第2話  カラスは美少女で、まじょ?

「おはよーー」


 少女が、瑞葵の枕元で寝ころんでいる。


 ――眠気で定まらなかった眼の焦点と脳が、一気に冴えわたる。


 少女は、絶世の美少女と呼ぶに相応しい美貌を持っていた。

 芸能界にスカウトされようものなら、思いつく限りのファッション雑誌の表紙やグランプを掻っ攫うこともできるだろう。

 このようなモデル顔負けの美少女、一度見たら忘れない…………はずだ。


 そこら辺の記憶は曖昧だが、昨夜は誰も部屋に上げた覚えはない。


 その事実に気づいた瑞葵は、ガバッと布団を勢いよく捲り、少女と距離を取った。

 だが、彼はすぐにベランダの窓に寄りかかる。


 ただでさえ、寝起きは体が重い。

 そこへ、急な一時いっときの覚醒。

 その反動で、体にかかる負荷が急増したのだ。


 今の彼の体に掛かっている負荷――体の重さは、インフルエンザA並みだ。


「うぅーーーーんん…………! あぁーー、よく寝た!」


 少女は上半身を起こし、伸びをする。


 瑞葵の背後から差し込む朝の陽光が、彼女の姿を神々しく照らす。

 黒い髪はきめ細かに光を反射し、夜空の星々のように輝く。


「…………あれ? あれれれれ?」


 少女はどこか嬉しそうな表情で自分の体をまさぐる。


 ……裸の美少女が自分の体をまさぐっているこの風景は本来、思春期真っ只中の彼には目も当てられない光景だ。

 だが瑞葵の脳は、寝起きで情報処理能力が格段に低下している。

 そこへ更に、覚醒状態でも過剰と言える量の情報が注ぎ込まれてしまい、彼の脳は滞っている情報の処理に手いっぱいだ。

 新たな情報は最後尾に並んで処理待ち。

 今目に見えている情報ですら、処理されていないのだ。


 おまけに、最前列に並んでいるのは「こいつ誰だ」という、いくら考えても真相に辿り着けない疑問。

 列はなかなか進まない。


「いつの間に……? …………あっ」


 瞬間、少女の姿は消え去り、代わりに一羽のカラスが現れた。


 訳がわからない。

 一体、何が起きたというのか。

 少女が消え、カラスが現れた。


 確かにカラスは部屋に上げた覚えはあるが……。


『いやーー、参った参った。でも、説明の手間は省けたかな?』

「!?!?」


 開いたカラスの口から聞こえるのは、先ほどの少女の声。

 余計に何が起こっているのかわからない。




 そもそも、カラスの舌はインコやオウムと違い、人間のようにはできていない。

 確かにカラスも、人間の言葉を聞き続けていると、それっぽい言葉を話すことがある。

 だがそれは稀なケース。

 よっぽど繰り返し聞かないか、カラスが賢くない限り、そのようなことは起こらない。

 それに、カラスが人の言葉を話すといっても、インコやオウムのように、意味も知らずに口にするだけだ。

 会話は成り立たない。


『……んーー、このままじゃあ話しにくいかな?』


 すると次の瞬間、再びカラスの姿は消え、入れ替わりに先ほどの少女が現れた。

 だが、今度はちゃんと服を着ている。


 上半身は、和服のような漆黒の服。

 所々に白い点があり、それらを細い線が繋いでいる。まるで星座のようだ。

 下半身には黒のジーンズ。


 ゲームやアニメのキャラのようだ。

 だがリアルで見ると…………MVの撮影かコスプレを疑う。


 しかし、瑞葵はその格好を特に変、とは思わなかった。

 むしろ、違和感を全く感じなかった。


『幻影だけど、ないよりましでしょ?』


 少女の問いかけに、瑞葵は応えない。

 応えられない。

 口が、喉が動かないのだ。


『混乱でそれどころじゃなさそうだね。でも安心して? 私が今からする話が全部、答えだから』


 呆然としている瑞葵を他所に、少女は説明を始める。

 瑞葵は尚も呆然としてはいるが、徐々に冷静さを取り戻しつつあった。


 彼の脳内では、長蛇の列を作っている情報たちに整理券を配ることに成功していた。

 今はその情報たちを放置、隔離している。


 今はただ、少女の放つ情報を受け止め、今放置している情報と擦り合わせ、整理するのみ。

 受け身の姿勢だ。


『私の名前は星を結ぶ糸アステリア。次元を旅する魔女だよ』

「魔女……?」

『そう、魔女。ほら』


 少女――アステリアは壁に向かって手を伸ばす。

 その手は壁に触れ――突き抜けた。


『これが幻影ってこと……わかってくれた? こんな精密な立体映像、この次元・・・・の今のの技術じゃあ作れないでしょう? 魔法だからできるんだよ』


 確かに、これは現実ではあり得ない。


 瑞葵はまず、立体映像という言葉を聞いたことはあっても、実物を見たことはない。

 だから立体映像という言葉を比較に出されても、判断は難しい。

 それに近しいものとして思い浮かぶのは、精々VR(仮想現実)やAR(拡張現実)。

