第37話: 傍から見れば、もはや超能力の域



 ──厩舎の中、道子から見てほしいと頼まれた馬の名は、『ポンポコダッシュ』。



 先ほど、辰二少年が曳き運動を行っていた、その馬である。


 前に千賀子がアドバイス(という程でもないby千賀子)を送った『ポンポコシップウ』の弟に当たる馬である。


 気性は穏やかで、聞きわけも良い。命令をしっかり理解出来る賢さもあり、これまで一度も病気になっていない。


 食欲は旺盛で、回復力もそうだが、スタミナだってある。走りにも異常はなく、日に日に力を増しているのが感じ取れる。


 現時点でも1000m~1400mまではとにかく速く、これまで3勝している、期待の有力馬……なのだが。



「……どういうわけか、長くても1400mを過ぎた辺りで目に見えて力負けし始めてしまうのですよ」



 溜め息を零したのはオジサンで、横で黙って話を聞いていた辰二も、何処となく悔しそうにしていた。


 そう、どういうわけか、ポンポコダッシュはいつもそのあたりを境に、目に見えてヤル気を失くしてしまうのである。


 単純に、スタミナ切れという話ではない。


 ましてや、スプリンター(要約:短距離特化の馬のこと)でもない。


 調教師の話でも、主戦を担当している騎手からも、『こいつはまだ距離を走れる、あそこで息切れするのはおかしい』と言われているからだ。


 かといって、獣医に診てもらったけども結果は何時も同じく、『どこにも問題は無い』の一言。


 ならばと思って食事を変えたり、調教の内容を変えたり、思いっきり自由にさせたりと色々と手は打っているが……これといった効果は出ていない。


 これには、担当している誰もが困ってしまったわけである。


 なにせ、『ポンポコダッシュ』は今月末に開催される『東京優駿』という格式の高いレースに出馬する事が決まっている。


 『東京優駿』の距離は、約2400m。


 いくら1400mまでが強くとも、勝ち目はない。前走した『皐月賞:2000m』ですら、下から数えた方が早い戦績だったのだ。


 このまま解決出来ずに挑めば、敗北は必至。いや、敗北どころか、笑い話にすら出来ないようなビリ争いになりかねない……そう、思ったわけである。



「本来なら、こっちにはおらずにトレーニングセンターでレース前の調整をしているところなんだ……前にも話していたけど、どんどん動きが悪くなってきてね。こんな状態でレースに出すのは危険過ぎるということで、一旦こっちに戻すことになったんだが……」



 だから、藁にも縋るような思いで、生まれ育った故郷である『双の葉牧場』まで戻し、少しでも調子を取り戻してほしいと……考えていたのだが。



「少しだけ調子を戻せたけど、それでも本調子とは……そうだろう、辰二」

「うん、さっきも曳き運動をちょっとだけやってくれたけど……正直、勝てないと思う」



 話を振られた辰二は、小さく頷いた。


 オジサン曰く、『辰二は馬に好かれる』とのことで、時にベテランでも気付かない馬の癖に気付く時があるので、気性のおとなしい馬に限り世話をさせているとのこと。


 その辰二曰く、『どうにも気落ちしているように見える』らしい。



「お馬さんにも、そういうことあるの~?」

「ああ、あるよ、道子ちゃん」



 首を傾げている道子に、オジサンは簡単に説明をする。


 そう、馬に限らず、動物にもそういった感情の変化、気分の浮き沈みは、人間ほど顕著ではないが、確かにある。


 なので、そういう時は調教をストップさせて休む日を作ったり、オヤツとして果物などを与えたり、マッサージをしたり、色々と心身をリフレッシュさせるわけだ。



 でも、ポンポコダッシュにはそれが通じなかった。


 いや、効果はあるのだ。



 実際に疲労は抜けているし、果物を与えたら嬉しそうにするし、マッサージをすれば気持ちよさそうにするし、けして機嫌を損ねることはしていない。


 軽く走らせてみても、肉体的な異常は全くと断言出来るほどに感じ取れず、余裕を常に感じ取れる。


 なのに、どういうわけか持ち直さない。


 まるで、どこかの途中で穴があいているかのように、やってもやっても、また気落ちしてションボリしてしまう。


 これには、オジサンも辰二もお手上げである。


 調教を施すのは調教師のやることだが、だからといって、自分の所で生まれ育った馬を放置するなんてわけもなく……しかし、どうしようもなくなったので馬主に来て貰ったわけである。


