第2話 街はずれの温泉地
M市には、地元としては大手の会社のビルがひしめいている地区がある。銀行などの金融関係、タイヤ関係から大きくなった、車両部品の会社、そこからのケミカル関係の業種としての、靴やカバン類の企業などのビルがひしめいているのだ。
そして、一級河川である、M川の河川敷には、それらの工場が位置していて、結構大きな街になっていた。
だが、戦後すぐの頃は、その付近は徹底的に空襲によって破壊されていた。
現在の川沿いの工場は、戦前から、
「軍需工場」
として栄えてい、今のビルの乱立しているあたりは、それらの軍需工場の行員たちが密集して住んでいたのだ。
アメリカ軍の爆撃の焦点は、それら住宅街にも集中し、大空襲があった日には、相当な人たちの命が奪われたという。
他の地区では、
「建物疎開」
と称して、区画整理が行われていたが、このあたりの、行員たちの住まいは、そういうわけもいかなかったので、そのままだった。
そのせいもあってか、空襲ではひとたまりもない。
もっとも、他の地区のように、
「建物疎開」
というものが行われていたとしても、結果として、空襲に見舞われれば、どうしようもない状態に陥ってしまい、結果、
「焼け野原」
ということになるというのは、無理もないことであった。
それを思えば、M市が軍需工場もろとも、大きな被害に遭ったというのは、無理もないことだった。
今はビルが立ち並んだ地域の、ほぼ中央に、少々大きな公園、通称、
「セントラルパーク」
と呼ばれているものがあるが、その中心には、戦没慰霊碑が建っている。
その慰霊碑が建てられたのは、平成になってからだというので、比較的新しいものだろう。
そんな街を意識することなく、ほとんどの若者は、近くのビルに、毎日のように仕事に出かけている。慰霊碑はそんな人たちを毎日見送っているのだった。
今回、取材に向かうひろ子は、当然のごとく、M市についての、
「下調べ」
をしていた。
ネットでの知識が主なものだったが、さすがにM市全体の紹介は多かったが、目的の温泉地あたりの紹介は、本当にちょっとだけだった。
「過疎というのは、ガチできにしておかないといけないところなんだろうな?」
と感じていたのだった。
出版社の編集長は、忙しいのか、そもそもが怠慢な性格なのか、ひろ子には迷うところであったが、
「どっちもなんだろうな」
と考えると、まさにそうだといってもいいくらいの気がした。
仕事の話が決まると、後は、ほとんど丸なけで、
「自分で好きなように取材をしてください」
というだけだった。
「好きなようにしていい」
というのは、楽なようで、実は一番難しい、
「好きなように」
という、
「好きな」
という部分が曖昧だからだ。
「好きなようにと言われて、本当に好きなようにすると、相手の思いにそぐわなければ、簡単にダメだしされるからな。それも感性でモノをいうので、何を求めているのか分からない。言い訳ができない状態で、相手もよく分かっていないようなので、これほど厄介なことはないに違いない」
ということであった。
そんなことを考えていると、
「この街でまずは向かうとすれば、市役所の環境課に行ってみようか」
と考えた。
「市内の文化財や史跡などの管理、あるいは、観光地の問題などは、どこの市役所でも、環境課というところがやっている」
ということが分かっていたからだ。
実際に行ってみると、そこでは思っていたよりも、暖かく迎えてくれた。
市役所というと、
「お役所仕事」
というイメージから、民間会社の雑誌の取材などというと、口ではありがたいと言いながらも、内心では、
「面倒くさいな」
とでも思っているのか、人によっては、露骨に嫌な顔をする人もいた。
さすがにそんな人を相手にすると、
「いい加減にしてくれ」
と思うのだが、仕事だから、それもしょうがないといえるのではないだろうか?
