第5話:
放課後。
予定通り、僕と秦野は駅前のマックにいた。
予定通りじゃないのは、そこに睦美もいることだ。……いや、まあ、睦美がいたって別にかまわないんだけどさ。
育ち盛りの男子高校生ということで、三人ともがボリューミーなハンバーガーのセットを購入。窓際のテーブル席を陣取った。
隣席――といっても、数メートル離れているけど――には、別の高校のブレザーをまとった女子高生グループ。誰かの悪口で大いに盛り上がっている。見知らぬ彼女らに構わず通常営業、下ネタをまろびださんとする睦美の口にハンバーガーを押しこむと、愚にもつかぬ話をする秦野に本題に入るよう促す。
秦野は期間限定のハンバーガーを頬張り、それをコーラで流し込むと話し出した。
本題――『座間夏波に対するいじめ』について。
「座間さんがいじめに遭い始めたのがいつだったのか、その正確なところを俺は知らない。俺が気づいたのは六月の上旬のことだったんだけど、実際には五月からかもしれないし、あるいは座間さんは四月からいじめられていたのかもしれない――」
六月の頭に行われた席替えによって、秦野の席はそれまでの最前列から最後列になった。最後列からだと、クラスを一望することができ、それによってクラスメイトが授業中に何をやっているのか、つぶさに観察することができる。
真面目に授業を受ける生徒、頬杖をついてうたたねする生徒、机の下でスマホをいじる生徒、教科書を盾に早弁する生徒、手鏡で化粧直しに勤しむ生徒、魂が抜けたようにぼーっとしている生徒……。
様々な生徒がいる。
そんな中、一人の生徒が秦野の気を引いた。むろん、悪い意味で。
「それが佐伯だった」
手鏡で化粧直しに勤しんでいた佐伯はそれを終えると暇を持て余したのか、消しゴムの消しカスを丸め、斜め前の席に座る座間さんの背中に向かって投げつけた。最初のはサイズが小さかったからか、座間さんは気づいていないようだった。二度、三度と投げつけると、背中に違和感を覚えたのか、座間さんはそっと振り向いた。投擲者の正体が佐伯だとわかると、彼女は慌てて前を向いた。その様子を見て、佐伯はにやにやと笑っていた。
「まあ、これだけだと、いじめと断言することはできないけれど」と秦野。
「だな」と睦美。「俺も中学時代、授業中に隣の席の奴と消しカスを投げ合って遊んでたからなあ」
それまで、授業中に他人に注目したことなどなかった秦野だったが、その日以降、二人の動向を時折観察するようになった。
ある日は、切り取ったノートに悪口を書き込み、くしゃくしゃに丸めたそれを座間さんの机の上に投げつけ、またある日は、トイレから戻ってきた座間さんの足を引っかけて転ばせ、佐伯は顔を手で隠しながら爆笑していた。
これは間違いなくいじめだと確信を持った秦野は、座間さんの教科書に落書きをしようとしていた佐伯に説教。当初、のらりくらりといじめを否定していた佐伯だったが、旗色が悪いと悟ったのか、渋々ではあるがいじめを認め、教室に戻ってきた座間さんに謝罪。これにて一件落着。
めでたしめでたし、で終わりたいところだが、そうは問屋が卸さない。
人は経験から学ぶ生き物である――が、どう学ぶかは人によって大きく異なるわけで。
いじめを咎められた佐伯は『いじめをやめる』のではなく、『秦野にバレないように座間さんをいじめる』という方向へとシフトチェンジした。
座間さんに対するいじめが終わったものだと思った秦野だったが、一向に晴れない曇り模様の座間さんを見て、まだいじめが続いているのだと再認識。そのことを座間さんに尋ねるも、要領を得ない回答が返ってくるだけだった。
「多分、座間さんは誰かに頼ったりしたくないんじゃないかな」
秦野はそう推測した。
「それに、自分がいじめに遭っていることを、周囲に隠したがっているように見えたな」
「隠したがっているって……」
にやけ顔を消し、戸惑い気味に呟く睦美。
「わりと周知の事実なんだけどなあ」
「本人的には、隠せているつもりなんじゃないのかな」
僕はそう言いながら、一昨日のことを思い出す。
『私がいじめられていること、誰にも言わないでください……』と座間さんは今にも泣き出しそうな顔で懇願した。クラスに友達がいないから、聞ける相手がいないから、それが周知の事実だと知らないのだ。
そのことを滑稽だと笑ったりはしない。ただ、誰かに相談しろよ、と幾ばくかの憤りを感じてしまう。相談できる相手が、別にいないわけじゃない。秦野に頼れば、彼はできる限りの手助けをしてくれるはずだ。僕だって頼ってくれれば、できる限りの手助けをするつもりなんだ。
それなのに、座間さんは頼ろうとしない。
誰にも、頼ろうとしない。
「隠したところで、なんの意味もないのに――」
さて。
座間さんをいじめているのが、佐伯だけだと思っていた秦野だったが、どうやら違うようだ、と気づいたのが七月に入ってからのことであった。
学校では、女子も男子も仲のいい友人同士でグループをつくり、行動をともにする。佐伯は里中と坂本と三人でいることが多い。全員、名字が『さ』で始まる。席替え前の座席は五十音順だから、入学当初から三人でつるんでいたんだろう。
グループ内の人間関係というのは、それぞれ大きく異なるものだ。全員が対等なグループもあれば、上下関係があるグループもあり、表面上は仲良しだが裏では罵りあっているグループなんかもある。
彼女らのグループは、どうなんだろう?