 本当は道子の父が来る予定だったのだが、これまたタイミング悪く予定が合わず、妻は大きな動物を怖がってしまい、代わりに娘が来た……というのが、今回の経緯であった。



「……ところで、道子ちゃん。今さらだけど、なんとか出来るかもって話だけど……本当に、千賀子ちゃんが解決出来るのかい?」

「うん、大丈夫、任せて!」



 そのうえで、オジサンは心配そうに道子を見やれば、道子は満面の笑みで頷いた──それを見て、オジサンはさらに心配そうな目を向けた。


 不安に思っても、致し方ない。


 なにせ、馬というのはデリケートな生き物だ。鏡に映った自分の姿にビックリしてパニックを起こすことだってある。


 それを素人に任せるというのは、正しく血迷ったと言われても不思議ではない。


 しかし、それ以外に手が無いのだ。


 馬主とはいえ、厩務員でもない素人に助けを求める時点で、よほど困り果てているわけで……何でも良いから持ち直してくれるならと思ったわけである。



「それじゃあお願いします!」

「……え、そこで私に?」

「はい、お願いします!」

「えぇ……いや、薄々察してはいたけどさ……」



 さて、そんな双の葉関係者(数名、様子を見に来ている)を尻目に、道子にお願いされるがままポンポコダッシュへと歩み寄った千賀子は……チラリと、その後ろの馬房を見やった。


 それだけで、ポンポコダッシュは察したようで、ゆっくりとした動きで奥へ……入りますねと、道子たちに一声かけてから、千賀子も柵を開けて中へ入る。


 そうして、改めてポンポコダッシュへと向き直れば……ごくりと、道子たちの喉が緊張で鳴った。


 頼んだ手前、道子も不安なのだろう。万が一を思えば、それも当然である。


 言い換えれば、他の人達はそれ以上に不安であり、オジサンを含めて大人の厩務員たちは、何時でも中に入れるよう身構えていた。



 ……。



 ……。



 …………そのまま時間にして、約1分ほどだろうか。千賀子と馬は、黙ったまま見つめ合った。



 それは、非常に珍しい光景だろう。馬に限らず動物を相手に、互いの目を見つめ合うという行為は本来してはならない。


 というのも、互いを認識し注意を向けるという行為は、ある種の威嚇であり、敵対行為として取られかねないからだ。


 互いに信頼関係が築けていたなら問題ないが、今日初めて出会ったばかりの馬を相手にそれを行うのは、かなり危険な事で──っと、その時であった。



 ──唐突に、千賀子から動いた。



 近付いたわけでも、遠ざかったわけでもない。


 クイックイッと腰を捻り、身体をくねらせ、タンタタンとリズムよく地面を蹴ったかと思えば。



 ──ステップ♪ ステップ♪ ほら、笑顔見せて♪ 



 急に、歌い始めた。


 それも、道子たちが効いた事がない歌を、見た事もない不思議なリズムを刻んで踊りながら。


 千賀子の歌声は、よく通る。


 道具はなく、音響もへったくれな中で、その声は厩舎全体に届く。


 思わず聞き惚れてしまう、軽やかで綺麗な声だ。


 普通なら、聞き慣れぬ音に馬が興奮してしまうところだが、そうはならなかった。



 ──あっ。



 ただし、一頭だけ……ポンポコダッシュだけは、違った。


 最初の変化は、僅かに頭を動かしただけだった。


 しかし、すぐに身体だけでなく身体を動かし始めたかと思えば、まるで千賀子のダンスに合わせるかのように、パッコパッコとその場で足踏みを始めたのだ。


 それは、悪い意味での興奮ではない。一目で、誰もが分かる。


 だって、ポンポコダッシュの顔は嬉しそうに笑っているからだ。


 そう、馬だってちゃんと感情があるし、表情だってある。


 人間ほど分かりやすくはないが、馬だってちゃんと感情を表現するのだ。


 嫌な事をさせれば顔が険しくなるし、ふざける時はおどけて変な顔だってする。あまり顔に出ない馬でも、耳や尻尾、身体の動きでそれを示す。


 そして、ポンポコダッシュもまた、それを示した。少なくとも、プロであるオジサンたちにはハッキリと伝わるぐらいに示した。



 ──そうして、だ。



 見慣れぬダンスと、聞き慣れぬ歌。それが続けられた時間は、おおよそ3分も達していない。


 しかし、それでも、十分だったようだ。


 最後に、ピシッとキメポーズを取った千賀子に合わせるかのように、ポンポコダッシュもキリッとポーズを取り、ヒヒヒンと鳴いて……一時のミュージカルは終わりを告げたのであった。






