第6話
「ふうむ」
学校へ行く道すがら、僕は昨日のことを思い返していた。
秦野は自分ができる精一杯のことをし、しかしながら結果は振るわず、最終的に座間さんに拒絶(?)された。いわば悲劇のヒーローである。彼を責めることなどできないし、むしろ、よく頑張ったなと褒め称えたいくらいだ。
なんかよくわかんないけど勝手についてきた睦美は、佐伯とイトセンの関係に衝撃を受けたみたいで、その後の話が全然頭に入らなかったようだ。そういや、なんだか剣呑なことを言っていたな。「よし、今夜のおかずは教師が生徒を――」
さて、秦野の話なんだけど、気になった点が一つある。
それは、座間さんが頑なに助けを拒んだことである。秦野と親しくすることで、他の女子からの嫉妬を買い、それが火種となっていじめに発展する、なんてこともありえなくはない。だけど、それにしたって、彼女の態度はどこか不自然だ。
秦野の推測――『座間さんは誰にも頼りたくなく、自分がいじめに遭っていることを周囲に隠したがっている』
これはおそらく正しい。
正しいけれど、それがすべてではないと思う。
きっと、他にも何か理由があって、秦野を――ついでに僕も――頼らなかった。
その理由とは一体何なのだろう?
コートのポケットに手を突っ込み、アスファルトに向けていた目線を上げると、一〇メートルほど先に座間さんと思しき背中が見えた。若干猫背な姿勢でとぼとぼと歩く小さな後ろ姿は、まるで覇気が感じられない。幽霊並に存在感が薄く、くノ一とか向いていそうだな、と僕は思った。
負けじと僕も存在感を薄くさせ、忍び足で座間さんに近づく。ふたりの距離の概算がざっと一メートルに達したとき、座間さんが後ろに気配を感じたのか振り返ろうとした。先んじて攻撃をしかける。
「おはよう、座間さん!」
「どっひゃあ」
振り返ることもできずに、座間さんはその場でギャグマンガみたいに飛び跳ねた。枠を突き破って上のコマに到達せんばかりの勢いだった。
「だ、だだだ誰っ!?」
僕の姿を認めると、ほっと息を吐く座間さん。
「が、学前くんっ」
そうだよ。僕だよ。学前良樹だよ。
「おはよう」
「おはよ、ございます」
座間さんは丁寧に頭を下げ、それから左手に握った紙袋をずいっと僕に進呈した。おっ、お土産か? と思いきや、中には折りたたまれたコートの姿が。そうだよな、お土産なわけないよな。紙袋を半分に折って、スクールバッグの中に押しこむ。座間さんはもう一度、頭を下げた。
「あの、先日はありがとうございました。おかげで、軽い風邪で済みました」
「どういたしまして」
コートを貸さなかったら重い風邪になっていたことを思えば、貸した意味は十分にあったと言える。コートを失い風邪をひいてしまった僕も浮かばれよう。
座間さんはコートを着ていた。クリーム色のダッフルコート。彼女の体格に比べ、ワンサイズかツーサイズ大きい。肩のあたりで二つ結びにした長い髪が、歩くたびにコートの前で揺れる。一つの独立した生き物みたいに。
眼鏡をかければ、THE文学少女といった身なりだけど、視力は悪くないのか――あるいは、コンタクト主義なのか――眼鏡をかけているところを僕は見たことがない。ちなみに僕の視力は現在一・五である。目指せ、二・〇オーバー。
十数歩歩いたところで、座間さんが上目遣いでこちらを見てくる。あざとさは感じない。身長差が約二五センチあるので、自然と上目遣いになってしまうのだ。不覚にもドキッとしてしまった。
「あのぉ……」
「なんだい?」
「よかったら、一緒に学校行きませんか……?」
「うん、まあ、そのつもりだったんだけど」
「す、すみません」
あれ? 一昨昨日もこんな感じの会話しなかったっけ?
てくてく歩きながら(座間さん、歩くの遅いなあ)、先ほどの続きを考える。
どうして、座間さんはいじめのことを誰にも相談しなかったのか?
