなっているねえ。遠慮せずお姉さんに引っ付いてな、とにかく身体を温めんと危ないわ、これじゃあ」

「そんなに? お湯、熱くしてこようか?」

「いや、いきなり熱いのは逆に危ないし……とりあえず、最低限温まったら、改めて向こうの湯に入ってもらおうかな」

「そう……ごめんね、千賀子。馬鹿な弟の世話をさせる形になっちゃって」

「いいよ、これぐらいの子は何をするにも無鉄砲だから、誰もが通るし通った道だし、そういう事もあるって」



 浴室の方に入れてやってもいいが、普通の浴槽とは違うので底が深い。


 この頃の11歳の平均身長は、約140cm。明くんは、ちょっとばかり平均より背が低いし、痩せ形の体形だ。


 加えて、冷えて全身の筋肉がカチコチになっている今の明くんでは、足を滑らせて溺れかねない……とりあえず、応急処置的な対応に留めておくことにした。



(……小さくても、男の子か。アレやソレは分からなくても、興味はあるわけね)



 あと、『親に怒られたくないからこっちに来た』のは確かだけど、同時に、『千賀子の裸を見られるかも……』と、幼いながらにスケベ心を出していたことは……千賀子の胸の内に留めておくことに──。



「この、スケベ!」

「いっ、だっ!?」



 ──しようと思ったけど、見透かした明美が鉄拳制裁をしたので、千賀子の方からはもう、何も言うことはしなかった。






 ……。


 ……。


 …………そんな、年末の一時を送っている千賀子は知る由もないことだが。



「──困った事になったね」

「総理、藪から棒になんですか?」

「いやあ、ね。大統領の方から、指示が来ているのだよ」

「指示、ですか? 沖縄返還の件で、新たに条件が出されたのですか?」

「それが、違うんだよ」

「では、いったい?」

「神社だ」

「……はい?」

「日本にある全ての神社の情報をリスト化して送れって話なんだよ」

「す、全ての、ですか?」

「うむ。特に、『月』に関する伝承を少しでも残してある神社は、出来うる限り詳細に調べ上げておけというお達しでね」

「どうして、そんな……神社とは言っても、既に廃れていたり、ほとんど記録が残っていない神社も多いのでは?」

「そう私の方からも行ったのだけど、拒否するなら沖縄返還の話を先送りにするとまで言われちゃあ、こちらとしても……ねえ?」

「そ、そこまで……いったい、アメリカがそこまで強行に動く理由とは……」

「そう、よく分からないけど、そこまでして知りたいそうだよ」

「……もしや、先日のアポロ計画で、なにかを見付けたのでは?」

「なにかって、なんだね?」

「いえ、それは私には……しかし、それ以外に考えられませんよ」

「どうして、そう思うのかね?」

「……アポロ11号通信記録にある、『例の声』です」

「ああ、アレね。アレ、本当にすごいよね、どうやっているんだろう。人によって言語が違って聞こえるんだってね?」

「それ以外に考えられません。おそらく、まだナニカあると思われます」

「そうだね、私もそう思う。しかし、それを問い質すだけの力は、今も、いや、これからの日本も無いんだよね」

「総理、それはあまりに……」

「仕方がないよ。今の日本はもう、アメリカの核の傘に守ってもらう形でしか生きられないのだから」

「…………」

「とにかく、神社本庁に連絡を取って、速やかにリストをまとめるよう指示を出してくれ。なにか文句を言ってきても、アメリカが本気で動いていると言えば、渋々だけど急いでくれるから」



 1970年を迎えようとしている最中、人知れず……事態は動こうとしていた。


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