激動昭和・千賀子無職編
第78話: ポチャ子、現実を受け止める
ニート。
それは、未来において合法的に嘲笑しても良いと国民たちの間で認識されている、蔑みを込められた言葉である。
その意味は、15歳~34歳までの、家事・通学・就業をせず、職業訓練も受けていない者、のことだ。
実は、この言葉が生まれたのはけっこう近代に入ってからだったりする。ぶっちゃけると、この頃はまだそういった人たちを指し示す言葉は存在していなかった。
強いて挙げるならば、『穀潰(ごくつぶ)し』や『プー太郎』という言葉ぐらいだろうか……ただ、これは混同されがちだが、プー太郎は厳密にはニートではない。
プー太郎は簡潔にまとめると、『定職に就いておらず、仕事を求めてあっちこっちに移動する者』を差す言葉であり、就労していても同レベルの扱いをされていた。
これはまあ、時代が原因である。
現代では不安定な就業形態が問題視され、正社員ではなく期間限定の契約社員や派遣社員、アルバイトやパートが当たり前みたいになったが、この頃はそうではない。
業務内容がキツクて(肉体的・精神的に負荷が重い)、雇ってもすぐに人が離れていくような職場ならばともかく、それ以外では、正社員雇用が当たり前になろうとしていた。
なんでかって、そりゃあ日本全体が好景気だから。
雇われる側からしたら、いつ何時クビを言い渡されるか分からない形態なんて嫌だし、他に正社員雇用してくれるならそっちに流れる。
雇う側からしても、金と手間を掛けて自社のやり方その他諸々を教えた職員を失うのは痛手以外の何物でもないし、他所に流れたら注いだ資金全てが無駄になる。
それに、この頃は法的な整備が全然追い付いていなかったり、様々な理由から、業務のフォーマット化の統一……すなわち、各会社が独自のやり方で仕事を教えていた時期だ。
『基準』の周知徹底がなされていなかったり、そもそも『基準』が作られていなかったり、良くも悪くも現代に比べたら滅茶苦茶自由にやれていた時代で……話を戻そう。
とにかく、1968年の昭和のこの頃はまだニートと同じ意味を表わす造語はなく、『無職業』だとか、『職無し』だとか、そのまんまの言い回ししかなかった。
……ちなみに、だ。
この言い回しだが、この頃はまだ、あくまでも男性に限定されていた。
女性の場合は『まあ、結婚したら家庭に入るし……』という感じで、『男は働き、女は家庭』という感覚が常識だったこともあって、無職でもそこまで冷たい目では見られなかった。
ただ、女が自由にしていられたかと言えば、そういう事も無い。単純に、方向性が違うだけだ。
そういうのは既にお付き合いしている男性とか、間もなく家庭に入る女性ぐらいなもので、そうでない場合は『早く旦那さんを見付けろ』と急かされる事が多く。
やっぱり、無職に対する視線の厳しさは、男性より軽かろうと方向性が異なろうと、向けられるのであった。
……で、だ。
そんな時代に、千賀子は無職になったわけだが……その暮らしは、ぶっちゃけてしまえば滅茶苦茶気楽なモノであった。
理由としては、働かなくても生きていけるのが大きい。
これは単純に、衣食住全てがタダで手に入るから。
何時の時代も人は生きるために『着る物』、『食べる物』、『住む所』を求めるわけだが、それを得る為には様々な対価を必要とする。
代表的なのが、通貨だ。
他には物々交換、労働を対価にして支払う場合もある。現代では、労働を対価にして通貨を支払うのが一般的だ。
そんな中で、一切の対価を支払わずに『衣食住』が確保されているというのは、そりゃあ気楽だろう。
ぶっちゃけてしまえば、多くの現代人が『学歴』を求めるのは、より多くの通貨を得られるチャンスを掴めるかどうかのチケットだから。
より多くの通貨を得られたら、より安全で快適な衣食住を手に入れやすくなる。もしくは、危機に直面した際の選択肢を増やすことが出来る。
究極的な話だが、人類史の始まりが、何もしなくても衣食住が確保されている環境だったなら……人間は、猿より賢いだけの獣のまま現代に至っていただろう。
逆説的だが、人は満たされた環境に居続ければ必ず衰退する。不便であるからこそ、人はその環境に適応し、あるいは克服するために成長するのだ。
「『巨人の星』……巨人星よりやってきた星っていう宇宙人が卓球で戦うって話とは思わなかった……意味不明過ぎて、一周回って面白いね、これ。最初から見ておけば良かったよ」
「……本体の私? 寝転がったままテレビを見るのは行儀が悪いわよ」
「え~、いいじゃん、ちょっとぐらい……あ、2号、そこのチョコボール取ってもらえる?」
「……はい、どうぞ」
