第4話 出版社の悪夢
そんな会社があることで、小説家を目指したいと思う人が爆発的に増えた。
何と言っても、原稿を送るだけで、批評をしてくれて、自分がどの程度なのかの判断ができるのはありがたかった。
しかし、それが自費出版系の会社の、罠でもあったのだ。
というのは、他のどの方法を使っても、自分の評価は誰もしてくれない。となると、自費出版系の会社がしてくれる評価が、すべてということになり、その相手から、
「あなたの作品は素晴らしい。しかし、出版社が全額というわけにはいきません。半分はこちらで負担します」
と言われると、その気になる人が多くなるのも当たり前というものだ。
本を出したいと思い、お金をはたいてでも、出版したいという人も増えてきて、一時期、そんな自費出版の会社が、
「年間、出版数で日本一」
ということになれば、世間の話題も集まるというものだ。
著名人などが、そんな出版社をほめたたえたりすれば、さらに信用する人も増えてくる。何と言っても、そこに実は出版社、著名人、本を出したい一般人との間に溝があるのだった。
というのは、著名人としては、
「出版するだけ」
という意識だったのだろうが、本を出す一般人としては、
「本を出すことで、プロ作家の仲間入り」
という気持ちもあっただろう。
そこには、
「本が売れる」
という思いもあったのかも知れない。
だから、本が売れて、少しでも出した金が返ってくるということを望む人もいるだろう。当然中には、本当に儲かるとでも思っている人もいたかも知れない。借金をしてでも、本を出したいと考える人もいただろうからである。
しかし、世の中はそんなに甘くはないのだ。
ひろ子は、すぐにそのあたりの、
「カラクリ」
には気が付いた。
というのは、出版社の最初の言い分、そして、本を作る時の契約には、
「有名本屋に、一定期間、並べる」
ということになっていたのだ。
もっとも、一定期間というのがどれくらいなのかを明記しているわけではない、もちろん、本によって、その期間が別れるのは仕方がないというのも、作者には分かっていただろう。
それでも、少しくらいの間、並ぶのであればとばかりに、少しでも、淡い期待をかける気持ちも分かるというものだ。
だが、実際に考えれば、
「そんなバカなことはないのだ」
というのは、毎日のように、プロ作家が、有名出版社から依頼を受けて、本を出している。それらの本を並べるとしても、よほど有名どころの作家の、
「待望の一冊」
ということでもない限り、複数殺の本が並ぶということはありえないのだ。
それこそ、
「本屋に行ったことがある人であれば、それくらいのことは分かりそうなものだ」
というくらいのレベルなのだ。
だから、もし、本屋にごり押しして、一日でも置いたとしても、翌日にはまた別の作家の本が置かれることになり、何冊作ろうとも、すべては返品される運命なのだ。
実際に、出版社が注目を浴びたとして、有名作家になった人が一人でもいるだろうか?
それを考えると、まったくもって、
「本が売れたら」
などと考えている人は、本当に頭の中が、
「お花畑状態だ」
といってもいいだろう。
実際に、本が売れるわけもなく、お金だけは、数百万単位で供出させられて、それでも、本を出したいという人が後を絶えない。
出版社としては、ウハウハだったっただろう、
ただ、出版社の実情は、どこまで行っても、
「自転車操業」
でしかないのだ。
いくら、本が売れても、どこまで儲かっているのかということは正直分からない。ただ、自転車操業である以上、回転している歯車が少しでも狂えば、あっという間に破綻するということを、出版社の方でも分かっていたのだろうか。
最初に音を立てたのが、
「本を出した作者たちとの不協和音だった」
というのは、正直致命的だっただろう。
「一定期間、本を有名書店に置く」
などということはまずありえないということで、本を出す人が増えれば増えるほど、そのからくりが見破られるというものだ。
作家の中には、訴訟を起こす人も増えてきて、そうなると、出版社に対しての、不信感からか、本を出したいという人が激減してくる。
それでも相変わらず原稿は多く寄せられてくるのだが、そうなると、完全にボランティア状態である。
出版社としても、
「本を出すという人が増えなければ、立ち行かなくなる」
ということは分かっているはずだ。
何といっても、支出の額がハンパではないので、それだけたくさんの人が本を出してくれなければ、一気に赤字である。
それは自転車操業のゆえんなのだ。
というのは、まず、支出としては、
「本を出したい」
という人を集めるための、広告宣伝費が必要だ、
さらに、今度は、作家の人の作品を評価し、さらに営業を行い、うまくいけば、製本までの手配を行うという人が結構必要だから、その人件費も大変である。
そして、本を出すとなると、印刷屋、デザイナー、などと言ったところへの支払いもいるだろう。
そうやってできてきた本は、どうなるというのか?
