第47話: 『   』を、怒らせるという事は

 


 ──人間、まず食わねば何事も始まらない。何をするにも、まず食事。




 どんな人間であろうとも食わねばまともに身体が動かないし、まともに頭も働かないし、心だって弱ってしまうのだ。


 食わなくても平気という人が稀によく現れる(激ウマギャグ)が、それは違う。


 何故なら、それを口にする人はよほどの例外を除けば、まず若者だけ。若いから無を通せているだけで、無事というわけではない。


 実際、若い頃にそういった無理や無茶を強行していた者は、だ。


 30代に入ってから身体を壊しているし、そこまで行かなくとも何かしらのダメージが表面に出て来ている……なにより、その者たちは決まって口を揃えて忠告する。



 ──若いうちだからこそ、食え! っと。



 ちゃんとその時期にしっかり食べている者は、40代50代になっても身体が動く。暴飲暴食は良くないが、若さに任せた無理はけして褒めてはならない──話が逸れたので、戻そう。


 とにかく、飢えるというのは苦しいことだ。こればかりは、実際に体感しないと分からない苦しみである。



 だからこそ、千賀子は真っ先に村人たちに食料を提供した。



 とりあえず、ろくに食事が取れていないのにいきなり肉は胃がビックリしてしまうと思い、塩を混ぜた粥と、果物の中でも柔らかい……バナナとかミカンを与える。



(あ、そういえば、御神木の桃……あれもちょっとだけ食べさせよう)



 その際、千賀子は神社で得られる食糧の中でも特別な果物である、『御神木の桃』を与えることにした。


 この桃は、他の果物よりも一段上の味。また、ビタミンやミネラル、その他諸々の栄養価が豊富であり、パーフェクト・フードといっても過言ではない。


 だが、この桃の真価はそこではない。この桃の真価は、食べた者にもたらす回復力……あるいは、再生力というやつだろう。


 さすがに傷がすぐさま治るような劇的な効果はないが、それでも、非常に吸収しやすい完全栄養食……何もかもが不足している身体には、まさしく特効薬である。



 ──だが、それはそれとして。実は、千賀子は一つだけ、この桃に関して軽く考えている事がある。



 それは、ガチャによる恩恵のせいでいまいち実感が湧き難いが、どうやらこの桃……体力などの回復の他に、ある種の若返りのような効果をもたらすらしく、食べ続ける期間が長いほど影響が大きくなる。