秦野曰く『三人の立場は対等に近いが、グループのリーダーとして君臨しているのは佐伯なのではないか』とのこと。
というのも、座間さんいじめを行う際、率先してリーダーシップを振るっていたのが、佐伯だったからである。同調していじめに加担していた二人も同罪ではあるが、主導者の罪は一際大きい。いじめ煽動罪である。
放課後の教室でいじめの現場を目撃した秦野は、すぐさま止めに入った。やはり、のらりくらりといじめを否定する佐伯、追従する里中と坂本。三対一、数的有利ということもあってか、前回よりも強気の姿勢である。
頑なにいじめを否定する三人に痺れを切らした秦野は、いじめの事実を教師に報告するぞ、と三人に伝えた。ちょっとした脅しである。さすがに怯むだろうと思った秦野だが、三人の態度は依然として変わらない。強気の姿勢である。
そのことに違和感を覚えた秦野だったが、言葉通りに教師――一年一組の担任である伊藤教諭にいじめを報告した。
「で、イトセンはなんて言ったんだよ?」
睦美が尋ねると、秦野は深刻そうにため息をつき、
「『わかった。注意しておく』とだけ」
イトセンのあっさりとした素っ気ない対応に不信感を抱いた秦野だったが、担任相手に『ちゃんと注意してくれるんでしょうね?』と念押しするのもはばかられた。イトセンの言葉を信じて待つしかない。
しばらくの間、静観してみたが、いじめはまだ続いているようだった。
座間さんは黙して何も語らない。露骨に拒んだりはしなかったが、介入してほしくなさそうなのが、ちょっとした挙動や言動から伝わってくる。
座間さんはやがて、秦野を避けるようになった。いじめ云々だけでなく、女子人気の高い秦野と親しくすることで、他の女子からの嫉妬を買うことを恐れたのだろう。
嫉妬とは醜くも恐ろしい感情だ。嫉妬に端を発したいじめは、この世に数多く存在する。座間さんいじめは違うだろうけれど。
俺はただ座間さんを助けたかっただけなんだ、と秦野は滔々と述べた。
「お前、もしかして――座間のこと好きだったりするのか?」
訝しげに尋ねる睦美に、秦野は笑って否定する。
「いや、座間さんに恋愛感情はないよ」
「じゃあ、ただの正義感か」
「そんな大層なものじゃないさ」
じゃあ、なんなのか。気になったが、続きの言葉は出てこなかった。
七月中旬、秦野はイトセンに催促しに職員室を訪れた。これといって特徴のないデスクに、イトセンの姿はなかった。近くの席の先生に尋ねると、佐伯に呼ばれて出て行った、とのこと。
ようやく、説教してくれたのか――そう思いつつも、同時に嫌な予感が胸にわきあがった。というのも、クラスメイトからある噂を耳にしていたからだ。
「噂?」と僕。
「ああ、あれか。佐伯が教師と付き合ってるってやつか」
睦美は独り言のようで、僕に説明するように言った。
「は、マジで? え、嘘だろ? 佐伯の奴、まさかイトセンと――」
「確証はないけどね」
イトセンを探す旅に出かけた秦野は、旅立ちからわずか五分で目的を遂げた。二人は中庭の隅、校舎の影になっている場所にいた。夕日を眺めながら親しげに喋る佐伯と伊藤教諭の姿は、どう贔屓目に見ても説教しているようには見えなかった。
二人の距離感は、生徒と教師にしては妙に近く、不純な関係にあるのではないか、と秦野はいぶかった。生徒と教師の交際というのは、マンガやアニメではよくあることだし、実際、現実でも多々あることなんだろうが、これは不倫関係よりも質が悪い。
夕方の中庭に人気はなく、グラウンドや部室棟から騒々しい声が聞こえてくる。秦野は四階廊下の窓から、二人の様子を観察した。
彼らは二人だけの甘い世界に浸っている。秦野に見られているとは露ほども思わず、キスをしようと唇を近づける佐伯。校内でのキスはさすがにまずいと思ったのか、イトセンは佐伯の顔を手で押しのけた。それから、接吻未遂の場面を誰かに目撃されてないか、舐めまわすように校舎を見上げる。秦野は慌ててしゃがみ、壁にもたれてため息をついた。
後日。
注意してくれたか秦野が尋ねると、「ああ、しておいたよ」とイトセンは気だるげに答えた。それから、秦野の肩に手を置き、他の先生に聞こえないよう小声で、「まあ、あいつらも反省してるようだし、これ以上、事を荒立てるのはやめてくれよ」
自身が担任を受け持つクラスでいじめが行われている――これはイトセンにとって不都合きわまりない事実である。周囲にバレれば、ただでさえ高くない評価が地の底を突き破って地獄へと落ちかねない。