作ったはいいが、どこが置いてくれるわけではない。言い方は悪いが、しょせんは、紙屑も同様なのだが、かといって廃棄するわけにもいかない、
そうなると在庫としてどこかにおいておかなければいけないので、その倉庫代も、バカにならなかったことだろう、
これは、ウワサであるが、
「さすがに末期になってくると、本をつくっても、赤字が膨らむだけ、作ったことにしておいて、本来なら1000部といっていたものを、作者に見せるためということで、50冊くらいに抑えていたのではないだろうか?」
ともいわれていた。
本を出したいという人が一定数いなければ、そこから先は赤字を突き進み、破綻への道をまっしぐらだったに違いない。
だが、考えてみると、
「そんなことは、出版社自体が分かっていたことではないのだろうか?」
最初は、
「イケイケどんどん」
ということで、うまくいくかも知れないが、いずれ、ブームは過ぎ去るもので、数年が命ということではないのだろうか?
本来であれば、
「ちょうどいいところで、うまく撤退する」
ということを行えば、それでいいのだろうが、そういうわけにはいかない。
「始めることよりも、うまく終わらせることの方が、圧倒的に難しい」
ということを分かっていなかったのだろうか?
というのも、
「結婚だって、戦争だって同じことだ」
といっている人がいたが、まさにその通りだろう。
「結婚しても、今ではそのほとんどが、離婚している」
とまで言われているが、
「離婚は、結婚の数倍エネルギーを使う」
と言われている。
また、戦争も同じことであり、うまくいったのが、日露戦争であり、うまくいかなかったのが、
「大東亜戦争」
だったのだ。
日露戦争も、大欧亜戦争も、相手は世界の大国であった。何が違ったのかというと、日露戦争では、同盟国として、イギリスを引き込んだことで、バルチック艦隊の進行を抑えることができ、最終的に講和をアメリカに仲介してもらうということに成功したのだ。
しかし、大東亜戦争では、その両国を敵に回し、味方になる国は、その両国とも、戦争をしているところだったので、劣勢にあれば、勝ち目はないに決まっていた。
そこで、
「緒戦で相手に圧勝し、相手は戦意喪失をしたタイミングを狙って、講和を申し出る」
ということしか、勝利の見込みはないのだ。
実際に最初の半年で、ある程度の下地はできていたのに、勝ちすぎてしまい、想像以上の戦果が得られたことで、慢心したことで、講和のタイミングを逸してしまった。
こうなると、戦争を継続するしかなくなり、その先に待っているのは、
「国土の焦土化」
さらには、
「日本民族の滅亡」
しかなかった。
国土の焦土化までは行ってしまったが、軍はそれでも、徹底抗戦だったのを天皇が日本民族の滅亡だけは防ごうとしたことで、今の復興に繋がったといってもいい。
それを考えると、
「あの時に辞めておけば」
ということになるのだが、結果とすれば、どうしようもなかったといってもいいだろう。
つまり、自転車操業をしていると、いずれは破綻するので、どのタイミングで撤退するか?
というのが、
「攻める側とすれば、一番大切なことだ」
ということになるのだった。
自費出版会社も、引き際を間違えたのか、それとも、裁判までは想定外だったのか、一気に破綻への道を突き進むことになった。
そんな出版社がどんどん破綻していくと、本を出したいと思っていた人の目も覚めるというものだ。
しかし、本を実際に出した人は、気の毒であっただろう。
ただ、それも、どう考えるかであるが、
「そもそも、そんなに世の中は甘くない」
ということを最初からまったく考えてもいなかったということであろうか?
何と言っても、あれだけ、
「事業拡大するだけで儲かる」
と言われたバブルの崩壊を、目の当たりに見て、そのために、趣味として、小説を書くということをしていたはずなのだから、少しは疑ってみるだけのことはあったはずなのに、それだけ、出版社が巧妙だったということだろうか?
