7—2
しばらく遊んだ三人(主にキース)は、身支度を整えると、真っ白な砂浜を海辺に沿って歩いていた。時折海の方から剣のような角が生えた魚が飛んできたり、人の頭ほどの大きさのヤドカリが襲ってきたりはあったが、今のところ難なく進めている。
そうしてしばらく進むと、岩場にぽっかりと開いた洞穴へ辿り付いた。幅は広く通路があり、脇には水路のような水の流れがある。覗き込んでみるも奥は曲がり道なのか、先までは見通せない。灯りらしい灯りは見当たらないのに、中は進むのに困るような暗さでは無かった。これも迷宮あるあるだ。忘れてしまいがちだが、海も含めここは迷宮内なのだ。
「この先は抜けられると思うか?」
「うーん、行ってみない事には何とも言えないね」
「貝も蛙も珊瑚も見つかってねぇしな。あるとすりゃこの先だろ」
そう結論付け、三人は警戒しながら洞穴へと進んだ。
中は湿度が高く外に比べると蒸し暑い。足元もじめっとしていて、踏みしめようとすると滑ってしまいそうだ。踏ん張りが効きにくそうなこの地面では、キースの素早さは生かしきれないかもしれない。今の装備ではそれらを補うには至らないのだ。
そんな風に確認をしながら歩を進めて行くと、通路の先に蛙を発見した。亜魔蛙だ。
人の頭程の大きさで全身が赤く、前足後ろ足が真っ黒で背中部分に黒い斑点が見えた。みるからに毒々しい。喉の部分の皮膚を震わせながら、どこを見ているのか全く分からない黒い目がこちらに向けられている。ような気がする……。
でっぷりとしたその見た目からも、とても素早さが高いようには見えない。
「あれなら楽勝だろっ!」
自慢の足が使えずとも仕留められると判断したキースが地面を蹴る。両手が双剣の柄を握ろうとしたまさにその時だ。
亜魔蛙の喉元が大きく膨らんだかと思うと、口から何かを吐き出した。黒っぽいヘドロの塊のようなそれは、物凄いスピードでキースの顔目掛けて飛んで来た。一瞬面食らったキースだったが、難なく躱す。
が、次の瞬間。
「おえええぇぇぇ」
近くの水路に四つん這いになると思いっきり嘔吐いた。何か攻撃を受けたのかと警戒したログナとクラインだったが、すぐにその原因が判明する。
キースが躱し地面に落ちた亜魔蛙のヘドロが、物凄い異臭を放っていたのだ。
少し距離のある二人にすら届く酷い臭い。すぐ側で無防備に嗅いでしまったキースへのダメージは計り知れない。
因みに、暑い時期に素足でブーツを履き続け、一度として洗わなかった時のような激臭だった。
何とか自立歩行まで回復したキースは、気力体力ともに大分削られている。
さっき出会した亜魔蛙はいつの間にかいなくなっていたし、激臭ヘドロは時間と共に地面へ消えていった。あれを採集するのかと思うと震える。
どうしたものかと頭を悩ませ進んでいると、角になった通路を曲がろうかというところで壁にへばりついた状態の亜魔蛙と目があった。絶対ここで待ち構えていただろうという場所と高さだった。黄色い体の至る所に黒いラインが入っている模様で、目に鮮やかだ。
反射的にキースが逃げ、隣にいたログナの手を引いた。先頭を歩いていたクラインが、手にしていた槍の切先を向けようとした瞬間、蛙の口からヘドロが飛び出す。
ギリギリで躱し通路の陰に飛び込んだが、クラインが向かった先は水路だった。
「オエえぇぇぇ」
キースの二の舞になった。
因みに、乳を雑巾で拭き取り数日放置したような激臭だった。
三人の目の前には三匹目の亜魔蛙の姿がある。真っ青な体に黒い斑ら模様が入っている。
ログナ以外の二人は、既にメンタルもやられている。かろうじて無事なログナが、空の瓶を手ににじり寄って行く。
二人とも武器を構えた直後に攻撃されたことから、武器を構えるのがいけないのでは? という結論に至ったのだ。空の瓶も時と場合によっては武器になり得るというところには気付いていない。
一歩二歩と距離を詰めていくが、何処を見ているのか目が合っているのかすらも分からない真っ黒な瞳が唯々怖い。何ならもう蛙がニヤリと不気味な笑みを浮かべているようにすら見えてくる。これ以上はマズいとログナが本能的に察したその時、やはりというべきかヘドロが飛んで来た。
必死に躱すが、激臭からは逃げられない。
「おえぇぇぇぇぇ」
三回目の激臭は鼻がおかしくなりすぎて、例えが浮かばなかった。
「あんのジジイ!! とんでもないもん取って来い言いやがって!!」