 だがこれらは、彼女の言う「立体映像」とは少し違う。これらは必ず何かしらの機械を介する。


 壁とアステリアの腕の間に、隙間は一切見当たらない。


 アステリアは壁から腕を引き抜いた。

 腕にも壁にも、一切の欠損は見当たらない。


『ね?』

「あ、ああ……」


 瑞葵は納得するしかない。


 僅かでも、アステリアが何かしらのトリックを使っている可能性はある。

 非現実的――あり得ないものを受け止められない自分がいる。

 だからその可能性を残している。

 だが、もしも、その可能性が真実ならば、いずれボロを出すだろう。


 だが、瑞葵はとっくに、頭の奥底で理解していた。

 ──これは、非現実的な現実だ

 ただ、それを認められない。認めてしまえば、自分の生きてきた世界そのものが破壊されかねないから。


「で、なんで――」

『――なんでカラスだったのか、でしょ? それについては説明が長くなるんだけど…………』


 アステリアは暫し考え込む素振りを見せたが、すぐに再び口を開いた。


『まあ……一言でまとめちゃえば、次元を移動する際に失敗したってところかな』

「失敗? いや、なに? 次元の移動? まず、次元? ん?」


 突然降って湧いた単語群。

 日常生活で使うには使う言葉だが、瑞葵の耳には、まるで違うもののように聞こえた。


 実際、その感覚は正しい。

 彼女はもっと高度な、そして実体を持った言葉として使っている。


『次元ってのは、世界の更に細かい部屋のことだよ。複数の次元が寄り集まって、一つの世界を構成してるの』


 つまりはこのアパートみたいなもの……ということだ。

 アパート全体が『世界』。そして、この部屋が一つの『次元』。

 たくさんの部屋――『次元』で一つのアパート――『世界』。


『そこで、なんでカラスなのかって話なんだけどね。次元を移動するには肉体を捨てて、魂だけにならないといけないの。だから……』

「それで、新しい肉体がカラスだったってところか?」

『うん、まあ……そんなところかな』


 彼女の返答は、少し歯切れが悪い。


 だがそれは、決して脳内で作られた偽の設定の穴を突かれた故の動揺ではない。

 ただ、きちんと瑞葵にすべてを理解してもらうには、すべてを説明する必要があった。

 だがそれには長い時間がかかる。説明も難しい。

 だから彼女は少し返答に淀んだ。


 アステリアの歩んできた、歩んでいる人生は、瑞葵に想像できる範疇を超えている。

 理解することすら難しい。

 微分積分、マクローリン展開などを理解する方が易しいと感じるだろう。


 だが、時間をかけて、なおかつアステリア本人から話を聞けるのであれば話は別である。

 時間はかかるが、いずれ必ず理解できる。


 そして何より……


 ――彼女は外の住民である。


 これだけでも、瑞葵の脳内の情報渋滞を解消し得る材料となる。

 ――彼女は、想像や常識の外の住民。

 何が違っていても何が起こっても、なんら不思議ではない。


 答えの出ない疑問を解決する万能特効薬のようなものだ。

 わからないのだから、わからないことが普通なのだから、わからなくて当然。


 だから瑞葵は、先程の歯切れの悪い返答もさほど気にならなかった。

 そもそもが理解の範疇を超えているのだから。


 だが、わからないからと話題を変えるのは愚。

 瑞葵は口を開く。


「この世か――……次元には、何をするつもりで?」


 『世界』と言いかけたが、彼女の説明を聞き、『次元』と言い直した。


 彼女の話を聞く中で、彼の脳内を「異世界ファンタジー」という単語がよぎった。

 同時に、彼女が「世界を征服しに」などと言うのではないか、という一縷の不安が生まれた。


『旅の一環で寄っただけだよ。まさかこんな風になるとは思わなかったけどね』

「じゃあ、またすぐに別の次元に?」

『それも考えたんだけど、たまにはゆっくりしようかなと思ってさ。……魔力もだいぶ回復したし、そろそろお暇しようかな』


 アステリアは魔法を解除し、カラスの姿に戻った。

 ベランダの扉を歩き出そうとする彼女に、瑞葵は声をかける。


「まあ、これも何かの縁だし、朝飯ぐらい食べてけよ」

『ほんと!? やったーー!』






――追加情報・1――


 この世界は多くの要素から成る。

 いくつかの要素が寄り集まり、またそれらの強さが調整されることで、一つの次元を作り上げている。

 『人間』や『魔女』、『科学』、『魔法』なども要素である。


 この次元には『科学』も『魔女』も存在してはいるが、『科学』の方が強く設定されているため、『魔法』は一般的ではない。

 もしも『魔法』がより強ければ、魔法科学が発展していたことだろう。













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