7—3

 その後もチャンスがあれば亜魔蛙を仕留めていき、瓶には粘液袋がそこそこ溜まっている。ドワーフの親父から渡されたメモには、素材の名前は書かれていたもののいくつ必要なのかが分からなかった。分からなかったが余れば売れるだろうという事で集めた結果だ。ただ、素材とはいえ気持ちのいいものでは無いので、あくまでチャンスがあれば。


 そうしているうちに、奥の方に出口らしき明かりが見えてきた。

 長かった洞穴をようやく抜けると、高い岩壁に囲まれた入江に出た。左側は切り立った崖になっていて、上の方には緑が鬱蒼としている。恐らく森が広がっているのだろう。ずっと見上げていると首が痛くなりそうな程高く、とても登れそうにないから結局想像に過ぎないのだが。

 右側には砂浜が広がり海に繋がっている。さっき皆で遊んだ海辺と違って砂浜の直ぐ先の海が濃い青色になっているから、きっと深さが違うのだと思う。遊び場としては適さない様に思われる。遊ぶつもりはないけれども。

 ここから更に何処かへ繋がっている様子はない為、ここが最終目的地だろうと推察する。

 三人は顔の下半分を覆っていたタオルを取り鼻栓を取ると、外の新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。最初に嗅いだ時は潮の香りが少しばかり生臭く感じたが、今そんなものは微々たる事だ。


「蛙に結構時間取られたな」


 クラインの呟きを聞き海の方へと視線を移す。迷宮に入る前は頭上にあった太陽が、大分傾いてきている。

 残す素材は闇光貝と闇珊瑚。どちらも陽が落ちてしまうと入手困難となってしまう。

 というか、陽が落ちる前までに外に出ないとパビリオ行きの馬車に乗れなくなってしまう。流石に長時間潮風に当たったまま野宿はしたくない。なんなら約一名は直ぐにでもシャワーを浴びたいと思っている。

 という訳で、三人は手分けして探す事にした。合図は口笛だ。集合場所として、入江のほぼ中央付近にあった大きな黒い岩を指定した。




 ログナは岩壁の側を歩いていた。見上げる先は高く、足場も無い為登るのはまず無理だろう。それに探しているのは貝と珊瑚。


「(とすると……やっぱり海の方だろうけど……)」


 海岸線はクラインとキースが二手に分かれて捜索中だ。ここから二人と入江が見渡せるが、大きな岩の周りに大小様々な岩が点在しているだけでそれらしいものが見当たらないのだ。


