第3話 女将の話
どのようなものが無事というのか分からないが、コーヒーを飲むことで、最初は、きついと無意識にであるが感じていたものを、味の違いから、
「やっぱり今日はきついと思っているんだ」
と感じたことで、自分の感覚が間違っていないことに気づいたのだった。
そのうちに、係の人から、
「バスが、裏の駐車場のところに着きましたので、そこまでお送りいたします」
と、言われ、一緒になって、駐車場までくると、10数人乗りくらいのマイクロバスが止まっていた。
「これに一人で載るのは忍びないな」
というと、運転手さんが、
「大丈夫ですよ、今日は、皆さん、まだまだ遅い時間にご到着ですからね」
と言われた。
なるほど確かにそうであった。
時計を見ると、まだ午前中ではないか、普通、宿のチェックインというと、早くても15時くらいではないだろうか?
それを考えると、
「ああ、なるほど、確かにそうですね」
といって笑うと、自分で自分の笑顔が引きつっているのを感じた。
「バスの運転手が私の顔を見て、どう思っただろう?」
と感じたが、そのことを気にしているようではなかったので、よかったとひろ子は感じたのだ。
「じゃあ、出発しますね」
といって、運転手は、役所の係の人に挨拶をすると、係の人は、いってらっしゃいとばかりに、バスに向かって、手を振ってくれたのだった。
「ここから、40分というところですか?」
と聞くと、
「ええ、まあそんな感じですかね? M市というのは、結構南北に広いので、結構端から端までって時間が掛かるんですよ。でもここは、都心部から離れるほど田舎になっていくというわけではなく、ところどころが開けているような感じなので、渋滞する場所もまちまちなんです。しかも、時間帯によって、いきなり変わったりすることがあるので、M市の渋滞状況を予測するのは、かなり困難だと言えますね。お客さんは車には乗られないんですか?」
と言われたので、
「いいえ、そんなことはないですが、M市のあたりにあまり来ることはなかったので、意識がなかったですね」
というと、
「ここはおかしな通りもあるんですよ」
というではないか。
「というと?」
と聞いてみると、
「ここの中心部近くに飲み屋街があるんですけどね。中途半端な大きなの川があって、左右が、それぞれの一方通行になっているんです」
というではないか。
「ええ」
と相槌を打つと、
「本当であれば、左側がこちらから向こうに、そして、右側が向こうからこっちに来るものだというのは、日本人であれば、誰でも感じることでしょう?」
と言われ、
「ええ、それはもちろん、そうでしょう」
というと、
「ここは、その場所だけがおかしくて。川を挟んで右側通行なんです。その通りを過ぎるとまた、左側通行になるんですよ」
という。
「よく事故が起こらないですね?」
というと、
「起こってるのかも知れないんですが、土地の所有者との絡みがあるとかで、そこだけはしょうがないんですよ。そこで苦肉の策として。そこだけを、市は、
「私有地」
ということにしたんですよね」
ということであった。
バスの運転手がどうしてそういう話をしたのかと思ったが、理由はすぐに分かった。
「ほら、ここなんですよ」
と、平然と言ってのけたのだ。
「ああ、なるほど、これじゃあ、意識することもないですね」
と言ったのは、こちらから向こうに行く時は、そのまままっすぐになっている。だから、向こうから来る時は、途中一度右折して、さらにそこから、また右折するということになる、だから、運転していて、違和感はないということだった。
「なるほど、わざと右折をさせることで、意識を、
「しょうがない」
ということで考えさせるというのであれば、大きな問題にも、事故にもつながらないということなのであろう。
バスは器用に、信号を抜けて、意識しないように、通り抜けていった。正直、右折ばかりさせられる人は、最初は、
「面倒くさい」
と感じるだろうが、慣れれば、そうでもないということを、バスの運転手が教えてくれた。
「お姉ちゃんは、M市の人なんじゃないの?」
と聞かれたが、
「いいえ、私は、ここの人間じゃありません。同じ県内ではあるんですけど、M市ほど大きなところではありませんね」
というと、
「そうですか、私も実は違うんですよ。だから、初めて、これから行く温泉に行った時は、意識が遠のいた気分でしたね」
と運転手は言った。
「何を大げさな」
