第79話: ポチャ子、一歩進んで一歩下がる
──気持ち一つで痩せられたら、世界中のデブが痩せることに苦心するわけがない。
と、言うのも、だ。
昭和(1968年頃には既に)のこの頃には既に問題視され始めていたらしいのだが、『肥満』というのは、科学技術が発達するにつれて出現する、避けては通れぬ現代病である。
なぜかって、まず、単純に運動量が減るからである。
日本も水道が通る前ならば、井戸から水を汲んで運んだり、川から生活用水を汲みあげたりと、生きるために必要な労働が多数あったが、昭和のこの頃はそうでもない。
そんな労働をしなくとも、蛇口を捻れば水が出てくる。
科学技術の発展は、人から単純な肉体労働を奪うことで生活を楽にしてくれるが、言い換えれば、その分だけ身体を動かす機会が減るということ。
そこに加えて、だ。
食事という行為が肉体に与える影響は、実のところ単純に食物を体内に取り入れている……というだけではない。
ぶっちゃけると、食事という行為を行う際、人間は高揚や鎮痛や、心理的な快感や満足感、抗ストレス作用がある、脳内神経伝達物質の……そう。
快楽物質、あるいは幸福物質とも言われる『β‐エンドルフィン』や、『ドーパミン』を、体内にて分泌するせいで、『食べすぎる』という行為を止められないのだ。
特に、より美味しい物を食べた時ほど、その量は増えるとされており……そして、それは科学技術の発達によって、どんどん手軽に、かつ、大量に確保することが可能となった。
結果、人々の摂取栄養量、カロリー摂取量は飛躍的に増大した。もちろん、それは本当に良い事で、これによって餓死者の数が減ったのだから。
だが、万事においてプラスに働く事はほとんどの場合無いことで、コレに関してもまた、マイナスの面は存在していた。
その一つが、『肥満』である。
戦前は中年であっても比較的痩せ形な体形が多かったが、この頃から徐々に肥満体形の者が現れ始め、肥満児も増加傾向にあったのだから、如何に難しい問題なのかが伺えるだろう。
実際、この頃のアメリカでは既に肥満は国民病として問題視されており、肥満が如何に人体へ悪影響を及ぼすのかを真剣に議論されていたりする。
ちなみに、日本人の間で肥満が問題視され、ダイエットブームが起こるのが1970年代だったり……さて、話を戻そう。
どうして痩せるのが難しいのか、それは食べ過ぎの他にもう一つ……体重増加による、身体への負担が大きくなってしまうからだ。
残酷ではあるが、デブというのは根本的に、痩せることに対して向いていない。
精神的な話ではなく、肉体的に。
どういうことかって、これもまた単純な話だが、体重が増えていることで、足腰(特に、間接部分)への負担が上がり、必然的に運動量を増やせなくなるのだ。
体重が増えている分だけ表面上のカロリー消費量は増えるけど、その分だけ、身体へのダメージもまた増える。
デブがジョギングを始めてすぐに膝などを痛めて走るのを止めてしまったり、あまりにも肥満過ぎて身動きすら取れなくなったりするのも、根本的な部分は同じ。
体重が重い人ほど水泳をやれと言われるのも、体重がもたらすダメージを浮力が相殺し、効率的かつ負担を軽減しつつ運動量と強度を増やせるからである。
──が、しかし。
残念ながら、1968年のこの頃はまだプール施設の数は全国的にも多くはない……どころか、まだまだ少ない。
これまたぶっちゃけると、プールの数が増えるのはこれからなのだ。
日本全国にレジャー施設(プールを含めた)が増えるのは、1970年代に入ってから。
今は
『デブ=痩せる=水泳』という、黄金のメソッドが使えないのだ。
すなわち、今はデブにとっては逆境の時代、一度デブになったら戻れない隙間の時代なのである。
──Q.じゃあ、近くの川で水泳をやれば良いじゃないかって?