 ……。



 ……。



 …………それからの『双の葉牧場』の人達の反応は、それはもう劇的であった。



「こ、これは──っ!」

「す、すげえ! こんだけ調子が良くなったダッシュを見るのは久しぶりだぞ!」

「いったいなにが──いや、今はいい、これなら──」

「おう、もしかしたら、もしかするかも──」



 調子を見るという事で、乗馬が出来る従業員(一番軽い人)が乗ってみたが……走り出したその動きに、従業員の誰もが目を見開いた。



 ──違う。



 率直に、そんな言葉が脳裏を過った。


 少し走っただけでも、違いが分かる。



 出足の軽やかさが違う。


 地面を蹴るパワーが違う。


 前へと向かう闘争心が違う。


 身体から立ち昇る熱意、以前まであったソレが、戻っている。



 それはまるで、消えかけていた炉に、再び火が灯ったかのような……そう思わせるほどに、ポンポコダッシュは様変わりしていた。


 月並みな言い方だが、グルリと牧場の中(簡易ながら、コースがある)を走るその姿は、背中に翼が生えているようにすら思えた。


 これにはもう、『双の葉牧場』の人達だけでなく、道子も運転手の爺も喜んで両手を上げたぐらいなのだから、如何にポンポコダッシュのことで気を揉んでいたかが窺い知れるというものだ。



「……しかし、千賀子ちゃん。さっきの歌とかもそうだけど、どうしてアレでダッシュの気持ちが持ち直したんだい?」



 そんな中で、ふと……我に返ったオジサンから尋ねられる。


 オジサンの疑問は、もっともである。


 傍から見れば、まるで意味不明な行為だ。


 というのも、常識的に考えれば、馬に限らず動物の前で普段と異なる行為を突然行うなんてのは、NGである。


 ましてや、馬はその図体に比べて非常に臆病である。


 馬を知っているからこそ、唐突に歌と踊りを見せて……それで、ダッシュが喜ぶだなんてのは、想像の外であった。



「どうしてって、あの子って歌とか踊りとか好きでしょ?」

「え?」

「だから、こうやって一緒に歌って踊ってやれば、すぐ元気になりますよ」

「……ちょ、ちょっと待って」



 だからこそ……そう、だからこそ。



「どうして、そう思ったんだい?」

「……? どうしてって、そんな顔をしていたじゃないですか。だから、恥ずかしいけどそうしたんです」

「……そ、そんな顔?」

「馬って初めて間近で見ましたけど、けっこう分かりやすいですね。ほら、ポンポコダッシュの隣の部屋に居たあの馬は、お尻を叩いてあげると凄く喜ぶじゃないですか?」

「──っ!? ま、待って、そうなのかい!?」

「??? そうなのって、叩いて欲しそうにしていたじゃないですか?」

「叩いて欲しそうに???」

「あと、外に出る前にすれ違った黒い馬ですけど、歩き難いって雰囲気出していましたよ、なんとなくな話ですけど」

「…………っ!!!!」



 何の気負いもなく信じ難い事を言ってのけた千賀子を前に、オジサンはしばし絶句し……次いで、道子へと視線を向ければ。



 ──秘密ですよ? 



 そう言いたげに、唇の前で指を立てているのを見て……ようやく、この子に任せれば良いと話していた事の本当の意味を理解したのであった。






 ……。



 ……。



 …………さて、そんな感じでプロを戦慄させている事に気付いていない千賀子はと言えば。



(……これ、もしかしなくても、全部の馬を見なきゃ駄目な感じ?)