いじめに遭ったことはないけれど、当事者の気持ちはなんとなく理解できる(と、僕は思っている)。家族であれ、友人であれ、先生であれ――誰かにいじめの話をするのは勇気が必要で、なかなか相談し辛い内容だ。
それはわかる。
だけど、それにしたって、彼女の態度はどこか不自然だ。
……あれ? さっきも同じこと考えなかったか? 気のせい? いや、気のせいじゃないよな。ああ、駄目だ。同じところをぐるぐるぐるぐる堂々巡り。
すぐ隣に当の本人がいるんだから、ストレートに聞いちゃえヨ。心の中で僕(天使)が囁く。いや、お前も座間さんに拒絶されたんだから、これ以上首を突っ込むなヨ。もう一人の僕(悪魔)が囁く。いやいや、いじめを見てみぬ振りをするなんて駄目だヨ、助けようヨ(天使)。いやいやいや、善人を気取って場を引っ掻き回すのは悪徳だヨ、放っておけヨ(悪魔)。いやいやいやいやー―そして、流れ始める天国と地獄。
「あの……私、なんかついてますか?」
顔を両手でべたべた触りながら、座間さんが尋ねてきた。
「ゑっ?」
すっとぼけた裏返り声がまろびでた。
「えっ、いや、その……学前くん、さっきから私の顔ちらちら見てるから、何かついてるのかなあ、と」
「目と鼻と口が」
「ゑっ?」
今度は座間さんの声が裏返った。
「……ごめん。なんでもない」
ジョークは不発だった。このジョーク、今のところ百発零中なんだよなあ。
どうにか挽回できないものか、焦燥感を抱きつつ僕は考える。
『座間さんがかわいすぎるから、ついチラ見しちゃったんだ』
よし、これでいこう。盛大な爆死の予感がぷんぷんするんだけれども。
というか、座間さんってジョークとか通用するタイプなのかな? すべてを真に受けそうなんだけれども。
「本当は、座間さんがか――」
「おはよう」
真横から声をかけられ、僕と座間さんはビクッとなった。
秦野はブレーキをかけて自転車から降りると、それをからから押しながら、さも当然のように僕の隣を歩く。どうやら、一緒に登校するつもりのようだ。
座間さんの表情をうかがってみる。別段変わりはない。秦野のことが嫌いとか苦手ってわけではなさそうだ。なるほど、彼女が拒んだのは『いじめに干渉されること』であって、秦野開成ではないわけだ。
秦野と座間さんってどんな話をするんだろう? というか、この二人って仲良いのか? 二人が喋っている場面を、僕は見たことがない。
と思っていたら、やたらと僕に話しかけていた秦野が、座間さんにも話を振った。さすがは気配り上手の秦野くんだ。
「そういえば、座間さん――最近、小説書いてる?」
「え? まあ、はい……」
僕を横目で見つつ、座間さんは答えた。
「完成したら読ませてね」
「りょ、了解です」
敬礼せんばかりの勢いだった。
この二人、どういう関係なんだ? 疑問は深まるばかり。
「確か……」僕は座間さんに言った。「恋愛ものを書いてるって言ってたよね」
「あ、はい。そうです。恋愛ものです」
「どんな内容なの?」
「え。それは……」
「それは?」
「そのー……」
「そのー?」
「ひ、秘密ですっ」
顔を完熟トマトにして、座間さんは言った。顔を朱に染めるほど、羞恥に満ちた内容なんだろうか? ねっとり濃厚性描写マシマシだったりするのかな?
「きゃー、座間さんのエッチー」
僕は棒読みで言った。半ば冗談だったのだが、座間さんは真に受けたようで、
「そ、そんなんじゃないですっ!」
必死の形相で首を振った。髪を振り乱す様は、さながらヘッドバンキング。
「じゃあ、性描写はないんだ?」
「いや、まあ、それはそのぉ……」
座間さんは言い淀んだ。しれっと嘘をつけばいいのに。正直者だなあ。
「なぁんだ。やっぱ、性描写あるんだ」
「うううぅ……」
今にも泣きだしそうに呻いている。犬か猫の唸り声のようにも聞こえる。
これじゃあ、まるで僕が座間さんをいじめているみたいじゃあないかっ!
ところで。
いじめとはなんなのだろうか?
何を持って、いじめと定義するのだろうか?
それを厳密に定めるのは難しいと思われるが、被虐者が『自分はいじめられている』と認識すれば、それはいじめとなるのではないだろうか。
これに照らせば、僕のほんの少しだけ意地悪な発言が――座間さんの認識次第ではあるが――いじめと判定される可能性は十分にあるわけで。
ごめんごめん、と僕は真摯に謝罪。
「冗談だよ、JODAN。座間さんの書く小説は、性描写とは無縁のプラトニックな恋愛小説なんだよね?」
「あ、いえ……プラトニックなやつはあんまり書かないです」
おい、俺のフォローを無下にするんじゃあない。
「あ、その、そういう描写はあったりしますけど、それがメインじゃなくて――つまりは官能小説とかじゃなくて、なんていうか、物語を彩るための文学的な性描写というか……」
「なるほど」
まったくわからんけど、さも得心がいったように頷いておく。
座間さんが書いた小説――まあ、気になるといえば気になるんだけど、なにがなんでも読みたいというほどではない。なんだかパンドラの箱感あるし、無理して開けないで、そっと閉じたままにしておこう。
「実はね」
ASMRみたいに、秦野が囁いてきた。
「俺さ、座間さんのファンなんだよ」
「それって……座間さんの書く小説のファンってこと?」
「もちろん」
それ以外に何があるんだい、と言いたげに肩を竦める秦野。彼の柔らかな微笑みに、嘘偽りの陰は見えない。だけど、彼のバリエーション豊かな表情は、本物のようでいて同時に偽物のようにも見えるのだ。
昨日のことを思い出す。
『座間のこと好きだったりするのか?』と尋ねた睦美に対し、秦野は笑って否定していた。それが作り笑いには見えなかったし、『座間さんに恋愛感情はないよ』という台詞にも嘘は混ざっていないように見えた。
実を言うと、僕も睦美と同様の疑念を抱いていた。
座間さんに好意を抱いていたから、秦野は必死になって彼女のことを助けようとしたのだ、と。
だが、その推測は間違っていた。
秦野は下心なく、純粋な正義感から座間さんを助けようとしたのだ。いや――『じゃあ、ただの正義感か』『そんな大層なものじゃないさ』――強いて言えば、座間さんのファンだったから必死になった、とか? あの秦野がファンになるほどの娯楽性と文学性を兼ね備えた小説とは一体……?