それを思うと、M市の環境課の相手をしてくれた女性は、親身になって説明してくれる。
「ああ。あの温泉街ですか、取材をしてくれるのは、大いにありがたいことです」
と言いながら、目が輝いているように見えた。
「どうやら、この人の目は偽りなさそうだわ」
と、ひろ子は思ったが、結構時間をかけて説明してくれたようで、時計を見れば、体面してから、すでに2時間が経っていた。
それも違和感があったわけではないので、話をできたこともありがたく、それでいて、お互いに疲れを感じないというのは、長年取材に携わってきたが、珍しいことだったような気がする。
というのも、実はひろ子もビックリしたのだが、
「実は、PR映画のようなものもあるんですよ」
ということであった。
「えっ、それはすごいですね」
と聞くと、
「結構前に作られたもので、今でいうユーチューブのようなものがなかったので、撮影チームを結成し、一応真剣に作ったんですよ。10分ほどの映画だったんですが、結構皆真面目に取り組んでいましたね」
ということで、彼女の勧めで、そのPR映画を見せてもらうことにした。
「一人の高校生の女の子が、都会の雑踏から疲れて、この街に戻ってくる。そんな彼女を暖かく迎えてくれた街の温泉。そして、街の今も変わらぬ風景」
10分ほどの映画だったが、終わってみれば、あっという間のことのようだった。
「なかなかよくできていますね」
というと、彼女はニコニコしながら、
「実は、あの映画でヒロインを演じていたのは、高校生の時の私だったんですけどね」
といって、少しはにかんだ様子でいうではないか。
「言われてみれば、気付かなかった」
と思ったひろ子は、
「不覚だったわ」
と感じたが、その様子を見て、
「してやったり」
という表情になった彼女に、少し、暮らしい気分になった。
しかし、それでも、決して親な気分になったわけではない。むしろ、ほのぼのした気持ちにさせられたといってもいいだろう。
「気づきませんで、すみません。でも、なかなかきれいな街なんですね?」
とひろ子がいうと。
「ええ、あの街は、風光明媚といってもいいんでしょうが、なかなか温泉というだけでは、人が来てくれることもないし、年々過疎化も進んでいることと、何か一つ、できることをしようということで、PR映画を作ったということなんです。出演者もスタッフも皆街の人たちでやったんですよ。それが今となっては、一番の誇りですね」
と彼女は言った。
「さっきの動画は、たくさんの人が見てくれたんですかね?」
と聞くと、
「いやぁ、なかなかうまくはいかないですよ。製作してからしばらくは、ほとんど訪れる人もいなくて、お見せする機会もないということでしたね」
というので、
「じゃあ、今はいかがですか?」
と聞かれて
「今では、ユーチューブのようなものがあるので、ちょっと大げさに、秘境の温泉と銘打って載せると、毎日少々の反響はあるようですね。それでもなかなか来てくれるという人は少ないようで」
ということであった。
「でも、忘年会なんかよさそうな気がするんですけどね。それほど都心から離れたところに行かなくても、宴会をするだけなら、温泉と、その宿があれば、それだけでいいのではないかと思うんですけどね」
というと、
「それは確かにそうかも知れませんが、果たしてそうなのか、実際には、視聴者数から考えると、もう少しにぎわってもいいような気がするんですよ。そこへ取材のオファーが来たので、我々としても、乗っかりたいと思い、お互いに、願ったり叶ったりではないかと思うようになりました」
と彼女は答えた。
「なるほど、私たちも、温泉街の町おこしの一環となれればいいと思いますよ」
と、ひろ子は言った。
「どうもありがとうございました。さっそく現地に行ってみることにします」
というと、
「どうやって行かれるおつもりなんですか?」
というので、
「確か路線バスがあると思ったんですが」
というと、
「ああ、でも、あのバスは、1時間に1本もありませんよ。結構路線バスとしては、致命的に便の悪いところですからね」
というではないか。
「そうなんですか?」
といって、自分が思ってよりも楽天的に考えていることを知った。
いくら都会の市内とはいえ、どうやら、少なからずの見方を変える必要があるということを感じさせられたのだった。
「温泉宿では、団体のためのマイクロバスを用意しているので、お迎えにこさせましょう」
と彼女は言った。
「ああ、それは有難いですね」
というと、
「いえいえ、わざわざ取材に来られるんですから、街の方でも歓迎してくれると思いますよ」
と彼女がいうので、自然とひろ子も、自分の中で、想像していたよりも、ハードルを上げているということに気づいていたのだった。
二人の話はそれくらいにしておいて、さっそく彼女は連絡を取ってくれているようだ。
「今からこちらに来られるということなので、たぶん、40分くらいかかると思います。一応、街はずれにはなりますからね」
と言われて、下調べをしておいたひろ子にはそれくらいのことは分かっていたつもりだった。
ただ、路線バスに関しては、
「どうして失念していたんだろう?」
とばかりに考えたが、そもそも、今までも入念に調べたつもりであっても、何か一つはおろそかになることも多く、
「人間だから、しょうがないか」
といって、自分を納得させていたということもあって、いつも、失念しているのに、毎回同じようなことを繰り返すのは、そんな感情があるからではないだろうか?