「それと、カルピス持ってきて」
「……はい、どうぞ」
「あ、それと、それと、買い物に行った時にハイエイトチョコも買って来てね」
「……本体の私、一ついいかしら?」
「ん? なに?」
「分身の私がやるのもなんだけど……そうね、仕方がないわね」
「????」
「あのね、本体の私──」
そう、だからこそ。
「──豚のように食っちゃ寝生活し続けてないで、そろそろ仕事の一つでも探さんかい! このデブ女!」
「ごふぅ!? は、腹に……!!」
千賀子の分身である2号は、辛さを乗り越えて……本体である千賀子の腹に、蹴りを叩き込んだのであった。
……。
……。
…………さて、だ。
どうして、2号が千賀子の腹を蹴飛ばしたのか……それはひとえに、千賀子が学校を卒業し、大学退学を通知されてから数ヶ月。
それでも、当初の予定通り1人暮らしをするぞと、私ぐらいになれば住む所なんぞ用意出来ると強引に家族を説き伏せ、家を出てからの日々。
とりあえず、新しい引っ越し先が見つかるまではと、『神社』で寝泊まりを始めた千賀子だが……そう、そこまでは良かったのだが。
働かなくても、食っちゃ寝して生きていける環境。
学生という、縛られた環境から解放された反動。
一度だけとはいえ、『恐怖の大王』を退けた達成感。
それらが複雑に絡み合った結果……千賀子は、ある種の燃え尽き症候群のような……いや、そこまでではない。
要は、休みなく何カ月も働いた後で、ドーンッと自由な時間を与えられたので、気が抜けてしまっただけ。
そして、そんな千賀子を叱る家族の目が無くなった以上は……時間が経つにつれて。
ニートを通り越して、堕落の二文字をこれでもかと体現したかのような生活を送るようになるのは、必然であった。
まず、朝……というか、10時過ぎに起床をし。
千賀子の命令を受けた2号や、冴陀等村にて食事を取ったり。
この頃のテレビは何でもアリだなと感心しながらテレビを見て、気が向いたら釣りに出かけたり、ロウシやテイトオーの身体をブラッシングしたり。
果物を食べたりお菓子を食べたり、ワープ能力で観光地に遊びに行ったり、女神様より愛でられるのを虚無の顔で受け入れたり……他にも、昼寝したり、キャンプもどきをしたり。
千賀子にとって、1968年の秋は、食欲の秋だったようで……ワープのおかげで、海産物などが美味いこと、美味いこと。
他には、ゆっくりのんびり風呂に入ったり、ダラダラ過ごしながら寝落ちしたり……まあ、そんな感じの生活を、ずーっと送っていた……わけなのだが。
「い、いきなり蹴ることないじゃん……!」
「蹴られる理由が、その腹にあるでしょうが!!」
痛みに腹を押さえる千賀子を無理やり立たせた2号は、鼻息荒く千賀子のシャツのまくり上げると……ぶに、と指先で脇腹をつまんだ。
そう、つまんだ。
そして、2号は千賀子の手を掴むと、無理やり己の脇腹を掴ませ──いや、掴めなかった。
つるん、と。
指先が、滑った。皮膚の表面というか、皮をつまむことは出来たが、千賀子のように『肉』を掴んだ感触ではなかった。
……。
……。
…………無言のままに、千賀子は視線を逸らした。だが、2号はグルリと回り込み……千賀子の腰を掴むと、グイッと押した。
「はっけよい、のこったのこった!」
「ちょ、そこまで言う!?」
「そこまで言わんと、本体の私は認めないでしょ!? 伊達にあんたの分身じゃないのよ、こっちは!」
「ひ、酷い! そこまでデブってないよ!?」
「筋肉が欠片も衰えていないから分かり難いけど、すっごいデブっているのよ、本体の私ぃ……だいたい、そこまでって言っているあたり、ちょっとは自覚あるでしょ、あんた……」
2号のその言葉に、千賀子はまた視線を逸らした。
……そう、堕落した日常を送っていた千賀子は、太った。気のせいでも何でもなく、普通にデブってしまった。
まあ、そうなるのも致し方ない。
いくら千賀子のフィジカルが『魅力』で底上げされているとはいえ、不変というわけではない。
『魅力』のおかげでその変化は緩やかだが、変化しないわけではない。飯を食わなければ痩せるし、運動量が明らかに足りない食っちゃ寝生活を送れば、太るのだ。
筋肉量が衰えていないので、パッと見た限りではそこまで違和感を覚えないが……じっくり見れば、『ああ……(察し)』と思ってしまうぐらいには、ちゃんと肉が付いていた。
実際、2号と並んで立った千賀子の姿は、第三者から見ても……以前より一回りは大きくなっていた。
どこもかしこも、ムッチムチ。首から上は以前とほとんど変わってないが、首から下は、改めて見れば一目瞭然。
シャツの袖から伸びる腕は以前より太ましい。