座間文学、気になるな。パンドラの箱が開きそうになる。
「彼女の書く小説はとてもユニークだ」
英語を翻訳した文章のような物言いをする。
「どんな内容なの?」
今度は秦野に尋ねると、墓穴を掘ってしまった顔をした。
「え。それは……」
「それは?」
「そのー……」
「そのー?」
「ひ、秘密だよっ」
「おんなじ反応をするんじゃあない」
どうして、二人とも僕に隠そうとするのだ? ひょっとして、僕はハブられているのか?
しゅん、としょげてみる。ぴえん。わざとらしい顔芸ほどに悲しくはなかったが、まったく悲しみがないと言えば嘘になる。
中学時代の林間学校を思い出した。夜中にクラスの野郎どもによるエロ本鑑賞会が行われたのだったが、普段の真面目な(?)行いが災いとなり、僕はエロの輪に入れてもらえなかった。エロに興味がない奴らやエロに目覚めてない奴ら、硬派を気取っている奴らと同列に扱われ、彼らとカバディに興じ無聊を慰めたことを僕は生涯忘れないだろう。
素直な座間さんは、僕の顔芸にころっと騙されてくれたようで。
「あの、えっと……学前くんが読んでも、きっと面白くないから……だから秘密なんです」
「その説明はいささか論理が破綻してるんじゃないかな?」
うっ、と座間さんは声を詰まらせた。
そのまま窒息死するんじゃないか、と思うほどに長い沈黙の後、
「び、びぃえぅ……」
「ごめん。今、なんて言った?」
「私が書いてるのは、その……BLなんです。ボーイズラブ。だから、学前くんが読んでも面白くないと思うんです」
座間さんは言った。
「――別に好きじゃないですよね、BL?」
「まあ、興味はないかな」
そういや、座間さんが好きだって言ってた漫画『君のナカで果てたい』もボーイズラブだったなあ。なるほど、座間さんはいわゆる腐女子というやつなんだな。隠したがるのも納得だ。BLにこれっぽっちも興味のないクラスメイト(男子)に、自作BL小説を読まれるのは恥辱の極みというものだからね。
……ん? ちょっと待てよ。
秦野は座間さんの書く小説のファンだと言った。
それってつまり、BLが好きってこと? え、マジで?
いやまあ、確かに世の中にはボーイズラブが好きな男だって存在するだろうが、かなりの希少種であることには違いない。人の趣味にとやかく言うつもりはないけれど、まさか秦野がBL好きだなんて――意外過ぎる。
僕の視線をひしひしと感じとったのか、秦野は気まずそうに髪を掻いた。冬の寒い朝なのに、額から汗が流れている。まばたきの回数も通常時の三倍くらいに増えている。秘め事がバレたような見事な焦りっぷり。
座間さんが上目遣いでおもねるように言う。
「け、軽蔑しましたか……?」
「軽蔑? なんで?」
座間さんがどんな小説を書こうが、それは個人の自由だ。
今時、本屋で石を投げれば、高確率でBLに当たる。それくらいには市民権を得ているジャンルなわけで、軽蔑なぞするはずがない。
「だって、私なんかがBL小説を書いてるなんて、気持ち悪いだろうから……」
「それはさすがに自分を卑下しすぎだと思う」
「そ、そうですかね? 卑下しすぎですかね?」
別に褒めたわけじゃないのに、座間さんはげへげへ笑った。
かわいいような、気持ち悪いような。
「もし座間さんが、僕をモデルにしたキャラを自作小説に登場させて、そのキャラの性描写をねっとりしっとり書いていたら、さすがに軽蔑するだろうけれど、ただBL小説を書いてるだけなんでしょ――」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
え。座間さん?
「許してください許してください許してください許してください許してください許してください許してください許してください許してください許してください許してください」
え。座間さん?
困惑を隠せない僕と沈黙を保ち続ける秦野。寒空の下、座間さんの懺悔の叫びが朗々と響き渡った――。
座間さんは「ざまあみろ」と言いたい 青水 @Aomizu
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