エピローグ「高い声のカエル」
スマホの右上に表示された時刻を見る。21時00分。
配信予定の時間までは、ちょうどあと1時間半。
私は時間を守るタイプだから、こうして一時間前には準備を済ませておかないと不安になる。
シャワーは既に浴びてある。配信が終わったら、ほどなくして寝ることができる。これでOK。
椅子に深く腰掛けて、私は瞳を閉じた。そして、この数か月に思いを巡らせる。
白磁のような肌に、生糸のような白い髪、そして白を基調にしたドレスを身に纏った、深紅の瞳が綺麗なアルビノのアマガエルの女の子。
そもそもカエルは人間から嫌われがちだし、普通とは違うアルビノの個体だから友達も少なくて、そのせいで周囲に悪態をついてしまう(毒を持っているカエルなので)けれど、本当はみんなと仲良くなりたい寂しがり屋さん。
カエルのネガティブなイメージを払拭しようと、仲間のことを色々と教えてくれる物知り
それが私に与えられた、VTuberとしての体だった。
一緒にVTuberをやってみないかと彼女から誘われたのは、確か、一緒に動物園に行った日の翌日だった。
これまでも何度か軽く誘われたことはあったような気がするが、私が肯定の返事を返したのはそのときが初めてだった。
それからはとんとん拍子で話が進み、花の妖精さんとのコラボで華々しいデビューを飾り、今まで順調に活動を続けてきた。
――どうして私は彼女の誘いを受けたのか。どうして、私は。
この時間。配信の準備が整って、開始予定の時刻を待っているこの時間。
私の頭には、決まってこの疑問が浮かんでくる。
どうして、私は、こんなことをしているのか。どうして、私は、こんなことをしているのだろうか。
社会人経験のある彼女とは違って、私はただの大学院生だ。
学部のときからお世話になっているペットショップに少し顔を出してはいるものの、可処分時間は当時から減っており、金銭的に余裕が有り余っているわけじゃない。
朝は多少遅くてもいいという院生の特権を握りしめて、少しでも生活費の足しにできたらいい。
在宅でできるし、配信の内容もタイミングも自分の裁量で決められる。
というのが、表向きの理由一つ目。
二つ目の理由は、いつかどこかでこの経験が役に立つかもしれないから。
自分でもすごく曖昧な理由だとわかっているけれど、VTuberなんてそう簡単にできる経験じゃない。せっかく既にバーチャルのフィールドで活躍している友達がいて、色々と手助けしてもらえるのならば、何事も挑戦してみるべきだと思った。
一応、これも嘘じゃない。
……でも、本当は、私は、彼女を繋ぎ止めておきたかったのだ、と思う。
これまで私は、彼女にとって「変わったものが好きな友達」でいることを心掛けていた。
実際にカエル類を始め、そういう生き物全般は好きだ。好きが高じて院進までしたんだし。
でも、それだけじゃなかった。
私はずっと、彼女の目に「変わったものが好きな子」として映るような振る舞いをしてきた。意図的に。
そうじゃなかったら、動物園の両生類・爬虫類コーナーへ行くのに誘ったりしないし、苦手な人が多い生き物の話だってしない。
そうしていれば、彼女との関係がいつまでも変わらず続いてくれると信じていた。
最初、「朝守すみれ」のことは純粋に応援していた。
彼女のことだから、どうせ会社で何か人間関係のトラブルに巻き込まれたのだろう。昔からそうだった。中高では私が近くで見守っていたが、高校を卒業して、それぞれ違う道を進むことになってからはもう、私の手は届かない。彼女が何を抱えているのか、何に苦しんでいるのか、今の私には知る由もない。それでも、常に心配はしていた。
だから、配信者としての活動を通して、せめて彼女の気が晴れてくれればいい。そう願っていた。
気付けば、彼女の人気はうなぎのぼりとなっていた。そして、ASMRというものを始めたらしい。
……。
……。
……。
画面の中の彼女の姿は、私にはたいそう面白くないものになっていた。
彼女のあんな姿、見たくなかった。あんな声、聞きたくなかった。それが私の本音。
誰かもわからないたくさんの聴衆の前で、あんな甘えた声を出している親友の姿は、ひどく悲しいものだった。
悔しかった。私がずっと見守ってきた彼女が、まるでぽっと出の何者かに奪われてしまったような感覚になった。
配信内容は「朝守すみれ」とだいたい同じ。ASMRがメインで、たまにゲームもする。
二人の配信時間はコラボ以外では被らないから、どちらもリアタイで聞くことができる。
コラボ配信では強烈な毒舌で(視聴者と)すみれを困らせているものの、個人でのASMRのときには(寂しがり屋設定全開の)甘ったるいロールプレイが視聴者の脳を蕩けさせる。
それでいて、雑談でときどき披露されるカエルなどの生き物のディープな知識にもファンがついている。
それが蛙鳴に注ぎ込まれた、VTuberとしての魂だった。
この数か月で自分がバーチャルの伏魔殿に組み込まれていったのがわかる。
今の私は、かつて私が蛇蝎のごとく憎んだ「高い声のカエル」だ。
いや、蛇も蝎も私は嫌いではない。特にヘビ類は好きだが。
私はあの日、彼女に「高い声のカエル」の
SNSでたまたま目にした一節からインスピレーションを得た、彼女と彼女のリスナーに向けた最大限の皮肉だ。
自分の好きなものをあんな形で利用するのも、そんなSFによって彼女に悪意をぶつけてしまうのも抵抗があったが、彼女が相変わらず元気そうにしているのを見て、抑えきれずつい口にしてしまった。
何がいいのか理解できない。
でも、蛙鳴の姿でなら。
前みたいに、すぐそばで彼女を見守ってあげることができる。
ならば、今は、それでいい。
アラームが鳴る。配信の開始は間もなくだ。
そうして今宵も、私はとびっきりの高い声で鳴く。
「また来てくれたんだね。じゃあ……」
「今夜もあめいと一緒に、いっぱいおやすみ、しようねっ♡」
VTuber「朝守すみれ」の日記 @mellita
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