とも感じたが、そこまでいうには、他との大きな違いがあるのだろう。
これから取材に出かける場所としては、ちょうどいいところであることから、実にありがたいと思うのだった。
繁華街を抜けて、まっすぐバスは、バイパスを通り、次第に目的地が近づいてきているようだった。
時間を確認すると、乗り込んでから、すでに30分が過ぎていた。
「あれ? イメージとしては、10分くらいだったんだけどな」
という感覚である。
ということは、自分で感じているよりも、思ったよりもスピードがゆっくるのようであった。
確かに運転手さんの言う通り、ところどころに都会風のところがあり、他の街とは、どこか一線を画しているようだったが、考えてみれば当たり前のことだった。
「そもそも、このM市というのは、まわりのいくつかの市が一緒くたになってできたところだったのだ」
ということだかあらである。
M市にくっついた街の中心部から見れば、境界線に当たるところは、市内に近く、逆方向には、今度は別の街がくっついた街なのだから、もう一度、
「街の中心というところを抜けていく」
ということになるだろう。
それを考えると、ひろ子は、
「この街というのは、想像以上にいろいろなポイントがあるところなんだろうな」
と、大いに興味を持った。
今回は、温泉の取材であるが、次回は違った角度から、M市を深堀できるような気がして、それが楽しみな気がしたのだった。
「ところでこれから行く温泉というのは、どういうところなんですか?」
と聞かれた運転手は、
「どんなところといって、普通の温泉ですよ」
と答えた。
しかし、ひろ子とすれば、編集長が、
「あなた好みの温泉ですよ」
といって、ほくそえんでいる感覚だったので、
「ただの温泉」
ということはないだろう。
少なくとも、編集長が気になっているところで、
「ひろ子の目で見るとどうなるんだろう?」
という思いがあるのか、やたらと編集長は進めてきた。
男である編集長が、ひろ子に求めるのは、もちろん、
「女性としての目」
であった。
特に、その目をいかに感じるのかというのを、ひろ子は今まで実感してきた。
それだけ、ダメ出しもたくさんあったし、罵詈雑言もあった、
「君の眼を信じた私が間違いだった」
などという、結構きつい言い方も、編集長は平気でしていたのだ。
それを思い出すと、
「編集長というのは、どうして、そこまでいうんだろう?」
と考えた時、
「私が辞めたことが気に入らなかったのかしら?」
と思ったが、辞めたいと言い出した時、少し戸惑っていたようだが、快く引き受けてくれたように見えたのも事実だった。
「しょうがないのかしら?」
と、編集長がどこまで期待してくれていたのかということが、よく分かっていないだけに、
「いくら編集長と言っても、相手の気持ちを無視しては、相手を理解することはできないのではないか?」
と感じたのだった。
そういう意味で、辞めてからの方が、編集長の気持ちが分かるようになってきたというのは、おかしなことなのだろうか?
そんなことを考えていると、
「ひろ子さんは、惜しいことをしたな」
と、後輩に話しているのかも知れないと思うと、それだけ、回してくれる仕事を、キチンとしないといけないと考えるのだった。
後輩君も、そのことを分かっているのか、それとも、編集長から聞かされているのか、
「山本さんの仕事の邪魔は決してしてはいけないと、編集長から言われているんですよ」
というのだった。
「邪魔というのがどういうことなのか分かっているの?」
といじわるっぽく言ってみたが、
「それが、よくは分からないんです」
と言いながらでも、どこか自信がありそうに見えるところから、
「ああ、この子は、中途半端なところまでは分かっているな」
と思うと、
「この中途半端というところが、どうにも難しい部分を秘めているのではないか?」
と感じると、自分の中でも、
「難しいな」
と感じるのだった。
ひろ子は温泉に到着すると、すぐに、女将に挨拶に行った。
「今回は、取材の方、ご協力お願いします」
という程度の軽い感じの話だった。
実際に部屋に行ってみると、女将さんが身構えていて、最初は、
「もっと気さくなつもりだったのに」
ということで、会話もそこそこに、管内を案内してもらうつもりでいたのだったが、どうも、女将さんは、話し好きなのか、会話を始めると止まらなくなるのか、最初は少し遠慮がちであったが、何かを話したいようで仕方がないようだった。
