第4話:

 翌日、僕は風邪を引いて学校を休んだ。

 げほっげほっ。ごほっごほっ。ぐはっ。昨日は寒かったからなぁ。

 くっ、座間さんにコートを貸したのが痛手となったか……。でも、あのときコートを貸さなかったら、座間さんが風邪を引いていただろうからな。彼女の代わりに人身御供となったのだ、と思うことにした。


 翌々日、一日で風邪を治した僕はいつも通りの時間に登校した。職員室に行き、昨日提出するはずだった宿題を、有無を言わさず先生に押しつける。ミッション・コンプリート。意気揚々と教室に向かう。

 がらがらがら。教室に入ってきた僕を認めると、秦野がペパーミントみたいな爽やかさで挨拶してきた。僕も負けじとシーブリーズ並みの爽やかさで挨拶を返す。

 秦野開成はおそらく僕の友達である。『おそらく』とつけたのは、相手が僕のことをどう思っているか知らないからである。僕が彼を友達だと思っていても、彼が僕を友達だと思ってなければ、友人関係は成立しないわけで。

 なーんて。我ながら捻くれているな、うん。


 秦野は文武両道かつ眉目秀麗、おまけに性格もよいという完璧超人じみた男である。

 身長一八五センチ(参考:僕一七七センチ)、体重七五キロ(参考:僕六五キロ)体脂肪率一桁(参考:僕二桁)。

 テストは毎回学年トップテンで、部活はテニス部(中学時代は全国大会で入賞)。同じ人種とは思えないほど彫の深い顔。ちょっと気持ち悪いくらいに整った造形。髪は色素薄めの茶色。モデルみたいに小顔で脚が長い。

 聞くところによると、こんなにハイスペックにも関わらず、恋人の一人もいないのだとか(二人以上いたら問題である)。

 クラス随一のスケベである睦美は、秦野開成に対して以下のように述べた。


「俺が秦野だったら、セフレつくりまくってヤりまくるのにな。ぐへへへへ……」


 こんなどうしようもない俗物は、どうあがいても秦野みたいなハイスペ人間にはなれないので、安心して来世に期待してほしい。

 さて、僕に複数の友人がいるように、秦野にも大勢の友人がいる。スクールカーストのトップ層に君臨している秦野であるが、なぜか僕と行動を共にすることが多い。実に不思議な話だ。クラスメイトも不思議に思っているはずだ。

 どうして、秦野開成は学前良樹とつるんでるんだ? 『転校生』という要素が彼の琴線に触れたのか? あるいは、学前に何か弱みでも握られているのか?

 ――真相は神のみぞ知る。


「風邪はもう治ったのかい?」

「おかげさまで」


 秦野と会話しながら、何気なく座間さんの席を見遣る。座間さんはいなかった。彼女の机の上には、その辺の道端で採取してきたであろう花と雑草が活けられた、安っぽいプラスチックの花瓶が置いてあった。漫画やドラマでしか見たことのない古典的ないじめの光景がそこにはあった。

 なんだか無性に腹が立った僕は窓を開け、プラスチックの花瓶を投げ捨てた。ぽーい。ガラス製じゃないので、人に当たっても、もーまんたい(多分)。


「おいおい。ポイ捨てするなよ」


 秦野は苦笑しながら窓の外を覗き、それから室内をすばやく見回した。いじめっ子三人衆は誰一人としていなかった。


「あの三人に目をつけられると面倒なことになるかもだから気をつけなよ」


 親切に忠告をくれる秦野に、僕はいくらか非難をにじませた声で、


「座間さんがいじめられてること、知ってるんだね」

「まあね」


 秦野は苦虫を嚙み潰したような顔をした。

 僕たちは窓の桟に寄りかかって、外のグラウンドをぼんやりと見つめた。本日は晴天なり。座間さんについて話し出すと思いきや、いつまで経っても口を開こうとしない。……いや、話す流れだったよね、今。

