イブキの覚悟

「危ない!!」

 イブキの忠告は間に合わず、アムは自分の身長と同じくらいある大きな爪の犠牲になってしまった。吹っ飛ばされ、動かなくなるアム。

 自分のせいだ。自分が呼び止めてしまったからアムが攻撃された。

「ニャンだ…、イガイとアッケナカッタな」

 爪に滴るアムの血を舐め取りながら山猫がぼやく。

「コノオレにハムカウからだ、このままクッテヤルか、ソレトモ、キリキザンでヤロウカ…」

 人間の子供の身長ほどある大きな前足で、無抵抗のアムの体を転がす。転がる度にアムは苦しそうに咳き込み、時々吐血している。まだ、生きてはいるらしい。だがそれも時間の問題だ。

 

 どうする?助けるか?目の前で苦しんでいる人を見捨てられない。それに、アムがこうなってしまったのは自分が呼び止めたからだ。

 だが、助けたとしてその後はどうなる?怒れる山猫から情報が伝わり、恵殿を追い出されてしまうのだろうか。それに、他の花御子にこの場を見られてしまったら?

 そうなれば、その後はどうなる?

 きっと花羽をもがれて地上に落とされる。

 恵殿に背いた何人かは今までそうやって処刑されたと聞く。

 もしくは、そんな暇を与えられず殺されてしまうのか。



「ガハッ」

 アムの苦しそうな呻き声で、思考は現実に引き戻される。

 山猫の爪先で胸ぐらを掴まれ、だらりと宙に浮くアム。

 どこから出血しているのか分からないくらいに、血が滴っている。

 瀕死の状態だ。とてもじゃないが、連れて逃げるなんてできない。

 そうこう考えているうちに、山猫がアムにトドメを刺そうと爪を振り上げる。

 これはまずい。

「待て!!!」

 思わず口をついて出てしまったことに自分でも驚いて、口を押さえるイブキ。

「…ア〜?」

 ゆっくりとイブキの方に振り向く山猫。花羽を見て顔がみるみる内に怒りに歪む。

「オマエ、花御子ジャニャーカ!!」

 アムを爪の先にぶら下げたまま、イブキの方を見て地鳴りのような怒号をあげる。

「恵殿のヤクソクを破ッタナ!!!」

「ち、ちが…」

 恐ろしい形相で怒鳴る魔獣に怯んで、掠れ声で返答するイブキ。この状況と今まで自分がした所業を思い出し、頭が真っ白になり、心臓がこの場から逃げ出したいとばかりに跳ねている。やはり山猫は今までの下級魔物とは違って、格別に恐ろしい。

「…フン。マァ、いい。オマエはあとデ仕末してヤル。今はこいつダ」

 反抗の意思を示さないイブキを格下とみなし、再びアムに向き直る山猫。アムは最後の力を振り絞って、爪を振り払うようにもがく。

「ニャハハハ!ブザマだナ!まずハその手をきってヤロウ」

 高笑いする山猫。だが、次の瞬間、山猫の爪が皮膚から剥がれ落ちた。アムが例の力で突風を吹かせたのだ。

「ニ゙ャ゙!?」

 山猫はうずくまり、想定外の痛みに身を捩らせている。

 同時にドスンと音を立てて、大きく鋭い爪と共に地面に伏すアム。

 その目にはつい先程までの輝きは失われ、闇が広がっていた。その闇と目が合うイブキ。

 アムは口をパクパクさせている、何か言っているようだ。だが、何を言っているかは分からない。


「…なに?なんて言ってるの?」

 少しでも山猫から距離を取らねばと、イブキは山猫の様子を伺いつつ、アムに近づく。

 横たわるアムのそばに行き、アムの腕を自分の背中に回して抱えようとした時、アムがイブキの耳元で囁いた。

「…て…」

「は?」

 よく聞き取れなかったので、イブキは顔を近づける。

 するとどこにそんな力が残っていたのか、アムは上体を起こしイブキに抱きつく。怪我人とは思えないほどの強い力でイブキはほとんど拘束されているに近い状況だ。

人間は死ぬ前にこんなにも力がでるものなのか。とイブキはどこか冷静に考えていたが、再びアムを仕留めんと動き始める山猫を視界にとらえた。

 はやくこの場から逃げなくてはと、イブキはアムの背中を極力優しく叩いて、危険を知らせる。今のままではアムを抱えて逃げることはおろか、起き上がることもできない。

「ね、ねぇ!アイツが!は、はやく逃げないと!」

 イブキは恐怖に負けじと声を出す。だがアムは全く動くそぶりを見せない。もしかして死んでしまったのだろうか。あぁ、一体どうすれば!

 アムが動揺するイブキの頬に触れ、まるで赤子を見守る母のように美しく微笑む。

「イブキ」

「あぁ!よかった!早く逃げ、んむ」

アムの親指がイブキの頬を滑り、唇を押さえる。そのせいでイブキは喋れない。代わりにアムが口を開く。

「たすけて」


 山猫が腕を振り下ろしている姿がアム越しにスローモーションのように見える。

 アムの言葉がイブキの心の奥底に沈んでいた、とある思考を呼び覚ます。

 なぜ、自分はこの魔物を恐れているのだろう?

 イブキはふと、立ち返る。

 この魔物は自分の保身のために、魔物としての誇りを捨て天敵である花御子に魂を売った。

 そして、危険な事は森の手下に任せ、自分は安全な所で平穏に暮らしている。

 あぁ、そうか。まるで自分達の様に見えたんだ。

 地上の平和を守るべき存在であるにも関わらず、安全な空から見守るだけ。助けを求める人間の声を平然と無視しては、自分達の幸福を追い求める。

 それを決して悪い事とは言わない。だが、それでは魔物と変わりはしない。

  私は、こんな意味のない恵殿をきっと壊してしまいたかったのだろう。

 そして山猫を倒す事は、自分にとって恵殿を敵に回すということだ。

 だから、イブキは山猫と対峙することが恐ろしかった。森の魔物とは違って、倒してしまえばもう二度と引き返せなくなる気がしたのだ。

 だが、今となってしまってはそんなことをぐだぐだと言ってられない。目の前の助けを求める人間を救うことが第一だ。

 それに、いずれは自分の所業は山猫に気づかれて早かれ遅かれこうなるはずだっただろう。それが今になっただけだ。何も恐ろしい事はない。

 決意の宿るイブキの瞳が、山猫を睨む。

 弱きを助けるという花御子の本能が、イブキの花羽を開花させる。


「『花蕾からい』!」


 イブキはアムを抱きかかえながら、手のひらを山猫にかざす。すると、手のひらから放出された球状の雷は山猫の周りにまとわりつき、各々が放電し始めた。


「に゙ゃ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!」


 山猫は雷の檻にいれられたかの如く黒焦げになり、その場に伏す。そして、体の風化が始まる。魔物が死んだ時は地上に肉体が残らない。

 山猫は塵と化し、風に吹かれて空へと舞い上がっていく。

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