だが、それは、女将が話したいというよりも、
「相手が自分であるということで、女将は話したくなったのだろう」
と話が盛り上がっていくうちに考えるようになった。
「お互いに女同志だから」
というよりも、フリーライターをしているひろ子に話をしたいのだろうと、感じるのだった。
実際に、どういう話をすればいいのかを考えていたが、どうも、話の内容は、女将からの一方的なものだった。
それも、話のネタがあり、そのネタを中心に話を展開させるという感じで、その話を知っているのは、女将だけなのだ。
女将の話では、
「当時は、大きな問題になった」
ということであったが、女将がまだ小さかった頃のことだという。
実際に興味もあったので、話を聴くことになったのだ。
話というのは、どうやら、昔この村で殺人事件が起こり、それが、ちょうど女将さんが子供の頃に、ちょうど時効になるならないの話があったという。
女将さんは見るからに、年齢的に、
「60歳前後だろうか?」
という感じであったが、ちょうど、少ししてから、
「若女将」
がやってきたのだが、その人も、若女将といっても、三十歳代後半かも知れないと思うのだった。
女将の話を最初から、かいつまんで話を載せてみることにする。
まずは、取材についてのお礼をひろ子の方からすると、女将さんも、
「こちらこそ、宣伝していただけるのは嬉しいことです。皆には、全面的に協力してほしいと話しているので、皆、協力してくれると思いますよ」
ということであった。
もちろん、取材を申し込んだ時、
「客の顔を勝手に取らない」
であったり、
「許可のない客から勝手に取材をしない」
などという当たり前の話を、誓約書のような形で作ってきて、渡してはいたので、話は早かったのだ。
それを考えると、
「女将は、何を言いたいのだろう?」
という思いと、
「女将は、言いたいというよりも、私の意見を求めているのだろうか?」
などと、いう思いが交錯していたのだ。
しかし、まさか話が、
「昔の殺人事件」
ということだったとは思ってもいなかった。
しかも、
「子供の頃に時効を迎えた」
などというと、それこそ、
「戦後すぐくらいの頃の犯罪ではないか?」
と思わせたのだ。
昔読んだ、
「探偵小説が頭の中にうかんできて、まるで、自分が探偵になったかのような錯覚に陥るかも知れない」
と感じたのだ。
「昔の探偵というと、シャーロックホームズのイメージがあったが、その時は、金田一耕助になった気分だったのだ。
女将さんも、少し思い出しながらの話になるので、どこまでハッキリとした話をしているのか、よく分からないが、何度か話を聴いているうちに、少しずつ分かってくるような感じだった。
話を聴きながら、たぶん、箇条書きにしないと理解できないような話で、そもそも、ライターをやっているくせもあってか、話を聴いていて、自然と箇条書きにしていくことで少しづつ話ができているような気がするのだった。
まず、第一の問題として、
「犯行が行われたその場所は、密室だった」
ということであった。
その時に殺された男は、名前を、穴山とう、犯人は、一緒にいた馬場崎だと思われていた。
犯行現場は、街はずれの今でいうところの、
「ラブホテル」
のようなところで、当時とすれば、
「連れ込みホテル」
あるいは、モーテルとでもいえばいいのか、女将の記憶では、そのあたりの言葉しか連想できなかったという。
そこで、男が胸を刺されて死んでいたというのだ。
当時のラブホテルのシステムがどうなっているのか分からないが、今もあまり変わっていないのではないだろうか。
男性一人、女性一人というのが、宿泊であっても、休憩であっても、通常の客なのだろうが、
男性であれば、一人でも、複数でも、問題はないだろう。
ただ、女性一人というのは、当時のホテルでは、嫌がられるというのだ。その理由というのは、
「自殺を疑うから」
というのが、一番の理由だった。
ただ、男性の一人というのは、どこまでよかったというのかが、少し疑問である。
今であれば、男性の一人客というのは、普通にありだろう。
どういうことなのかというと、今の時代は、男性が一人でホテルに入るということは、
「女の子を呼ぶ」
ということで、十分、ありなのだ。
つまり、風俗の中でも、デリヘルというシステムがあるからで、基本的には、まず、男性が、ホテルの部屋に入室する。そこから、デリヘルの受付に電話を入れ、女の子を指名するか、フリーであれば、空いている女の子をお願いする形で、相手に今自分がどのホテルの何号室にいるかということを伝えるのだ。