──A.馬鹿野郎、自然の川で水泳とか命が惜しくないのかおまえは。
現代人は忘れがちだが、川というのはそもそもとして、泳ぐための場所ではなく、危険な場所なのだ。
幼少期の千賀子が、ぜったいに1人で川へ行かしてもらえなかったのも、先人たちはその怖さをよく知っているからだ。
他にも、様々な病気の温床だし、生水をうっかり飲んでしまえば高確率で下痢を引き起こすし……なので、千賀子は考えた。
そして、思いついた、起死回生の一手。
『R: 2時間、肌のさらさら感UP』
『N: 30分間、肩周りの柔軟性UP』
『N: 一回だけスイカ割りが上手くなる』
「んああああ!!?!?!? 回すのぉ! もっとガチャ! ガチャを回すのぉぉぉお!!!!!」
『N: 7分だけ、滑舌が良くなる』
『N: 3分だけ、身体能力が2%上がる』
『N: 魚釣りが、15分だけ上手くなる』
『N: 8分だけ、じゃんけんが強くなる』
「──わぁ、ああ……痩せる恩恵ください! お願いします、女神様!」
──ルーレットは公平に、ですよ。
「そんなぁ、頼みますよ、女神様。ほら、このポチャぼでー揉んでいいですから!」
──揉みますけど、ルーレットは公平です。
「初手で神頼みとか、本体の私さぁ……(呆れ)」
「いいの! どうせ溜めていても、そのうち女神様主導で強制全ガチャスタートされちゃうから! 早いか遅いかの違いだけ!」
「それにしては、ずいぶんと欲望を込めて回しているように見えるけど……」
他の者が持っていない『ガチャ』にお頼み申す……コレであった。
……。
……。
…………まあ、当然と言えば当然なのかもしれないが、『ガチャ』の結果はものの見事に大ハズレであった。
言っておくが、ハズレなのは痩せるという事に関してで、ガチャの内容自体は、ヤベーレベルのハズレこそ当たらなかったが、絶妙にヤバいやつが二つも当たってしまった。
一つ、『SSR:
これは当初、全身の柔軟性が劇的に改善し、怪我しにくい身体になるものだと思っていた。
実際、滅茶苦茶身体が柔らかくなったし、開脚180度から胸をペタッと床にくっつけても全然苦しくなくなった。
これは、常時発動し続ける類のSSRなのだろうか?
けれども、読みが、『ママァボディ』であることに疑問と警戒心を覚えた千賀子は、実際はどういうモノなのかと2号と話し合い……とりあえず、ボディと名前が付いていることに着目し、2号が千賀子の胸に顔を埋めるようにして抱き着いてみた。
「ど、どう? 大丈夫? 苦しくない?」
「……マ」
「ま?」
「ママァ……!!」
「へあっ!?」
「ママァ、おっぱい」
「待て、待って、2号、どうした2号!?」
「やぁ、おっぱい、まんま、まんま」
「ちょ、待て、おま、本気で乳を吸いに──乳首を吸うな馬鹿たれ!!!」
結果、2号がオギャッた。それはもう、盛大に。
しばしの休憩の後、正気に戻った2号曰く、『ヤバい、今後は下手に誰かと抱き着くな、目覚めさせるから』と言われた。
反射的に張り手をかましたが、その顔はあくまでも真顔だったので、千賀子は普通にビビった。
なんでも、抱き締められた瞬間、言葉には言い表せられないぐらいに穏やかな気持ちになったらしく、とてつもなく安らいでいたらしい。
どこまでも柔らかく受け止めてくれる胸に、体重を掛けてもしっかり受け止めてくれる身体に、強い安心感を覚える甘い匂いと合わさり、もう心がベビーになっていたとのこと。
あと、すっごいプルプルもち肌。
どこ触っても抗えないぐらいに魅力的な柔らかさで包み込まれ、本体だと分かっている2号ですら、思わずオギャってバブバブしちゃう威力とのこと。
曰く、『無の心になって、子宮の中でゆったり漂う気分ってこれなのかもしれない』、だそうだ。
いったい、どれほどの感触だったのか……自分の身体ゆえに、千賀子自身には分からない事だったが。
──愛し子はどこもかしこも柔らかくて可愛いわね、痩せる必要なんてあるのかしら?
