第6話 百億年早い

 パーティーの楽しい空気を引き裂く声が響いた。


 声を発したのは、ツィリシアに婚約を申し込んだ伯爵子息。

 彼の顔を見つめて俺は深いため息を漏らした。


「ハァ……今、ここで何が行われているのか、もう忘れたんですか?」


「な、何を……」


 俺の鋭い視線とやや低くなった声に、ビクリと伯爵子息が肩を震わせる。


 見たとこ外見年齢は俺とそんなに差はない。

 ツィリシアに婚約を申し込んだくらいだ、高くても十歳くらいだろう。


 子供だから場の空気が読めないことも分かるし、恋に現を抜かすのも理解できる。


 だが、それを認めることはできなかった。


 あえて一歩引くチャンスを作ってやったというのに……。


「ここはクローヴィス公爵家の屋敷で、今は俺の誕生日を祝うパーティーの最中だ。にも関わらず、ぎゃあぎゃあ騒いで俺やツィリシア嬢に迷惑をかけるなよ」


「ッ⁉」


 言われてようやく気付いたらしい。

 額からじんわりと嫌な汗をかいている。


 周りからは冷ややかな目を送られていた。


 当然だ、貴族はこういう醜聞が嫌いだからな。


 無論、口にする分には大好きな連中だ。

 明日には王都中の噂になっているかもしれない。


「理解できたな? 理解できたならさっさと失せろ。パーティーを楽しむくらいの余裕は持ってな」


「~~~~!」


 顔を真っ赤にした伯爵子息くんは、俺に何か言いたげな様子だったが、遥か格上の公爵子息には何も言えなかった。


 小刻みに体を震わせるだけで無言を貫き、そのまま踵を返してどこかに行く。


 その姿を見送って、俺はくるりとツィリシアのほうに向いた。


「災難でしたね、ツィリシア嬢。面倒なお客様はお帰り願ったのでもう安心ですよ」


「申し訳ありません、スレイン様。スレイン様の手を煩わせるような真似をして……」


「何を仰いますか。ツィリシア嬢は被害者なのだから胸を張ってください。主催者側として当然のことをしたまでです」


 くすりと笑って彼女の非を問わない。


 事実、あの伯爵子息が勝手に暴走しただけだろ。


 場の空気に惑わされたのかどうかは知らないが、ツィリシアを手に入れようだなんて百億年早い。


 俺だって彼女とは手を繋ぎたいし抱き締め合いたいし「好き」だと囁いてほしいのに。


 ……じゃなくて、モブにはもったいない最高のヒロインだ。


 むしろツィリシアにさらに恩を売れて嬉しいくらいである。


「スレイン様は……」


「ん?」


「スレイン様は、昔絵本で読んだ王子様のようですね」


「え……?」


 ドクン、と再び心臓が跳ねた。


 この胸の高鳴りは彼女に魔法を教えてほしいと頼まれた時と同じ高鳴りだった。


 今の台詞……俺の記憶によると、間違いなく彼女が幼少期にアシュトン殿下に告げた言葉だ。


 時期的にまだアシュトン殿下には言ってないのかな?

 だとしたら俺が彼女にとってのアシュトン殿下ということになる。


 だから付き合えるとまでは言わないが、確実に俺が起こしたイレギュラーはこの世界の運命を変えつつある。


 もしかすると、このささいな変化が大きくシナリオを変えることになるかもしれない。


 果たしてそれは、俺にとって最善の結果なのだろうか?


 答えは誰にも分からない。

 それでも、俺は彼女に褒められて悪い気はしなかった。


「王子様、ですか」


「あ! いえ……その……スレイン様はとてもカッコよくて素敵な殿方だな、と」


「ぐはっ!」


「スレイン様⁉」


 突然勢いよく吐血した俺の姿を見て、ツィリシアが顔を青くする。


 膝を突いて倒れた俺のそばに駆け寄った。


「ど、どうなされたのですかスレイン様!」


「す、すみません……あまりの尊さに吐血しました……」


「尊い?」


 いったい何のこと? とツィリシアは首を傾げて頭上に「?」を浮かべた。


 なんてことはない、別に何者かからの攻撃を受けたわけじゃない。


 ただ、ツィリシアの可愛さに精神がダメージを負っただけ。


 ギリギリ致命傷だった。最高。


「あぁ……我が人生にいっぺんの悔いもない……」


「スレイン様⁉ なぜ血を吐いてるのにそんな嬉しそうな顔を⁉」


 ぐらぐらとツィリシアが俺の体を揺らす。


 けれどもう遅い。

 俺の心は全てツィリシアで満たされていた……完。




▼△▼




 パーティー会場の一角にてスレインが尊死している間に、クローヴィス公爵邸から外へ出た伯爵子息の少年が、暗闇の中を歩きながら収まらない怒りを吐き出していた。


「クソッ! 公爵子息だからって調子に乗りやがって!」


 雑草を蹴り飛ばし、ガンガンと力のかぎり踏みつける。


 それだけしても彼の怒りは収まらなかった。


「もう少しでツィリシア様を俺のものにできたのに! 彼女に相応しいのは俺しかいないのに!」


 彼は幼い頃からツィリシア・ミル・イレーニア侯爵令嬢に恋をしていた。


 身分の差はあれど、一つ上の侯爵令嬢になら手を伸ばせると信じ、今まで生きてきた。


 しかし、結果は違う。


 ツィリシアには婚約を拒否され、部外者でしかないスレインには馬鹿にされた。


 それがプライドの高い彼には許せなかった。


「許さない! 絶対に許さない! スレインの奴もそうだが、ツィリシアも許さないぞ! 俺が絶対に手に入れてやる……くく、どんな手を使ってでもな」


 暗闇の中、少年の瞳はギラギラと輝いていた。


 幼い心がゆえに、一度暴走した感情をすぐには抑えられなかった。


 性根の悪さは、父親譲りではあるが。




———————————

【あとがき】

可愛いッ!(心肺停止)

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