第8話 最悪の日

 最悪の日というのは唐突にやってくる。


 長い歴史を誇るフロスト伯爵家の現当主にとっては、まさに次女の病気がそれだった。


 ——石化。


 体を蝕む原因不明の病。


 一度罹ると緩やかに病状は悪化していき、四肢を始めに体の中心へ硬直が進んでいく。


 最終的には心臓すらも止まってしまい命を落とす。

 これまで患った全ての患者が平等に死んだ悪魔の病気。


 それをフロスト伯爵家の次女が発症させた。


 報告を聞いたフロスト伯爵がどれだけ心を痛めたのか。


 次女のベッドの周りを囲む数名のメイドと執事は、涙をこれでもかと流す当主を見て悟った。


 ご息女は若くして死んでしまうのだ、と。


 彼女の年齢はまだ五歳。

 たった五年しか生きていないのだ。


「あまりにも酷すぎる! なぜ神は娘にこのような過酷な……!」


 フロスト伯爵は敬虔な信徒ではないが、その日は間違いなく神への信仰を捨て去ろうとしていた。


 ギリギリのところで思いとどまれたのは、不安に押し潰されそうな心を必死に隠して笑う次女の顔を見たからだ。


 まだ五歳の少女が、父親を想って苦しみから目を逸らす。

 それが伯爵の精神をなんとか冷静にさせた。


 諦めるわけにはいかない。娘をこのまま死なせていいはずがない。


 そう決意し、妻や長女にも協力してもらって不眠不休で病の治療法を探した。


 しかし、見つからない。


 どれだけ金を投じて情報を集めようと、三日三晩寝ずに行動しようと、石化を治す方法は無い——ということだけが判明した。


「ダメだ……ダメだダメだダメだダメだダメだ! 認められない。あの子を失うなど耐えられるはずがない‼」


 机を強く殴りつけ、血が流れようとも伯爵は気にしなかった。


 無いなら作ればいい。


 金にものを言わせて医者や薬師に手を伸ばす。

 だが、彼らも他の人間と同じ結論を出した。


「申し訳ありませんフロスト伯爵。我々も知らないのです、石化を治す方法は。見当すらつかない」


「そんな……あなたは、ここ王都でも最高の医者なのでしょう?」


「私にできるのは医術を施すことだけ。決まっている方法を決まっている通りにやるのです。新たな新薬や石化を治すための術は……出せません」


「ッ」


 失意に暮れる伯爵。それでも彼は諦めなかった。


 死にそうな顔に笑みを貼りつけて何度も娘に「大丈夫だよ。必ず治るから」と言い続けてきた。


 たった一ヶ月ほどで次女の顔から笑顔は消えた。

 言葉も話さなくなった。


 辛そうに外を眺めて、徐々に体を動かせなくなっていく。


 どれだけ苦しいか。どれだけ不安か。どれだけ恐ろしいか。


 想像するだけでフロスト伯爵は血を吐き出すような激情に駆られた。


 そんな中、フロスト伯爵はクローヴィス公爵家を訪れた。


 伯爵家より遥かに歴史の長い公爵家の人間なら、もしかすると石化を治す方法を知っている、もしくは考えてくれるかもしれないと。


 ついでにクローヴィス公爵家の嫡男はとんでもない天才だと聞いた。

 藁にもすがる思いで齢八歳のスレインも部屋に呼んでもらう。


 すると、驚くことにあまり期待していなかったスレインが、石化を治す方法を知っていた。


 それが事実かどうかは関係ない。


 全てに裏切られ続けたフロスト伯爵にとって、初めて生まれた希望だ。

 何もかも投げ打ってでもその希望を掴もうとする。


 そうしてスレインから教えてもらったレシピ通りに薬を作り、それを次女に飲ませた。


 決して美味しくない味ではあるが、次女もまた藁にもすがる思いでそれを飲み……数日。




「キ、アラ……?」


 それはある日の朝。


 いつものように薬を持って次女の部屋へ向かったフロスト伯爵は、扉を開けた瞬間に持っていたコップを床に落としてしまった。


 幸いコップは割れなかったが、ばしゃりと中に入っていた液体が絨毯に吸い込まれていく。


 しかし、伯爵の意識は全て前方の次女へ注がれていた。


 彼女が、ベッドから降りて立っている。

 間違いなく、自分の足で。


「おはよう、お父様。見て、これ。私……立てるようになったよ」


 つい最近まで両足が動かなくて立つことすらできなくなっていたはずの次女は、泣きそうな顔で父親のフロスト伯爵にそう告げた。


 ああ、もうダメだと伯爵は動き出す。

 弾かれたように走った。


 勢いよく次女の体を抱き締め、おいおいと大粒の涙を流す。


 次女もまた、父親の激情に巻き込まれて涙を流した。


 二人の声は、屋敷中に広がって注目を集めていく。


 その日、フロスト伯爵邸はお祭り騒ぎだったという。




▼△▼




「——くしゅん! ずず……なんだ? 風邪でも引いたか?」


 ふいに魔法の勉強をしていたら背筋が冷たくなった。


 最近はいいことしかしていないはずなのに、このやってしまった感はなんだろう。


 ひょっとしてフロスト伯爵の次女を治すことができなかった、とか?


 いやまさかな。


 俺の知識は正確だ。

 石化を治す薬のレシピは大事な要素だったからよーく覚えている。


 きっと今頃は、家族団らんの時間を過ごしているはず。


 その証拠に、いまだにフロスト伯爵からの小言はない。

 娘を救えなかったとネチネチ嫌味を言われていない。


 薬を投与してから数日は安静にしないといけないからな。


 吉報が届くとしても、あと二、三日は必要になるだろう。


 恩が売れてるといいな。




———————————

【あとがき】

昨日、予約投稿するの忘れてた愚か者です……。

ごめんなさい!


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