「いや、健康にも悪いので痩せます。あと、脇腹やお尻を揉まないでください」
「でも、本体の私? 少しぐらい健康的に太ましい方が、包容力があると思わない?」
「2号、お前もか!? そこまでなのか!? この能力、とんでもなくヤバくないか!?」
とりあえず、息を吐くようにサラッとセクハラをされる当たり、ヤバイのだろうと千賀子は強く認識したのであった。
そして、二つ目も『SSR』だった。
『SSR:
だが、その危険性は、一つ目とは桁違いにヤバかった。
というのも、この『幼生特攻』の効力は、その名の通り年齢が若ければ若いほど、影響力が高い。
具体的には、どれだけ気難しく精神的な不調が現れていても、いわゆる小さい子は100%千賀子に対して懐く。
それはもう、実の親の言う事すらまともに聞かない子ですら、このスキルが発動した状態で近付けば、一発で鎮静化しておとなしくなるぐらいに。
ぶっちゃけてしまえば、『マザコン製造機』である。
しかも、この『幼生特攻』は……どうも、『SSR:超柔軟体』と組み合わさると、その危険性が一気に跳ね上がるようだ。
具体的には、オギャッた相手に対しても『幼生特攻』が効力を発揮し……つまり、中年のオジたんに対してもマザコンを発症させてしまうのだ。
実際、それで2号がオギャッたし。
これがまあ、一度でも発症したら完全には治せず、マザコンの気を植え付けてしまうようなので……結局、千賀子は地道に運動して痩せるしかないのだった。
まあ、そんな簡単に痩せられたら、誰も苦労はしない。
なにせ、ダイエット器具などが市場に姿を見せるのもまた、1970年代頃であり、そういう点から見ても、今はデブに優しくない時代なのであった。
──さて、ダイエットの話から、本来の話に戻そう。
『──次のニュースです。
嘘か真か、現在海の向こうで戦争が発生しているベトナム
にて謎の怪物が出現し、一時的な停戦状態になっていると
の報告が現地より報告されています。
現地では混乱が続いており、詳細は不明ですが、双方の兵
士に相当数の負傷者を出しているとのことです
アメリカの──では、これを受けて──モデルの──さん
が、帰還兵の精神的な治療を行うための施設を── 』
ひとまず、お茶でも飲んで(当たり前だが、ジュースではない)一息入れてから……2号は、改めて千賀子に尋ねた。
「ところで、本体の私。仕事を探せって言った私が尋ねるのもなんだけど、当てはあるのかしら?」
「ぶっちゃけ、なんにも無い」
キッパリと、千賀子は言い訳せず答えた。
実際、千賀子に当てはない。
いちおう、道子にお願いすれば、一つや二つは用意してくれるかもしれないが……無い所に無理やり作ってもらうのは、あまりに申しわけなさ過ぎて千賀子の方が受け入れられそうにない。
それに、千賀子には己でも完全には抑えられない『魅力』という目に見える爆弾を抱えている。
これまでは周囲が問題を起こしたりしていたので、責任の所在を他所に出来ていたが……道子の御厚意で用意して貰った仕事先でトラブルでも起こしたら、もう目も当てられない。
なので、千賀子としては、責任の所在が己に帰結する……そういう形での仕事が望ましいのだ。
「じゃあ、またお店でも始めてみる?」
「もう、果物屋はいいかな……また目を付けられたら嫌だし」
「別に、果物屋じゃなくてもいいじゃない。焼肉屋でも始めてみる?」
「もともと、果物屋は物資の使い道をどうするかって話だし……正直、また客と揉め事起こすのは嫌だから、今はもうそんな気分じゃないな」
「じゃあ、投資は?」
「投資って、何をするの?」
「簡潔に述べるなら、お金を出して……つまり、パトロンと呼ばれる人たちかな? あんまり難しく考えなくてもいいわよ」
「う~ん、そういうのはちょっとなあ……」
「何を迷うのよ」
「いや、私が言うのもなんだけど、女神様とか関係ない以前の私だったら、タダで数千万とかもらったら……こう、確実に道を踏み外すと思うから」
「たとえば?」
「しばらくは滅茶苦茶警戒するけど、どっかで1万円とか2万円使って……そのままズルズルと使い続け、金銭感覚壊れると思う」
「分身の私が言うのもなんだけど、否定出来ないのが怖いわね……」
「でしょ? 前世の記憶があるから踏みとどまれるけど、無かったら絶対ヤバいことになっているよ、確信が持ててしまう」
千賀子は、難色を示した。
