4—1

 ふわりと意識が急浮上する感覚に見舞われ、ログナはハッと目を開けた。

 見覚えの無い天井が映り、周りを見回しながら体を起こす。いつの間にか薄手の掛布がかかっており、それがパサリと肩から滑り落ちるのを目で追うと、ベッドの上だと気が付いた。

 一瞬自分達が寝泊まりしている宿かと思ったが、雰囲気がまるで違っている。一人部屋と言える狭さの室内でベッドは酷く簡素であったし、側に簡易椅子が一つあるだけで他に家具は無い。

 寝るためだけの部屋と言っても過言ではなく、それ程何も無かった。

 正面には入り口であろう扉が、振り返った壁には薄いカーテンのかかった窓がある。外はすっかり陽が暮れて真っ暗だ。


「……ここは……」


 ログナの呟きが聞こえたのかと思う様な絶妙なタイミングでノックがなされ、返事の間も無く扉が開いた。


「あっアマンダ、さん!?」


 思いがけない人物の入室に、ログナは固まったままアマンダの動向を唯々眺めた。

「起きましたか」と声を発した彼女が、手に持っていたトレイを椅子に置くと、まさかのベッドへ腰掛けてきた。身を乗り出すように顔を近付けられ、ログナは反射的に僅かに身を逸らす。手を伸ばせば確実に届く距離に迫った青を見つめ、煩い鼓動を耳の直ぐ内側で聞いた。


 不意にアマンダが手を伸ばしてくる。

 スローモーションの様にゆっくりと近づいて来た白い手は、ログナの左頬を僅かに掠めた。真っ青な空の色をそのまま落とし込んだ様な瞳が鮮明に焼き付けられ、肩からさらりと落ちた白い髪が酷く艶かしく思える。

 目の前にある彼女の唇がやけに艶やかに見え、ゴクリと喉を鳴らす。何が起こっているのか理解出来ないまま、こういう時は男の方からもアプローチすべきなのかと未経験ながらも必死に思考を巡らせ、ドキドキと煩い心臓をやけに意識しながら少しだけ顔を寄せてみる。


「腫れ、引きましたね」

「……え?」

「?」

「???」


 そういえば殴られたのだった。

 ガラの悪い冒険者に絡まれて、殴られて……よりによってアマンダに助けられたのだ。そして気絶。

 情けなくも恥ずかしい姿を晒した上、盛大に勘違いした事に気が付いたログナは、両手で顔を覆い隠すと全力で穴があったら入りたいと思った。


「ポーションが効いたようで何よりです」

「……はい。すみませんでした」


 どうやらポーションまで使わせてしまったらしい。初級でもログナ達の様な駆け出しには中々手の出せない代物だ。それを殴られただけの傷に使わせてしまったのだ。諸々含めて申し訳ない。


「身体は大丈夫ですか?」

「はい。何ともありません」

「では行きましょうか」

「え? 行くって……?」


 まだ熱い顔を手で仰ぎながらベッド脇に立ち上がったアマンダを見上げる。青が鮮烈な瞳に射抜かれ、ログナは唯それを見つめた。


「皆さんお待ちですので」




 アマンダが世話をしてくれた事から、彼女の家かどこかだと思っていたログナの淡い期待は、扉を出た瞬間に打ち砕かれてしまった。

 見たことのあるその様式は、冒険者ギルドのそれだ。聞けばギルド三階の仮眠室だと言う。

 緊急時等に職員が使用するそこは、普段から冒険者にも貸し出しされているようだ。あくまで仮眠室の為連泊は出来ないが、今回のログナのように依頼中に負傷した時やなんかには治療の為に使われる事があるのだそうだ。


 そのような説明を受けながら似たような扉が並ぶ廊下を進み、太い柱の通ったホールを横切り、同じ階の一際大きな扉の前に立つ。

 アマンダがノックをするも中からの返事は無い。居ないのかなと思ったのも束の間、アマンダがそのまま扉を開けて入ってしまった。

 え? いいの? と盛大に疑問符を浮かべながら後に続くと、聞き馴染みのある声が奥から聞こえて来た。


「だからぁ、絶対違うんだって!!」

「何が違う? お前の方こそ全然解っとらん!!」


 キースが誰かと口論している。

 アマンダの後に続いて進むと、壁が途切れた先に机を挟んで身を乗り出し、今にもどつき合いが始まりそうなキースと翁の姿があった。その脇でクラインが我関せずとお茶を飲んでいる。