 そうこうしているうちに、チャイムが鳴ってしまった。室内を振り返ると、いじめっ子三人衆が揃い踏み。座間さんの机の上の花瓶がなくなっていることに気づき、そのすぐ傍にいた僕たちに尋ねる。


「あのさぁ、ここにあった花瓶知らない?」

「さあ?」


 僕は肩を竦めとぼけた。


「ところで、なんで座間さんの机の上に花瓶が置いてあったんだい?」

「え? まあ、それは……」


 堂々と『いじめてるんだよ』と言えばいいのに、世間体というやつを微妙に気にしてか、曖昧にごまかそうとする。


「さっき強い風が吹いていたから、それで飛んでいったんじゃないかな」


 秦野が適当なフォローをする。

 ……そんなわけないでしょ。強風はおろかそよ風さえ吹いていないし、仮に強風が吹きこんだとして花瓶は倒れて床に転がり落ちるだけだ。人為的な仕業でなければ、花瓶が窓からアイ・キャン・フライするはずがない。

 しかし、秦野開成の発言ということで一定の説得力があったのか、あるいは僕たちを責める正当な理由が見つからなかったからか、


「マジかよ。あれ、五〇〇円もしたのに」


 釈然としない様子を見せながらも、三人は渋々引き下がった。

 やれやれ。自分の席に向かおうとした僕を、秦野が肩を掴んで引き止める。


「良樹」


 振り向くと、イケメンフェイスが予想外に近くにあったので、すいっと顔を遠ざける。

 僕は彼のことを名字で呼ぶが、彼は僕のことを名前で呼ぶ。確か、初めて喋ったときに「名前で呼んでもいいかい?」と聞かれたんだったよな。まあ、『駄目です』なんて言えないものね。「いいよ」と答えるしかない。

 しっかし、本当イケメンだなあ、こいつ。ヒモのプロフェッショナルとして食っていけるレベルのイケメンである。目からイケメン光線とか出せそう。


「放課後、空いてる?」

「うん、空いてるけど」


 一瞬、ほんの一瞬だけ、見栄を張って『ふっ。放課後は女の子とデートさ』とでも言ってやろうかと考えてみたが、秦野相手にそんな見栄を張っても虚しさ満天マウンテンなのでやめておく。


「よかったら、駅前のマックにでも行かないか?」

「別に、かまわないけど」


 僕は財布の中に何円入っているか数えてみた。高級フレンチフルコースを食いに行くわけじゃないのだから、まあ大丈夫だろう。


「そこで、座間さんについていろいろと話すよ――」


 これがミステリー小説だったら、放課後までに秦野は殺されるはずだ。もったいつけたり、意味深なことを言う奴は、九割九分死ぬと相場が決まっている。しかし、これはミステリー小説じゃないので、彼が死ぬことはなかろう。

 最後にウィンクをかまし、秦野は自分の席へと去っていった。


 きゃあ、と背後から甲高い声が聞こえた。殺人事件でも発生したのかと振り向くと、女子生徒二人がハートマークの目で秦野の背中を追っていた。

 おいおい、君たち。今のウィンクは僕に向けられたものだぞ。

 そう指摘してやろうかとよほど思ったが、そんな無粋なことをすれば、彼女らを敵に回すこと必至。名字すらあやふやな二人だけど、嫌われるよりかは好かれたい。


 チャイムが鳴ってから五分ほど遅れて、覇気のない伊藤教諭が頭をかきながら入室してきた。彼のことを多くの生徒が『イトセン』と呼んでいるようだが、あだ名で呼ばれているからといって、好かれているわけではないらしい。

 イトセンの限りなくショートなホームルームが閉幕し、一限目の授業が幕を開ける。授業の内容に特筆すべき点はないので、ここでは割愛させてもらう。

 二限目、三限目、四限目――はっと気がつけば、いつの間にか昼休み。はて。誰かキング・クリムゾンでも発動させた?