だって、千賀子は金がもたらす危険性を身に染みて知っている。
何千万、何億、何十億、そんな金を与えられた人が、これまで通りに平然と過ごしていられるかといえば、そんなわけもない。
最初の切っ掛けがどれほどに些細な事だとしても、それはダムに生じた穴も同じ。どれほど高潔な人間だとしても、魔が差す時はある。
それに、それだけのお金を出している、お金を持っているという情報は、ぜったいに何処かから漏れてしまうものだ。
そう、お金というのは、本当に恐ろしいものだ。
それがどれだけ良い事だとしても、奪う側からしたら意味は無い。持っているから奪う、そういう者だって、けして珍しくはないのだから。
「……本体の私、明美に対してやろうとした事、忘れてない?」
「明美と道子は例外。道を外したら、2人が死ぬまで私が面倒を見る、異論は認めない。あと、家族も例外」
「……まあ、いいけど」
やっぱり女神様の影響を受けているなあ……と思いつつ、仕切り直して、もう一度。
「それで、結局のところ、投資家とかはどうなの?」
「う~ん、お金だけポンと渡して、それで後は知らんねってのは……なんだろう、それで色々と狂ったり人生踏み外して破滅とかしていたりしたら、私は間違いなく落ち込むと……ん?」
そこまで考えて、ふと、千賀子はおやっと首を傾げた。
「……それ、春木競馬場のアレとなにが違うの? ていうか、現在進行形で2号と3号が交代しながら対応しているよね?」
「……そういえば、そうでした。あ、そうそう、そう言えば春木競馬場関係者から、是非とも年末の忘年会に来てほしいとお誘いが来ているけど、どうする?」
「せめて、痩せてからにしよう……にしても、人の口ってのはそう簡単には塞げないもんだね」
「まあ、昔から壁に目あり障子に耳ありと言うし、どれだけ隠したところでどっかでバレるものでしょ」
「それも、そうか」
「さて、投資家も駄目、お店を開くのも駄目なら、いっそのこと起業でもしてみる?」
「起業って、何をすればいいの?」
「なんでもいいじゃない。資金は第三者がドン引きするぐらいあるわけだし」
「そりゃあ、そうだけど……」
2号のその言葉に、千賀子は……どうにも及び腰であった。
どうしてかって、それは千賀子の性質が、そもそも上に立つより使われる方が性に合っているからだ。
……でも、今は太っているとはいえ、千賀子の見た目は良くも悪くも騒動を引き起こしかねない。
なので、なんの考えも無しに就職しようなんて動いたら……そんな不安から、千賀子は精神的な袋小路にハマってしまい、にっちもさっちも──っと、その時であった。
『──今、巷の女子学生の間で大人気の占星術占いの本が、新しくなりました! ツルリとしたハードカバー、この本を手にすれば、貴方も今日から占い師!』
どうしたものかと考えている千賀子の耳へ、テレビからの声が届いたのは。
「……」
「……」
「……占い師、か」
「いちおう聞いておくけど、世間的には怪しい人扱いされるわよ。あと、あんた占いのやり方なんて知らないでしょ」
「……り、リハビリ! とりあえず、脱引きこもりから始めよう! 適当にそれっぽいので誤魔化せばいいよ、だって私巫女だから!」
「……まあ、当たるも
「ヨシッ、2号の許可は出た! 場所はどこがいいかな?」
「前の果物屋があった辺りは外して、そうね……新宿あたりでコソッとやってみたらいいんじゃないの? なんか言われたら逃げればいいでしょ」
「ヨシッ(2回目)、そうと決まれば早速準備しよう」
とまあ、そんなわけで、千賀子は占いを始めることに決めたのであった。
……。
……。
…………さて、翌日。
「なんでずぶ濡れになってんのよ」
「……寒い」
「そりゃあ寒いでしょ、今は10月なのだから」
神社で結果を待っていた2号は、外は晴れているのに全身ずぶ濡れで帰ってきた千賀子を見て、ギョッと目を瞬かせた。
「いったい何があったのよ、新宿に行ったはずでしょ?」
「行ったよ。行ったけど、よくわからん人たちと警察がガチガチに衝突しているところに出くわしちゃって、とばっちりで放水を受けちゃった……」
「あんた……とりあえず、風邪引く前に風呂に行きなさい」
「うん……」
理由は、まあ……不運の一言であった。
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