8—4
「ギルマス!!」
そんな叫び声を聞いて、ログナはハッと目を開けた。この迷宮のスタート地点である丸太小屋前、沈黙したままの魔法陣の側だ。
今回最初に目を開けたのはキースだったようだ。叫び声が目覚ましになったおかげで、意識が戻って最初に浮かんだのはレオールの快活な笑顔だった。
「上手くいくか?」
「分からない。駄目なら入り直そう」
これで駄目なら仕切り直す。それでも駄目なら仕方ない。諦める事はしないが、情報を得てまた挑戦し直せば良いだけだ。
振り返った先、目視出来るか出来ないかくらいに丸太小屋が小さくなった頃、木製の柵が現れた。
「そろそろだ」
柵の近くで待っていると、向こうの方にピンク色のもこもこを目視した。夢羊だ。
相変わらず大群で移動している。ピンク一色でもこもこしているところを見ると、残念ながらログナの狙い通りにはいかなかったようだ。
「駄目だったみたいだね。一旦出て入り直そう」
「いや。柵を越えるまで待ってみよう」
肩を落としたログナを止めたのはクラインだ。キースも「どうせ眠らされたらスタートまで戻してもらえる」と、クラインに賛成した。
少し離れたところから羊を見守っていると、ようやく最初の一頭が柵に向かって駆け出した。
そのまま越えるかと思いきや、柵の手前で突然その姿が揺らぐ。靄と化し蒸発したかと思ったが、次の瞬間華麗に柵を飛び越えて来た。
「「!!」」
「……っ!!」
腰に手を当て、ブレない体幹を惜しげもなく披露しながら華麗に柵を飛び越えるのは、パビリオ支部のギルドマスターレオールだった。
「なんで目線こっち……ぷっ」
「しかも無表情って……ふふっ」
「ぎゃっはははははははははは」
優雅に柵を越えるレオールは、何故かこちらを見ながらジャンプして去っていく。その表情に何の感情ものっていないのがまたシュールだ。
ログナもクラインも笑いを堪えきれず、思わず吹いてしまった。キースに至っては腹を抱えて爆笑している。
ひとまず作戦は成功した。柵を越えるレオールが十人を越えても、三人が眠りに就く事はなかった。
「なぁ……これいつまで続くの?」
目の前には柵越え待ちのレオールの列が出来ている。
ひとしきり笑い転げたキースはもう既に飽きたのか、地面にあぐらをかいて片肘をつくと、その上に顎を乗せただらしない姿で目の前の光景を眺めている。
レオールの柵越えが始まって、もう十数分は経っただろう。目の前のレオールは夢羊が姿を変えたものなのだろうが、羊の姿でなければ催眠の魔術は発動しないらしく、誰も眠くなっていないところを見るとログナの予想は当たりのようだ。
「いつまで見てればいい?」
「多分百匹。あ、百人か。あの納屋の日記にあった『100』はヒントの筈だから」
「今で七十。あともう少しの辛抱だ」
数を数えながらポーチから出した短刀で地面に線を刻んでいたログナだったが、途中から暇だからとクラインが代わった。五本二セットの塊が既に七つ地面に刻まれている。
「ログナはギルマスじゃなくてアマンダの方が良かったんじゃねぇ?」
「だからそんなんじゃ無いってば……」
ニヤニヤと悪い顔をしてこちらを見てくるキースに否定を返すも、自分が想像するアマンダはどんな風に出てくるだろうかと、ちょっと考えてしまう。
まず浮かぶのは、ギルドの制服を纏いあの艶やかな髪をサラリと揺らす凛々しい立ち姿だ。
あとはゴブリンを討伐した時に初めて見た冒険者としての姿。弓を構える姿も勇ましかった。
ログナが持つ『魔眼』のような
彼女と一緒に浮かんだのは、側に寄り添うように立つ大きな白猫。初めて見た時に感じた違和感は、猫から発せられる魔力を感知したからだったのだろう。
今思えばアマンダから感じた違和感と、白猫から感じた違和感は同じものだったと思う。同じ魔力の気配がしたような気がする。
アマンダ自身が白猫は自分の契約獣だと言っていたし、同じ魔力を感じるのは当たり前なのだろう。
「(当たり前なんだけど、何だろう? なんかそれだけじゃない気がするんだよなぁ……)」
「来るぞ!!」
クラインの鋭い声に飛ばしていた思考を引き戻したログナは、地面に描かれた線が最後の一本を刻むところを見た。
途端に空気が変わり、体が一気に緊張する。それぞれが得物を構え、夢羊の大群がいた辺りの景色が空気ごと揺らぐのを見据える。
柵を越えていたレオールは姿を消し、今まで目の前にあった柵もいつの間にか消えている。
「そう来なくっちゃな!!」
キースが好戦的な笑みを浮かべ、手の中で双剣をくるりと回した。
揺らいだ景色の中から、一際大きな夢羊が姿を現す。今まで見ていた夢羊の三、四倍はありそうな体躯。角も太くて大きく重そうだ。
「あの角なら良い素材になりそうだ」
「羊毛もたくさん取れそうだね」
「ただ、ボス感0だけどなー」
見た目だけならボスに相応しい。が、なんせ色がピンクなもので、色々と残念な事になっている。
そんな会話に腹を立てたのか、見た目からは想像もつかないどぎつい咆哮を発し、ボス羊が突進してきた。が、角が重いのか動きは遅く、躱せないという事はなさそうだ。後は攻撃が効いてくれればそれで良い。
「クソ蛙の粘液の方が百倍早かったぜ!! ログナ!!!」
「眉間に魔石反応あり! そこを一転集中で!!」
「「了解!」」
既に魔眼を発動させたログナが矢を番えている隣で、クラインが槍を構えボスへ向かって駆けて行く。その前方には、キースが既に双剣を煌めかせボスの足元に迫ろうかというところだった。
夢遊の塔から出てきた三人の手には、立派な角が一対と一抱え程の羊毛、そして拳程の魔石がある。
クラインが持つ角を眺めながら、キースがログナへ声を掛けた。
「そういえば角って八巻以上いるって書いてなかったっけ?」
クラインが両脇に抱えるようにして持っている角は、一つが五巻程だ。これでは足りないと言われるのではと、心配しての発言だ。
「二つ合わせて十巻だからオッケーだろ」
いつもはキースが良いそうな台詞をクラインが言っている事が可笑しくて、ログナがクスクスと喉を鳴らした。
これでメモの素材は集まった。後はこれらを届けて武器を強化してもらうだけだ。ずっと愛用してきた馴染みの武器が、一体どんな風に生まれ変わるのか楽しみだと会話に華を咲かせながら、三人はギルドの馬車が来る停留所までの道を歩いた。
今夜はギルマスが華麗に柵を越える夢を見そうだと笑って話していた三人は知らない。
ギルドの執務室でレオールが豪快なくしゃみを連発していた事を。
「うむ。風邪でも引いたかの?」
「そんな筈ありませんよ」
そう言って否定するのは副ギルドマスターの男だ。大きな屋敷にいたなら、しかるべき役職であっただろう事を連想させる出で立ちである。
「何じゃ? オレだって風邪くらい——」
「十年間無遅刻無欠席の方が何をおっしゃいますか。魔物の軍勢が攻めて来たと言われた方が皆さん信じるでしょうよ」
「…………」
絶妙にディスられていた事を。
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