ツルツルで、日焼けとは無縁で、それでもなお健康的な白さが、余計に際立っている。おデブ特有の、弛んだ感じがしないのは救いか。
そのシャツとて、そりゃあもうパンパンである。
以前は胸の部分がパンパンで、そこから下へはスッキリなだらかだったけど、今では前以上に胸が……加えて、内側からの圧で、その下もまた中身が詰まっているのを教えてくれる。
そして、中身が詰まっていると言えば、スカートから伸びる太ももが特にヤバい。
もう、ムッチムチである。
2号の太ももに比べて、一回り太い。汗疹などの痕も症状もなく、日焼けとは無縁なのに健康的な肉が、そこにもしっかり搭載されている。
もう、本当にムッチムチである。
どれぐらいムッチムチかって、怒りのままに太ももに顔を挟んだ2号が、「てめぇ! 太ももにおっぱい増やしてんじゃねえよ!」堪らずそう叫んだぐらいには、ムッチムチであった。
「本体の私さぁ……シャツ、男性用の大きいやつだよね、それ?」
「そ、それは前からだよ(裏声)」
「なら、前は着られたボタン系の服を着てみるぅ? 私の予測だとぉ、途中でボタンが弾けると思うのだけどぉ?」
「そ、それは……」
言いよどむ千賀子……そこから、露骨な話題逸らしを発動する。
「そ、そこまで怒ることないじゃん。2号は痩せたままだし、私もそのうちダイエットするから──」
「この状況で分身解除したら、その時点で私もデブることが確定するんだけど?」
「──ごめん、私が悪かった」
「3号も、前に『今は下手に死ねぬ』って真顔で話していたけど、忘れてないよね?」
「ごめん、本当にごめん、私が悪かった」
無念、話題逸らし終了。
それどころか、2号より逆にぐうの音も出ない正当な理由を突きつけられて、千賀子は本当に謝ることしか出来なかった。
事実として、不摂生というか、怠惰な生活をしていた千賀子に落ち度があるし、一度でも分身を解いてしまえばデブ確定な分身が怒るのも、無理はない。
まあ、言い訳になるが、千賀子が太ってしまうのも致し方ない面はあるだろう。
一生遊んでも使い切れないお金を得た後で、これまでと同じく辛いのを我慢して労働に従事できるかといえば……である。
なんというか、張り詰めていた糸が切れてしまったのだ。
本人もこのままでは良くないとは分かっているが、ダラダラ過ごす快適さがすっかり身に染みてしまったこともあって、抜け出せなくなっているのだ。
──愛し子は可愛らしいですよ。ポチャポチャしてとっても丸っこくて、こんなに愛らしいのに、責めるのは酷だと思いませんか?
「女神様……」
「待って、本体の私。女神様のソレは味方しているのとは違うから。あと、よく聞いて、女神様からもポチャ認定されているからね、目を逸らしては駄目よ」
加えて、女神様があの手この手で千賀子を甘やかそうとするから、余計に。
言い方はなんだけど、感覚としてはデブ猫みたいなモノなのだろう。
肉がついた千賀子もまた、刺さる人にはヤベーレベルで刺さって二度と抜けなくなるような、絶妙なポチャ具合なのがまた……
が、しかし。
「それに、その体重だとロウシに乗る事は無理よ」
「え?」
「いや、ロウシって足が脆い競走馬よ? そのうえ、年齢的には年寄りだから、余計に乗ったらダメでしょ」
「……ちょっと、ここで待ってて」
顔色を悪くした千賀子は、小走りに自室を出る。
とりあえず、待っていてと言われたので2号は(あと、女神様も)おとなしく部屋で待つことにした。
……。
……。
…………だが、しかし。
分身である2号は、気付いていた。姿形が視界から消え、声すら届かない位置に居ても、千賀子が何をしようとしているのかを察していた。
『……あ、もしもし、明美? その、急な事を聞くんだけど……私って、太っ……あ、うん、いや、違うの、事実確認でね、薄々そんな気がしていたってだけで……』
『……あ、もしもし、道子? 急で悪いのだけど、一個だけ質問に答えてくれる? あ、ありがとう、それでね、道子から見て、私って前より太って……ううん、いいの、ただ事実を認めるためにね……』
「……女神様、お願いだから、千賀子がダイエットを終えるまでは食べ物関係で甘やかさないようにね?」
──あんなに可愛らしくて存在そのものが愛し子を、痩せさせる……餓死してしまうと思います。
「餓死しないから、その程度で餓死したら人類はとっくの昔に絶滅しているから」
なので、戻ってくる千賀子のために、これから始まる厳しい戦いのために、2号は女神様に釘を差すことを忘れないのであった。
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