これが誠実な教師ならば、いじめをやめさせようと奮闘するところだが、あいにくイトセンは不誠実で不真面目な教師である。彼はいじめをなくそうとするのではなく、いじめを隠そうとした。もっと言えば、いじめをなかったことにしようとした。
「大体な、お前は大げさなんだよ。あいつらに事情を聞いたけどな、あれは『いじめ』じゃなくて、ちょっとした『いじり』だってさ。ほら、どのクラスにだっていじられキャラはいるだろ、一人くらいは。座間はそういういじられキャラなんだよ。だから、いじってからかっていた、と――そういうわけだ」
「それ、本気で言ってます?」
「ああ。俺はいつだって本気だ」
処置なし。イトセンを見限った秦野は、他の教師に相談しようと考えた。
誰に相談しようか考えながら、職員室から出て行こうとした秦野の背中に、「おい」と控えめな声がかけられる。「さっきも言ったが、これ以上、事を荒立てるなよ。あれは、いじめじゃないんだから」
聞こえないふりをし、返事はしなかった。
秦野は職員室を後にすると、その足で校長室へと向かった。校長室がどこにあるのか、大抵の生徒は知っているが、校長室に入ったことがある生徒はほとんどいない。ごく普通の生徒が校長室に呼ばれることなどまずないからだ。
詩頓高校の校長は、六〇過ぎの白髪の老人だ。僕も校内で何度かすれ違ったことがある。愛想がよく好々爺に見えるが、実はなかなかの曲者なんだとか。
なんのアポもなく唐突におしかけた秦野を、校長は快く迎え入れてくれた。出されたお茶を飲みながら、座間さんが受けているいじめについて話した。校長は話の腰を折ることなく、黙って聞いていた。
話が終わると、校長は落ち着いた口調で言った。
「詩頓高校の定年は六五でね、だから今年で六五歳になる私は、今年度をもってこの学校を『卒業』するわけなんだ。わかるかい? 私はこの最後の一年を平穏に過ごしたいんだ。面倒事を持ち込まれるのはごめんだよ。秦野くんと言ったかな、いじめをやめさせたいというのなら、君自身の手で解決しなさい」
校長は事なかれ主義というか、不祥事に対する責任を負いたくないようで、「警察沙汰とか保護者を巻き込んだりもやめてね。面倒なことになるから」と付け加えた。「そもそも、座間さんは君に助けを求めたのかい? 助けを求められたわけでもないのに、勝手に助けようとするのは――善意の押しつけ、というやつだよ」
「…………」
最後に、イトセンと佐伯の交際疑惑についての話をした。ポーカーフェイスを保っていた校長も、これには目の色を変え、
「秦野くん、このことは誰にも言うなよ」
「わかりました」
とは言ったものの、秦野は何人かにこのことを漏らしてしまった、うっかりと。それがまわりまわって睦美にまで届いたわけだ。
校長室を後にした秦野が靴を履き替えていると、どんよりとした座間さんが昇降口に現れた。目が合うと逃げようとしたので、追いかけて手首を掴んだ。逃げようとした理由は『なんとなく』だとか。実に座間さんらしいと言える。その場でイトセンと校長の件を伝えると、座間さんはおずおずと、しかしはっきりと言った。
「あ、あのっ……自分のことは自分で解決するので、私のことは放っておいてください!」
言い終えた後で、今の言い方はまずかったとでも思ったのか、座間さんは慌ててフォローの言葉を付け加える。
「えと……私なんかを気にかけてくれるのは嬉しいんですけど、そのぉ……」
そこで力尽きたのか、口をごにょごにょさせて俯く座間さん。
『放っておいて』とまで言われたら、さすがにこれ以上干渉するわけにはいかない。しかし、それでも、秦野は食い下がった。
「本当に自分で――自分一人で解決できるのかい?」
「大丈夫ですっ。私は大丈夫、ですからっ」
食い気味に早口で言い、すばやくローファーに履き替えると、
「そ、それでは失礼します!」
警察に見つかった指名手配犯のような慌てようで、座間さんは走り去っていった。
放課後の昇降口。
一人取り残された秦野は、なんだかやるせない気持ちになった。座間さんの声が脳裏で反響する。私のことは放っておいてください……放っておいてください……ください……さい……。ため息混じりに外に出る。夕日がやけに眩しく、いつもと違って見えた。
こうして、秦野はいじめ問題に干渉するのをやめたのだった。
秦野くんは座間さんを助けたい――fⅰn
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