突然変異


「私はね、恵殿が嫌いなんだ。だからいつかあの空から消したいの」

アムが空を見上げて言う。春先の温い風が吹く。

「だからイブキみたいなワルイコは大好き」

「それは…どうも」

 長いこと花羽を閉じているのと、泣いたことでぼうっとしていたイブキは、あまり話を聞いていなかったが名前を呼ばれたので反射的に返事をした。

 アムの言う「ワルイコ」とは恵殿をよく思っていない者のことを指すのかと理解するイブキ。

 それにしても、初対面の相手に突然号泣したことはイブキにとってとても屈辱的だった。

 今まで1人で抱えていたモヤモヤが泣いたことで晴れたのだろう、頭がスッキリして冷静な思考が戻ってきた。

 そして、今まで気になっていたことをアムに投げかけた。

「ねぇ、あの不思議な力は何?人間だったらあんなことできないと思うんだけど」

 山猫の体を貫いたあの不思議な力。あれは魔力でも、人間の持つ技術でもない。花御子だけが持つ特別な力だ。イブキが山猫の注意を逸らしたのもその力を使ったのだ。

 

「……」

 珍しく黙るアム。すると、今まで優しく吹いていたそよ風が、急にごうごうと音を立てて吹き荒れ始めた。

「…っぐ!」

 イブキは真正面から暴風を受けたので、息ができなかった。まるで大きな壁に押し付けられているようだった。

 

「………!」

「え?……な、なに?」

アムが小さな口をパクパクさせているが、風の音で肝心の声が聞こえない。イブキは息絶え絶えになりながらも聞き返した。

 段々と風の勢いが弱まって、再び春の柔らかな陽気を運ぶ風へと戻った。

地面にへたり込んでゼエゼエと呼吸を整えるイブキに構うことなく、アムは言葉を続ける。


「………突然変異!」

にかっという効果音がふさわしい笑顔を浮かべて、イブキに手を差し伸べるアム。

「そんな訳あるか!」

 イブキはその手を払いのける。さっきの風のせいか花羽を閉じているからかクラクラして立つのが辛い。

「…はぁ、一体何なの、あんた…」

「私は魔物でもないし花御子でもない。恵殿が嫌いなただの人間だよ」

 確かに、花御子ではないのは確かだ。花御子には必須の花羽が生えていない。それに、魔力のかけらも感じない。だから、不服ではあるが消去法で人間ということになるのだ。

「納得できないわ…」

「私を分類するのは難しいかもね、だって私は私だから!」

 頭を抑えながらイブキが狼狽えるも、アムは胸を張って堂々としている。

 その様子にイブキは苛つき、思わず舌打ちをしてしまう。

「チッ」

「えっ、何で舌打ち?」

「別に、歯が痒くなっただけ」

「理由珍しっ」

 今のイブキの中では、先程までアムに向けていた好奇心より、自分の思うように事が進まない苛立ちの方が勝っていたので早くこの場を立ち去ることを考え始めていた。

 こんな得体の知れないやつの近くにいたら花御子の命ともいえる花羽をもがれて処刑されてしまうかもしれない。

 それに、さっきの山猫が追いかけてこないとも限らないのだ。

 空を見上げると太陽が恵殿に隠れている。

 そろそろ他の花御子と交代の時間だ。帰って花姫の世話をしなくては。

 先程まで抱いていた嫌悪感とは別に、あくまで日常のルーティンをこなそうとする自分に嫌気が差してくるが仕方がない。これが自分の人生なのだ。

 この先どんな出来事が起きても、自分の前に据えられた花姫へと続くレールは進路を変えることはない。

 このイメージがイブキの心の片隅をずっと支配している。

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