 どういうわけか、次から次へと順番に馬を見せられている現状に、首を傾げていた。


 いや、まあ、それはいいのだ。


 もともと、そのために来たのだし。


 オジサンだけでなく、従業員一同から頭を下げられてしまえばもう、千賀子に断る選択肢はなかった。


 それに、ついでにといった感じで別の馬も見てほしいと言われるかもと思っていたから、特に気にしてはいなかった。


 しかし……まさか、『双の葉牧場』で預かっていたり飼育したりしている馬を全て見ることになるとは思っていなかった。


 しかも、馬だけではない。


 他に飼育している家畜も見てほしいと言われたのだ。


 正直、『あの、本気で私を獣医の卵かなにかだと思っていませんか?』と問い質したくなったが……あまりに真剣な目でお願いされたので、千賀子は黙るしかなかった。


 もちろん、『知識も何もないから、後で責任を求めない』ということを大前提にしたうえでの事だが、それでも構わないと即答されてしまい……頑張ることになった。




 ──その1:鞍を乗せられない馬。


「この子はどうですか? くらを乗せようとすると、とにかく嫌がってしまって、このままだと……」

「え~っと、鞍ってなんですか?」

「あ、馬の背中に載せる、そうですね、騎手がお尻を乗せる道具なんですけど、実物を見ますか?」

「いや、そこまでしなくても……ん~、たぶんなんですけど、その鞍ってやつをじっくり見たいんじゃないんですかね?」

「え?」

「ほら、人間でも、自分で使うやつってじっくり確認したいでしょ? それと一緒で、じっくり見てから使いたいんですよ、そのお馬さんは」

「そ、そうなんですか……ありがとうございます!」




 ──その2:途中で急に食事を止める馬。


「この子なんですけど、どうしても十分な食事を取らなくて……平均の半分ぐらいしか食べないんです」

「器が気に食わないっぽいよ」

「え?」

「誰かが使ったものが嫌いっぽい。桶でもなんでもいいけど、この子のためだけの特別を用意したら、喜んでいっぱい食べると思うよ」

「あ、ありがとうございます!」

「あと、この子は基本的に食べるの遅いっぽいから、ゆっくり時間を掛けたらちゃんと食べてくれるよ」

「ほ、本当に、ありがとうございます……!」




 ──その3:病気になる前段階の牛


「この子は、食肉用としてつい一ヶ月前に仕入れたやつなん──」

「可哀想だけど、この子は殺処分した方がいいよ」

「──え?」

「風邪なのかな? まだ表には出ていないけど、今なら他には移らないと思う。うん、今なら、この子だけで済むと思うよ」

「……え、本当に?」

「なんとなく、かな。うん、なんとなくだけど、この牛が使っている部屋の藁やら何やら全部掃除して、アルコールとかで消毒して……3週間ぐらい乾かしてからの方がいいと思う」