「マスター、お連れしました」


 冷静なアマンダの呼び掛けに、顔を顰めていた翁がログナに向かって手を上げニカっと笑う。


「おう! 起きたか。災難だったなぁ」

「お騒がせしました」


 ぺこりと頭を下げたログナに、キースが破顔する。


「ログナ!! 良かった!!」

「大丈夫そうだな」


 安堵の表情を浮かべたクラインにも手を上げて応え、ログナがキースの隣に腰掛けた。


「で? 何の話?」

「そう! 聞いてくれよログナ!! このおっさん何にも解っちゃねぇ!!」

「何だと小僧!! お前こそまだまだ半人前じゃろがい!!」


 再び口論を始めた二人越しにクラインを見ると、彼に説明を求める。


「女の体の何処を見るかで揉めてる」

「はぁ?」


 一体何がどうしてそんな話になったのか。てっきり自分が殴られた理由でも聞かされているかと思っていたのに。


「やっぱり乳だろ!! おっきくても良いが小さくても形が良ければ最っ高!! こう、手でわしっとした時に指と指の間から柔肌がむちっとするのなんて最高過ぎだろっっっ!!」

「黙れ小僧! 女は尻じゃ!! ぷりんと上がったムチムチの尻じゃろーがぃ! 尻の良さが分からんお前はまだまだひよっこじゃ!!」


「お茶です」

「あ、ありがとうございます」


 白熱する二人を無視してアマンダがログナにお茶を出している。

 慣れたものなのか、相手にするだけ無駄だと思っているのか、その冷静さが逆に恐ろしい。


「クラインは!?」

「小僧は!?」


 平行線を辿るだけの二人が、今度はクラインを標的ターゲットに定めた。どうしても白黒つけたいらしい。

 静かに湯呑みを置いたクラインが二人を見る。


「オレはうなじだな。浴衣と後れ毛のセットならば尚良し」

「(答えるんだ……)」


 いつもは傍観に回るクラインが答えている事に、ログナは意外そうに瞠目した。そしてクラインらしい答えに異様に納得出来てしまう。

 欲しい答えが得られなかった二人が、今度はログナへ詰め寄ってくる。


「ログナは!?」

「そっちの小僧は!?」

「おっオレ? ……オレは」


 何でこっちに飛び火するかなと思いながら口を閉ざす。後ろにアマンダの気配を感じながら迫り来る二人を交互に見るも、どうやら答え無いと言う選択肢は無さそうだ。彼女の前で女性の体のどこを見るかなど答えたくないと言うのに。

 答えてしまえば見辛くなるではないか。


「オレは……目、かな……」


「ふざっけんな!! んな訳あるかぁ!!」

「このヘタレがぁ!! んな訳あるかぁ!!」


 一番気に入らなかったらしい。

 二人同時に激られ、そんな事言われてもと「どうどう」と両手のひらを出し、宥めながらも恐る恐る振り返る。見上げた先にあるのは、静かな海の様に凪いだ青だ。

 実際一目で魅入られてしまったのだから仕方ない。他が目に入らなかったのだから。


 と、ログナの視線の先でアマンダが持っていた恐らく金属製であろうトレイが、ベコっと異音を発しながら凹んだ。

 ログナ意外の三人の視線が一斉に音の先へと向けられる。ついでにログナは二度見した。

 トレイを持つ手の甲にメリっと青筋が浮いたのを全員が目視する。背筋に悪寒が走ったのは、きっとログナだけではない。


「いい加減本題に入ってくださいシバき倒しますよ」


 普段と一切変わらない淡々とした表情と声が、却って恐ろしく感じられるのは決して気のせいではない。

 静かに姿勢を正した四人は、そのまま無言で定位置についた。



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