それとも、結果をして、
「お花畑の上にいた」
というだけで、信じるのも、致し方なかったということであれば、やはり、
「考えが甘い」
といっても過言ではないだろう。
そういう意味では、本を出した人のほとんどは、
「自業自得」
といってもいいかも知れない。
ただ、一般的には、
「詐欺商法に引っかかった被害者」
ということであり、世間では、
「気の毒」
という目が一般的だったかも知れないが、少しでも携わっていて、実際に、本を出すことをしなかった人から見れば、本当に、
「自業自得でしかない」
といってもいい。
逆に、その人たちだから、本を出した人のことを、
「自業自得だ」
と言えるのかも知れない。
それを思うと。
「詐欺というのは、もちろん、仕掛ける方が決定的に悪いのだが、騙される人がまったく悪くないというのは、また違うかも知れない」
と感じるのだった。
さすがに、ひろ子は、
「自分からそんな出版社に引っかかるようなことはない」
と思っていたが、実際には、最初の頃は、他の人と同じように、
「これは、なかなかうまいやり方だ」
ということで、彼らのやり方を称賛し、自分も
「あわやくば」
と、一瞬だけであるが、感じたこともあった。
それは否めないのだが、すぐに思い返したというのも、やはり、冷静な目でしか見ていなかったということであろう。
さて、それを考えると、ひろ子は、すぐに見切りをつけ、会社から言われて、それらの自費出版社関係の取材をしたりしていた。
やはり思った通り、
「自転車操業でやっていて、本を出したいという人が減ってきて。デッドラインを下回れば、一気に破綻してしまうだろうな」
ということは、容易に想像がついた。
しかし、実際に見ていくと、本当に、判で押したような、
「自転車操業」
であった。
「これじゃあ、おかしくなり始めたら、あっという間に壊れてしまう」
ということが分かった。
だからといって、いきなり、不安を煽るような記事も書けないし、下手に書くと、出版社から、
「事実無根」
ということで訴えられるに違いない。
彼らだって、そのあたりのネゴサーチはやっていることだろう。
そうなると、やんわりをした記事を書かなければいけないのだが、ただ軽くつつくだけでは記事の意味もないので、結構難しかった。
そんな時、訴訟を起こすところがあると聞いて、ひろ子は、
「よしこれだ」
ということで、そのあたりから攻めたことがよかったのか、いい記事が書けたと思っていたのだ。
そのおかげもあってか、一気に自費出版社関係への風当たりは強くなった。
そこに、ひろ子の記事がどれだけ関わっているかというのは、曖昧だったが、少なくとも、やつらのまわりに、かなりひどい誹謗中傷のようなものがあったのは。間違いではないだろう。
そう思うと、ひろ子の方も、
「あんな記事、書かなければよかった」
という、どこかに自戒の念があった。
それは、被害者を哀れに思うというわけではない。
それ以上に、被害者の、
「自業自得」
というものを感じていたからだ。
それよりも、
「何とかしなければ」
という思いがあった。
それは自分が、
「この会社にいてもいいのだろうか?」
という思いだった。
本当は小説家を目指しているのに、ライターのような仕事で、しかも、出版社から言われるままに、
「好きでもないことをしないといけない」
と考えたことで、ひろ子は、溜まらない思いになっていたのだった。
だが、それだけではなく。
「本当に、このままでいいのだろうか?」
と考えていた。
だから、その時のひろ子は、
「袋小路」
に嵌りこんでいたのだった。
というのも、
「自費出版社系の会社を追いかけさせられることによって、自分のやっていることに対して、大いなる疑問を感じるようになった」
ということからであった。
自分も本を出したいと思っている一人であることから、詐欺を暴くということは、自分と同じ夢を見ている人の夢を砕くということで、
「自分で自分の首を絞めている」
という発想にもなってきていたのだ。
それを、会社からわざとさせられているような錯覚を覚えると、
「この仕事が、情けなくなってきた」
といってもいいだろう。
少なくとも、
「この会社にいる以上、このまま自分が病んでくるということは否めない」
と思うようになった。
もちろん、
「フリーになりたい」
と思っていたわけではなく、
「作家になりたい」
という夢を持って、会社を辞めたのは、間違いではないが、急に辞めたことで、
「自分がこれからどうすればいいか?」
ということが分からなくなった。
だから、余計に自分が分からなくなったのだが、まずは、
「食べていかなければいけない」
ということで、最初はつなぎのつもりで、
「フリーライターになる」
ということしかなかったのだ。
何とか少しは、それでもしょうがないということであったが、何とか、フリーライターを数年やってきて、今は、
「様になってきた」
ということであろうか?
最初は、
「辞めた会社に行くのは、嫌だ」
と思っていたが、フリーライターとして名前が売れてくるようになると、会社の方からオファーがあったのだ。
編集長も、快く仕事を回してくれるようになり、後輩の指導のようなことも、あわやくばということで考えていたのだろう。
ひろ子も、
「ここで仕事をさせてもらえるのであれば、それくらいは、別にかまわない」
と思っていた。
どうせ、あのままいても、同じことだったということが分かったからっである。
今回は、とりあえず、温泉の取材は、出版社も、
「ただの温泉」
という風にしか思っていなかっただろうから、別に、
「彼女、一人でいい」
と思ったことであろう。
しかし、この温泉で、過去に何があったのかということを知っている人はいなかったようで、それだけ、女将さんの話にどこまで信憑性があるのかということを、ひろ子は、考えていた。
もっとも、
「まさか、ウソでもあるまいし」
と、ウソにしては、込み入っている話であろうということは、容易に想像がついていたので、
「黙ってとりあえずは聞くしかない」
と思っていたのだった。
「それにしても、こんな温泉地で」
というような話が今から始まると、ひろ子は思ったのだ。
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