「──え、えらいこっちゃ……!!!!」

「まあ、なんとなくな話だから、参考の一つに──」

「──しゃ、社長! 奥さ~ん! 大変です、前に仕入れた牛に病気の兆候がー!!!!」




 ──その4:仕入れた豚が非常に攻撃的


「こ、この子はどうでしょうか? これも食肉用として育てているのですけど、どうも性格が攻撃的で、他の豚にちょっかいを掛ける頻度が高くて困っているところでして……」

「あ~、この子も可哀想な感じかな」

「え!? ま、まさか……!!!」

「あ、いや、違うよ、そうじゃないよ。この子は生まれつき満腹を感じないようだから、可愛そうだなって……」

「え、満腹を?」

「うん、ず~っとお腹が空いているような状態だから、ず~っと苛立っている。可哀想だけど、これもどうしようもないと思う」

「そう、ですか……」

「たぶん、他の豚にちょっかいをかけるのも、お腹が空くあまり苛立っていたんじゃないかな……って」

「なるほど、分かりました、ありがとうございます」






 ……。



 ……。



 …………とまあ、そんな感じで順々に見続ければ、日も暮れるわけだ。



 さすがに、夜通し車を走らせるのは危ないし、万が一があっては……ということで、『双の葉牧場』に宿泊することになった。


 まあ、もともと、状況に応じて泊まることにはなっていたので、千賀子も道子も、家に電話で連絡を入れたら、それでOKとなった。



 ……で、だ。



 明日に持ち越すのは気分的に嫌だから、今日中に全部見られるならば……といった千賀子の要望に従い、ぶっ通しで作業を行い……そして、最後の一頭。



「この子は、『ポンポコロウシ』と言います。愛称は、ロウシ。『双の葉牧場』では1,2を争う高齢の馬で、今年で20歳にもなるんですよ」



 その言葉と共に厩務員が手綱を引いて来たのは、うっすらと顔まわりの毛が白くなっている、高齢の馬であった。


 人間で言えば、60歳ぐらい。


 この馬も競走馬ではあるのだが、全体的にずんぐりむっくりしている。成績はパッとしないが、若い頃はボスとして他の馬や家畜を統率していた……とのことだ。



「この子は他の馬たちに比べても特に大人しくて優しく、指示もしっかり理解出来るぐらいに頭の良い子なんです」

「ふ~ん、確かに優しそうな顔をしていますね」



 そう評した千賀子だが、それは御世辞ではない。


 実際、千賀子がこの『ポンポコロウシ』に対して抱いた感想は、ロウシ……老師、すなわち、長老といった感じであった。


 他の動物とは違い、神通力を使わなくても変に興奮したりしない。優しく、穏やかに、千賀子を見つめている。


 それはまるで、幼い娘を見守る老人であるかのようにすら、千賀子には思えた──っと。



「……あんた、私に感謝しているの? 律儀な子ね」



 ゆっくりと歩み寄って来たロウシは、千賀子に向かって鼻先を近付けると、そのままゆっくりと頭を下げた。


 馬特有の長い顔を撫でて、首を摩ってやれば、うっとりと目を細め……猫を思わせるその顔に、思わず笑みを浮かべた千賀子は、従業員に告げた。



「特に悪い所はない。年齢から考えてもかなり若々しいから、けっこう長生きすると思う」

「そうですか……良かったな、ロウシ」



 嬉しそうに笑った厩務員は、「ありがとうございました」と千賀子に頭を下げると、手綱を引いて──引いて──ん? 


 それは、何時もとは違うのだろう。


 困惑した厩務員がいくら手綱を引いても、ロウシは動かない。まるで足に根が生えたかのようで、ビクともしなかった。



「ロウシ? どうしたんだ?」



 思わずといった様子で厩務員が問い掛けるが、ロウシはブフフンと小さく鼻息を吹いただけで……その視線は、ずっと千賀子を見つめていた。



 ……。



 ……。



 …………え、これって? 



「あんた……もしかして、私の所に行きたいってわけじゃ……ないわよね?」



 嫌な予感を覚えた千賀子が尋ねれば、実にタイミングよく『そうだ!』と言わんばかりに、ヒヒンと鳴いたのであった。


 これには、千賀子も困ってしまった。


 いや、千賀子だけではない。厩務員は当然として、千賀子の後ろで終わるまで付き添っていた道子も、おやまあと困った様子であった。



「あの、この子っていつもこんな感じなの?」

「いやいや、そんなわけないよ。私もここで働いて十数年になるけど、こんなのは初めてだ……あ~、困ったなあ……」



 聞けば、明らかに普段とは違う反応だという。


 厩務員が何度も声を掛けて手綱を引くが、やはり、動かない。『千賀子が受け入れてくれるまでは』と言わんばかりに、ロウシは本当に動こうとはしなかった。


 ……そのまま、10分ぐらいだろうか。


 あの手この手で注意を逸らし、なんとか引き剥がそうと厩務員が頑張り、異変に気付いた他の者たちが集まり始めた……そんな時だった。



「ん~、オジサンに相談してみる?」



 成り行きを見守っていた道子が、そう提案したのは。






 ──────―──────―




 千賀子の前世の秘密



 前世の学生時代、千賀子(この時は男)は歌とダンスが上手ければ女にモテるという情報を雑誌より鵜呑みにし、練習した事がある


 彼女が欲しいあまりかなり真剣にやっていたらしいが、そもそも不細工が踊っても……と我に返ってしまい、それっきりとなった


 ちなみに、彼女は出来る気配すらなかったらしい。


 その時に練習したダンスや歌は転生した後でもしっかり覚えており、今でも機嫌が良い時などに無意識に口ずさんでしまうのだとか


 なお、今生では『ガチャ』のおかげで身体能力などが向上している分、前世よりはるかに上手に歌って踊ることが出来ている。


 だが、当人の中では比較対象が『世界トップレベルのダンサー』なので、自分ってば転生しても下手だなあと思っている


 ……なんで比較対象がそれなのかって? 


 そんなの、当時の友人たちはダンスなんてガラじゃないって思っていて、借りて来たビデオやDVDにて1人で練習していたからである


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