すると、女の子に連絡をつけ、数分後に部屋に向かうということを告げておいて、男性は、ホテルで、シャワーを浴びるなどして、待っているということになる。
何といっても、先にシャワーを浴びていれば、女の子の拘束時間は決まっているので、いきなりプレイに入ることができるというわけで、その分、時間をうまく使うことができるというわけだ。
それが、今のデリヘルというシステムなので、男性が一人でホテルに入るのは、当然であり、今はそっちの方が主流なのかも知れない。
昔のように、男女が、こそこそしながら、ラブホに入るなどという光景は、だいぶ減ってきたことだろう。
だから、ラブホの駐車場には、ワゴン車が結構いて、中で、ドライバー一人がいることがある。その人は、デリヘルのドライバーで、
「女の子の送迎係」
ということであろう。
ただ、デリヘルという業態は、そんなに昔からあるわけではない。昭和の昔にあったとは聞かない。
「普通のヘルスですら、昭和の頃となると、少ないかも知れない。だって、ソープが、まだトルコ風呂だった時代だからな」
と、風俗の歴史に詳しい人はそういうだろう。
そもそも、昔は、ホテルを使った風俗というのは少なかっただろう。
「チョンの間」
と言われるようなものでも、昔の赤線、青線の流れから、ホテルを遣わずに、
「自分たちが経営しているバーの奥の部屋」
という形態が多かったのではないだろうか?
ひろ子はそんな時代を知る由もない。年齢としては、今、35歳くらいなので、生まれた年が、
「平成か昭和か?」
という境目くらいであおうか。
もちろん、そんな古い時代の話は人から聞くか、自分で調べるか、フリーライターなどをしていると、ある程度は知っていないといけない部分もあるというものだ。
ひろ子が、ちょうど、出版社に勤めていた頃の、今から10年くらい前であろうか。まだ、小説家の道をあきらめきれなかったくらいの頃に、ちょうど世間では、
「自費出版社系の会社」
が問題になっていた。
「本を出しませんか?」
という文句で誘い、
「原稿を送ってください」
という言葉に乗せられて、原稿を送ると、相手から、今まででは信じられないような、親切丁寧な批評を書いて送り返してくるのだ。
文学賞に応募しても、分かるのは、
「合否」
だけである、
つまり、
「合否だけは教えるが、審査に対してのことは一切、答えられない」
という実に閉鎖的なものだった。
だから、どんな審査が行われているのか分かったものではない。そうは思いながらも、持ち込み原稿を持っていったとしても、どうせ、すぐんいゴミ箱に放り込まれる運命だということは分かり切っている。
それを考えると、
「持ち込み原稿」
による直接の査定か、あるいは、
「新人賞などでの入賞」
ということでの実績でもなければ、小説家への道は一切なかったのが、自費出版社系が出てくる前のことであった。
それを考えると、ちゃんと読んで批評までしてくれるわけだから、原稿を送った人が信用するのは当たり前だった。
もっとも、それが相手の狙いである。
しかも時代は、
「バブル経済」
が弾けることで、会社での仕事の仕方が、まったく変わってしまった。
それまでは、
「24時間戦えますか?」
という言葉があるほど、
「企業戦士」
として働かされていた。
しかし、その分給料はもらえた、つまり、事業を拡大すればするほど、儲かるという、単純な時代でもあったのだ。
それが破綻してくると、今度は逆に、事業を縮小し、人をどんどん切っていき、雇用形態を正社員からパートなどにシフトし、
「支出を減らす」
という方法にシフトしていくのだ。
そのせいもあってか、
「残業はしない。経費は節減」
ということになり、会社が5時に終われば、そこからどうするか?
ということになった。
お金を持っている人は、その時の貯蓄で、趣味に走ったりするのだろうが、それを怖いと思い、
「少しでも金のかからない趣味」
ということで、筆記用具か、ワープロ1台あれば、後はそんなにお金がかからないし、
「うまくいけば、プロも目指せる」
という小説家を目指すという人が増えてきた。
だから、
「自費出版系の会社」
が台頭してきたのである。
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