 僕と秦野で飯を食う。

 秦野以外にも友人はいるのだが、なぜか彼と二人きりである。あら、不思議。ボーイズでラブな関係に思われていたらどうしよう、と不必要な心配をしてみる。しかし、よくよく考えると、秦野開成のようなイケメンとそういう関係に思われるのは、大変光栄な名誉であり恐悦至極の極みである。

 姉上が気まぐれで作ってくださった弁当をぱくつきながら、秦野とたわいもない会話をかわしながら、僕はときおり座間さんの席に目を遣った。彼女は昨日も休みだったらしい。風邪を引いたのだろう。


 続いて、いじめっ子三人衆をさりげなく見遣った。体格も顔立ちも全然異なるのに、まるで姉妹のようによく似ている。雰囲気が似ているのだ。全員、髪を明るめの茶色に染め、顔には濃いめの化粧をまぶし、ピアス等の装飾品で彩っている。制服を着崩し、スカートはパンツが見えそうなほどに短い。

 最近知ったのだが、この高校はどうやら規則が緩いらしい。ド派手な髪色や髪型でなければ、ある程度は目を瞑ってくれる。しかし、彼女らの彩りは、そのある程度のラインを超過しているようにも見える。


 背が高いのが佐伯、中くらいのが里中、低いのが坂本だったと思う。

 名前は……憶えてない。憶える必要性もとくには感じない。彼女らにとって僕が秦野開成の友達くんAであるように、僕にとって彼女らは座間さんをいじめているモブギャルA、モブギャルB、モブギャルCでしかないのだ。

 三人はボリューミーなサンドイッチやパンを食べ、健康に気をつかってか野菜ジュースを飲み、ハイカロリーなスイーツを頬張っている。全部、コンビニのレジ袋から出てきた商品だ。昼食代でいくらくらい消費したんだろう? 親からたくさんお小遣いをもらっているのか、あるいはバイトでもしているのか。


 アルバイトが禁止の高校も存在するらしいが、当校ではとくに規制などはされていない。

 一応、詩頓高校は(自称)進学校らしいので、学生らしく勉学に励む生徒もそれなりにいて(当然、この中に僕は含まれてない)、彼らはすずめの涙ほどのお小遣いで日々をやりくりしているのだ(と、僕は勝手に思っている)。


 文化部は置いておいて、運動部は県大会や全国大会で輝かしい実績を残している強豪が多い。運動部に所属している生徒は多忙をきわめ、部活とバイトのかけもちをしている猛者はごく少数しかいない。

 よって、詩頓高校におけるアルバイターは、よほど器量がいい奴か、恋愛に現を抜かす不届き者か、単なる暇人――の三種に分類される(僕調べ)。


 彼女らがアルバイターと仮定して、三種のうちのどれに当たるだろう? これは完全なる偏見なんだけど、三人とも器量がいいタイプには見えない。僕のような暇人にも見えないので、消去法で恋愛強者ということになった。

 一体、どんな男性と付き合っているのだろう? 彼女らと同じような雰囲気のギャル男、運動部のキャプテンとかエース、ここらでは絶滅危惧種に指定されているヤンキー、僕みたいなどこにでもいそうな普通の奴、大穴で教師というのもあり得るか?

 佐伯は視線を感じたのか、顔をこちらに向けた。僕はなるべく自然体を心がけて目を逸らした。どうして、人は視線を知覚できるんだろう? 不思議だよね。


 饒舌な秦野に対し、僕は相槌マシーンと化す。赤べこみたいにカクカク頷きながら、同時に三ギャルの会話の盗聴を試みる。

 今をときめくイケメンアイドル・俳優の話。ハマっているドラマの話。はやりのアーティストの話。最近買った化粧品の話。SNSでバズったとかバズんなかったという話。彼氏と別れた話。彼氏ができた話。彼氏とホテルに行った話、エトセトラえとせとら……。