と感じるのだった。
ひろ子はその間、市役所を見て回ることにした。
「来たら連絡を入れますので」
ということだったので、約40分、市役所の表に出て見るのもいいかと思ったが、せっかくだから、ここから比較的近いと言われている、セントラルパークの、
「戦没慰霊碑」
にお参りすることにしたのだった。
「戦没慰霊碑」
というのは、大きな壁が、不規則に崩れたかのような形になっていて、説明書を見れば、
「爆弾や焼夷弾によって、破壊された建物をイメージしている」
ということであったが、言われてみれば、まさにその通りだったのだ。
「戦没慰霊碑というものは、あまり真面目に見たことはなかったな」
とひろ子は思ったが、さすがに修学旅行で行った広島の、原爆の慰霊碑や、原爆ドームのある、
「平和公園」
だけは、真剣に見たものだった。
何しろ、原爆投下のほぼ爆心地である、あの場所で、倒壊もせずに、70年以上も佇んでいるのだから、見ただけで圧倒されるかのような気がしてくるのも当たり前といってもいいだろう。
それを考えると、
「やっぱりすごい、もっと他の慰霊碑も機会があれば回ってみたいな」
と思ったはずなのに、今のところ、そこまでできていないのは、高校生の時の純粋な気持ちが失われていたからではないだろうか?
そんなことを考えていると、今回、
「待ち時間があるため」
という理由があったからといって、実際に気にして見た慰霊碑というものは、原爆による異例人は違って、こちらはこちらで感慨深いものがあったといってもいいだろう。
「原爆というと、皆が注目し、かわいそうだということになるのだろうが、大都市への無差別爆撃というのも、かなり悲惨だった」
ということを聞いたことがあった。
そういう意味で、それほど注目されることのないものを、今自分だけで気にしていると思うと、戦没者から今、
「自分だけがそのご加護を受けているような気がする」
と感じるほどであった。
壁に彫られているもので、火災の中を逃げ惑う人たちの姿が生々し。
「やはり、戦争なんて、簡単に引き起こしてはいけないんだ」
と、いまさらながらに思い知らされるというものだった。
「戦争は、原爆だけではないですからね」
といっていた人がいたが、まさにその通りではないだろうか?
確かに、一発の爆弾で、10万人弱の人が、被害に遭ったというわけなので、どれほど悲惨だったのかが分かる。
ただ、原爆の恐ろしさは、その威力だけではなく、副産物としての、放射能というものが、どれほど恐ろしいものかということを教えてくれた。
だからこそ、約10年前に起こった地震によって、政府があれだけ、
「安心だ」
といっていたものが、あれだけもろくも事故を引き起こすのだ。
民間の電力会社も、国も同罪で、特に国や政府は、暴言を吐きまくり、結果、せっかく取った政権を一期だけで、また前の政権に返還するという無様なことになってしまったのだ。
それを思うと。
「政府が、日ごろから、どれだけ国民をバカにしているのか」
ということが分かるというものであった。
政府にとって、こんな時代がいいのか悪いのか、そんなに政権にしがみつくことが、自分たちに、
「うまい汁を吸わせてくれる」
ということになるのか?