一つ目の魔法陣を見つけたところで小休憩を取る事にした。石室とまでは言わないまでも、陣の周囲は開けていて腰を下ろすのに丁度いい岩もゴロゴロしている。
蛙から逃げ回っただけだったが、酷く疲弊してどっかりと腰を下ろした。一息つけた事で沸々と湧いてきた怒りがキースを激昂させている。
「鼻の奥の臭いが取れん……」
「オレも……」
ログナとクラインは精神的な疲弊の方が強かったのか、ぐったりしている。加えて激臭の余韻が二人のHPをゴリゴリと削っていた。
もう帰りたいという言葉をグッと飲み込んだキースが、何度目かのうがいをするとログナを見た。
「あんなもんどうすりゃいいんだよ? 触るのなんか絶対嫌だぜ!!」
触ろうものなら手は死に、三日は物が食えないだろう。そんな事態は御免被りたい。
それに地面に落ちると時間経過と共に消滅していった。そうするとヘドロだけ採取というのは難しいのかもしれない。
「一度迷宮出るか? もう一度情報収集してから来るって手も——」
「いや」
クラインの提案を拒否したのはログナだった。パーティの中でも慎重派の彼にすると珍しい反応だ。
「こんなところで助けてもらってたら、史上最速ランクアップなんて出来ない」
「……確かに」
「けど、睨めっこばかりもしてらんねぇだろ」
「一つ、試してみたい事があるんだけど」
「何か分かったのか!?」
クラインの問いにログナが頷きを返す。「ただ……」と、その後の語尾がくぐもってゆく。
試すという事はヘドロを受ける可能性があるという事。あの激臭をどうにかしたい。
考え込むように頭を悩ませていると、自分の腿をパンっと叩きながらキースが勢いよく立ち上がる。妙案が浮かんだような顔つきだ。
「しゃぁねぇ! 女将さんには悪いけど、犠牲になってもらおう!!」
「「?」」
そう言いながらキースが空間魔法から取り出したのは、一枚の真っ白なタオルだった。
三人は魔法陣から先へ進んだ。
身体が隠れる程の岩の影から覗く少し先には、本日四回目の遭遇となる亜魔蛙がいる。目がチカチカする程のピンク色の身体に黒い線が描かれたような模様をしている。
弓を手にしたログナの口元はタオルで覆われていた。ログナの視線の先にいるキースとクラインも同様だ。その下にも小さく切ったタオルを丸めたものを鼻栓代わりに鼻腔へ突っ込んである。
キースが犠牲にしたのは、宿の女将さんから大量に借りてきたタオルの一つだ。無いよりはマシだろうという事で応急処置だ。
弓に矢を番え二人と頷き合ってから、ログナは岩から身を乗り出し、蛙に向かって武器を構えた。やはり驚く程の反応速度で、こちらへ向かってヘドロが飛んで来る。すぐに岩陰に身を引っ込めたおかげで、三人の背後、岩の正面側にヘドロが着弾する音がした。
簡易鼻栓のおかげで激臭にも耐える事が出来ている。
「多分オレらの殺気に反応してるんじゃ無いかと思う」
「殺気?」
「うん。最初に遭遇した時も二回目の時も、既にオレらの方に気付いてた気がするんだ。だから、気配に物凄く敏感なんだと思う」
「……確かめてみよう」
そう言って岩陰からでたクラインが奥に向かって歩き出す。さっきのピンク色の亜魔蛙はいなくなっていたが、すぐに次に遭遇した。キースとログナが躊躇する中、クラインはそのまま何事もないように蛙へ向かって歩いて行く。そしてそのまま通り過ぎたのだ。蛙の方も恐らくクラインを警戒しただろうが、ヘドロを吐き出して攻撃してくる事はなかった。二人もドキドキしながら素通りしてみる。
結果ログナの読みは当たっていたようだ。
「でもこれでますます捕まえるのは不可能になったな」
「いいや」
こちらの殺気に気付かれるのでは、どうしようもない。罠を仕掛けたところで同じだろう。
そう思ったのに、ログナが「手はある」とばかりに不敵に笑った。
「それこそオレの出番でしょ」
その手には愛用する弓矢が握られている。
結果的には、気配を探られない位遠くから魔眼で狙いをつけたログナが一発で仕留めた。魔眼の精度も少しずつ上がってきているのが実感出来る一撃だった。
倒した事で手にはいるドロップアイテムとして、『亜魔蛙の粘液』の入手に成功。内臓に包まれたヘドロは臭う事なく空き瓶に収められた。
「(最初からこうしておけばよかったんじゃね?)」
と言うどうにもならない心の声は、三人それぞれの心の中に留められたのだった。
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