 やれやれ、座間さんのざの字すら出てこないじゃないか。

 一瞬、失望しかけた僕だったが、冷静に考えてみると、飯時にいじめの話なんて聞きたくはない。胸糞悪くならずに、愛情がたっぷりこもっている(可能性が一ミクロンパーセントほどある)姉上弁当をおいしく食べられることに感謝。

 秦野も秦野で、座間さんのざの字すら出さない。唇は閉ざされたまま。放課後までは――駅前のマックにつくまでは、解禁しないつもりなんだろう。ショートケーキにのったイチゴを最後まで取っておくタイプに違いない。


 食後、午後の授業で襲い来るであろう睡魔に備え、僕はカフェインをきめることにした。つまりは、コーヒーを買いに出かけたのだ。

 校内にはいくつか自動販売機が設置されており、一番種類が豊富なのが購買内の自販機。俯瞰すると校舎は口の字をしていて、その中に小さな購買がすっぽりと収まっている。購買の周囲は芝生の生え揃った中庭である。

 階段を下り、渡り廊下を歩く。購買に入ると、大勢の生徒で賑わっていた。わいわいがやがや。嗚呼、なんて恐ろしい人口密度なんだ。自動販売機も大いに賑わっており、長い列ができている。

 並ぶ。隣には秦野開成。幾人かの女子の視線が、僕を貫通して秦野に突き刺さる。すぐ後ろに並んだ女子が話しかけてきた。


「やっほー、開成くん」

「やあ、――石田さん」


 若干のタイムラグがあった。なんて名前だったかな、と海馬内を駆け巡って探し回っていたのだろう。しかし、それはおくびにも出さず、お決まりの歯磨き粉CM爽やかスマイルを見せつける。大して興味もないだろうに、彼は義務的に質問をする。


「何買うの?」

「いちごミルク」


 声の調子も、いちごミルクのように甘ったるい。


「開成くんは?」

「いや、俺は付き添いだよ」


 え。お前、付き添いだったの? なんか買えばいいのに。


「へえ、そうなんだぁ」


 早くも、会話が途切れた。

 義務を果たしたと思ったのか、秦野は体の向きを前に戻そうとする。石田さんは秦野と会話を続けたかったのか、僕をだしに使うことに決めたようだ。


「そっちの人、お友達?」

「ああ、うん……最近、転入してきたんだ」

「初めまして。私、石田愛って言います」

「学前良樹です。よろしくね」


 その後、一言二言、毒にも薬にもならない無益な会話を交わす。

 僕も義務を果たしたと思い、体の向きを前に戻した。石田さんは僕には興味がないのか、引き留めようともしなかった。やれやれだぜ。

 シンクロして秦野も同じ動作を試みる。残念、引き留められてしまった。どのコーヒーを買おうか思案している間、石田さんは積極的に秦野に話しかけていた。性格的に無視はできないのか、いささか消極的にではあるが返答をする秦野。

 モテ男は大変だなあ、と僕はのんきに思った。


 横目で見る。超がつくほどではないと思うが、石田愛はなかなかの美人である。

 ショートとロングの間くらいの長さの髪に、小と大の中間くらいの身長、若干だけ日焼けした肌、瘦せぎすでもぽっちゃりでもない体型、小さめの丸顔に愛嬌のある顔立ち。

 描写していて思ったんだけど、これといって突き抜けた特徴はないかな――なんて、大変失礼なことを思ってしまった。でも、思っただけで口にはしてないのでOKです。

 秦野に惚れているのは火を見るよりも明らかだけど、彼のほうはというと、石田さんを意識している様子はまるでない。完全なる片想いのようだ。

 他人事ではあるが、少しかわいそうに思った。


 結局、僕はペットボトルのカフェオレを買った。缶コーヒーと迷ったが、こっちのほうが格段に量が多い。量が多ければ、カフェインの含有量だって多いはずだ。カフェインきめて、午後の授業も頑張るぞい!