そんなことを考えていると、
「国民であることが、恥ずかしい」
と言えるくらいだった。
戦没慰霊碑を見ていて、そこまで考えるのだから、今までにも、結構政府批判の話も、ジャーナリストとして聞いたものだ。
ということを思い出させるものであった。
ひろ子は、戦没慰霊碑の前で、どれだけの時間佇んでいたというのか、
実際に時計を見ると、10分くらいしか経っていなかった。とりあえず、市役所の建物に戻ってみることにした。
市役所の建物は、老朽化している部分と、まだ新しいと思える部分がまだらになっているのを感じた。
「これは、補修補修で、本格的な改修を行っていないという証拠なのではないか?」
と思い、
「県内でも有数の大都市の市役所がこんなものなのだから、県庁所在地の市役所といっても、高が知れているのではないか?」
と感じるのだった。
実際に、まじまじとは見たことはなかったが、県庁所在地の市役所には時々赴いていた。やはり取材目的であり、いつも違う課だったような気がする。
そう考えると、
「知り合いらしき人はいないな」
と感じた。
そういう意味では、今日いろいろ教えてくれた彼女などは、
「知り合いとして認知してもいいくらいだわ」
と感じたのだった。
ひろ子は、今までに、友達になった人の数とすれば、他の同年代の子たちに比べても、圧倒的に少なかったように思う。
「学生時代から、暗い性格だったから」
と思うのもまんざらではなく、実際に頭に浮かべた友達というと、数十人にも満たないということであったのだ。
戦没慰霊碑を見終わったひろ子が、市役所に戻ってきたのは、市役所を出てから、約20ぷんくらいだった。役所の近くに何があるのかというのを、少し見て回ろうかと思ったが、どうやら、そんな時間はないようだった。
おかげで、市役所に戻ってから、少しコーヒーでも飲もうと思い、ちょうど一階に、喫茶コーナーがあるのを思い出して、そこに行ってみることにした。
室内というわけではなく、一回ロビーの一角にあるような感じなので、すぐにできるだろうという思いだった。
実際に注文してから出てくるまでに、約5分もかからない。きっと、受付の待ち時間に利用するための簡易喫茶コーナーなのであろう、
だから、カップも紙コップで、飲み終わった後は、そのままゴミ箱に捨てればいいだけなので、返却を気にすることもない。
自販機では寂しいが、喫茶室のように大げさなものではないので、待合には、ちょうどいいといってもいいだろう。
コーヒーの味も、なかなかだった。特に、紙コップで呑む味ではないと思うと、さすがに落ち着いた気分になれる。ロビーのどこに座ってもいいということなのでゆったりとした気分にもなれるし、
ただ一つ気になったのは、コーヒーの後口が結構な苦さに感じられたことだった。
自分では、
「おこちゃまだから」
ということで、コーヒーを頼むと、いつも持ち歩いている、甘味料の顆粒を入れるようにしている。
「砂糖をスプーン3杯が、スティック一個の甘さで、カロリーが、十分の一というくらいなので、少々お高いが、ちょうどいい」
と思って、自分専用に持ち歩いていた。
その理由の一つとして、
「乳製品を食することができない」
ということからだった。
実際に乳製品を食べないのは、
「アレルギー」
というわけではない。
受け付けないと言った方がいいのだろう。
「昔だったら、無理やりにでも飲ませていたんだけど、今は苛めの問題とかがあるので、そんなことはできない」
という人もいるが、
「身体が受け付けない人もいる」
ということで、そこまで考慮しないといねないのだろう。
「よくそれで昔は問題にならなかったよな」
と言われていたが、昔は昔で問題になっていたのかも知れない。
ただ、今ほどの騒ぎにならなかっただけではないだろうか?
それでも、今回のコーヒーには苦みを感じた。
「私の体調が少しよくないのかしら?」
とも思った。言われてみれば、少しくしゃみが出たりもしていたから、余計にそう思うのだった。
少し熱いので、ゆっくり飲んでいると、次第に、舌にも熱さが慣れてきた。
そんな味も少し分からない状態で、時間的にも、
「そろそろだ」
と思ったので、一生懸命になって、コーヒーを流し込んだ。
最後の方はさすがに熱さも何とかなったようで、喉を流し込む時、やはり、少し苦かったが、その苦さのせいか、先ほどまであれほど空腹だと思っていたものが、急に満腹とまではいかないが、ちょうどいい塩梅になってきたのだった。
「腹が減ったのを通り越したのかな?」
という思いは結構ある。
実際に、すぐに腹が膨れるという感覚は今に始まったことではない。
むしろ、
「いつものこと」
というくらいに、冷静に感じられる。
ということは、
「苦いと思っていたつもりだったけど、意外と甘いと思っていたのかも知れないわね」
と感じていた。
「まぁ、コーヒーによる腹の膨れであれば、すぐに、元に戻るだろう」
と考えた。
そもそも、
「元に戻る」
というのは、どういうことなのだろう?