「(海の中……? 有り得なくは無いけど……迷宮の難易度的にそれは……)」


 無いとは言い切れない。なんせ迷宮、何があっても不思議じゃない。

 やっぱり潜るしかないか、とログナは意を決して二人の方へと駆け出した。


「海に潜る?」

「やっぱりそれしかないか……」

「腑に落ちない事は多いけど、これだけ探して手掛かりないからね」


 こうしている間にも陽は刻一刻と落ちてゆく。時間が限られる以上、やれる事をやるしかない。


「ま、あの熟練のおっさんもタオル沢山持ってけってヒントくれたしなぁ。タオルそんだけ使うって事だろ!」


 ケラケラと笑いながらキースが大岩にもたれかかったその時だ。

 突然、黒い岩がゆっくりと半分に割れた。


「「え?」」


 キースの正面にいたログナとクラインが目撃する。割れたは割れたが、縦にではなく、横に割れたのだ。

 それが大岩でなく巨大な貝だと気が付いた時には、キースの体が支えを失い後ろに倒れていくところだった。


「「キース!!」」


 ガバァッと開いた二枚貝はキースを飲み込んで再び閉じようとする。すんでのところでクラインが自身の槍を差し込んだ。

 メキメキと音を上げながら槍が貝の口に挟まれている。拳一つ分くらいの隙間を残し、キースを飲み込んだ貝殻が閉じられてしまった。かろうじて閉じ切るのは防げた。


「キース!! 大丈夫か!? 返事しろ!!」

「くそ!!」


 クラインが挟んだ槍を上下に動かし、貝の口をこじ開けようとするがびくともしない。ログナも近くの岩を手にすると思い切り殴りつけた。が、やはりびくともしない。


『なんだこれ!? 気持ちわりぃ!! ヌメヌメするっ!! 生臭せぇ!! おえっっ……』


 とりあえず無事な事に安堵するも状況は最悪だ。咄嗟の判断で身体を丸ごと中に入れられたのは良かった。これで足や手が出ていたらきっと無事では済まなかっただろう。


「貝柱切れないか?」

『狭過ぎて無理。身動き取れん』


 キースの身体は物凄い力で圧迫されている筈だ。こんな風に話していられるのも時間の問題だろう。陽も大分落ちて、空が茜に染まりつつある。


「ログナ! お前の剣で貝柱切れないか!?」

「でもキースに当たりでもしたら……」

「魔眼は?」

「!! やってみる!」


 どうにかこじ開けようと踏ん張るクラインに言われて、ログナは空間魔法から剣を出すと鞘を投げ捨てた。左手で左目を覆い隠すと、貝の僅かな隙間から中を覗き集中する。

 するとやがて貝の中身の全容がうっすらと視えて来た。細い無数の触手のような物がうねうねとまとわりついて塊になっているのが恐らくキースだろう。


「いけそうだ!!」


 そちら側を避けるように剣を突き立てた。グサリと手応えがあったと同時に、挟んだ槍がミシミシと音を立てている。殻を閉じようと抵抗しているかのようだ。

 繊維を立つように、剣をナイフの様に動かしていく。一度引き抜き、もう一度差し込もうとした時、魔眼にキラリと光る何かが映った。

 感覚を研ぎ澄ます様にそこに集中する。徐々に視えて来たそれは、球状に形をなしてゆく。


「(もしかして!?)」


 剣を捨てたログナはそこへ向かって手を突っ込んだ。


「おいログナやめろ! 腕がもってかれる!!」


 クラインの言う通り、ログナが腕を突っ込んだ途端更に槍がミシミシと音を立てている。腕を通している隙間が徐々に狭まり腕を圧迫してきたが、それでも無理やり突っ込んだ。手首から先が切り裂いた貝柱へ届く。ぬるぬるうねうねと蠢くそこを探った。

 魔眼に映る球体は手首に掛かっている。その先に必ずある筈なのだ。


「ログナ!!」

「もう……少し…——」


 クラインが渾身の力でこじ開けようと全身で槍を突き立てる。ついにログナの指先が固い何かに触れた。最後の力を振り絞ってそちらへ懸命に手を伸ばす。


「「おおおおお…———」」


 つるりと逃げるそれを執念で鷲掴み、無我夢中で腕を引っこ抜いた。

 ログナの掌よりもひと回り大きい黒い球。魔石か核だと思ったそれは、光の当たる部分が虹色の彩光を放ち、魔力を帯びた美しい魔真珠だった。


「キース!!」


 クラインの声にハッとそちらへ思考を戻す。貝の口に差し込まれていた筈の槍が抜けてしまっており、貝の口がピッタリと閉じられていたのだ。


「そ……んな……」


 ログナの頭から血の気が引いていく。ふらりと足元がよろつき、近くの岩に手をついた時だった。


 ガバアッ


 固く閉じられていた貝の口が大きく開いたのだ。

 貝柱が見事に切断されており、苦しそうに大きく息をするキースの手には双剣の片方が握られていた。


「あー……死ぬかと思った……」

「キース……良かった……」


 身体から一気に力が抜けたログナは、そのまま浅瀬に尻餅をつく。大きく安堵の息を吐いたクラインがキースに手を貸し、彼を引っ張り起こしているのを、腰から下をずぶ濡れにしたまま眺めた。


「取り敢えず、貝殻は手に入ったなー」

「食料も」


 立派な貝柱は一体何人前あるだろう。キースが喰われそうになった事実を除けば、実に美味そうな海の幸だ。

 これを持って帰れば、ひょっとすると女将さんにタオルを犠牲にした事は許してもらえるかもしれない。当分は貝料理になりそうだが……。


「魔真珠も、ね」


 尻餅をついたまま、ログナが手に持ったままの黒い球体を二人に見せる。

 鬱陶しそうな前髪をかき上げたキースが、重い腰を上げるとログナの元までやってくる。差し出された手を取って立ち上がると、顔を見合わせて笑った。


「ひでーかっこ」

「キースこそ」


 ログナは右腕を負傷し、キースは全身粘膜まみれ。クラインは槍がボロボロになってしまった。おまけに全員ずぶ濡れだ。

 キースは「粘膜まみれよかマシ」と、海へダイブする始末。「タオルは沢山持っていけ」の助言は、どうやら本当だった様だ。

 躊躇なく海へと入って行ったキースに苦笑しながら、ログナは戦利品を空間魔法へと入れていく。真珠と貝と貝柱を回収したところで、巨大闇光貝のあった場所に魔法陣が出現しているのに気が付いた。


「あの巨大貝がボスだったんだ……」


 発光している事からも、入り口まで戻る魔法陣はすでに完成している様だ。そしてもう一つ。


「あれ? これって……」

「!! もしかして、闇珊瑚ってこれなんじゃないか!?」


 発現した魔法陣を囲むように黒い珊瑚が密集しているのに気がついたのだ。恐る恐る一角を持ち上げてみる。一抱え程ありそうな群体が採れてしまった。時間的にも体力的にも諦めかけていただけに、珊瑚まで手に入ったのは嬉しい誤算だった。



「どうやら時間切れだな」


 そう言ったクラインに釣られて水平線を見れば、太陽が半分沈んでいる。

 空も雲も茜色に染まり、海の上にはこちらに向かって光の道が出来ている。目を奪われる程の大自然の美しさを堪能し、今日一日を乗り越えられた事に興奮する。今日のこの絶景は、色んな意味で三人の目に焼き付けられた事だろう。


「帰ろうか」

「ああ」

「美味いエールが飲めそうだな!」


 そうして三人はここでの全ての素材を収集出来た事を嬉々として語りながら帰路に着いたのだった。

 その後、何故かひっくり返して出した筈の砂が、ブーツの中から数日間出続けるという現象を初体験する事となった。

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