 時間にいくらかの余裕があったので、中庭の芝生に並んで座って日光浴。カフェオレをぐびぐび飲んでいると、秦野が物欲しそうに見つめてきた。


「一口飲むかい?」

「ありがとう」


 男同士の間接キス。嬉しくはない。僕は女の子と間接キスがしたいのだ。

 秦野が口をつけた後のペットボトルを、物欲しそうに見つめる女子が数人。彼女らに高値で売りつければ儲かるぞー、と不純なことを考える男がここに一人。イケメンビジネスで億万長者やー。


「さっきの石田愛って子、君のことが好きなんじゃないのかな」

「知ってるよ」くそっ、爽やかに首肯しやがった。「前々から好意を向けられているからね」

「付き合ってあげようとか思わないの?」

「思わないね」

「なんで?」

「別に彼女のこと、好きじゃないし」


 秦野は淡々と答えた。石田さんが聞いたら卒倒しそう。


「好きじゃない子と付き合ってもどうせすぐに別れるだろうし、それに――相手に失礼だからね」


 秦野開成の爪の垢を煎じて、スケベ睦美に飲ませてやりたい、と僕は思った。ついでに、僕もゴクゴク飲んでやろう。

 おや? 件の睦美くんが渡り廊下を歩いているじゃあないか。坊主頭に眼鏡というスタイルは、一見すると優等生に見えなくもない。しかし、本人が語るには前の期末テストで全教科赤点を叩き出した唯一無二の存在――自称『唯一神』とのこと。どうして、恥ずべきことを嬉々として自慢げに語るのだろう? 

 おっ、目が合ってしまった。こっちに向かってくる。スケベそうな顔が悲しみに歪んで、不審者感をマシマシにしている。


「なあ、お二人さん。聞いてくれよ」

「なんだよ?」と僕。

「ついさっき、四組の相沢さんに告白したんだ」

「へえ。それは残念だったね」

「まだ結果、言ってねえだろうが」

「また駄目だったんでしょ、どうせ」

「『どうせ』ってひどいこと言うなぁ、お前……まあ、実際、駄目だったんだけどさあ」


 はあ、と深いため息をつきながら、許可なく僕の隣に体育座りする睦美。

 憂いを帯びているはずなのに、軽薄な男にしか見えないのがすごい。


「振られた後さ、『睦美くんって一組だよね。秦野くんの連絡先とか知ってる? 知ってたら教えてよ!』だよ。まったくもう……」


 気持ち悪い声で相沢さんを演じる睦美。相沢さんのことを知らない僕でも、それが似ていないのはわかる。

 地縛霊みたいに恨めしげな目を向ける睦美に、秦野は困った表情で言う。


「相沢さんに、俺の連絡先教えたの?」

「教えるわけねえだろうが。嗚呼、まったく腹立たしい。畜生畜生畜生!」


 歯噛みして地団駄する睦美。芝生が抉れるからやめなさい。


「なんでこんな奴がモテまくって、この俺がまったくモテないんだ! おかしいだろ!」

「別におかしくはないだろ」と僕。


 お前がモテたら、美人局か陰謀を疑うよ。


「いいや、おかしいね。狂ってる!」睦美は叫んだ。「こいつなんて、ちょっと顔がよくて勉強と運動ができて性格がいいだけだろ!」

「褒めてくれて、ありがとう」と秦野。

「くそっ。無駄に爽やかな顔しやがって!」


 睦美は高校入学後、平均して月に三回ほどのペースで告白しているらしい。つまり、これまでにおよそ三〇人の女性に告白したわけだ。告白の大安売りだ。節操の欠片もない。成功率はゼロパーセント。中学時代にも告白ハラスメントをかましまくったようで、同じ中学出身の女子からは『まーたやってるよ、あいつ』と呆れられている。


