何事もなし、あるいは、何が大鳥を殺したのか

プロ♡パラ

第1話


 大鳥の背に乗り帝都の空を舞う空騎士は、秩序の守護者であると同時に、皇帝の命で反逆者を捕える弾圧者でもあった。

 しかし今、皇帝は失脚し、帝都は完全に共和派の支配下に置かれた。


 その日、共和政府の高官が手勢を引き連れて訪れたのは、大鳥を繋養する塔厩の一つであった。

 この塔厩に務めるひとりの厩務員は、戸惑いと恐れが混じった表情でこの高官を迎えた。

「共和政府の方が、こんなところに、どのようなご用でしょうか。ここにはトリがいるだけですが……」

「この塔厩に、"流星号"がいるだろう」と高官は抑揚のない声で言った。彼は無表情のまま、儀礼的にも思える無機質さだった。「それのところまで案内しろ。これは共和政府としての命令だ」

 厩務員はへりくだったような笑いを見せた。

「ああ、それなら。流星号は、怪我がもとで死んじまいましたよ。へへ、残念でしたね。トリに会えず、トリあえず。あいつはもう、墓の下で──」

「共和政府を舐めるなよ」と高官はすごんで見せる。「きょうび、密告者なんていうのはいくらでもいるんだ」

「──」

 途端、厩務員は目に見えてうろたえ、絶句した。

 高官らは厩務員を押しのけると、塔厩に踏み入り、探り当てたらせん階段を登っていく──


 流星号は、帝都において名の知れた大鳥だった。とある名うての空騎兵の乗騎であり、これまで数多くの大物犯罪者──中には政治犯を含む──を捕えてきたのだ。

 革命の混乱のさ中では、空騎兵は皇帝の側について戦い、流星号もその際に重傷を負っていた。


 塔厩の最上階に、その大鳥はいた。

 人の身の丈を越える巨大な猛禽が、いまや満身創痍だった。伏せられた巨体は呼吸のたびに力なく脈動し、頭は力なく寝藁の上に置かれている──ただし、そのまさしく獲物を睨みつけるための鋭い眼光は、低い位置からでも見慣れぬ侵入者を睨みつけていた。

 高官は、その大鳥をしげしげと眺めたが、やがてその視線を遮るように、厩務員が割り込んできた。

 厩務員は、悲鳴のような声を上げた。

「こいつをどうするつもりですか! こいつはもうずたぼろじゃないか!」

「……なに、不当なことをするつもりはない。これから行われるのは、すべて正当な行いだ」

 高官は朗々と続けた。

「われら共和派の教祖たる”ヤン教授”は、オルゴニア皇帝の命によって逮捕され、獄中でなぶりものにされて惨死した。──64の肉体破壊と16の辱め、合わせて80の責め苦を受けてな。この数には間違いがない。なにせ、われわれ弟子たちで直々にその亡骸を検分したものだからな。これは間違いのない数字だ」

「……それが、なんの関係があるんだ」

「われわれは革命を成功させ、そして皇帝に80の責め苦を、まったくそのまま、返却しようとした──しかしあの惰弱な男は、責め苦の半分にも達することなく死にやがった」

 高官の目には、冷たい憎悪と軽蔑が宿り、それを放射しているかのようだった。

「収支が合わないだろう? 収支を合わせることはなによりも大事だ……だからわれわれは、あの皇帝が払いきれなかった残りの責め苦を清算すべく、共和主義的な法理論に則って罪の割合の再計算を行ったんだ……当時の大臣、政府官僚、裁判官、看守──そして、ヤン教授を捕えた空騎兵。それぞれの罪の重さに応じた数の責め苦を負わせるためにな。あの空騎兵は、本来は3つの責め苦を受けるべきだった。2つ受けた時点で死んじまったよ。──まったく、だらしのない連中だよ。ヤン教授が受けた苦痛に比べれば、連中の劣等性は明白だ──さて、残った1つの責め苦だが……」

 高官の指は、瀕死の大鳥を指した。

「乗騎である流星号に受けてもらうこととなった」

「──こいつは関係ないだろ!」厩務員は憤然と声を上げた。

「しかし、流星号はヤン教授を捕えた『功績』で、空騎士とともに勲章を受けているな?」

「命令したのは、みんな人間じゃないか。こいつは、従っただけだ」

「だが、その命令に従って捕えたのが、ほかでもないヤン教授だった」

「……人間の罪を、大鳥にかぶせようっていうのか?」

「それが論理的帰結さ。誰かが、贖わなくてはならないものだ」

「──じゃあ、その責め苦はおれに与えろ」

「お前が?」

「人間の罪を大鳥にかぶせようっていうのなら、反対に、大鳥の罪を人間がかぶることだってできるだろ」

 二人はしばしにらみ合った。

「お前こそ、無関係ではないのか?」

「こいつを育てたのはおれだ。……こいつは、卵を割って出てきたところから、おれが、手ずから育てたんだ。こいつがやったことは、おれに責任がある」

「……なるほど。まあいいだろう。われわれの目的はあくまで、ヤン教授が受けた責め苦を清算することにある。お前が引き受けるというのなら、それでも問題はない」

 高官は、あたりを見わたした。そして、大鳥の出入りのための空中へ続く扉を見て、ひとつうなずいた。

「ちょうどいい責め苦が一つある。『高所からの転落』だ。ヤン教授も監獄の屋上から戯れに突き落とされたんだ。両足の骨折と重度の裂傷、全身打撲──おまえも、運が良ければこれで済む。不具者になるだけで、死なずに済む。無論、打ちどころが悪ければ即死するだろうがな。……どうだ? 怖気づいたか?」

「おれがここから飛び降りたら、流星号には手を出さないんだな」

「そうなるな。責め苦の清算さえ終われば、死にかけの大鳥なんかに用はない」

「そうかい。じゃあ、そうするよ」

 

 厩務員が近づくと、大鳥はゆっくりと頭をもたげた。そしてその胸に頭をこすりつけ、甘えるような声を出した──

 厩務員は、大鳥の頭を撫でまわす。首のあたりをさすってやり、じゃれつく大鳥をいなしてやった。

「──人間っていうのはさ、勝手な生き物だよな」

 最後に何度か大鳥の頭を軽く叩いてやり、そして、厩務員は空中へと続く扉の方へとむかった。

 塔厩の最上階であるこの高さから地面を見下ろすと、身がすくんだ。加速度的に地面が近づき、そのままたたきつけられるような光景が頭の中に広がった。──けれど、それはあくまで肉体的な反射に過ぎなかった。彼は、腹の底ではすでに覚悟を決めていた。

 大鳥に救われた人生だった。であれば、大鳥のために投げ出すのも悪くはないだろう。

 強張る体を動かして、彼は、その身を投げた──


 その瞬間、厩舎の中に嵐が巻き起こった。

 人の身丈を大きく超える猛禽が、死力を尽くして荒々しく羽ばたいたのだ。

 巻かれていた包帯を破り、繋がれていた鎖を引きちぎる。羽根と寝藁、そして血しぶきが厩舎の中にまき散らされた。

 流星号は突風のように、外へと飛び出した。

 地面に向かい猛然と降下し、宙にある男の身体の下に滑り込むと──大鳥は下敷きとなり、地面に激突し、絶命した。

 厩務員の男は、無事だった。彼は自分の身に起きたこと──流星号がその身を呈して成したことを理解すると、その死体に縋りつき、身を震わせ、大きな声を上げて泣いた。


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