 もちろん、漫画やアニメのように、劇的に変わるわけではない。


 ほとんどの場合は、せいぜい小ジワがちょっと見えなくなったかな……といったぐらいの変化である。


 あくまでも、見た目が若返るだけ。それも、ちょっとだけだし、寿命が延びるわけでもない。


 だが、それでも、現代医学ですら不可能な若返りが起きているのは確かであり……下手に露見すれば、人が死んでも不思議ではない事であった。


 なにせ、しばらく桃を食べた道子から、『絶対に桃の効果を他へ漏らすな。不本意な相手に万が一漏れた場合は、相手を絶対に殺せ』と真顔で忠告されたぐらいだ。


 心優しい道子が、真顔でそう言うぐらいだ。『あ、これは絶対に駄目なやつ』と判断した千賀子は、心から守ろうと思ったのであった。



 ……ちなみに、だ。



 何ゆえ道子がそこまで真顔になったのか詳しく効けば、『大き過ぎてちょっと垂れ気味だった胸に張りが出てきて、垂れるのが解消された』から、らしい。


 なんでも、道子の母方の家系は胸が大きい人たちが多く、そのせいで、若いうちから胸が垂れてしまう女性が多いのだという。


 個人差はあるが、道子は一族の中でも特に胸が大きい方らしく、下手すれば20代前半で垂れ始めるかも……と、危惧されていたらしい。


 実は道子にとっても身を持って実感していたことなので、密かに危惧していたらしい。胸が大きい事は良いのだが、それはそれでコンプレックスにもなっていたようだ。


 だからこそ、そのコンプレックスを解消……それどころか、個人差こそあるが若返りの効能があると分かった道子は全力で、桃に関する事は隠ぺいしろと告げたわけである。


 そう、千賀子は心に『男』があるからこそ鈍いが、道子は違う。


 道子は、女が『美』へ抱く感情が如何に強く、そのためならどれだけ非道な事を、それを理解も認識もせずに行えるのかを知っている。


 だって、道子は生まれたその時から『女』で、千賀子とは違って『男』が無いから。


 もしも桃の効能が周囲に知られたら、確実に奪い合いが起こる。いや、それどころか確実に死者が出るだろうし、なんなら国が合法的に奪い取ろうとするだろう。


 それを女の視点から簡単に想像出来るからこそ道子は、桃の効果だけは絶対に死守しろと強く話したわけである。


 なお、同様に桃を貰っている明美は、『あれ? ここに擦り傷がなかったっけ?』といった感じで、気付いていなかったりする……さて、また話が逸れたので戻そう。



(全員に一個……は、多過ぎだし……あ、そうか、ミキサーで牛乳と混ぜてジュースにしよう。それなら、まず気付かれないだろうし、少量で全員分を用意出来る)



 幸いにも、冴陀等村に用意された神社には、千賀子の神社と同じ機能が用意されていたので、運ぶ手間は省くことが出来た。


 次に調理道具だが、それは村にある物を使う。


 災害が有ったとはいえ、全ての住居が壊滅的な被害を被ったわけではない。仕える物は、何でも使わねば。


 それから、調理作業は、神社の広い境内の中でまとめて行う。


 何やら村人たちから畏れ多いだの何だの言われたが、無視する。


 なにせ、冴陀等村にはガスも電気もまともに通っていない。


 各自が少量ずつ作るよりも、一か所でまとめて作る方が効率的だし、開けて落ち着いて作れる場所といえば、広々とした神社の境内がちょうど良かった。




(……というわけですけど、良いですか、女神様?)


 ──良いで、ああ、可愛い、可愛い可愛い可愛い、なんて可愛らしいのかしら、愛し子ちゃんは……ちょ、ちょっと、手をこっちに……!!! 


(ありがとうございます! あと、手はコレで良いのですか?)


 ──ふ、ふひ、ぶひぃ、これで10万年は戦えるわぁ……はあ、尊い……!!! 




 その際、ちゃんと女神様に許可を貰う事は忘れない。


 この時、千賀子以外には見えないし感じなかったが、千賀子の傍には腕から先が空間より出現し……千賀子の手と合わせて、❤マークが形作られていた。


 そして、その瞬間──千賀子を含めた、その場に居る誰もが気付けなかったが──世界に、異変が起きていた。


 それは、世界におけるあらゆる木像、石像、すなわち、腕のある像の全てが──両腕を頭上にかかげて、ガッツポーズを取ったということ。


 あまりに一瞬のことに加え、次の瞬間にはもう元の形に戻っていたので、数日ほど噂にはなったが……それ以上にはならず、日常の中に忘れ去られることとなる



 ……で、だ。



 食事を取らせ、休息させる。


 とりあえず、それぐらいしか千賀子には出来なかったので、神様のフリをしながら、数日ほど見守る。


 以前とは違い、店の事には基本的にノータッチになった千賀子には時間があった。


 なので、けっこう注意して見守る事が出来て……そのおかげか、あっという間に村人たちは元気になった。


 さすがは、御神木の桃だ。


 ちょっと回復が早過ぎてヤベー事したかもと不安に思ったが、日に日に顔色が良くなり、元気になっているのを見て、こっそり安堵の溜め息を零した。


 で、その最中にも、一足早く元気になった者たちが、被害を受けた家の掃除やら、作物の回収やらを行っていたが……それを見て一つ、千賀子は思った。



(……元気になったのは良いとしても、ここから先はどうしようか?)