腹八分目が大体普段くらいだと思っていたが、今日はそれ以上であった。正直、今おいしいごちそうを見せられたとしても、上手に食レポができる自信はなかった。
「おいしい食事は、空腹の時でないと」
というのは、ひろ子だけが思っているわけではない。
特に体調が悪い時、食べるのが億劫に感じられる時というのは、本当に食べれないといってもいいだろう。
食事がおいしく食べれない時ほど、生きていて、
「つまらない」
と思うことはない。
もちろん、生きがいを失った時のショックであったり、生きているのがつらく感じられるというような、さらにきつい時はあるのだが、その時は、決して。
「つまらない」
という感覚になることはなかった。
つまらないというのは、本当に楽しくないということであり、楽しくなくても、生きがいがある場合は、それなりに、充実感を感じる。
しかし、そんな中で、
「何もかもが嫌になる」
というほどではないが、自分で、
「何がそんなに嫌なのか?」
ということの理由が分かりかねる時を、いわゆる、
「つまらない」
と感じるのではないだろうか?
そんなことを考えていると、
「今日のこの感じは、つまらないと思う時なのかも知れないな」
と感じた。
しかも、それは、体調の悪さを伴っているだけに、
正直、
「このまま帰りたいな」
とも感じていた。
体調が悪くなるというのは、実は、数年ぶりのことだったはずなのに、意識としては、数か月くらい前に体調を崩していたというような感覚になっていたのだった。
確かに数か月前にも、少し体調が悪かったような気がしたが、そこまで大事にいたることもなかった。
「確かあの時は、帰りに病院で点滴を打ってもらったんじゃなかったかしら?」
と感じたのだ。
病院で点滴を打っていると、スーッと楽になってくるのを感じる。体調が悪いからというよりも、腕や身体が熱くなっている時、身体の中に、冷たい薬液が入っていくのを、実は気持ちいいと思いながら、頭がボーっとしてくる中で、落ち着いた気分になっているのであった。
特に、簡易ベッドの上で点滴を打ちながら、天井を見ていると、病院というところの性質上、防音効果をもたらすため、天井の壁には、まるで発泡スチロールに開いた穴のような黒い部分が、幾何学模様を奏でている。
それをじっと見ていると、遠近感が取れなくなるのを感じて、まるでベッドに横になりながら、そのままベッドが床を突き破って、奈落の底に落っこちていく感覚が出てくるのだった。
それを感じると、
「大丈夫なのかしら?」
と精神状態がおかしくなってきたのではないかと思うのだが、それを先生に話す気はしないのだ。
というのも、すぐに、落ち着いてくるのを、自分で分かってくると、思うからだった。
「山本さん。大丈夫ですか?」
とたまに、看護婦に起こされることがあったが、どうやら、点滴を打ちながら、そのまま眠ってしまいそうになっているようだった。
「ああ、よかった」
と看護婦はそういうのだが、
「よかった」
というのはどういうことであろう。
確かに、呼ばれると、少し気になってしまうのだが、看護婦が安心しているのを見て。その時は、
「まあ、いいか」
と思うのだが、よく考えてみると。
「看護婦が驚くということ自体が尋常ではない」
ということだろう。
安心したことで、こっちも安心するのだが。それだけ、
「病院というところは、自分が思ってる以上に、意識を強く感じる場面があるのだろうか?」
と考えさせられるような気がした。
そんな病院も表に出ると、さっきまでとまったく違った感覚になる。最近の病院はそんなに薬品の臭いがきつくないと大人は言っていたが、子供の頃、それも小学生くらいの頃くらいまでは、臭いがきつかったというのを思い出すのであった。
この日は、昔の、
「きつかった時」
という意識がよみがえってくるので、
「今日は無事に終わることはないかな?」
と思うのだった。
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