帰還

ついに、やってしまった。イブキは恐怖からの開放感とこれからの事を憂う気持ちで、塵と化す山猫を呆然と見つめる。

 しかし、イブキの片腕に包まれるアムが小刻みに震えていたので、何とか思考を現実に戻すことができた。

 魔物を退治していたとは言っていたが、やはり人間には恐ろしかったのだろうと、心配して自身の胸に顔を埋めるアムを見ると、イブキは心底驚かされた。

 なんと、アムは笑っていたのだ。

 しかも、先ほどまでの美しい微笑みではなく、卑しい、下卑た笑いだ。

「あ〜あ、やっちゃったねぇ」

 絶望するイブキと対照的になぜか嬉しそうなアム。

 一体誰のせいでこうなったのだとイブキは途端に怒りが湧いてくる。

「ちょっと!!一体誰のせいと思って…」

 

 ゴーン、ゴーン、ゴーン


「!!」

 空から鐘の音が聞こえてくる。見回りの交代の合図だ。とりあえず戻らなくては。そして、正直に全てを話してみよう。

 そうすれば、恵殿の何かが変わるのではないかという少しの希望に賭けたい。

 こうなってしまっては、自分が正しいことをしたと信じて行動していくしかないのだ。

 そう密かに決意すると、イブキはアムを適当に放り出すと、花羽を広げる。

「ねぇ!…行っちゃうの?」

 その場にあぐらをかいて座るアムが言う。

「花姫が待ってるから、…行かなくちゃ」

「ふぅん…。私はあんまりいい場所とは思えないけど」

「私はあそこしか帰る場所がないの」

「そんなこともないでしょ。帰る場所なんてつくればいい。この地上にはいくらでもあるでしょ」

「あなたはそうかもしれないけど」

 アムの無神経な言葉がイブキの神経を逆撫でする。

 花御子は背中の花羽が人間にとって害をなすので、地上に長居していては迫害を受ける。中には恵殿に恨みを持っている人間もいるので、最悪の場合殺されてしまうかもしれない。

 そもそも自分の場合は、恵殿の裏切り者として他の花御子に追われてしまうのではないのだろうか。

 イブキはアムの方を振り返って、ジロリと睨む。

 対照的にアムは無垢な子供のように目を輝かせて、イブキを見つめる。何も考えていなさそうな顔だ。それが尚更イブキを苛立たせる。そんなイブキの様子にわざと気づいていないのかは不明だが、何かいいことを思いついたと言った表情を浮かべると、イブキにこう告げた。

「あ!私がイブキの帰る場所になってあげてもいいよ」

「…はぁ?」

 先ほどまで大怪我をしてぐったりしていた人物とは思えないほど、軽快な喋り方だ。それに、知ってか知らないでか未だ恵殿への忠誠と不信の間で揺れるイブキにとってセンシティブな言葉を平然と投げかける。

「…誰が言ってるんだか!」

 もうこれ以上揺さぶられてたまるかと、イブキはアムに振り返ることなく恵殿に向かって飛び立つ。

 何かを呼びかけるアムの声がどんどん遠ざかっていく代わりにイブキの心の声はうるさくなった。

 

 これからどう動こうか。

 花姫の元に帰り、包み隠さず全てを正直に話したとして、それをまるで意味のない行為のように一蹴されてしまったらどうしようか?

 花姫ならその時の機嫌次第で、話をまともに聞かずにそのまま処刑ということもあり得る。その逆で、イブキを猫可愛がりする時もあるので読めない。

 だが、山猫を倒したことは花御子としては間違った行為ではない。元々、花御子は魔物を倒すのが仕事だ。今はなぜか空から見守るだけに徹しているが。そもそも人間を襲う魔物を知らないふりしていた方がおかしいのだ。

 ただ、白昼堂々と花御子である自分が倒してしまったことが問題だ。これは恵殿と取引をした者達への信用問題に関わってくる。

 恵殿は花姫が探し求める宝石を納めた者には、種族に関わらずその命を脅かさない約束をしている。その約束は初めは人間や無害な魔物とのものだった。だが、山猫はどこからかそれを聞きつけて宝石を持ってきたのだ。

 だから、むしろ感謝されてもいいくらいなのでは?扱いにくい魔物を倒したのだ。

 いや、感謝されたくて倒したわけではないが。むしろ、半ば嫌がらせの気持ちでやったことだ。

 イブキはそんなことをぐるぐると考えながら空中で身じろぎする。

 もう恵殿が近づいてきた。あぁ、帰りたくない。帰る場所はここしかないのに。

 ふと、アムの言葉を思い出す。

 いや、あいつの所も考えものだな。きっと振り回されそうだ。イブキは思わずフッと笑う。

 初めこそ、あの自由な行動に憧れのような感情を抱いたが、きっとあれは無責任さからくる自由だ。

 自分にはとてもできる気がしない。現に今もこうやってうだうだ考えてしまう。

 それに、一緒にいたって自分の性格にいつかは愛想を尽かされるだろう。

 だから自分は1人でいるしかないんだ。

 帰ろう、恵殿へ。やっぱり自分の居場所はここしかない。

 美しい蕾が一面に広がり、奥の方に立派な屋敷が見える。

 帰ろう、花姫の元へ。

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