 そう、それである。


 今回の災害は結局のところ、遅かれ早かれの問題が表に出て来てしまったに過ぎないのだ。


 どうしてかって、それは単純に、冴陀等村には自活出来る余裕というか、暮らしを向上させる力が全く無いからだ。



 と、いうのも、だ。



 まず、冴陀等村には学校と呼べるモノが……いや、あるにはあるのだが、それは学校というよりは、個人経営の塾といった感じである。


 塾なので、校庭に相当するモノは無いし、給食だって無い。学校給食が当たり前になってけっこう経つというのに。


 教科書はあるけど、人数分が無い。基本的に二人で一つを使うようになっており、そのうえ、全科目が無い。



 理由は、中抜き。いや、これは中抜きを通り越して9割抜きだ。



 役所や警察、関係各所がグルになっているから、いくらでも書類はでっち上げられる。そのうえ、村人たちにはそれに気付く知識も情報も無いときた。


 そう、この畜生外道の行いは、5年10年の話ではない。


 親の世代、その親の世代、そのまた親の世代、いくら遡っても、いつそうなったのかすら分からないぐらいに昔から、搾取が行われていたのである。


 つまり、そういう環境が当たり前であり、それ以外の世界があることすら知らないし、自分たちがそこへ行けるという思考すら起きないような環境だった。


 本当に、ここは一部の者たちが結託して維持されてきた、税金を掠め取るためだけに維持されていた場所だったのだろう。


 なにせ、果物や牛乳を目にした最初の一言が、『これは、仏様が食べていらっしゃる天上の作物なのですか?』である。


 もはや、世間知らずなんて話じゃない。


 まともな学校教育すら、この地には存在していない。


 それを村人たちの会話から知った千賀子の驚愕と絶を、村人たちが理解出来なかったのはせめてもの救いか。


 行政と警察が本当にグルになったら、如何なる無法も自在に通せる……その実例が、千賀子の眼前に広がっていた。


 まあ、娯楽がないゆえに、読み書きは暇さえあればやっていたから問題ないらしいが……そんなの、慰めにすらならない。


 江戸時代とかならともかく、昭和のこの頃に最低限の読み書きが出来るだけで最低限の常識が無い人なんて、まずロクな扱いは受けないだろう。



(……まず、住む場所だな。衣食住のうち、食は最優先。次に、住む場所か)



 それゆえに、千賀子は一つずつ解決に動かなくてはならないと思った……が、二つ目でどうしたものかと頭を悩ませた。



 住む場所……つまり、家だ。



 これは調理道具を掻き集める際に、ちょっと覗いてみて分かったことだが……どの家も、酷い有様だった。


 よくぞ、持ちこたえてくれた……思わず、そう思ったぐらいだった。むしろ、以前の災害の時に一部とはいえ無事だったのがあるだけ、奇跡だとすら思った。


 なので、今は緊急事態という事で神社内の設備を使っていても、女神様は大目に見てくれている。


 それでも、千賀子から何度もお願いし、実は本職が見れば顔を引きつらせるような出来だったらしい神社(もどき)を作ろうとしていた……という点を踏まえて、ようやくなのだ。


 そう、実は見た目をなんとか取り繕えていただけで、ちょっと強い風が吹けば倒壊の危険があった神社(もどき)だとしても、千賀子の神社を作ろうとしていたから、女神様はちょっとだけ許してくれているし、施しを与えてくれているのだ。


 それはあくまでも一時的な話であり、出来うる限り早めに出て行く必要があるのだ。




(……駄目ですよね?)