「ねえ、睦美」僕は尋ねた。「クラスの女子はコンプリートしたの?」

「コンプはしてねえよ」睦美は首を振る。「あのな、俺だって誰彼かまわず告白するような節操なしじゃねえんだぜ」


 三〇人に告白した男の台詞とは思えねえな。


「あのギャルたちには告白した?」

「どのギャルだよ? うちのクラス、ギャルっぽいやつ多いだろ」

「佐伯、里中、坂本」

「ああ、あいつらか……」


 睦美は遠い目で空を見つめた。まるで様になっていない。


「告白、したよ――」

「誰に?」

「全員に」


 やっぱり節操なしじゃねえか。


「ふっ、『どうだった?』なんて質問は愚問かな」

「ふっ、まあな。ひどい目にあったよ。ただ振られるだけじゃなくてだな、人間性を否定され罵倒され……今じゃあ、話しかけてもガン無視だよ。とほほ」

「どんまい」


 悲哀に満ちた睦美を慰めてみる。

 よほどひどい罵倒をされたのだろう。歴戦のドMじゃなければ凹むほどの。具体的にどんな罵倒をされたのか聞いてみたかったが、僕にもぐさりと突き刺さる可能性があるのでやめておく。

 睦美はオーソドックスに面食いだろうから、かわいい子は片っ端から声をかけているはずだ。だとしたら、座間さんに告白していてもおかしくはない。もしかしたら気づいてないかもだけど、座間さんはかわいいからな。


「座間さんは、どう?」

「座間?」パチパチ、と瞬き。「いや、座間には告ってないな」

「どうして?」

「だって、告ったら泣き出しそうだろ? もちろん、嬉し泣きじゃなくてガチ泣き。犯罪者に間違えられちまう」


 僕、苦笑い。秦野、愛想笑い。睦美、馬鹿笑い。

 あの気弱な座間さんなら、あながちありえなくもない。

 想像する。放課後の人気のない教室、鼻息荒く告白する睦美、恐怖から泣き出す座間さん、現場を目撃し通報する教師、駆けつける警察、逮捕される睦美、容疑を否認する睦美、自白する睦美、裁判を受ける睦美、泣き崩れる睦美、刑務所に収監される睦美――。


「それに」


 へらへらした表情から一転、睦美は真顔で続ける。


「座間はあいつらにいじめられてるからな。座間と付き合ったりなんてしたら、俺までいじめられるかもしれない」


 睦美も、座間さんがいじめに遭っていることは把握しているようだ。

 クラス全員、ではないのかもしれないが、大半が『座間さんのいじめ』を認知している。そして、それを黙認している――いや、止めようとした生徒もいたのかもしれない。でも、一月現在もいじめは続いている。


 僕が転入してから一か月弱。

 一年一組のカーストはある程度は把握できている、と思う。確かに、彼女ら三人は一組においてトップ層に君臨しているが、それは秦野も同じ。睦美じゃ止められないだろうが、彼女らと同等かそれ以上の秦野だったら止められるはず。

 どうして、いじめを止めなかったんだ? いや、秦野の性格からして、ただ傍観していたとは思えない。何かしら行動に移したはずだ。でも、止まらなかった。

 ――一体、なぜ?


「おっ」


 腕時計を一瞥した睦美が立ち上がる。


「もうすぐ昼休み終わるな。行こうぜ」


 立ち上がった僕は何気なく校舎を見た。換気のために開いた廊下の窓、立ち止まったイトセンがこちらを見下ろしている。

 ……え、なになに? なんで僕のこと見てんの? もしかして、目ぇ付けられちゃってる? きゃー、こわーい。

 しかし、よく観察してみると、イトセンの無気力な双眸は僕を通り過ぎ、一〇メートルほど奥を見つめている。購買の入口に姦しいギャル三人。イトセンはああいうのが好みなのかな? それとも――いや、まさかね。

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