 ──愛し子の相手と一緒ならいいですよ。


(……駄目なんですね)


 ──うふふ。




 事実、女神様に聞いてみれば、駄目だとキッパリ言われた。


 女神様とは何だかんだ付き合いが長い。こういうふうにキッパリと言い切った時は、お願いで押し切ろうとしない方が良いのだ。


 なので、新しい家が必要なのだ……が、しかし。


 普通に考えるなら、大工なり何なりに頼む必要があるのだが……ここは、普通の場所ではない。


 近隣の町に頼むにしても、ここまで来てくれるかどうか。いや、そもそも、頼めるだけの金が冴陀等村にあるかどうか。



 ……無いだろうなあ、千賀子はそう思った。



 そんな金があるならもっとマシな恰好をしていただろうし、そもそも、そんな金……搾取してきた者たちが見逃すはずがない。


 つまり、仮にこの村に新たに家を建てる、あるいは改装するならば、千賀子が自腹を切る必要が……さすがに、そんな金は千賀子には無い。


 そして、残念ながら……千賀子が得ている『サラスヴァティー』と『ククノチ』の能力では、家を建てるということは出来ない。


 千賀子に関係の知識があれば、神通力でやれたかもしれないが……それを成そうと思うなら、年単位での勉強が必要になる。


 ……こういう時こそ、本来ならば役所なり何なりが動かなければならないのだが……ん~、なんだろうか。



 ……。



 ……。



 …………千賀子は考えた。



 ……。



 ……。



 …………そう、千賀子は考えてしまったのだ。



 そう、そうなのだ、冷静に考えてみれば、だ。



(なんか、考えれば考える程に腹が立って来たぞ……そもそも、この人たちがこんなに苦しんでいるのは、この人たちに使われるはずだった金やら何やらを横流し続けてきたからじゃん)



 そもそも、だ。


 千賀子は、思った。


 これまで散々美味しい思いをして、苦しい生活を送らせているのに、関わっていた者たちは欠片の罪悪感も覚えていない。


 今回のコレだって、発覚を恐れたから逃げただけ。


 どうしようもなくなって逃げたというわけではなく、あくまでも自分のためだけ……そのために、村人たち全員が死んだ方が皆のためだとすら、思っている。


 そして、そのように動いている。


 本来ならば助けに動かなければならない行政も、助けに向かわなければならない警察も、死なせる方が全て丸く収まるのだと言わんばかりに。


 そう、千賀子は知っている。『サラスヴァティー』の権能によって、彼ら彼女らの暮らしが伝わって来ている。


 村人たちは毎日腹を空かせて、中には長期的かつ慢性的な栄養不足で死んでしまった赤子を涙ながらに抱える、同時刻。


 彼らは温かい部屋で、村人たちからすれば一度も食べたことがない豪華な食事を、家族と共に笑いながら楽しんでいたのだ。


 ガリガリに痩せ細って、見るに堪えない無残な亡骸になった子供を、まるで道端で死んでいる虫を片付けるような感覚で認識しながら。


 その子供と同い年の息子に、死んだ子供たちへ使われるはずだった金を横流しし、七五三の恰好で嬉しそうにしているのを見て。



 ──大きくなったなあ……さあ、これからも大黒柱として頑張らなきゃな! 



 いけしゃあしゃあとそんな事を考えながら、死んだ子供が一度は食べてみたいと願っていた金太郎飴を、自分の息子に、そう、村人たちが生きるために与えられるはずだった金を──ああ、そうだ。



(それは──)


 ──あまりにも、酷いのではないだろうか? 



 そう、千賀子は思った──思ってしまった。


 それは、もしかしたら千賀子がこの世界に生まれてから初めて抱いた……強い、敵意と言っても過言ではないぐらいの、強い怒りであった。



 ……だからこそ、千賀子は気付かなかったし、気付けなかったのだろう。



 女神としての愛し子であり、現人神の始まりである『巫女』であり、流れる川の化身とも言われる『サラスヴァティー』と、大地より生まれる木々の神である『ククノチ』の権能を持つ、千賀子から。



(許せない……そんなの、許されちゃあ、駄目だよ……!!)



 恨まれ、憎まれる、その意味に……ああ、そうなのだ。




 ──そんな千賀子から──愛し子が憎しみを抱いた相手に対して、女神がどう思うのか──どうしてしまうのかを。




 当人は、全く気付けていなかった。



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